救出
何かを引きずったと見られる太い溝がアトラクションコーナーへと続く廊下に刻まれている。両側の窓から日が差し込む廊下を進み、キラキラと太陽光に反射したハウスダストが漂う中、見上げた電飾看板には『ウェルカム、夢と冒険の館へ』と書かれていた。
アメリカ西部をモチーフにした運動施設らしく、入り口は酒場の扉になっており、両開きのウェスタンドアだ。中に入ると突然レトロっぽいゲーム音が流れ始めた。
入口の脇に立っていたカウボーイハットをかぶった人形が片手に持った銃を上下させるだけの動きを開始。どこかで見たことのあるキャラクターだと思ったら、あのパンフレットに描かれていた熊のキャラクターじゃないか。俺は未だに不細工なワニとしか認めていないが、そいつがカウボーイに扮して、この施設の不気味さをアピールしている。
「はやく音を消さないと!」
この音を聞きつけて、さっきのハンターが戻ってくるかもしれない。マックもまずいと思ったのか、音を消すために電源を探す。
人形のすぐ後ろを覗き込むと、見るからに怪しい電源コードがあった。すぐさま引っ掴み、力任せに引っ張ると、細いわりに案外、丈夫だったコードは千切れず、どこかでブツッと音がした。
人形の動きが鈍くなり、徐々に腕の上下運動も、連動して動いていたギザギザの足による屈伸運動もゆったりになり『ぼうくとう……いっしょ……にいい……夢のくうにいい』と、なんとも不気味な声を響かせて人形は停止する。声まで出すとは思わなかった。電力の供給はこれで絶てたようだし、ミッキー捜索に移れる。
「急いで探そう、今のでさっきの奴が帰ってくるかもしれない」
マックと手分けしてアトラクションコーナー内部を隅々まで探す。しかし誰もいる様子がない。
「誰もいないな」
「待て、あそこ……」
マックが指さす方向を見ると、わざわざ埃避け用の布をかけた大きな何かが鎮座していた。他の物にはそんな布はかけていない。しかも、やたら新しく、それが逆に目立っていた。
間違いない、これだ。
マックと頷き合い、地面にへばりついて床と同化している萎んだゴムボールを踏んずけながら、その巨大な何かの前まで進む。埃避け用の布の両端を二人でそれぞれ掴み、目配せで一気に引いた。
現れたのは何の変哲もない巨大な硝子ケース、水槽かこれ? どうやら水槽の床から数センチ程度にまで水が張ってあるらしく、小さなワニかなんかを飼育しているのかと曇りガラスを覗き込む。
同じく水槽に顔を近づけていたマックが、ぎょっとして身を引いた。
「中でなにか動いたぞ……」
「なんだと思う? うわっ!!」
いきなり曇りガラスに人の掌が押し付けられた。小さい手、子供のものだ。
「いたぞ!! こんなところに!!」
しかもマックが叫ぶや否や、バンバンと水槽を叩く手が増えた。子供は一人じゃない。たくさんの子供がこの水槽の中に閉じ込められている。子供が行方不明になる事件、犯人は未だ不明なままだが解決の目処が立ち始めた。
シルエットからして十人近く。水槽を内部から叩いている。
「わかった、すぐにそこから出してやる、でも落ち着け、落ち着くんだ」
水槽の中に呼びかけても何も聞こえていないだろうが、実際、水槽を中から叩く音も一切外には漏れていない。マックは水槽に手を当てながら、両手の指を立てて左右に向けたり、中の子供たちに水槽の中央部分から離れるように指示を出す。
なんとか伝わったのか、子供たちの手が、わかりやすいように水槽の中央部分から離れ、横に移動。水槽に押し付けられていた手も消えた。中央を空けたと教えるためだろう。
マックはショットガンを水槽の中央部分に向け、引き金を慎重に引き絞った。ショットガンから弾が発射されると同時にビシッと音がして水槽の表面に蜘蛛の巣状のひびが入る。その白くなった部分をショットガンの持ち手や肘などで崩していく。小さな穴が開き、中を覗くと、見える範囲に子供たちが集まってきた。
皆、不安げな顔に希望を覗かせ、こっちを見上げている。
水が張られた床、その端の方でぽこぽこと気泡が立ち、酸素が供給されている。目視で酸素が出ていることを確認するためだろう。だが、誰がこんなことを……。
水槽の左手奥には壁に背を預け、ぐったりしている子供が座り込んでいた。子供の一人が倒れて顔が水に浸からないよう支えている。
『ミッキー!』
その子供を見てマックが叫んだ。これで当初の目的も達成だ。
ミッキーは少し大きめのオーバーオールを着ていて、年齢は十代か、そこそこに見えた。まだ幼い顔付きをしている。マックの弟という話だが、あまり強面のマックと似ていないというか、ちょっとも顔に性格の悪さが滲み出ていない。実際に口を開くまでわからないが、偏見で、たぶん口の悪いクソガキではないかと思っていただけに少しばかり拍子抜けした。
母親似なのか、中性的な、女の子みたいな顔と言えなくもない。
「よし、お前ら、一人づつゆっくり出てこい、慌てるなよ、穴の周りは鋭利になってるからな。慎重にな、ああそうだ、ゆっくりとだ……」
マックの指示で子供たちが一人一人ゆっくりと出てくる。自分の弟が心配だろうが『まずは弟を――』とならないところがマックの人間性が滲み出ている。口は悪いが案外いい奴なのかもしれない。
穴から出てくる子供たちは皆、幼い顔つきをした子供たちばかりだ。一番、背の高い年長と見られる少年でさえ十二、三歳といったところ。
外を巡回しているハンターは子供だけは狙わないと言っていた。犯人は誰で、いったい何の目的でこんなことをしていたのか、人体実験だったとしたら許せない。この水槽を見る限り、そういった目的だったのではと思わざるを得ない。犯人はいったいどんな奴なんだ。
「マック、そっちを抱えててくれ、俺が引っ張り出す……」
「よし」
ミッキーを引っ張り出すため中に一人だけ残ってもらい、手伝ってもらった。
最後の一人を助け出し、床に寝かせていたミッキに駆け寄り、指を鼻先に近づけた。微かだがちゃんと呼吸をしている。脈を診ると、弱弱しくあったが、確かに小さな命の脈動を感じられた。生きている。かなり衰弱しているが、最悪の事態には及んでいない。
「大丈夫だ、医者に見せればなんとかなるだろう。たぶん下半身をずっと水に沈めていたせいで、低体温症になっているんだ」
「よし、俺がミッキーを抱える」
「なるべく身体を温めて――」
グラグラと地響きがして、ここから離れようとしていた、俺たちの足が止まった。そしてまた、アトラクションコーナーの入口がある方向から、何かを引きずるような、あの金属音が聞こえてくる。
「くそっ、来たぞ!」
「マック、ここに裏口は?」
「あ、ああ、ちょっと待ってくれ、ああ、あるぞ、この裏手から別の場所に出られそうだ」
「マックは子供たちを連れて避難しろ」
「お前は?」
「子供たちをぞろぞろ連れていたら逃げきれない。俺はここであいつの足止めをする」
「そいつはいくらなんでも無茶だろ、俺が残る」
こんなときまで俺に命を張らせては申し訳ないと思ったのだろう。しかしそれは勘違いだ。マックがここに残っても役に立たない。むしろ俺はマックたちに狼人間に変身する姿を見せたくないのだ。早くここから離れてくれないと俺の身が危うくなる。
「いいから行け、ミッキーが目覚めたとき、そこにいるのが俺とお前じゃ、安心感がぜんぜん違うだろ、問答している暇はない、時間を無駄にするな」
マックは俺の必死な様子に、申し訳なさげに視線を逸らした後「わかった」と呟くように言った。
「あとは頼む、子供たちをここから逃がせ、お前の方が責任重大だぞ」
「わかった、お前も時間を稼いだら、すぐに逃げろよ!」
マックが子供たちを連れていく。裏のドアからぞろぞろと。やはり十人ほどの子供を連れながらだと、あのハンターから逃げるのは無理だ。
ハンターが破壊音を響かせて、障害物を壊しながら直進してくる。まっすぐに俺のところへと。子供が目の前で連れされられて焦りを感じているみたいだ。ハンターにも感情はあるのか? 聞いたこともないが。
ハンターが目の前で止まり、中央の赤いレンズが俺を見つめながら拡大と縮小を繰り返す。
<非武装民間人……脅威度0……マッサツ対象……――>
肩を回して体をほぐしながらハンターを睨みつけた。マックたちは裏口から全員出られたようだ。これなら心置きなくワーウルフに変身できる。
「グルル……」
<抹殺タイショウニ……変化アリ>
ハンターが俺の変化にいち早く気づいた。しかし変身してしまえばこっちのもの。俺は奥歯を噛み締め、全身に力を流す、身体に振動が波及し、髪を逆立ち、鼻から顎にかけてが前方に突き出る……。
あれから何度か挑戦して、なんとか狼人間に変身できるようになった。この力が自在に使えれば、アイラ以上の化け物が現れても身を守ることができる。ただこの姿はアイラに複雑な心境を齎しかねないので、アイラの前では極力、練習は控えたが、その甲斐あって、今ではスムーズに変身が行える。
「AOOOOOOOOOOO!!」
雄たけびで変身は完了。全身の筋肉を引き締め、狼の毛が針金のように全身で逆立つ。大抵の攻撃にはビクともしない強靭な肉体を持つ狼人間の出来上がりだ。
「グルル……」
一歩、二歩と近づくと、俺の姿から脅威度を再算出しているのかハンターの赤いレンズが忙しなく動く。
「ヒョウテキノ体積ゾウカ……原因フメイ、脅威度、再算出……アンノウン……」
ハンターには感染者と人間を判別する機能は備わっていない。つまり人間だと思っていたものが突然変身したため、見たこともない現象に戸惑っている。
外観からしてハンターはいわゆる旧式だ。機能的にも後継機であるハンターには遠く及ばないだろう。どうして今のハンターがスリムで機動性を重視しているのか。それは俺のような特殊能力を持った感染者に旧式では太刀打ちできなかったから改良がなされた。
俺はハンターにタックルをお見舞いした。ハンターは吹っ飛び、水槽を突き破って身体の半分ほどを水没させる。じたばたと暴れ、立ち上がろうとしているハンターに飛びかかり馬乗りになる。右拳で思いっきり殴りつけた。しかし幾ら殴りつけても、流石は拠点防衛用だけあってボディは固くビクともしない。
今度はハンターが振り回している腕をとった。少し力を籠めると、関節がひしゃげる。ボディは頑丈だが、間接部はそれほど繊細には作られていない。一度、転ぶと立ち上がれないのがその証拠だ。
だが全部の腕を使えなくてしてもこいつはまた立ち上がり、動くだろう。やはり重要な器官はボディの中か……。
俺は指先をピンと立て、アイスピックの要領で、拳の威力を一点に、それをハンターのメタリックなボディめがけて突き立てる。
腕がボディの中ほどまで刺さった。俺はハンターの内部を探り、引き出せそうな器官を探す。生暖かい器官を掴み、引きずり出す。
「!!」
ずるりと赤黒く、人間とは思えない肥大した臓器が露出した。強固なボディに守られた人間の器官。たぶんこれが弱点のはずだ。
しかしハンターはまだ動いている。腕をとって関節部を破壊した時よりもダメージが深刻なのか、さらに手足をバタつかせ、俺に反撃しようとしてくる。
俺はハンターの頭部を両手で掴み、ねじり切った。さすがにここまですれば終わりだろうと思ったが、とれた首の部分から火花を散らしながら、ハンターは、なおも関節の潰された、半ば折れかけた腕を伸ばす。
なんだ? 俺を拘束しようとしている?
『まずい、離れろ』
狼人間の聴覚が、声と同時に、ハンターの内部から聞こえる、ピ……ピ……と一定周期で聞こえてくる不思議な音を捉えた。まさかこれはカウントダウン――。
ハンターから離れようとしたと同時に大爆発。水しぶきと共に俺は吹っ飛んだ。
どこをどう転がったか、気が付けば俺は焦げ付いた匂いを鼻先に感じ、天井を見上げていた。バチバチと何かが燃え盛る音がする。
死線を向けると水槽に水没したハンターが黒い煙と炎をあげて燃えていた。動く様子はなく完全に機能停止している。
耳鳴りがして視界がぼやけている。この分だとワーウルフの鋭敏な感覚器官は、当分使えない。
身体を起こそうとすると地面が揺れる。軽い脳震盪を起こしているようだ。
みるみる身体が縮み、人間の姿に戻った。変身していると確かに防御力も戦闘能力も高くなるが人間の姿でいる時と違って、エネルギーを常時消費するのか、回復が遅いのだ。
濡れた髪がべったりとおでこに張り付いている。頭を振って痛みを感じた右手を見ると、中指があらぬ方向に曲がっていた。
折れた指を持って、力任せに、ぐぎっと元の位置に戻す。こうしておけば回復も早い。痛みには随分、鈍感になって来たなと確信した。心が感染者に近づいているのか。
こんな格好で戻ったらマックになんて言われるか、なにか着替えを調達して、何食わぬ顔で汚れたから着替えたとでも言っておこう。こんなボロボロの服で戻るよりはマシだ。
狼人間に変身する能力で一番、困るのは、変身するたびに服がボロボロことだ。だからアイラも滅多なことでは変身しないらしい。たとえばこの前見た時みたいに腕だけを狼人間のそれに変身させれば、そういった苦労はしなくて済む。だが俺は、まだそこまでこの能力を操れていない。
それにしても、ハンターには人道的な見地から自爆機能なんて付いていないはずだ。その決まりを知らない者がいる、いや、知っていた破った者か、どちらにせよ、犯人は子供を誘拐するような悪党だ。人道なんて知ったことではないのだろう。
ハンターも倒したし、表から堂々と出ようと、アトラクションコーナーの入口を出たところで、思わぬ人物と遭遇した。
相手も俺を見て、ぎょっとしている。俺のボロボロの服装にびっくりしているだけかと思いきや、それだけではないようだ。
悪さしているところを目撃されたみたいに目を伏せ、次に顔を上げた時には脈絡もない笑顔を浮かべている。そうか、こいつがここにいる理由、俺を見て驚いた理由、俺の考えが正しければ、そのすべてが一つに繋がる。
俺の直感が眼鏡の奥に本音を隠す、その男の違和感に気付いた。
「トニー……」
トニーは、まるで呼ばれた名前に心当たりがないように、すぐ返事をしなかった。考えを整理しているんだろう。確かに死んだと思っていた人間が生きていたら、そりゃ驚くよな。
トニーがここにいる理由は一つ、閉じ込めていた子供たちがどうなったか気になったから。
違和感はあった、この場所に来ることをどうしてあれだけ反対したのか。そして違和感は確信に変わった。どうしてこの場所なのか、子供がいると知っているから、どうして爆発があった場所にわざわざ近づくのか、爆発が一回きりだとわかっているから、犯人だから。トニーが臆病のふりをして俺たちを引き留めようとしなければ、この矛盾点には気付けなかった。
「トニー、応援は? 呼んでくるんじゃなかったのか?」
「それならもう呼んだんだよ」
「応援も連れずに一人で来るなんて、不用心過ぎないか? 」
「いてもたってもいられなくてね」
「子供たちなら救出したから、いないぞ」
「え? 子供たち? はは、なに言ってるんだい……」
わざとらしく惚けるトニーの声は明らかに上擦っている。これで犯人じゃなかったら逆に笑える状況だ。
「犯人は君なんだろトニー、惚けなくていい、もうわかってるんだ、どうしてこんなことをした?」
トニーが振り返り『なにを根拠に』とまるで自分には身に覚えがないみたいな顔をする。しかし、俺がもう確信していると気付いたのか、諦めたように視線を下げた。
トニーは観念したように息を吐く。
「君って意外と勘がいいんだね。爆発から逃れられのはそのおかげかい? 運が良かったのか、悪かったのか、僕が直接、手を下さなければならないかな……」
トニーは皮肉を込めた風に言う。言葉に悔しさを滲ませていた。
「どうして子供たちを誘拐した? なぜだ?」
「話してもわからないよ」
「危害を加える気だったのか?」
「わかってもらおうとは思わないけど、その反対だよ……僕は彼らを救おうとしたんだ、僕の言う事に聞く耳を持たない、彼らの馬鹿な親たちからさ」
救おうとした? 誘拐して水槽に閉じ込めることが救うことになるのか。
「子供たちに怪我はないんだね?」
「ああ」
トニーが何を考えているのかわからない。子供たちを誘拐しておきながら、怪我がないかと心配する。精神が病んでいるのか?
「トニー、お前は――」
「ああ、君の言いたいことはわかるよ、僕だって、もっと時間が残されていれば、こんな強硬な手段をとることはなかった。あの子たちの親がどうであれ、ちゃんと手順ぐらい考えたさ」
「時間がない?」
トニーは眉間に皺を寄せてほほ笑んだ。あまりにも悲しい微笑みだった。なにもかも諦めているようで、孤独を受け入れているような、そんな顔だ。トニーはまるで懺悔するように口を開く。
「僕は子供たちを治療していただけだ、端から見るとおかしな実験をしているように見えたかもしれないが、あれは歴とした治療なんだよ」
「どうしてミッキーまで?」
「それは不可抗力って奴かな、ハンターには子供が逃げ出したときのために、子供を見つけたら、あの場所に入れておくよう指示してあった」
ミッキーが捕まっていたのは偶々だったってことか。それにしてもトニーのいう治療とは何だ。子供たちは何の治療を受けていたというのだろう。
「彼らは病気なのか? 見た感じ、多少、顔色が悪い程度で――」
「中毒症状だよ。治療して二日目になる子は、だいぶ毒素が抜けている。彼らはこれまで毎日、毒物を口にしていたようなものだから」
「毒物って、いったい誰がそんなものを……」
「彼らの親さ」
「親? そんな馬鹿な」
トニーは含み笑いを浮かべたまま首を振る。続けて引き笑いをしたあと、あーあと言った。
「無自覚っていうのは質が悪い。おそらく町の住民で正しく理解している者は皆無だろう。彼らが日々、口にしているサボテンに、今までには見られない成分が含まれているなんて」
「サボテンって、この町の特産――じゃあ」
「ああ、それがいつ頃からなのかわからない、地中に染み込んだなんらかの成分、地中で生まれた成分なのかもしれない。代謝の高い大人には比較的現れにくい症状だ。子供たちにだけ悪影響がある」
「そんなものにどうやって」
「僕は元医者でね、かなり人道に反したことばかりやってきた。人様を見るなんて滑稽な医者だけど知識はそれなりにあるんだ」
トニーは今までの自分の所業を振り返り、薄く笑った。いまさら後悔しても仕方がない、そんな笑いだった。
「親たちに話したのか?」
「もちろん、だけど僕の話なんて真面に聞いてくれる人間なんていなかった。自分で言うのもなんだが、怪しげな男の言う事だし当然だ。けど、子供の命に関わることだ。納得どうこうの話じゃない」
「それはそうかもしれないが」
「だから時間がないって言ったろ、僕には――」
トニーはコホコホと咳をする。それをいつから聞いていたのか『肺の病だな、それも重篤の……』と、声をあげたのは、いつものように頭の中からの声。
最初に会った時、トニーが感染者よりも青白い顔をしていた理由に納得した。時間がないとはそういうことか。
「いくら子供たちの事を思っても、子供たちの心に傷を作ってまですることか? せめて子供たちには事情を説明すればよかったじゃないか」
「そうだね、けど、僕は怖かったのかもしれない、あの子たちの顔を見るのが……」
「?」
「最近は娘の夢ばかり見る『どうして助けてくれないの、お父さん、あの子たちは助けるのに、どうして実の娘である私はって……』僕は子供が好きなんじゃない、ただ罪滅ぼしをしているだけなんだ、救えなかったあの子の代わりに」
それがトニーのトラウマか。いくら贖罪に時間を費やしても救われない、哀れな男がそこにいた。だからついに自らの命で罪悪感の清算を。
トニーは髪をかき上げオールバックにすると、拳銃を俺に向けて撃鉄を起こす。
「だから邪魔はされたくない、僕はあの子たちを救って娘に会いに行く、今までなにもできなくてすまなかったと伝えに行くんだ」
目がうつろで何処を見ているかも定かではない。
「よせ」
「もうすぐ逢えるよ、エマ――」
トニーの、うつろだった目が、ハッとする。ぐらぐらと地面が揺れ、俺は地面に膝をついた。今日、何度目になるかもしれない地震だった。
トニーも銃を撃つどころではなく地面にしがみつくように蹲り。天井の一角が崩れて瓦礫が降りそそぐ。砂埃で周囲が見えなくなった。俺が逃げると思ったのかトニーが『動くな』と声をあげる。
俺の後方に何者かの気配を感じ、振り返ると翼の生えた背の高い人間のシルエットが浮かび上がった。それはちょうど天井が崩落した真下に当たる。天使?
そのシルエットは、二度ほど翼を羽ばたかせると、翼が消失。
シルエットの上部、四分の一ほどが分離し、地面を転がるように駆け出した。廊下に充満した砂塵を抜けて、その先にいるトニーへと。
どうやら最初に見た、やけに背の高いシルエットは、人間の肩に小柄な人間が乗っている影だったようだ。
分離して地面を駆けているのは、頭にピンクの猫耳フードを被った小柄な少女。
子供に見えるその人物が背中に担いだ大太刀を抜くと、トニーが驚愕に目を見張った。
「子供!? いや、こいつは――」
対峙してすぐ違和感に気づいたようだが、瞬時にトニーに肉薄する少女。咄嗟のことで照準も碌に合わせないままトニーは銃の引き金を引いた。
その弾丸は少女の振るう大太刀によって尽く弾かれる。まったく無駄のない動きで、惚れ惚れするほど洗練された精密さで。弾かれた弾丸が少女の駆けるすぐ横の窓に亀裂を入れた。
「っ!?」
ピンクのフードが風にはためき、トニーは少女の顔を見たのか、見る事すらできなかったのか、肉薄した少女に、当て身を入れられ倒れた。
その場に崩れ落ちて動かないトニー。気絶したようだ。
少女は大太刀を鞘に戻すと、こちらを振り向き、歩いてくる。知らない顔のはずなのに、昔どこかで会った気がする。
「マル……」
おもわず俺の口からこぼれ出た、名前? 人の名前とは思えない、とても短く、記号のような名前。少女が少し驚いた顔をした。
その顔から目が離せない。
見つめていると、近づいてくるごとに少女の顔が険しくなっていく。理由もなく機嫌を損ねながら目の前まで来た少女の迫力に、俺の足が二歩ほど後退した。
『……』
少女の口が微かに動く。何と言ったか聞き取れなかった。なにやら文句を言われた気もするが、その視線は、険悪と、嘲るものから変化がない。
やがて深い溜息を吐いた少女は、呆れたように視線を逸らした。
嫌われているのは確実だ。もう目も合わせようともしない。
少女はすたすたと、彼女と共に現れた、もう一つのシルエットだったもの、青年の元へと歩み寄る。ちょいワル親父が着るようなジャケットを見事に着こなし、なにやら異様な迫力のある青年だった。こちらを睨みつける目には、困惑の中にも確かな敵意が垣間見えた。
近づいた少女と一言、二言、言葉を交わし、青年はやはり戸惑ったように『誰なんだあいつ……』と尋ねるが、少女は『後で話す』の一点張りで、半ば無理やり話を切り上げ青年の肩に飛び乗った。
彼らは入ってきた時に開けた天井の穴を見上げ、空に向かって飛び立った。後には俺と倒れたトニーが残されている。
ショッピングモールで着る服を探すか。俺はトニーを抱え上げると、あるかどうかもわからない服探しの旅に出る。さっきの二人組の正体なんて、考えたって仕方がない。




