191話 悪魔再び蜘蛛2匹
後書きに【マリオネットポーション】のミス修正。魔法薬ギルド→魔法関連ギルド
さて、何日か前にケージィという巨大時限爆弾を抱えてしまった俺たちだが、今日も今日とて早朝からとてつもなく面倒臭いことになっていた。
「では改めて伺いますが、先日の魔力暴走における家屋破損事件はアルフ様が原因であるとお認めになるのですね?」
「はい……」
「それではこちらが被害に対する賠償請求でございます。額が額ですので分割で――と申し上げたいところなのですが、なにぶん広範囲に渡って破損や対処困難な魔力障害が発生しておりますので、今回は一括でお支払していただきます」
客間のソファに座り、有無を言わさぬ優雅な口調でぶっ飛んだ金額の請求書を差し出すのは、そう、エモナさんだ。
時都ドゥーマ全体の商業ギルド束ねるドゥーマ本部でジュエルランク部門を統括する彼女が、先日の大洪水の原因究明と復旧を任されたらしい。というより、ご近所さんたちの証言で原因が俺だと判明した時点で押し付けられた、とヒストリアを使ったコルキスがこっそり教えてくれた。
さらに、商業ギルドが被害にあったご近所さん及び遠方の方々をいち早く救済する名目で、全家屋の修繕費を肩代わりしたこと。そして俺からあるものを毟り取っていくため、わざわざ商業ギルドの倉庫島を動かしてまで、我が家にお越し遊ばされたとも言っていた。
「言ってくれればその日のうちに直したのに……」
「テリリ地区ZZB-W-64891周辺にお住まいの皆様から、苦情を伝えに来たところ問答無用で気絶させられ、その上第1級危険特区にもかかわらず何の安全対策もなく放置された、と伺っておりますが?」
にっこり笑って首を傾げるエモナさんが怖い。
たまらずルトルに目を移すと、なんともバツの悪そうな顔をしていた。そりゃそうか。ご近所さんたちを放置したと伝えた時にこいつも何もしなかったんだからな。俺と同罪だ。
「とはいえこの額です。いつもお世話になっておりますアルフ様におかれましては、特例で物納という方法もご選択いただけます。アルフ様はジュエルランク商人でもありますから、むしろそちらの方がよろしいのではないでしょうか。例えば……そうですね、とてつもなく巨大な魔石でしたらちょうど良いかと存じます」
とまあこんな感じで事が始まり今に至る。要は金はいいからゲロが固まってできたあの巨大な魔石を寄越せということなのだ。
俺としても1回吐瀉たものをまた食べたり、なにかに利用しようとは思わない。むしろそれを渡して許されるなら大歓迎だ。しかし、ここで大きな問題が……
「だから何度も言ってるでしょう。魔石はうちが買い取るのよ」
「そもそもアルフは一定水準以上の魔石はすべてうちに卸す契約を結んでいる。つまり魔石の取引に関しては商業ギルドの出る幕じゃない」
そう、魔石屋とるてのアラクネ姉弟だ。姉のウパニが食い殺さんとばかりに凄み、弟のシャドが契約書を叩き付ける。
「ええ存じておりますよ。ですがそちらの契約書には、優先的に、と書かれております。ということは、必ずしもあなた方に卸さなければならないという契約ではないのです」
あの恐すぎる脅しを歯牙にもかけないエモナさんは尊敬に値するけど、本当、互いに一歩も退かなすぎだよ。あの時は見逃してやっただの、無茶振りを叶えてやっただのを繰り返してて埒があかない。
今何時ですか~? わかってますか~? すんごい迷惑なんですけど~?
退屈を我慢しないコルキスは、とっくの昔に俺を見捨ててランペルたちをお供に学園都市へ遊びに行ったし、精霊たちも付き合ってられないとどこかへ行ってしまった。ちゃっかりグルフナとケージィも精霊たちに着いて行った。たぶん今日は誰も帰ってこないだろう。ちくしょう、俺も逃げたいよ。
『ねぇねぇアリュフ様。アドイードお腹すいたよ。ご飯食べたいよ』
うんざりしているところに、アドイードが訴えてきた。ずっと我慢していたのは知っている。なんと健気なアドイード。その遠慮がちな訴えに最早じっとしてなどいられない。ていうか俺だって腹ペコもいいとこなのだ。
しかし腹を満たすには魔力を食べる必要がある。日に日に――というより秒ごとに体がダンジョンへ変化していってるんだろう。昨夜あたりから、魔力を食べなければもう満たされなくなっていた。
一応、飲み物のおかわりにルトルの魔力を混ぜてもらってはいるものの、それではとうてい間に合わない飢餓感。
「あの魔石はどちらに引き取ってもらってもかまいません。なので決まったら連絡ください。もう夜ですよ」
「あら? まあまあ、いつの間にこのような時間に。大変失礼いたしました。では一旦食事にいたしましょう。お詫びといってはなんですが、私がお作りいたします。キッチンを拝借しても?」
では、じゃない。いい加減帰ってくれよ。
「それなら私も手伝うわ。エモナのことだもの。どうせ料理にマリオネットポーションとか混ぜる気でしょ。しっかり見張るのよシャド」
「え? 今、自分が手伝うって姉さん――い、いや、わかったよ。文句なんかないってば」
ウパニの一睨みでシャドがわたわたと立ち上がる。
「まったく心外ですわ。私、そのような無粋な真似はいたしませんことよ?」
同じく立ち上がったエモナのいい笑顔だこと。あれは間違いなく何かしら混入させようと思ってたに違いない。窓の向こうになんかの合図を出したのも俺は見逃さなかったぞ。つか、なんで居座る気満々なんだよ。
『ねぇねぇアリュフ様。アドイードお腹ペコペコだよ。本当の本当にペコペコなんだよ』
くっ、これ以上アドイードを待たせるわけにはいかない。だってもう半泣きなんだ。可哀想すぎて胸が締め付けられる。
「じゃあキッチンは自由に使ってください。俺たちは外で食べてくるんで。戻るまでに決着つけてといてくださいね。行くぞルトル」
「あ、ああ」
返事も聞かず外に出て家の影へ移動する。誰にも見られていないことを確認してからルトルの左手の人差し指にかぶり付いた。慣れたルトルはすぐに魔力を出してくれる。相変わらず凄く美味しい。今ならコルキスがやたらめったら俺を吸血する気持ちが理解できる。
「そんなにがっつくな。押し倒したくなるだろ」
冗談とも本気ともとれない表情でルトルが言い、魔力の放出を止めやがった。
「もっとだ」
「はぁ。同じ台詞でもこんなに違うなんて……」
ルトルがなにを想像してるかは考えたくない。なかなか魔力を出さないから指を齧って催促するだけだ。
「そういう催促も同じ……はぁ」
「さっきから溜め息ばっかりでなんなんだ。ちゃんと言われたとおりにしてるだろ」
そう、この屈辱的な食事方法はルトルの提案なのだ。ダンジョンの初踏破者へ与える特別なものとしてルトルはある要求をしてきた。
それはルトルとの記憶を取り戻すこと。そのためにはどんなことだろうと積極的に取り組むことだった。
正直、気乗りしなかったけど消滅覚悟らしい初踏破の代償がその程度で済むならと了承した。そしたら付け上がったルトルが、その一環として毎日ルトルの魔力を食べることと、その時はルトルの体を口に含むことから始めてみようとか言い出したんだ。
もちろん拒否した。俺は口癒族でも唾癒羊駱駝でもないんだ。なんで好き好んで他人の体をチュパチュパせにゃならんのだ。
しかし嫌だと思っていてもルトルの魔力を食べようとすると既に体が勝手にルトルのどこかを咥えようとするようになっていた。
これにはゾッとした。なぜなら、ルトルとの記憶を取り戻すためだと言われれば決して逆らうことができないと気付いたからだ。どうせルトルのことだから、今後破廉恥かつ淫ら極まりないことを要求してくるに違いない。
とにかく、「ルトルとの記憶を取り戻すため」というキーワードが俺の最恐で最悪の弱点と化してしまった。決して誰にも知られてはならない。が、ヒストリアを使ったコルキスにはあっさりばれてしまい、口止め料としてエグいおねだりをいくつか叶える羽目になってしまった。
今となっては安易に了承するんじゃなかったと後悔している。くそぅ、なにもかもルトルが悪い。
「俺のこと早く思い出してもらわないと大変だと改めて思ったんだ。いっそ毎日のキスも追加するべきか……」
はぁぁぁぁ!?
「調子に乗りすぎだ!」
「痛っ! なんだよ、いつもしてたじゃないか……ふぅ、まあいい。そのうちアルフからキスしたいって言わせてやるからな」
そんなニカッと笑ったって、それが長い人生で初めて見る究極の爽やかさだったとしても、お前の頭の中が淫でいっぱいだってお見通しなんだからな。騙されるもんか。
『ねぇねぇアリュフ様。アドイード全然足りぃないよ』
おお、おお、可哀想に。今すぐルトルに魔力を貢がせるからな。待ってろ。
「俺からキスしてくれなんてありえないな。それよりアドイードもまだ足りないって言ってるんだ。さっさと魔力をよこへ」
指を咥え直したらまた極上の魔力が口いっぱい広がった。
「言っとくけど俺も腹ペコなんだからな。戻るのも嫌だしパリリ地区ZZA-Wに行くぞ」
わかったわかった。少し離れてるけどあそこは美味しいものだらけだからな。腹は満たされなくとも味だけを――はっ、そうか。皆が料理を底無しに食うのはそういうことか。
あとでロポリスたちに確認してみよう。確か前に母さんと魔法指導に行った美食大国を気にって、大飢饉を引き起こしたあげく亡国にまで追い込んだあの時、「お腹は空いたままだから、つい箸が止まらなくって。てへへ」みたいなことを言ってたはずだ。
あの時はなんてイカれた精霊たちなんだと思ってたけど、なるほどなるほど。ダンジョンになってから理解の深まることが多いなぁ。
『ねぇねぇアリュフ様。アドイードありぇ食べてみたいよ』
器用な俺らしくルトルの魔力を食べながら考えごともしていると、アドイードがおねだりしてきた。目の前で揺れる矢印型の蔓草が右斜め前の絶壁ディオスピュロスの屋台を指している。
「頭に草生やしてなにボーッとしてるんだ。危ないぞ」
やたらと視線の合う行き交う人々から守るように俺の腰をルトルが右手で引き寄せた。
なん……だと?
俺は今もルトルの指を咥えたまま。なのにいつの間にかパリリ地区ZZA-Wの、それも真ん中辺りに来ていた。
『アドイード転移魔法使ったのか?』
『ん~ん、使ってないよ』
それはつまり……決して近くないあの距離をこのままの体勢で、しかも道中は魔物鉄道に乗ってここまで来たってことか!?
「頭に植物を生やすのが恥ずかしいなら腕とかにしてもらったらどうだ? そんな真っ赤な顔するくらいならアドイードに注意すればいいじゃないか」
俺はてんで的外れなことを言うルトルを突き飛ばして、全力で屋台へ走った。
【マリオネットポーション】
特別危険魔法薬の1種。
飲ませた相手を一定期間傀儡にすることができる。下級から特級でランク分けされ、それぞれ持続時間が異なる。下級でも数時間、特級にいたっては年単位で傀儡とできるため非常に危険。取り扱うには特殊な免許と、その都度魔法関連ギルドマスターの使用許可証が必要である。
【口癒族】
蛇獣人の1種。
蛇竜ウロボロスの末裔といわれ、口に咥えたものを癒すことができるらしい。
【唾癒羊駱駝】
アルパカ型の魔物。
高所に生息し治癒効果のある唾を吐くDランクの魔物である。先天属性は土や風あるいは氷の場合がほとんどで、治癒魔法は使えないが体力回復魔法を得意とする。基本的のおとなしい性格だが、まれに狂暴で攻撃に特化した魔法を駆使する個体も存在する。また、長く生きた個体の毛は治癒の唾がよく馴染んでいるため治癒効果付き装備品の素材として高値で取引されている。
【絶壁ディオスピュロス】
植物型の魔物。
いつの頃からかルギス外壁に発生するようになった、美味しい柿色の牡蠣を実らせるCランクの魔物。光や水を求めルギス外壁を動き回り時には空中に浮かんでいたりする。大きさは最大でも1メートルで性格は極めて温厚。実をつけると動かなくなる代わりにとてつもない擬態で景色に紛れ込む。運良く見つけた場合お願いすれば実を分けてくれるが、欲張ると弱毒の渋牡蠣を混ぜこんでくる。実は大まかに分けて上層中層下層で大きさや味が異なる。時の大神殿付近で実をつけると稀に貝殻の内側に時魔法の魔方陣が刻まれていると囁かれている。アルフは生で食べるのが大好きだがルトルとアドイードは焼きがお好みらしい。旬は秋。
【パリリ地区ZZA-W】
ノス内壁の上層にある屋台通り。
世界中の高級レストランが出店するリーズナブルな屋台が内壁に沿って上下左右に重なるほどひしめいており、それらが半径約50キロもあるノス内壁を1周している。その至る所にベンチやテーブル代わりにできる剥き出しの配管や無意味な階段、凸凹や出っ張りがあり、ノス内壁からルギス外壁に向かって眺望を楽しめるようになっている。老若男女問わず人気のエリアで観光客も多く、年中無休で昼夜問わず営業している屋台も多い。隠れ、と呼ばれているのは何故か他の地区からは壁面と配管しか見えないためである。落下防止の柵等は設置が少ないので訪れた際は注意しよう。なお、アルフたちの住む場所から魔物鉄道を使えば15~20分ほどで辿り着ける。