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アシユビの男


  勢いよくドアが開け放たれた。

 砂塵を含んだ外気が室内に流れ込んでくる。客たちは、なにごとかと入口に視線を向ける。そこには古ぼけた茶色いジャケットを着た男が立っていた。随分と着古したであろうジャケットをパンパンと叩いて男は扉も閉めずにぼうっと室内を見渡した。

 室内を満たしているジャズの音に耳を傾け、客たちの間をカウンター席に向かって直進する。一陣の風が吹き、客たちがわっと声をあげると、男が入ってきた扉が一人でに閉まった。


 男の袖に引っ込んだ金属片、その鋭いなにかは男がこの界隈で知らぬ者がいないほど恐れられている原因。ただのナイフや武器の類ではない。武器でありながら飛行手段。他の感染者が未だ到達できていない領空を支配する翼の欠片。


 カウンターへと到着した男は、男を煙たがる客たちの視線を一切、気にすることなく、この店の店長兼バーテンダーを手招きで呼ぶ。


 バーテンは顔なじみでありながら、まさか男がカウンターまで来るとは思っていなかったので、慌てて駆け寄ると声を潜めた。


「ボルグ、今はタイミング悪い、なんでよりもよって……」

「別にいいじゃねえか、どうせ誰も真面に金なんか払わねえんだろ?」


 男がバーテンをしているのは街のため、いわゆる街の一員でいるためにボランティアに勤しんでいるだけなのだ。この街ではバーテンのような一部の劣等種は、ほぼ無償でこの街の運営に従事するしかない。ただ逆に、特権階級を与えられた者たちは、この街でのみ流通している通貨を牛耳り、そういった恵まれない感染者をこき使えるのだ。そして、どこにも属さないボルグのような感染者は除け者にされ、今回のような態度を取られる。

 ただしボルグには唯一絶対の強みがある。このご時世において感染者である限り、何人にも冒されることのない唯一の権利が。


「一杯ぐらいいいだろ、飲んだら大人しく帰るから――」

「なんだてめえは、ドレスコードを無視して入ってきやがって」


 どこからともなくガラの悪い声が響いた。ボルグが目を向けると人垣が割れ、テーブルに座る一団へと道が開かれる。


 この街を含め、他の三都市をも牛耳っている感染者の大ボス、マードックだ。顎の肉が弛んでいるため、通称<ガマガエル>と呼ばれている。ただし本人の前で平気でその名を口にする輩は、何者も恐れないボルグぐらいのものだった。


「けっ、腐れ傭兵ごときが、お呼びじゃねえぜ」


 ボルグをいくら煙たがっていようとボルグを口汚く罵るなんて真似は誰もしない。しかし命知らずの意地なのだろう、微かに冷や汗をかきながらも、仲間の多さを強みにマードックは吐き捨てる。


 しかしボルグにとっては子供が強がっている風にしか見えず、言い返すこともなく、バーテンが用意してくれたショットグラスになみなみ注がれた小麦色の酒を一気に呷った。


『邪魔したな』


 と言って何事もなかったかのように出ていく。

 マードックは震えた。マードックとボルグは生きている世界が違う。

 血生臭く、汚い仕事にになんか従事する必要もなく多くの感染者を手懐けて今の地位にいるマードックと、糊のきいたシャツやビジネススーツなんかとは無縁の、戦場を渡り歩いて己が力のみで畏怖を振りまくボルグ、野蛮としか言いようのない生き方だが、ボルグのような力がないから今のような生き方しかできなかった劣等感。感染者としての格の違い。


 マードックとて感染者としては弱い部類ではない。それなりに感染者の界隈では力任せに人を従えていた時期もあった。しかしいつしか気づいたのだ。自分にはボルグのような他を圧倒するような力がない。腕っぷしだけで群れを統率できていた時代は終わったのだと。


 今ある力も、群れという群の力でしかなく、ボルグのように個ではない。マードックはボルグに無視されたことが耐えきれなかったのか、拳を握り込み、激情のままボルグを追いかけた。


 ボルグは別名、血塗れの飛行兵、成金が勝てるような生半可な相手ではない。しかしマードックは二人のボディガードを連れている。どちらも腕に覚えのあるマードックを守る最強の盾だ。だから無謀な行動に走ることもできた。


 ただボディガードたちは、マードックよりも、その行為を危険視していた。マードックはボルグを恐れているが、それでもまだ認識不足だ。

 常に戦場を渡り歩いてきた感染者の超人と、そんな世界から足を洗った、マードックに使われているだけの単なる犬とは。

 

 多くのビル群が砂で埋もれかけた小さな街。その一角に残ったレンガ造りの酒場モニークの前でマードックとボルグは、かち合った。

 酒場の中には未だに1900年頃に流行ったサックコートを着た紳士、美しい装飾で着飾る淑女たちがいる中、ボルグが意外にも店を出てすぐの場所にいたことにマードックは慄いた。


「ああ?」


 とマードックを見るボルグの目は、つまらないものを見るように何の感情も抱いていない。それはマードックにとって我慢ならないボルグの態度。


「コケにしやがって」


 だがボルグにとってはマードックをそれほどコケにしたという自覚はない。なにをいってるんだと言った感じでマードックの両隣にいるボディーガードたちを見た。

 ボディガードたちは委縮し、二人して顔を見合わせる。


 三対一、四人は撃ち合いでも始まるかのような、砂塵が足元を通り過ぎる中、対峙した。


 あくまで静観するボディガードたち。マードックは何かを思い出したのか、はっとすると唾を飛ばしながら息巻く。


「お前に伝えておこうと思ってな、お前も興味があるだろ、あの狂犬が生きてるそうだぜ」

「ああ?」


 先の声とは全く違う、マードックが思わずニヤついてしまうほどの手ごたえがあった。ボルグの声に含まれた迫力にボディガードたちは一歩退く。


 狂犬、それはボルグが一度、袂を別ってから探し求めている感染者だ。通称、狂犬。その戦闘スタイルも、他者を寄せ付けない生き方も、その名にふさわしい感染者だった。ボルグにとっては因縁の名。


「居場所を知りたいか?」


 ボルグの視線が細くなる。その眼には今まで一切、興味のなかったマードックへの確かに殺意が窺えた。ボルグは誰の命令も聞かない、傭兵家業とて使われている気はまったくなかった。ただ自由に空を飛べて、仲間の生活や安全が確保されるなら、それで十分だったのだ。


 居場所は力づくで吐かせればいい。


「お下がりを……」


 マードックを庇うように、ボディガードの二人が知らずマードックに近づきつつあったボルグの前に立ち塞がった。


「どけ……」


 ボディガードとして付き従っているからには、ここで守れなければボディガードの意地も外聞もない。戦闘態勢をとるボディガードにボルグは『死にたいのか?』と一言、告げる。それは暗にマードックを差し出せばお前たちの命までは取らないと確約する言葉だった。


「アイラはどこにいる」


 また一歩、マードックへと近づく。ついにボディガード二人は、近づいてくるボルグに道を空け、マードックへの直接交渉を許してしまう。


 ボルグの獰猛な目、いつしか靴先から飛び出したアシユビと呼ばれる器官が地面に突き刺さっていた。まるでそれは鷹の足だ。


「アイラの居場所を言えば命までは取らねえよ」


 マードックも馬鹿ではない。ボルグの、それが嘘であることは明白だった。態度も、その険のある目も、ただの脅しやパフォーマンスの類ではない。死神のそれだった。


「た、大した情報じゃないんだ、この街にカラスが来ててな、奴に聞けばわかると思うぜ」


 だからこそ無難な答え……で、許されると思った。しかしそれは大いなる勘違い。今すぐに判明しない答えなどでは、ボルグの好奇心は抑えられない。今すぐに答えなければマードックの命はない。

 素直に吐いたとしても助かる見込みはないが、吐かなければ百パーセント生かす理由はなくなるのだ。


「交渉決裂か?」

「ま、待て、待ってくれ、カラスの場所は俺しか知らねえぞ」


 ボルグの舌打ち。脅しても交渉を持ち出してくる輩は珍しくない。マードックを殺しても、まったく情報が得られないのでは脅し甲斐もなかった。だから()()()()が必要だ。


 ボルグはジャケットの首元を少し開け、空間を用意する。鎖骨あたりから二つの金属製の何かが飛び出しボルグの口元で合わさった。それは形こそ鳥のくちばしのようだが、ジェット機のパイロットが飛行時につける酸素マスクにも似ている。その機能が同じであることを謳うように組み合わさっただけの金属板の中央が、内部を密封するように細かい継ぎ目で塞がっていく。それはボルグの飛行形態。マードックは驚愕に目を見開いた。


「なん――待っ――」


 マードックは突然、吹いた突風に目を閉じた。吹き付ける風に息もできない。


『苦しいのは一瞬だけだ、すぐに天国を拝ませてやるぜ』


 ボルグの両肩から生えているのは、いくつもの金属片がより合わさった金属の翼。それを大きく羽ばたかせボルグは飛翔する。

 普段はその金属片の一枚一枚がナイフのように尖った武器となり、敵を切り刻むこともある。だが一つにまとめ合わせると、空を飛ぶ翼になったり使い道は千差万別なのだ。


 元は空軍のパイロットだったボルグは、感染者になった今も空に魅入られている。空で生きる者にとって、感染者になってから得た翼は、何にも代えがたいボルグの宝。ジェット機などという鉄の棺桶に足を突っ込まなくても自由に、その身一つで空を行くことができる、今の姿こそが理想なのだった。


 ボルグは水を得た魚のように飛行速度を上げていく。


『いい眺めだぜ、魂を天国に置き忘れるなよ……』


 凄まじいスピードで空を駆けるごとにマードックの体がピキピキと音を立てて氷結していく。このまま氷漬けになるのかと思いきや、スピードが若干、緩やかになった。


「ぶはっ!! ふざけるなボルグ、殺す気か!」


 顔面に張った氷を砕き飛ばし、マードックが叫ぶ。流石、感染者だけあって肺の機能も優秀だった。凍りかけていた身体を震わせるマードックに、ボルグはやれやれとほくそ笑む。


「俺をやれば、フリューゲル機関が黙ってないぞ」

「それがお前が強気でいられた理由か……」


 酒場(モニーク)のバーテンが早々にボルグを追い返そうとした理由がそれだった。マードックの悪趣味な嫌がらせや仕返しを恐れていただけではない。ボルグに対して、いつものように友好的でいられなかった理由は――。


 フリューゲル機関、それは長らくこの世界で台頭している感染者の集団だ。血も涙もない殺戮集団で、本能で命を奪い、人も感染者も容赦なく殺す。

 依頼で殺しを請け負うボルグと違い、文字通り連中にとっての殺しは遊び、その延長でしかない。病的なほど腐った心根を持つ狂人の集まり。飼い慣らすことなど不可能。ましてやマードックの得意とする手連手札など通じるはずもない。おそらく後ろ盾と言い張っているのはマードックだけで、フリューゲル機関はこの街を地獄に変えるために、若しくは別の目的で近づいたのだろう。この街もそろそろ終わりかもしれないとボルグは思う。そして、そんな組織にあってボルグの許せない輩が一人いる。今もフリューゲル機関のトップに居座っているであろう、頭のネジが飛んだ感染者。


「グリードスペンサー……」


 ボルグは歯ぎしりでもするように、その名を絞り出した。思い出しただけでも身体が怯える。今のボルグでは到底、グリードスペンサーには敵わない、配下にすら一矢報いられるかどうかのレベルだ。しかしその怒り、憎しみは本物である。


「さすがのお前もビビるだろう? 人格が破綻してる連中だ。俺みたいなコネでもなけりゃ……」

「コネね……それは大きな勘違いだ。破綻した連中だってお前もわかってるんだろう? 食われるのがオチだぞ、あいつらにとって話している相手が人間か感染者かなんてのは些細な違いでしかない」

「俺は例外なんだよ」

「とりあえず喰わない理由があったんだろうさ、お前はあいつらがわかってない」

「ほう、やけに詳しいじゃねえか」


 マードックはボルグの出自を知らない。ボルグの殺しのセンスがどこで磨かれたか。ボルグは呆れたように、ゆっくりと(アシユビ)の爪をマードックに食い込ませた。マードックが小さく悲鳴を上げる。

 フリューゲル機関の名前を出せばボルグを脅せると思っていたようだが逆効果だ。それは火に油を注ぐ行為に他ならない。

 ボルグにとってフリューゲル機関は復讐を果たす憎むべき相手。ただの実験動物として自我を奪い、殺戮者としての人生を歩ませようとした相手だった。改造によって与えられた空を飛ぶための装備には感謝しているが、感情を取り戻し、離反した今となっては復讐したい相手ナンバーワンだ。


 ボルグは翼でマードックを包み込み、大きなラグビーボールのような形になって落下する、地表に向かって一直線、錐もみ状になって落ちていく。


 どんどんスピードを上げ、大気を貫き。地表が目視でわかるぐらいになったとき翼を広げた。廃ビルの屋上を視認し、ゆっくり滑空で下りていく。


 バサッと大きく翼を広げてビルの屋上に降り立った。途端、翼はバラバラになって分解され、鉄羽の一つ一つがボルグの服の中へと収納される。普段はボルグの内部を覆い、鉄の鎧となってボルグを守るのだ。だから飛行形態でなくとも不意打ちで倒すのはほぼ不可能。鉄の鎧は縦横無尽で、ボルグの死角、長距離から放たれたスナイパーライフルの弾丸すら止めてしまう自動防御。ボルグの恐ろしさは攻守のバランスにこそある。


 ボルグは足にしがみ付いたマードックを蹴り飛ばすと、這って逃げるマードックを追いかけた。

 マードックは三半規管がおかしくなっているらしく、地面を這いずって逃げている。


「た、たす、けっ……」

「るわけねえだろ、お前はまだなにも話してねえんだからな」

「は、話す、話すから、な、なな、なにするんだ! よ、よせ!」


 千鳥足のマードックの背広、その首根っこを掴んで引きずる。

 無理やり屋上の淵に立たせ、ネクタイを掴んで、重心は地面のない外側に向けさせた。手を離した途端、マードックは真っ逆さま、ビルの屋上からダイブするという寸法だ。


「さあ、言え、カラスの居場所を――」

『ああ、わかった、奴の居場所は――』


 聞き出したボルグは眉根を寄せた。別にカラスの居場所が到達困難な場所にあるというわけではない。逆に目と鼻の先だったのだ。それをもったいぶった挙句、自身が助かるための保険にするとは呆れてものが言えなかった。

 大した情報でもないのに、いい根性してやがるぜ。

 そう思いながら、ボルグは続けて質問する。


「で、俺に言っておくことはそれで全部か?」

「まだある、実は――」


 すべて言っておかなければ助からなかったときに後悔する。マードックはボルグに洗いざらいを吐いた。助かりたい一心だったのだが。


「アイラに仲間が? 冗談だろ」

「?」


 ボルグの表情は怒っているのか不審気なのかマードックにはわからなかった。ボルグにとっても複雑すぎて、感情の整理ができていないのだろう。ただ一つだけ、強い感情が沸き上がる。それは狂乱だった。


 マードックのネクタイを握る手に力が籠る。顔を引きつらせたボルグを見て、マードックは自身の最後を確信した。言うべきではなかったのだ。その瞬間、ほんの少しあったマードックの生存率はゼロになる。


「た、頼む――」


 するり……なんの躊躇もなくボルグはネクタイを離していた。


「え?」


 わかっていたこととはいえ、あまりにもあっさり過ぎた。いきなり解放された途端、別の重力に掴まったマードックは無数の重力の手に引きずられるようにビルの屋上から真っ逆さま落ちて行った。最後にマードックが見たボルグの顔は笑っていた。不気味に、そして凶悪に。冷酷な血濡れの飛行兵そのものだ。


 数秒後、ドシャリと大きなトマトがつぶれたような音が響かせ、マードックという存在はこの世から消えた。ボルグはぽつぽつと降りだした雨空を睨む。


「クソみたいなやつらに囲まれて嫌だったんだよなアイラ、お前が付けたこの傷も、別れた理由も、お前の意思だと思って尊重してやってたんだぞ、それが仲間だと? くっくっく。構わないさ、そっちがその気なら、もう一度、俺が引導を渡してやる、くくく……ハハハ……ハハハハ!!」


 珍しく饒舌に宣言したボルグは、嫉妬なのか、怒りなのか、自身でもよくわからない感情のまま、雨空に向かってただひたすらに、狂ったように笑い続けるのだった。


 


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