185話 胃が空になるまでゲ~ロゲロ
本文「魔力咆哮」を「お漏らし」に修正。
食べては倒れ、目覚めては食べ、また倒れては目覚め……はぁ、いったいいつまで続くんだろうか。
倒れるたび時間の流れが歪むという絵に放り込まれるため、実際の時間はそこまで過ぎていない。きっと俺が姿を消して3時間かそこらだろう。
最初は魔力のあまりの美味しさと食べたいと思えば勝手に口へ吸い込まれることもあって夢中になっていたけど、今はもう食欲がない。むしろ胸焼け気味だ。あ~、なんかもう面倒になってきた。帰りてぇ~。
「ふむ、予想以上の喰いっぷりじゃったな。魔力量は……ほお、ざっと25万人分か。優秀優秀」
25万人。そりゃそんなに食べれば胸焼けにもなるわな。
自分が食べた魔力の量もさることながら、パトロンケイプにそれだけの冒険者がいることに驚きだ。まあ、いつ来てもロビーは人でごった返しているって話だったけども。いやそれにしても多すぎだと思う。
「しかし、まだまだ余裕がありそうなんじゃがなぁ……」
俺がいっこうに魔力を食べようとしないのを見たパトロンケイプが、空中に描いた絵を額装してケージィに渡すとススッと歩み寄ってきた。
「ちょっと辛抱せいよ」
そう言ったパトロンケイプは、有無を言わさず肩を掴んだかと思うと、そのまま俺の胸に顔を突っ込んだ。
「う、うぷっ……」
気持ち悪い。異物が体内で好き勝手してる感じが堪らなく気持ち悪い。
突然の吐き気に身を任せたくなるも、このままぶちまければすべてがパトロンケイプに降りかかる。絶対キレられる。下手したら死ぬ。ていうか下手しなくてもたぶん死ぬ。我慢するんだ俺。
「まぁまぁ坊ちゃま。きちんと我慢できて偉いですね」
受け取った絵を壁に飾り付けたしケージィがしずしずやって来て頭を撫でてきた。おい余計なことするんじゃない。そのわずかな振動がどれほど俺を追い詰めるか――あ、ヤバい。
なんか込み上げるものが……こ、込み上げるもの……我慢だ。なにがなんでも我慢……
『おお!? なんじゃこれは!?』
「おげぇぇぇ!!」
『ふわっ!?』
パトロンケイプがなにか見つけたのと同時に俺は吐瀉った。それはそれは凄まじい勢いで。
「ぬおぁぁぁぁぁぁ!?」
ドラゴンブレスよろしく吐き出された半透明の吐瀉物の勢いに吹っ飛ばされたパトロンケイプは、床に体を打ち付けさらに流されて壁に激突。今は全身で吐き出され続けるそれを受け止め続けている。
終わった。
いかな息子だと可愛がっていたとしても出会って数時間。汚ったねぇゲロを浴びせられて、「愛しい我が子のゲロだもの。へっちゃらへっちゃら」とはならないだろう。
もはや殺されるのを待つばかり……いや、待て。これはピンチの姿をしたチャンスではないだろうか。正直、食べまくるべしってのには飽きてたし、本当もう帰りたい。きっとケージィもすぐパトロンケイプを助けに行くはずだ。その隙に逃げて――
「あらあら坊ちゃまは豪快ですね」
しかし予想に反してケージィはほのほの笑っていた。主を助けなくていいんだろうか。ていうか行けよ。たった今、壁がぶち抜けて主は遥か彼方へ押し流されていったぞ。
「なんでしょう?」
仕方ないから手をパタパタしてケージィ誘き寄せる。そして近寄ったところで腕を掴んでゲロの波に――な、波に……重っ!!
くそっ、この女馬鹿みたいに重いぞ。見た目はこんなスリムなのにいったいどんだけ肉が詰まってんだ。
「いかがなされましたか坊ちゃま。ケージィは決して坊ちゃまのお側を離れるなと仰せつかっております。お漏らしに巻き込もうとしても無駄ですよ?」
う、読まれてる。しかも心なしか怒っているようにも見える。馬鹿みたいに重いと考えたのもばれているんだろうか。
「ぬわははははは! 凄いぞ! イゴルル大河さながらの勢いではないか!」
げぇ。パトロンケイプがゲロを泳いで逆流してやがる。しかも凄い早さだ。あ~あ、これじゃあ逃げるのは無理だな。せっかく帰れると思ったに。ちくしょう、ルトルの馬鹿野郎。さっさと迎えに来いよ。
「とうっ! 久々に楽しかったのじゃ」
切り裂きイルカのようにパトロンケイプが水面から飛び出た。くるくる回って着地。振り向いた顔はいたく得意気で……。
きっとママ凄いねとでも言って欲しいんだろう。言ってやるもんか。
にしてもこんなあっさり戻ってくるとか。はぁ~あ、逃げ出すなんて本当儚い希望だったなぁ。
『あふぁ……ねぇねぇ、ありゅふ様逃たいの?』
俺が諦めて、ゲロはいつ止まるんだろうと現実逃避に走ったその時、なんとも腑抜けた声が頭の中で聞こえた。
『うぇ!? ア、アドイードか!?』
『そうだよ。あどいーどだよ。ありゅふ様が1番好きなあどいーどだよ。ふぁ~、本当はもっと寝てたかったのに、変なのに起こさりぇちゃった……むにゃむにゃ』
『こらこらこら、寝るな、起きろ』
再び寝ようとしたアドイードに全力で声をかける。頭の中でだが、口もおごおご動いてしまう。
『うん……あどいーど……起きりゅ………よ』
とか言って今にも眠りそうな声だ。
『俺は逃げたい。家に帰りたい。アドイードなら魔法でなんとか出きるだろ? 今はアドイードだけが頼りなんだ!』
必死にお願いしてみる。このチャンスを逃しては、いつ迎えにくるかわからない頼りない、くそルトルを待つ他なくなりそうだ。
『ふぁ!? りゅとりゅ君!?』
凄まじい対抗意識が全身に漲った。同時に頭の中でアドイードがふぬふぬ、ふがふが言い出す。
『ふんぬぅぅぅ、アドイード、リュトリュ君には負けない!』
そう絶叫したとたん、俺の周囲に白くやや緑がかった光る文字が浮かび上がった。どうやら球体を形作って――
「なぁ!? どこへいくつもりじゃプロモントリー!?」
文字の隙間から慌てるパトロンケイプの顔が見えた。
次の瞬間、景色が歪んだかと思うと俺は我が家の屋根に立っていた。
『むふふ。アドイード、リュトリュ君よりぃ役に立つよ』
頭の中でとても嬉しそうな声が聞こえる。気分よく歌まで歌っているようだ。しかし、俺の耳に入ってくるのは悲鳴……だってゲロが止まらないんだ!! 仕方ないだろう!?
ゲロは道という道を流れていき、歩行者を巻き込んでいく。ちょうど帰宅ラッシュ時間だったらしい。騒ぎに気づいた周辺住人は、家を浮遊させ安全な場所まで移動させている。家から縄梯子や小型のゴンドラを垂らして救助までしている。
あまりにも迅速な対応なのは、魔石屋とるてやなんやらで慣れているのかもしれない。とはいえ、否応なく流されて行く人々の方が多いけど。唯一の救いは臭わないことだろうか。
結局、俺が口を閉じることができたのはそれから一時間ほどだった。
今、我が家の前には異常な人だかりができている。ぎゃいぎゃいと叫ぶ声が煩い。うう、どうしようもなかったんだ。許してください、ごめんなさい。
誰でもいい。早く帰って来て助けてくれぇ~。
【イゴルル大河】
セイアッド帝国に流れる大河。
とんでもない激流で名を馳せており、多くの魔物が棲んでいる。川幅は広いところで30キロメートル。狭くても1キロメートルはある。水源地は皇都ラグエルの北部上空。空間にぽっかり空いた穴から轟音と共に止めどなく水が噴出している。一説によると穴の先は水の大神殿へ繋がっているとかいないとか。
【切り裂きイルカ】
イルカ型の魔物。
イゴルル大河に棲むランクCの魔物であり、背ビレから放つ水の刃で獲物を切り裂き捕食する。近年の研究で、体を回転させることで水の刃の威力を増幅していると判明した。先天属性が水となる場合の多い種だが、風や雷、稀に光も存在する。それらは変異種としてランクがBに指定されている。