失踪事件
山間の町ログフォレスト。
世界が感染者で溢れかえっても、サボテンの群生地として知られるこの町だけは、食糧不足に瀕することはなかった。
メキシコやアフリカ北部では当たり前に食されているウチワサボテンが街の周囲に自生していたため、町をバリケードで覆いつつ食料を定期的に収穫することができたのだ。
サボテンは針を取り除くのが大変で手間はかかるものの、ビタミンが豊富で栄養価の高いスーパーフードだ。それだけで人に必要な栄養素のすべてが賄えるわけではないが、飢えずに済むという安心感は、町の住民の不安を取り除き、絶えず争いに傾きそうな住民感情を寸でのところで支え続けた。
関係が良好とはいえないものの、ログフォレストでは住民同士の殺し合いなど起きていない。ただ昨今では無気力を訴える住民が増えていた、その原因がときたま行方がわからなく住民が出ることに加え、その中に子供が含まれていることの絶望感からだった。
せめて子供たちだけでもとタンブルウィードが転がる昼日中、自警団が総出で捜索しているが一向に見つからない。もし感染者の仕業なら、むごい死骸が街のどこかに転がっているはずである。しかも最近は子供の行方不明が大人の失踪者よりも多くなりつつある。
わざわざ子供だけを狙う感染者がいるはずもないことから、おそらく人間の仕業だろうというのが自警団の見解だ。
そんな中、よそ者は特に警戒されている。
俺はトラックから積み荷を下ろし、肩にかかった手拭いで額の汗を拭った。軒先に出てきた老人が俺を見て手を振る。たとえよそ者でも、単なるアピールでも、食料を配って歩くという慈善事業が老人には効いている証だ。彼らは次も食料が貰えるかもと多少の秘密になら軽口で応じる。
「いやあ、いつもすまんねえ」
「いえ、ご無沙汰してますクレインさん」
いつも通りのやりとりを終え、俺はクレインさんの家に野菜の入った木箱を運び込む。
一週間みっちりトラックを運転する練習をして、アイラの家から街まで気軽に来れるようになった。野菜はアイラの家の前の庭で育てているもので、ときおりこうやって街に運び、住人の信頼を得るために配っているのだ。町の住民の健康状態や心理状態を知るために。
ちなみに、あんなことをしでかしたというのに俺はアイラの監視を受けていない。
確かに当初は信頼できないと、町に行くことは許可されなかったが、男たちを食ったことには一応の理由があり、子供を救うためだったと言ったら、渋々、いや心の中では決して許してはいないだろうが、殺せない相手を怒っても仕方がないとあきらめたようだった。
それからは街に変わったことがないかを逐一アイラに報告するという約束で留飲を下げたアイラは、俺にある程度の自由を許してくれた。
今は子供が行方不明になる事件をそれとなく探っている。もちろんアイラには報告済みだ。
ちなみにこの野菜、ある特殊な方法で育てている。実や感染者の血肉を混ぜた土で育てた野菜や果物は、普通の土で育てた植物なんかよりも成長速度が異常に早い。三日で実がなり、四日目で収穫した野菜だ。アイラに言わせると味にも栄養素にも問題はないらしい。生物学者だった彼女の両親がその手の分野の第一人者だったとか。
「この前、腰の調子が悪いって言ってましたけど、どうです? お加減の方は?」
「あんた、もしかして神様じゃないのかね? 俺の腰なんて大した事ねえよ、町には感染者に襲われて死んじまった奴もいるんだ、この町から出て行こうとした馬鹿な連中だがね……」
町の傍に感染者はいない。アイラが定期的に感染者を刈っているからだ。襲われて死んだ住人は、逃げても無駄だと示すため、この町から逃げ出す人間が増えないようアイラが見せしめに殺したんだろう。
俺はこのところ秘かに探っている、例の事件についてクレインさんに尋ねてみることにした。
「最近、子供が行方不明になる事件が多発しているらしいですが、その後、進展はありました? この辺りにも自警団はやってくるでしょう? なにか聞いてませんか? 」
「うんや、自警団の連中はなんも言ってなかったなあ、まだ見つかってねえと思うぜ? 一時は街の外に出たんじゃねえかって騒がれていたみたいだが」
「外に?」
「ああ、だが違うと思うね」
「どうしてです?」
「町の外が危険なことは大人はおろか子供たちにも周知してた、この町の子はみんな大人より大人びてる、面白半分でも街の外に出たりはしない」
しかし、なら子供はどこに消えたんだろうか? 子供といえど忽然と消えるからには予兆の一つでもなかったのか? 自警団が探し回っても見つからないなんて明らかにおかしい。
「子供たちに親元を離れたがる理由はなかったんですかね?」
「ないと思うぜ? そんな話は聞かなかったな。親子関係が良好というより、喧嘩なんかしている暇なんてないって状況だからよ、この町の子たちはみんな自立してた。弱い子供だって自覚があるぶん、あの子らは大人しく大人に従う、それが処世術だって目をしてたぜ」
だとしたら大人の口車に乗せられて連れ去れられた可能性が高いか? いや、それほど自立していたなら、大人の怪しい嘘を見抜けないとも思えない。やはり力づくで連れ去られたか。しかし居場所は……。他に子供たちを隠しておける場所なんてこの町には。
「でも、なんでそんな事を調べてるんだい? 」
「あ、いや……」
不思議そうにこちらを見ているクレインさんに、俺は頭を掻いて笑った。
「いえ、知り合いの子がいまして、その子が巻き込まれてないか気になったもので、最近、見かけないなあ……と……」
「どこに住んでるか知らないのかい?」
「ええ、この前、見かけただけなので……」
俺はその子の特徴をクレインさんに話した。地面に絵を描くのが好きらしいこと、耳が聞こえないこと。クレインさんは首を傾げた。
「耳が聞こえない子だったから心配になったって、あんたつくづく人がいいねえ」
アイラの前に連れてこられた子。あの子のことはずっと気になっていた。あれから無事を確認できず、ずっと有耶無耶になったままなのだ。あの子は俺の正体を見ているし、いや、どうこうしようと考えているわけではないが、せっかく助けた子なのでせめて無事な姿は見ておきたかった。行方不明になってる子供たちを探す傍ら、無事が確認できればと。
ううんと唸っていたクレインさんが、何かを思いついたのか、ポンと手の平を叩いた。
「そうだ、知ってそうな奴なら心当たりがあるぜ」
「本当ですか?」
「ああ、この通りの先に住んでる奴なんだが、あんたに負けず劣らずの変わり者だからな、もしかしたら気が合うかもしれん」
「へえ」
その後、ドライビングテクニックに磨きをかけるついでにとトラックを走らせ、老人に教えてもらった家の前でトラックを停めた。屋根のてっぺんで風見鶏が回っている、ありふれた建物で、周りに建物は一軒もない。文明の名残か、等間隔に建っている木製の電柱には<DUNGER>の張り紙が……そういえば町の住民たちが噂をしていたショッピングモールがこの先にあるのか……。
ショッピングモールには地下鉄があるとかで、未だに地下から這い出てくる感染者を封じ込めるために町の住民総出でバリケードを築いたらしい。時折、中からうめき声が聞こえると町の住民は近づかないらしいがそんな場所の近くに住み続けるなんて確かに変人だ。
強風でカタカタと震える戸の外枠をコツコツと叩いた。
「すいませーん、どなたかいらっしゃいませんか?」
少し待ってみたが返事はなかった。いないのか?
遅れて『はーい』と返事が聞こえ、網戸ごしにビタミン欠乏症みたいな顔色をした青年が顔を覗かせた。細身で眼鏡をかけており、ぶっちゃけ顔色だけ見ると感染者よりも青白いかもしれない。
「はい、どなたです?」
青年が一瞬、俺の顔を確認して訝しい目をした。一瞬なんとも言えない迫力に驚きはしたものなんとか口を開く。
「突然すいません、この先に住んでるクレインさんの紹介で――」
クレインの名前に聞き覚えはあったようで渋々、納得したような表情を浮かべた。好印象というより、面倒なおじいさんに紹介されてやってきた厄介者という風情である。
おじいさんに説明したのと同じ内容を、うんざりした様子で聞いていた青年は、探している子供の話になった途端、ようやく聞く気になったようで『どうぞ』と家の中に通された。
ただ雰囲気的には決して話を聞くという態度ではなく、さらに邪険にする様子さえあった。
クレインさんの話では、目の前の青年は子供好きで、変わり者という部分を除いても子供の事と聞けば親身になってくれるはずだった。だからこの態度はある意味、想定外。こんな時期に行方不明になった子供の話題を持ち出したから逆に怪しまれてしまったのだろうか?
無償で配ってる野菜を一応、持ってきたのだが、一瞥してだけで受け取りを拒否されてしまったし、一筋縄ではいかなそうだ。取り付く島もないとはこのこと、完全に疑われている。
「今、立て込んでるんで、たぶん話を聞くだけになりますよ」
「ええ、それで構いません、助かります」
もしかしたら俺のことを子供を誘拐した張本人とでも思っているのかもしれない。直接、話を聞いて問い詰めるつもりなのだろうか? そんな雰囲気だった。
リビングに入るとソファーを進められたので、少し埃の溜まったソファーに腰を下ろす。ソファーが弾み、埃が立つ、あまり掃除はしていない様子だ。
「で、その子ってどんな子? 君との関係は?」
「耳の聞こえない子で、知り合いです」
「知り合いね……ま、いいか、で、何が知りたいのかな?」
「ここ最近、この近辺で子供の失踪が頻発してますよね? その子が事件に巻き込まれてないか気になったもので、住んでる場所を知りたいんです」
「住んでいる場所? 知り合いなのに知らないの?」
「その子とはその……知り合いといっても耳の聞こえない子だから」
「ときどき見かけていた程度? その子を見かけた周辺は探してみたの?」
「ええ、他に知っている人もいないみたいで……」
青年は俺のことを、かなり怪しい人物だと思ったようだが、それにしてはあからさますぎると思ったのか考える仕草をしていた。腕を組んだまま俺を見ていたが、やがて小さく息を吐く。
「知らない」
本当に知らないのか、結論として俺に教えないと決めたのか俺には判断がつかなかった。しかし元から話を聞いてもらうだけの約束だったので、これ以上はなにも言えない。
時間をとらせてすいませんでしたと謝ろうとした時、外の少し離れた場所から銃声が響いた。青年は溜息を吐くと項垂れ、やれやれといったようすで立ちあがる。
外に向かうようなので俺も家から出ようとしたら『君は車で来たんでしょ? このままUターンで帰った方がいいよ』と警告してきた。
「さっきの銃声は?」
「いつものことさ、君には関係ない」
「でも聞こえてきたのはショッピングモールがある方向だよね?」
家の前の通りに出ると、また銃声が、二度、三度と、俺の言葉を補強するようにショッピングモールがある方向から繰り返し聞こえてきた。青年がやれやれと説明しないわけにはいかないなと口を開く。
「あれは近くに住んでるガンショップの次男坊が酔って暴れてるんだよ。心配はいらない、いつものことだから」
「俺もついていっていいかな?」
「だめだ」
「いなくなった子供たちを探すついでだよ、ショッピングモールは自警団も他の住民も近づかない、考えてみれば盲点だと思って」
「はあ、言っても無駄か、こんなところに来るぐらいだからね、だけどあいつを宥めたらすぐに帰ってくれ、ここは危険だし、ここにいられると迷惑だから」
「ああ」
歩いてゆける距離だったので、トラックを家の前に停めたまま青年の後ろをついて行った。
風で少し砂塵の舞う道を歩き、二人してショッピングモールの前まで行くと、ショッピングモールに向かって大声を張り上げ、銃を振り回している男がいた。
酒に酔っているのかはわからなかったが必死に叫びすぎて呂律が回っていない。
「マックなにやってる! 大きな音を立てちゃだめじゃないか!」
「なんだ……邪魔すんじゃねえよトニー、今はそれどころじゃねえんだ、ミッキーがショッピングモールに入っちまった」
「入ったって、どうして止めなかったんだ」
「俺は酔って寝てたんだよ、気付いたらいなかったんだ、うちで管理してたショッピングモールの裏口の鍵も一緒にな」
「なんで……」
ミッキーというのは、どうやら叫び散らかしていた男の弟で、その彼がショッピングモールの中に入ったのだという。マックよりトニーの方が動揺しているがどうしてだ?
トニーは後ろにいた俺をちらちら見ながらマックを落ち着かせようと、なんとか銃を手放させようとする。しかしマックは説得に応じず、トニーを突き放した。
「とりあえず自警団に連絡を――」
「ダメだ、ミッキーが潜り込んでどれだけ時間が経過してるかわからないんだ。そんなの待ってられねえ」
「じゃあ、どうするつもり?」
「中に入ってミッキーを連れ戻すしか手はねえだろ、中から感染者が出てくるかもしれねえから、ここを手薄にはできなかったが、ちょうどいい、お前がここを見張っててくれ、俺が一人で行ってくる」
マックがトニーの後ろにいた俺に視線を向けた。
「で、誰なんだ、そいつは?」
「ああ、彼は――」
トニーの紹介を待たずに俺は前に進み出た。二人の話はあらかた聞かせてもらった。そして聞いたからには、やるべきことは決まっている。
「そのミッキーって君の弟なんだろ、連れ戻すのに協力するよ」
「はあ?」
マックが遊びじゃないんだぞと言わんばかりに睨みつけてきたが俺は答えを変える気はなかった。もう決めたことだ。なんと言われても引かない。そもそも、こんなところで押し問答をしている暇などないはずだ。
「ガンショップに住んでるってことは銃はあるんだろ? 丸腰だと不安だから銃を貸してくれないか?」
「本気か、お前……」
「無茶だよ」
トニーが癇癪を起こした子供のような声をあげた。覚悟を決めて冷静になっているマックとは対照的に、トニーの反応は極端だった。
マックは、銃の看板がデカデカと出ている店らしき建物に入っていくと、しばらくして肩に二丁のショットガンを担ぎ、腰に幾つもの拳銃を差して出てきた。
「どれを選ぶ?」と言ってショットガンを掲げたが、俺は首を振り、マックの腰に差してあった拳銃を一丁、預かることにした。マックはショットガンの一丁をトニーに預け『お前は見張りだ』と言い残す。
マックについてショッピングモールに向かう俺たちに、トニーは最後まで呆気に取られた顔を向け続けた。
『どうして……』
未だに納得していない様子で、背後から照りつける太陽に眼鏡を光らせ、茫然とつぶやく。その重苦しい声は、死地に向かう俺たちに、ショッピングモールの中が一筋縄ではいかない場所だと訴えかけているようだった。




