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6.陽炎は霞んだままで



秋晴れの下。肌寒くなった乾いた空気を切り裂く様に、牧場の外縁に作られたダートを走り抜ける。

視界の端では、美しい紅葉を纏い始めた巨樹がゆらりゆらりと騒めいている。時たま葉が枝を離れて、透明なベールの様な内圧調整ドームにぶつかって、極彩色の光粉を散らしていた。


地上から遥か上空に在る、此の星彩は、地上よりも幾分か冷える時期が早かった。10月に差し掛かり、地上でも薄着でいられなくなる頃、星彩ではしっかりと着込み始める頃合いになっていた。

具体的に言えば白い吐息が漏れる程度には冷え込み始めていた。

「それなのに何故巨樹は何を呑気に紅葉を始めているのだろうか。そういえば、此の牧場は星彩の外縁部だから巨樹の位置する中央部より気温調整が甘いんだったか」などと俺はぼんやりリーネの愚痴を思い出した。


ゴール地点に置いておいた”装備“が目に入って、気休めのラストスパートでゴールラインを駆け抜ける。ダートに2本の線を描く様に、砂埃を上げて停止すると、俺はうっすらと顔に浮き出た汗を拭った。


「最後の無茶は気に入りませんね。それ以外は概ね良好な記録です。呼吸器の鈍りは酷いものでしたけれど、大分調子を上げた様で」


ふわふわと浮遊モードの”装備“が水筒を持って此方に来ながら、そう言った。俺は水筒を受け取りながらなんでもない様な顔をした。


「無茶なんてしてないけど」


「嘘ですね。最後わたしを視認してからゴールまでの76m間明らかにペースを上げましたね。それも脚に負担がかかり始めるペースまで」


「でも、あんなジョギングにもならない様な運動、脚が鈍る」


「それで練習中に脚を壊したら元も子もありません」


「誰だってラストスパートはかけたくなるだろ」


「現在でも他の騎翼走に参加する選手と十分に競えるタイムですのでリスクのあるスパートは不要ですね」


「それに今の強化ポイントは呼吸器です。呼吸器」と”装備“は宙にディスプレイを描いて、練習メニューの狙いを描いたポスターを映し出した。

可愛らしい丸文字で、かつ見やすいように文字数を減らし、色でメリハリを付けてある。絵や目標達成スタンプラリーの様な遊び心まで添えられて、ポスターの完成度を引き上げていた。自分が州国家の学校の授業で提出した物よりも余程出来が良い。明らかに小慣れたポスターだった。

何処か悔しい気がした。


「それ、カタハテさんが作ったの?それとも装備が?」


「カタハテ様原案。作成、リーネ様ですよ。自由時間を使って作って頂いたらしいです。ほら、ほらほら!こんな可愛らしいポスター無視していいんですか!」


「あ、あー。それはダメだな、うん。はい」


悔しさが去って申し訳なさと嬉しさが取って代わった。

リーネなら納得出来る。道理で出来が良い訳だった。ぱっと見ただけでもかなりの時間を割いたのだろう、と分かる。彼女らしい丁寧な作品だ。

割と暇そうな、というより何をしているか分からないカタハテ作であったり、気の知れた装備作であったら、若干の感謝と、お節介だ、という反抗心しか抱かなかっただろう。


けれど、年の近しいリーネとなると感じ方も違った。

高等部3年、つまり俺は就趣ーー此の都市では助生制度という制度で生活が保証されるので仕事を探す必要はなく、娯楽通貨を稼ぎ、人生を豊かにする為の趣味を探す事が社会に出る際の通過儀礼になっているーーのために学校の授業は少なくなっているが、高等部1年のリーネは普通に授業があるはずだった。

其の上、彼女は騎翼走の選手としての練習があり、時間的余裕は一切ないだろう事は容易に想像出来た。僅かな時間を割いて貰ったと思うと、其の想いを無碍にするのは俺には出来なかった。

ポスターの下、手の込んだ目標達成スタンプラリーの側に、「無理をせずけど1個1個着実に!目指せ一緒に大会出場!」とあれば、尚更だった。

其れにもっと単純に言えば、好意があろうとなかろうと、異性に気にかけられるのが嬉しかった。男子なんてそんなものだった。


「世話好きと聞いてたとはいえ、ここまで他人に労力を費やせるもんなんだなぁ。これはリーネのお父さんも積極的に止めにかかる訳だ」


「本当にそう思ってるならツァーの頭はよっぽどお花畑という事になりますけど」


「うっ、あっそ」


俺は態と中途半端な態度を取った。水筒の生温い清涼飲料水を口に含んで、星彩の下を流れ行く、千切られた細かな雲を眺めた。


リーネと出会ってから一ヶ月ほど、彼女とは週2回程のペースで顔を合わせていた。会っている時間は大して長くない。長時間練習に付き合って貰えたのは最初を含めて2回だけ。やはり彼女にオフの日というのは貴重らしかった。

其れ以外は学校の帰り道に牧場を訪ねてくれた。15分程にも満たない時間で、最近の調子と問題点改善点をやり取りして、日暮れに追われて慌てて帰っていく。

ナムルマティアの中で腐っていた日々とは大きく違う、充実した日々だった。


“装備”の言いたい事は分かっているつもりだった。純粋善意で様々な事を気にかけてくれていると思えるほど、俺は単純能天気馬鹿ではない。一族の事が関わってなければ、人並みの察しは出来た。

「リーネさんは八方美人ではあるけど近づきすぎない性格だから、積極的な人って感じじゃないかなぁ」というのがカタハテが彼女に抱く評価。其の評価と、実際自分が接した彼女を比較すれば、彼女の裏に何かしらの下心があるのは明白だった。

何時かは、其の下心に何かしらの返事やお返しをしなくてはならない。

けれど、今は自分の事ですら、儘になっているとは言い難い。

故にもう少し、今暫くは、秘めた想いは秘めたままにしていてほしかった。




空気を読んで”装備“は話題を変えた。

本当によく出来たAIだと思う。もしかしたら、既にAI機構に意識体が結びついて、本当の自我を持っているのかも知れない。そうでなくとも何時の日かは、本当の自我に目覚めてほしい。ナムルマティア関連で俺は“装備”を悩ませてばかりであったから、そう思わずにはいられなかった。


「ヴェーヌァ様に詳しい報告はしないのですか?いつもいつも順調か順調じゃないかしか伝えないじゃないですか。漠然としすぎですよ。ヴェーヌァ様も不安になってしまいますって」


「やっぱり大して気の利くやつじゃなかったわ。痛いところばっかりついてきやがる」


「え、いきなりどうしました?」


「なんでもないこっちの話。それでヴェーヌァ?ヴェーヌァね。ああ」


「まだ後ろめたさがありますか?」


「そりゃ、結構な」


今回の旅費の大半はヴェーヌァが出してもらった。

州国家に完全に属していないナムルマティアは、助生制度の適応が完全ではない。州国家民ならば、負担にならないような事にも多少の娯楽通貨が必要になった。

騎翼走を始めると決めてからは、カタハテに負担が移ったが、其れでもヴェーヌァには厳しい負担だっただろう。


本来、お側付きや分家は本家から資産を管理されている。力を削ぎ反乱を防ぐのが目的だ。

其れなのに、ヴェーヌァが今回旅費を出せたのは、彼女が過去に一族の支配から逃れようと必死になって貯めた貯金があったからだ。

彼女が独立は無理だと膝を折った、其の名残に情けなく噛り付いていると思うと、やるせなさが心を突いた。


彼女が喜ぶ事に使ってるならまだ気はマシだっただろう。でも現実はそうじゃない。

走る道を捨てて現実を見て将来を考えてほしい、という願いを裏切って、星彩まで走る道を追いかけてきた。

其の上、ナムルマティアで最も嫌われるスポーツで有る騎翼走に精を出している。

ヴェーヌァが知ったら何と嘆くか、想像に難くなかった。

姉さんから母さんを奪って生まれてきて、其の上姉さんの脛を齧りながら其の期待を裏切り続けている。

其れが現実だった。


「でも騎翼走も悪くないですよ?最初のカタハテさん座学の時、ツァーは凄かったですけど。やってみたら思っているものとは違うものじゃないですか?」


「あん時はかなり悪い事をしたと思ってるよ。激昂して蹴るわ殴るわ投げるわ、本当に。飛び込んでみたら、当事者になってみれば、真っ当なスポーツだった。ただの競技だってよく分かった。楽しいよな練習」


「じゃあ」と”装備“は続けようとした。其の後に続く言葉は、「ヴェーヌァ様に本当の事を話してもいいんじゃないですか?」だろう。俺は其の言葉を無理やり遮るように口早に次の言葉を発した。


「でも、でもだ。俺たちは賭博場で殺された祖先の面影が呪いのように引き継がれてる。言われただけじゃ、分からないよ」


きっと此の騎翼走を忌避する感覚はナムルマティアにしか分からない。裏を返せば、ナムルマティアの自分なら、其の感覚は痛い程よく分かった。

故に絶対にヴェーヌァには言えない。此れ以上、彼女に負担をかけさせたくない。

此の後ろめたさは、引け目を乗り越えて、胸を張ってヴェーヌァと向き合えるその日まで、エゴに塗れた自分が苦しむべき罰なのだ。


暫く無言の空間が俺たちを包む。冬の雰囲気を漂わせる秋風が、服の間に入り込み、身体を震わせた。


「そういえば、エンジの方は順調かな。次は共有の練習だし、先に観に行こうか」


俺は徐に掴んだ上着に袖を通しながら”装備“に告げる。”装備”も特に異論はなく、俺の腰に巻きついて其の身を落ち着けた。



カタハテがエンジに跨って空を駆けている。巨大な翼が力強く羽ばたく度、エンジは一段と加速した。風切り音が耳を突く。

緩急をつけ、時には上がり時には下がる。空はとても自由な空間に見えた。

あれだけあった速度を見事に落としきり、エンジは俺の目の前にふわりと着地した。風圧をほとんど感じない見事な着地だった。

カタハテがエンジの背から降りてくる。其の顔はいつも以上に笑みに満ちていた。


「いやぁ、パートナーが決まってからエンジは調子がいいよー。ツァガナくんの脚が合わされば、1、2年で巨樹杯、最速戦に出られるかもしれないねー」


「そう、なんですか。かなり調子が良いんですね」


「最近ちょっと他人行儀に戻ってない?おじさん悲しいなぁ」


「気のせいじゃないですか?そっちが馴れ馴れしいとか」と俺はカタハテの目を見ずに返した。「きついこと言うねぇ」とカタハテはカラカラと笑った様だった。

視界の端で満足げに胸を張って息を整えるエンジが見える。調子が良いというのは確かそうらしかった。

どうだ見ていたか?と誇らしげにエンジがこちらに歩いてくる。撫でようと思ってエンジに手を伸ばすと、彼女は嘴で手を払いのけた。

まだ撫でるには親密さが足りない様で、全くもって気高いエンジらしい動作だと俺は苦笑いをした。


「巨樹杯いつか出てみたいですね」


「そんな弱気な心意気でいいのかー?出るぞ出るぞ絶対出るぞくらいじゃないと」


「漠然と夢を語れる年齢は終わったって事ですよ。トップクラスの成績出して出して出し続けて、其の先にやっと見えてくる、名誉あるレース。実績もなく初歩の初歩も覚束ない俺が口に出せる物じゃないですよ」


「30のお兄さんからしたら若い若い。18なんて巣立ちの狭間だよ。最初から身の程を弁えようとしちゃ何もできないさ。そんなもの後から羞恥ながらに振り返って身につけるもんだ」


「流石おじさん、上からですね。ムカつきます」


「伊達に歳を食っていないってことさ」


カタハテの言う事は、微細な引っかかりはありながらも、心にすとんと落ちた。妙なくすぐったさを感じる。お父さんみたいな事を言う、でも確かに人生はそう言うものかも、と思える優しい助言だった。


「それに」とカタハテは透かした様な目をする。其の目は此方を捉えているはずなのに、焦点は何処から遠くを見据えている様だった。


「夢を見て、叶えてもらわなくちゃこっちも困るんだ」


確かに聞こえるカタハテの呟き。もしかしたら態と聞こえる声量で呟いたのかもしれないし、意図しない内心の吐露の様でもあった。

消えかかっていた疑心が、待ってました、と言わんばかりに耳元に戻ってくる。俺は少し身を引いて、警戒の雰囲気を強めて怪訝な薄目で聞いた。


「どういう意味ですか?」


「簡単な話、この牧場も僕独りで回してるわけじゃない。案外いろんな人がツァガナくんを応援しているよって事」


「本当にそれだけですか?」


「さあね」


カタハテはのらりくらりと言葉の棘を交わして、最後にニコリと笑ってはぐらかした。

否定しないのは何故か。嘘がつけない性格だからか、単に謎を匂わせて遊んでいるだけなのか。今まで茶目っ気ということで流していた言動は、疑心を通してみれば妙に小難しく見えた。

カタハテは敵ではない。其れは確かなはずなのに、信じ切れない此の感覚が、頗る居心地悪く感じられた。


けれど、何方にしても俺がやる事は変わらない。ただ練習して、成績を出す。

今はまだ悩む時ではないと自分に言い聞かせて、心の隅から這い出してきた疑心を奥へと追いやり直した。


「ツァガナくん、はいっこれ」


カタハテが騎翼走用の用具を投げ渡してくる。俺は其れを胸で受け止め抱える様に受け取った。身構えてなければ結構な衝撃があっただろう。小道具というわけではなく、手足に着ける其処其処の大きさがある用具だった。

俺は、そんな物を投げてよこしたカタハテを軽く睨む。カタハテは「ごめんごめん」と反省してない態度で離れて行く。2人の間に空いた距離を補う様に少し声を張り上げた。


「カタハテさん!これは?」


「使ったことあるでしょ?騎乗用の用具。感情共有の練度も上がってきたし、練習再開してもいいかなって。夕暮れ前にでも跨ってみてよ。細かいメニュー変更は家でね」


「ああ、次のステップですか。まだ今も満足になってないのに。うわっこれ汗ついてるじゃないですか。ちゃんと拭いてくださいよ」


「女子みたいな事を」


「はい差別。管理局にログ提出しますから」


「おおこわいこわい」と何時の間にか随分と離れたカタハテが態とらしいリアクションを取って、濡れタオル乾いたタオルを投げつけてくる。

此方がキャッチボールの要領で投げられたタオルを掴んだ事を確認すると、カタハテはぶらぶらと家の方に帰って行った。


そんなカタハテを見送っていると、いい加減ワタシの相手をしろ、とエンジが後頭部を嘴で叩いてくる。うちの”装備“はじゃれあいの一環としてかなりの暴力をすり抜けさせる方だったが、其れを抜きにしてもエンジの力加減は“装備”の自動防御機能が働かない絶妙なものだった。


「構って欲しいのか。可愛い奴め」


話の流れに沿って、さり気なくエンジを撫でようと手を伸ばす。今度は翼で今までより強く迎撃された。

やはりまだ駄目らしい。噛み付かれない様になっただけマシだろうか。俺は笑い混じりに息を漏らした。



実際俺の其の経験はないのだが、感情共有の感覚はダイビングによく似通っている様に思えた。

水中独特のふわりとした動きの鈍さ、夢見心地とも言える浮遊感。何より、本来自分が居るべきでない場所にいる感覚が、よく似ていた。

違和感はあっても拒絶感はない。深く身を沈めていれば、身体を包み込んで守ってくれるのではないか、とも思えて。けれど、一度大地を思い出すと、急に息苦しく寂しく思える。水に潜る感覚。


感情は水の流れで、記憶が地形を形作る。そんな不思議な世界。


其の世界を泳ぎ回れば多くの宝物が見える。思い出という名前の宝物だった。

見せつける様に輝かしく飾ってある思い出もあれば、誰にも知られぬ様厳重に囲い守られた思い出もある。

心象風景の土台になったり、建造物やモニュメントとして設置されている物もある。

けれど、最も面白いのは、忘れ去られた、或いは忘れてしまった記憶たちだった。

塵に埋もれて海底に沈んでいる。端々を何とか塵の中から突き出して忘れられまいとする物もあれば、最早塵に埋もれきり、概形でしか其の存在を把握できない物もあった。

もう本人にも意識されることの無い其れ等は、酷く不透明な靄を纏って、海底で死んでいる様だった。


エンジとの共有経験にあるリーネは「エンジちゃんはそういう沈殿物はかなり少ない方ですね。きっと過去に自信があるんでしょう。内容が善かれ悪しかれ」と言っていた。

確かにエンジはどんな過去でも乗り越えて「今のワタシがワタシだ!」と一蹴しそう性格をしていると思う。

4週間近く一日中数時間の感情共有の練習という、決して短くない期間を経て、エンジの性格はよく分かってきていた。


そんなエンジですら、見渡せば幾つかの沈み眠った思い出が見当たる。

では、意図的に忘れようとして、其の結果何年分という思い出を心の海に投棄した自分は、一体どのようになっているのだろうか。


自分の存在を思い出して唐突に息苦しさを覚える。俺は息継ぎをする感覚で、エンジの中に入った自分を引き戻した。

自分を引き戻す、と言っても自分の心象の中へ帰る訳ではない。技術が上がれば、意図的に自らの心象へ足を踏み入れて自戒する事が出来るらしいが、俺にはまだ出来なかった。

未熟な俺の場合は、現実の感覚が強くなるというか、夢から目覚める様なものだった。


鼓動の音。肺が膨らみ縮み気道に空気を流す振動。太陽の眩しさが大きく開いた瞳孔を刺す様に降りかかってくる。肌寒い風が髪を強く横に流した。

自分に戻れば戻るほど、身体の感覚が感じられる。

現在、俺は木陰に寄りかかる様に座っている様だった。


「あぁーまぁた気を失ったー!」


寝起きの様な冴えない目を引きずって、あくび混じりに髪をくしゃくしゃと搔き撫でた。

「感情共有中に身体の感覚を失うのは未熟な証。競技中に気を失ってちゃダメだから!」とカタハテは言う。

全くもってその通りだと思う。感情共有は、競技を行う為の補助テクニックだった。其のテクニックの為に競技が出来ない様な状況になっては意味がないのだ。


時刻は夕方前といったところだろうか、騎乗練習をする時間は大して残っていないかもしれなかった。

辺りを見渡すと、エンジがゆるゆると空を舞っている。太陽を背にして円を描く飛び様は余裕に満ちたものだった。


「流石エンジ。共有はお手の物か。ご機嫌で飛んでらっしゃる」


心の中にある違和感、他者に無遠慮に内心を泳ぎ回っている様な感覚で、エンジが未だ此方の中に居ることを自覚した。

共有を保ちながらも、身体の操作を完璧にこなすエンジに微かな憧れを覚える。

そして同時に思う、強い劣等感。騎翼走関係者ならば息を吸う様にできる、其の初歩の初歩にすら苦戦する自分が口惜しく、失望した。


此方の心情を読んだのだろうエンジが、目の前に荒々しく着地する。

またお前は落ち込んで!などと苛立つ様に、其の場で足踏みを繰り返し、首を振っていた。エンジは翼をバサバサと大振りに羽ばたかせて、俯いていた俺の顔に風を叩きつける。芝生が舞い上がって、俺は思わず咳き込んだ。


「不器用だなエンジは。もう少し優しく元気付けてくれたってさ。何思ったって共有なきゃエンジが伝えたい事はわかんないって」


エンジは人間の様に首を大きく横に振り続けいた。俺は申し訳ないなさそうにしながら口角を引き下げた。

ずいっとエンジが頭を突き出して、飾り羽に触れろ、と訴えかけてくる。

こういう機会が珍しかった。今日のエンジは内心に招いてでも、会話を成立させたいらしかった。

はいはい、と出されるがままに飾り羽に意識を伸ばす。今日の面談は酷く耳の痛いものになりそうな予感がした。



(ノイズがひどい。外聞取っ払って広くなると思った。でも酷い。煩い。ごちゃごちゃしすぎ。きもいどんな頭してんの)


エンジの内心。先程招かれた時とはガラリと風景が変わり、深緑の森に引かれた一本の獣道だけが目の前にある、森林の世界。

時たま落ちてくる粉雪が、この世界が冬なのだと告げていた。

エンジは自分の内心に入り込めるらしかった。其の証左として、エンジは、俺の前にいた。ツカツカと慣れた脚取りで獣道を行く。背の高い草花も、行く手を遮る様に伸ばされた枝々も、罠の様に地中から顔を出した根も、何もないかの様に奥に進み続けている。俺は其の後を自然の洗礼に四苦八苦しながら追っていた。

エンジの第一声は此方を振り向く事なく発せられた。先程の言葉が丁度其れであった。


「俺の中の話?そんなにやばい場所なの?ちょっと前よりマシだと思うんだけどさ」


木の枝を押し上げ、屈み潜る様にしながら言葉を返した。酷い言われ様だ、とため息の混じり真のない掠れた音だった。

其の間にエンジは軽やかに脚を動かして、互いの距離を空け放していく。


(酷くて結構。ワタシはそっちに入ってるから、全部口に出せ。それで前の方がマシ。記憶を漁る限り。それでノイズが酷い。あれじゃ、いつまで経っても聞こえない)


「聞こえないって何が?」


(ワタシの声。今は互いに深く繋がってるから会話できる。でも起きてる時はそうじゃない。でもおかしい。共有は確立してるはず。だいぶ前に。一度息継ぎに戻ったって、そう簡単に共有は切れない。それなのに聞こえないのは)


「こっちの内心が荒れて、煩いからだって言いたいわけか」


(実際そう。これじゃあ完璧な共有は望めない。きっと競技にも不完全なまま挑むことになる)


エンジの思いには棘があった。苛立ちとも言える、足手まといを付けられて満足に事が運ばないことに対する不満の様に思えた。

エンジが幾許か前方で脚を止める。俺は早くそこへ、と必死で草木をかき分けて、草むらから顔を突き出した。

視界の先は開けた空間になっていた。森を抉り取って、其の場所に無理やり別の空間を押し込んだ様なちぐはぐさがあった。

目に入ったのはグラウンドだった。エンジの様な猛禽馬が使う様なものではなく、人型用に作られた一般的なトラックだった。


(でも期待してないわけじゃない。だから探してきた。お前の記憶。海に投棄した、忘れちゃならなかったもの。その一部を無理やり引っ張ってきた。でも他は硬すぎた。ワタシじゃ持ち上げらんない。後は自分で思い出すしかない)


目を凝らしてトラックを眺めるエンジにつられて、俺も風景を凝視する。

風景はぼやけている。決して鮮明ではなく、大部分の情報は抜け落ちてしまっている。けれど、やはり自分の過去だからだろうか、イメージとして、其の風景がどんなもので、誰が居るのかは瞬時に直感できた。


「ここは、本家の練習場?それもだいぶ昔。俺が3歳くらい。初めて練習場に来た時か」


霞みがかったグラウンドの上、何人かの人がいた。当然見知った顔が多い。けれど、誰が何をしているなどは覚えがなかった。

自分たちによく似た登場人物が出る映画でも見ている様な気分だった。


俺が無邪気に其処彼処を駆け回っている。グラウンドの端では顔を押さえて13歳のヴェーヌァが啜り泣いている。俺の父は遠巻きに泣くヴェーヌァを申し訳なさそうに見ていた。

少し離れたところに幼いシューテがいる。つまらなさそうに座り込んで地面に絵を描いている。

シューテの父母がそんなシューテを優しく眺めている。父は辺りを見渡すふりをしながらチラチラと、母は一緒にしゃがみ込んで顔を近づけていた。

走り回っていた俺が、座り込むシューテに気づいて駆け近づいていく。

俺の父が慌てる様にしていた。シューテの父は顔をしかめている。シューテの母は不思議そうな、けれど優しい顔で俺の動向を伺っていた。

俺はシューテに話しかけた。シューテは面倒臭そうに二言三言言葉を返す。

シューテに言う。何かを言った。確かに、俺は屈託無い笑顔でシューテに何かを言い切った。そしてシューテに手を伸ばして。

伸ばして、風景は陽炎が散る様に消え失せていく。消えてしまう。


「待て、なんて言った!」


溶けゆくグラウンドに駆け出した。今にも無くなりそうな自分の面影の必死に手を伸ばした。

分かった気がした。分かる気がした。シューテが夏の終わりに文句を言い来た理由が、其の言葉を知りさえすれば、分かる気がした。


「教えてくれ!シューテになんて言った!どうしてヴェーヌァは泣いていた!どうして父さんは済まなそうにしていた!何があった!なあッ!」


伸ばした手は幻影をすり抜けて虚空を掴む。見ていたものは只の記憶なのだと思い知らされる。記憶故に、問いかけたって願ったって縋ったって答えてくれるわけがないのだ。

記憶の風景が消え去った後に残るのは、あまりにも虚しく広い草むらだけだった。


「エンジもう一回!もう一回見せてくれ」


(無駄)


「無駄じゃない!次はきっと!」


(無理。お前が知りたいことは、さっきの記憶に含まれてない。入念に忘れられてて持ってこれなかった。ワタシの限界。だからお前自身で思い出すしかない。誰か、何かが、教えてくれることなんてない)


エンジは空を見上げた。其の顔は、如何にもどうしようもないといった、無力さに打ちひしがれたもので、俺は其れ以上言葉が出なかった。


(思い出せ。それで、過去や今ある蟠りと決着をつけろ。決着とまで行かなくても、過去だけを見続けるのをやめる決意をしろ。過去ばかりに執着しては、今は見れない。今を見れなければ、誰も信用出来ない。姉には引け目。幼馴染には不満。一族には劣等感。父にも、カタハテにも、しまいにはワタシにも不信。そんな心持ちでどうして他者の声が聞こえるか。上手くいかずに焦るばかりだぞ。今を見ろ。今を見るために過去を抱え込むのをやめろ)


エンジは諭す様に言い切ると、次第にエンジの心象から現実へ自分の意識を返し始めた。

同時にエンジの内心が荒れ始める。身体にかかる抵抗感が増し、無理やり外へと排出される。強い、強い拒絶感だった。

伝えるべき事は伝えたのだから暫くは顔も合わせたくない、というような心の壁があった。


身体の感覚が戻ってくる。現実へと、自分へと意識が帰ってくる。

目覚めた頃にはもう日がくれた後だった。エンジは既に居らず、知らぬうちに小屋へ帰っていたようだった。

芝生の上に転がっていた身体を引き起こすと、思ったほど体は冷えていなかった。身体の周囲に赤橙色の瞬きが散っていた。側には”装備“がスリープモードで転がっていた冷えない様に微希釈でもして、体温を保持していてくれたのだろうことは容易に想像がついた。

“装備”を小突き起こしてから持ち上げる。結局使うことのなかった騎翼走の道具を抱え持って、冬の息吹感じる帰路を歩く。

生物の息遣いが少なくなった牧場は耳が痛くなるほど静かだった。

其の所為もあって、エンジの言葉が脳内残響して、思考を揺らした。


思い出して、もし不和を解消して、もし過去への執着を捨てたとして、其の時自分に一体何が残るのだろう。

騎翼走を始めたのは、過去の憧れを追い続ける為なのだ。其れなのに過去と決着をつけろとは本末転倒もいいところではないか。

其れに走る事は自分の全てだった。騎翼走で新しく何かを得られたわけでもないのに、今までの全てを捨てるなど到底出来たことではない。しかし、そうしなければ、騎翼走で得られるものはないかもしれない、とエンジは言う。

酷い二択を突きつけられている気がした。

思い出したら、何かが変わるだろうか。思い出せるのは、一体何時になるだろうか。手遅れになる前に、思い出せるだろうか。

今は練習を続けよう。思い出す努力をしよう。其れが今出来ることなのだ。

月明かりに照らされて吐いたため息は白く染まる。染まって、すぐに先程見た幻影の様に消えてしまった。


明けましておめでとうございます。

年明けというのはなんとも言えない希望感と晴れ晴れしさがあっていいですね。現実に積み重なった問題は一切片付いてはいないのですが。

では、今年もよろしくお願いしますz


お年玉として長所短所感想等下さってもいいんですよ...?


次回の更新は2019/1/20を予定しています。

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