最後の花園で
「命がけで、薬草を摘んできたんだね。怖かったでしょう。これからは、誰でも手に入れられますよ」
青年剣士のゼイルが、案内役のリラを、いたわって微笑んだ。
二人は、ドラゴンの領域である古代の霊草が咲く花園に向かって、歩いていた。
辺境の村に住むリラは、庭で薬草園を開いて生計を立てる娘だ。しかし、自分の薬草が母の病気に効かないと悟って、ある日、ドラゴンの花園から、一輪の花を持ち帰った。
ドラゴンの花園は、村近くの森の、どこかにあると言い伝えられていた、魔法の花の群生地だ。
リラが摘んできた霊花の薬で、医者に見放された母の死の病は、三日で完治した。
霊花の話は、リラが黙っていても村中に広がり、遠い王都にまで届いていった。
一輪の霊花の話を伝え聞いて、この国の王や魔術師たちは驚愕した。
古代に絶滅したはずの魔法の花の存在は、各国との取引や古代植物の研究、製薬業や観光業など、さまざまな分野での欲望をかきたてた。
「君が、カナンのようにならなくて良かった」
ゼイルの言葉にも、リラは緊張でこわばった顔だ。頷くこともなく、案内を続けていた。
ここは森全体の魔力が強く、昔から、魔力に敏感な魔物が怖がって近づかない地域だ。ドラゴンの息が、霧となって人や獣を迷わせると言われているが、魔物がいないことで猪や鹿、兎、鳥など獣が豊富で、深い森で遭難する猟師が減らなかった。
「ドラゴンは、ボクが必ず殺します! ボクのような思いは、もう誰にもさせない!」
王がドラゴン退治を依頼したゼイルは、当代随一のドラゴン退治の勇者だ。
足手まといの仲間を嫌って一人で戦うゼイルは、派遣した軍が花園を荒らすことを恐れた王にとって、都合のいい勇者だった。莫大な利益がかかっているので、王や魔術師たちは、最高級の魔法の装備を整え、ゼイルを送りこんできた。
ゼイルは、ドラゴンを憎む気持ちも随一だった。数年前に、恋人のカナンがドラゴンの生け贄として捧げられ、死んでしまった。それ以来、憎悪だけでドラゴンを倒し続け、世界一のドラゴン退治の勇者の称号を得たのだ。
二人は、森に覆われた山の一つに来た。蔦やシダで緑に染められた崖に開いた、洞窟に入っていった。入り口付近には、天井には氷柱の形の岩、地面からは筍の形の岩が、左右に並んでいた。
外からの光が無くなると暗くなったが、ゴツゴツしていた中は、奥に進むほど淡い緑に光る苔が増えて、足元も土や岩ではなく、やわらかい草を踏む感触に変わっていった。
苔の光があると言っても、洞窟は薄暗い。壁や天井、足元には、草や岩に隠れて枝道があった。そんな中を、リラは迷う様子もなく歩いていく。
なまあたたかい空気に満たされた道は、ゆるやかにカーブしていた。
やがて、洞窟の奥が昼間のような明るさになっていき、甘い花の匂いが強くなってきた。
そして二人は、洞窟の中とは思えない広い花畑に着いた。天井近くに浮かんだ大きな鉱石が、魔法の輝きを放って、花畑を照らしていた。
「あんなに大きい魔法石が、まだ残されているなんて……。それに、この花々……」
赤や白、紫、青、オレンジ…様々な色の花や草が咲き競っていた。強い甘い匂いは、鮮やかな赤い花のものだった。
甘い花の匂いに包まれて、ゼイルは目を見開いた。そこには、世界を巡ってドラゴンと戦ってきたゼイルでも、見たことのない草花が広がっていた。珍しい蝶や小鳥が、警戒心もなく近くを飛び交い、肩で羽を休めた。
ドラゴンの花園に着いたのだ。
「害にしかならないドラゴンからは、絶対に解放しなければ……」
剣を構えながら、ゼイルは呟いた。
「ドラゴンは、どこから来る……?」
緊張と憎しみの厳しい表情で、辺りの気配に集中した。視線を周囲に巡らせると、暗い表情のリラがいた。
「花の匂いが、ちょっときついね……」
ゼイルは貴婦人の香水に困るように、はにかんだ。リラを安心させたかったのだ。
ゼイルの優しさに、リラは泣くのをこらえるために、ぎゅっと唇を結んでいた。
花の匂いにむせて、ゼイルが咳き込んだ。手で口をおさえると、革の手袋の指の間から血が落ちた。
「っ、これは……?」
ゼイルは体の異変を感じたが、何もできなかった。ふらついて、花の中に片膝をついた。
リラは、悲しい顔で口を開いた。
「ここは花園の、毒草の多い場所です。香りが毒になったり、植物が放つ魔力が、毒の魔法の効果を持っていたり…いろいろですが……」
ため息のように大きく呼吸して、言葉を続けた。
「私はティファナミの…ドラゴンの名前ですけど…彼女の血と花園の草花で作った薬を飲んでいて、平気ですが……」
花園を見渡して、リラは少し笑った。視線の先に、淡いピンクの花が咲いていた。
「小さい頃に…花園に迷い込んで、ティファナミと知りあって…薬草のことを学びました。…私たちは友達なんです」
「友達? おぞましいドラゴンと?」
さっきまで穏やかにリラを見ていたゼイルの目が、怒りに燃えた。その怒りを力にして、立ち上がろうとする。
そんなゼイルに、リラは花園を見る微笑みを消して、悲しい顔に戻った。
「…殺さずに、すませられたら…良かったけど……。魔法の薬草で記憶を奪っても…あなたのドラゴンを憎む気持ちは、強すぎて完全には消せない……」
「あたりまえだ! ドラゴンは、カナンを殺した最低最悪の魔物だ!」
なんとか立ったゼイルは、魔法の剣を握り直した。しかし毒のまわった手から剣は落ち、鎧をまとった体は、ゆっくりと、うつぶせに倒れた。
ゼイルは、諦めずに起き上がろうとしたが、仰向けになるので精一杯だった。
「ゼイルさん…あなたは、薬草を誰でも摘めるようにすると言ったけど……。この花園にある植物は、遠い昔、人が乱獲したから、外の世界で絶滅した植物なんです」
リラは、白銀に輝く魔法の剣を拾った。その剣を、横たわるゼイルの体の上に、胸に柄がくるように剣先を彼の足に向けて、丁寧に置いた。
「人々が乱獲する中で、一人の魔術師が、種や苗や虫や鳥…集められるだけ集めて、友達のティファナミに託したそうです」
話しながら、リラは、ゼイルの両手を剣の柄に重ねた。
ゼイルは息をしているものの、何も見ていない青い顔だった。
「ここ…ティファナミのお腹の中なんです。長い時間をかけて、ティファナミは動植物を育んで、今では体のあちこちが花園なんです。…人に渡したら、花園は保てない。人のためにある場所ではないんです……」
ゼイルから離れて、リラは、さっき見つけた淡いピンクの花を摘んだ。花を手にゼイルのそばに座ると、その花の甘酸っぱい香りを彼の顔に近づけた。
「…ごめんなさい。せめて、優しい夢を見て……」
花の香りの魔力で、無表情だったゼイルが、微笑みながら目を閉じた。カナンとの幸せな夢に落ちていったのだ。
淡いピンクの花を彼の手元に添えてから、リラは立った。
すると、ティファナミの静かなため息のような風が吹き抜けて、リラの心に声が聞こえた。
「リラ…この若者とのことは、霊草で忘れてしまいなさい。あなたの心にまで、辛い気持ちを残したくないわ……」
心に語りかけるティファナミは、母を助けてくれた時と変わらずに、優しかった。
霊草を花園の外に持ち出せば、騒ぎになって危険が増えると承知で、リラに魔法の花を与えてくれたのだ。
リラは、咲き乱れる草花を見まわして、淋しげに微笑んだ。
「ありがとう。…でも、いいの。目を背けるわけにはいかないわ。私が忘れるなんて…ずるいもの。あなたと一緒に花園を守って…いずれは私も、花園の糧になる」
やすらかな顔のゼイルを見ると、リラの微笑みから淋しさが消えた。
「ここには、絶対にドラゴンは来ないから……。おやすみなさい、ゼイルさん……」
(おわり)