5.あたしのかかった奇病について
玄関のドアが軋んだ音を立てた(ちゃんと油を差していないからにゃ)。
―――ご主人様だ!
あたしは手をついて上半身を起こし、耳をピクピクさせる……なんか猫っていうより犬っぽい仕草だけど、ご主人様を待っている時はついしちゃうんだよね。
ダーナさんも一緒かな?戸口に入る前にバイバイしてくれていたらいいのにな。そしたら遠慮なくご主人様に甘えられる(ダーナさんがいても甘えてるけど、それなりに気遣いはしてるのにゃ……機嫌が悪い時以外は)。
鼻をフンフンさせてダーナさんの香りがしないかを確認する。パンと石けんとほんの少しのスミレ(ご主人様がプレゼントした香水ね)の香り……あーあ、いるにゃ。
控えめを意識しつつ玄関へ続く階段を降りていく。
「ご主人様、お帰りにゃさい!ダーナさんも」
ダーナさんがちょっと適当だったの、バレてるかな……ってチラッと思った。けどまぁいいにゃ、と控えめにご主人様に抱きつこうとして、あたしは自分がヘンだってことに気がついた。
足がすくんでご主人様のところまで行けないのだ。冷たい氷の蔓が足に絡まって1歩も動けない感じ。
なんでだろう、恐いって思ってしまう……ご主人様がどれだけペット想いで優しいか、なんて知り尽くしてるはずなのに。
「シュクル?どうしたんだい?」
ご主人様が不思議そうに近づいてくる。名前を呼ばれるって普段なら嬉しいことのはずなのに、全然そう思えない。
あたしがこんな気持ちでいるって分かったら、ご主人様きっと傷ついちゃうよね。
大丈夫だからしっかりして、って自分に向かって言い聞かせてみたけど効果なんか全然無かった。
あたしの喉は、はっきり悲鳴をあげたのだ。
「いや!人間恐い!もう絶対に関わりたくないの!」
ってね。
※※※※※
あたしは居間の隅っこでご主人様に背を向けてブルブル震えている。本当は逃げ出したかったけど、ご主人様にあんなひどいこと言ったのにできるワケないじゃない。
それにご主人様が傷ついたんじゃなくて、ただあたしのことが心配って顔して見てくれてるのが分かったから、気持ちの方はかなり落ち着いたのだ(だけど身体だけブルブル、まるであたしとは違う子みたい)。
そんなあたしを、ダーナさんが呼んでくれた獣医の先生はジロジロと……もとい、しっかりと観察してこう言った。
「これは獣人性パニック発作か……または転生病の可能性がありますね」
「転生病」
「ご存知ですかな」
「つい最近、裁判で。転生病による殺人を故意と認めるか否かが争点でしたね」
こういう話をする時のご主人様は、きっと眼鏡を人差し指でキュッと押さえたりしてて、物凄く頭良さそうな感じに違いない。
あたしがこんなじゃなければ、涎垂らしてガン見するところなのにもったいないにゃ……
でも獣医の先生にはその良さは伝わってないみたいで、すごく普通に返事とかしている。
「そう、最近爆発的に増えている病気です。殺人などの犯罪を犯すようになるケースはレア中のレアですがね」
先生の説明によると、転生病の症状はけっこういろいろあるらしい。
人格が丸っきり変わるケース、過去の記憶が無くなるケース、逆に過去の記憶を残したまま知識量が莫大に増えるケースなどなど。
急にすごい技能を習得したりウソみたいに魔法が使えるようになったりすることもあるみたい。それいいなぁ。魔法、あたしも使えるようになってみたいにゃ。
「やはりそっちでしょうか……僕の感覚ではパニック発作とは違う気がします」
ご主人様が凄く真面目な声を出してる。こんなこと思っちゃいけないんだけど、ちょっと嬉しい。
だってこれだけ真面目な感じだったのは、ダーナさんにプロポーズした時以来だし(あたしは自室に追い払われたけど、ばっちり聞いていたのにゃ)。
先生はほんの少し考えた風だった。
「そうですね。確かにパニック発作で、きっちり人間に対してのみ反応するのはおかしいかもしれません」
昔は獣人は単純だから、パニック発作なんか起こさないと思われていたものですがねぇ、ははは。
そのどこが笑えるか分からない情報を最後に、先生は帰り支度を整えてカバンを持った。
「ま、緊急性はないですから病名の特定は急がなくてもいいでしょう。来週もう1度診察しますよ」
緊急じゃない、のひと言でご主人様はものすごく安心してくれたようだ。
それにしても専門医が『獣人は単純』なんて決め付けていいのかにゃあ。あたしみたいなノンキな猫型だって、ヤキモチも焼くし(昼寝のしすぎとかじゃなくても)寝られない時だってあるのにな。