179話 帰り道
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スペシャルはその名に違わずスペシャルなものだった。
4人がかりでのマッサージのフルコース。オイルマッサージの後は湯船に浮かびながら、その後にもなんだか色々あったけど、とにかく極上の時間を過ごすことができた。
帰り道、余計なものがなくなったような感覚のする体に、茜みを帯びた夕暮れの風が吹き付ける。なんだか爽快さが体に染み込んでくるみたいだ。
「へぇ、色々あるんだなぁ。お、裏スペシャルってなんだろ」
ニンフとは別の、やたら美人で妖艶な受付嬢からもらったプラチナ会員用のメニュー表を見ていたら、隅っこに小さく書かれたそれを見つけた。
「裏スペシャルなんて許さないからな」
「なんでだよ。別にいいじゃないか」
隣を歩いていたルトルが腕を掴んで睨んでくる。いい気分だったのに台無しだ。
腕を振りほどいて歩き始めると精霊たちがヒソヒソしだす。もちろん話の内容はまる聞こ……え? は?
「どうした?」
裏スペシャルのなんたるかを聞き固まってしまった俺に、なにか言いた気なルトルが顔を近付けてくる。
「いや、なんでもない。ていうか、なにそのままキスしようとしてるんだ。油断も隙もあったもんじゃないな」
「別にいいじゃないか。裏スペシャルに比べたらなんてこないだろ。それにさっきは――」
「だぁぁぁ!! それは言うな!!」
秘密の愛撫の会員になるためには、ゴールド以上の会員からの紹介と愛撫の実技が必要とか意味が分からない。
何も知らぬまにルトルのあ、あ、あんな所を……。
「それにしても、ずいぶん気持ち良さそうにしてたよな。俺の方が上手いのに」
俺の方が云々はボソッ溢していた。ルトルはきっと悔しがっているんだろう。
確かに個人の技術でいえばルトルの方が圧倒的に上だ。だけど、人数の力は偉大。同時に何ヵ所もマッサージされるというのは、控え目に言っても最高だった。
そう伝えたら、ルトルは立ち止まって分身のスキルを習得する方法をロポリスに聞き始める。
付き合ってられない。俺はルトルを待たずに歩き続けることにした。
『愛されてるわねぇ』
するとナールがうっとりした顔で俺の肩に座った。とたんにナールの入っている感じの悪い人形の顔が酷く歪む。
「そうか? あんな長時間待たせるのにか?」
『面倒臭い我儘女みたいなこと言うねアルフは。そもそもルトルに時間が必要だったのはアルフが傷付けたからじゃないか』
やれやれといった具合で反対の肩にもモーブが座る。ナールの時と同じく、モーブの入っている感じの悪い人形も顔を歪ませる。
「そ、それは……でも、それにしたってだろ。しかも、頭冷やすとか言って、あんないかがわしい宿屋に行ってたし。何を冷やしてたんだか」
チラッと振り返ると熱心にロポリスの話を聞いているルトルが目に入った。
『ああ、それはルトルの元職場っていうか……まぁ、そこで一緒だった人と出くわしたんだよ』
『それで、久し振りだねって流れになって、立ち話も何だからってその人が経営してるあの宿屋に行ったのよ』
『話の流れで恋愛相談になってね、アルフが裏口の近くにいるなら連れてくればってことで、呼びに行こうとしたら、アルフが急にルトルの大事な玉仕舞袋とかを触りだして……僕、アルフが昔よく言ってた、奥ゆかしいって言葉の意味をはき違えてたよ』
モーブめ、ニヤニヤ声で面白がってやがる。
『ちなみに、その人とびっきりの美人だったわよ』
ふ、ふ~ん。別に気になったりなんかしないぞ。
「アルフ! 明日、またパトロンケイプに行かないか? ロポリス様から教えていただいたんだが、分身のスキルが習得できるかもしれない飲み物や、エリアがあるらしいんだ」
そこへルトルが駆けて来て、キラキラの笑顔を見せる。例えではなく物理的にキラキラ。
笑顔星……じゃなくてラブ、なんだっけ。とにかく光の粒が笑顔から放たれているんだ。
「ま、眩しい……」
「え?」
「何がそんなに嬉しいんだよ」
「そりゃ分身できるようになったらアルフを目一杯気持ちよくさせられるだろ? 俺のマッサージじゃないと満足できないようにしてやるからな」
「いや、別にいいよ」
意外と嫉妬深いんだなルトルって。
「それに分身できたら、あれの時も……」
ぶつぶつ言い始めたルトルを再び置き去りにして、俺は行くことにした。
1人1ヶ所の担当で頭が真っ白に――とかいう物騒で破廉恥なことは聞かなかったことにしよう。深く考えるのもやめよう。そんな機会は訪れないんだからな。
ロポリスはルトルと一緒にいることにしたらしい。なにか良からぬことを吹き込みそうで怖いけど、とりあえず放っておこう。
『愛されてるわねぇ』
ナールがさっきと同じ事を言っている。
『本当だよねぇ。早く思い出してあげなくちゃ可哀想だよ』
モーブはとにかく面白い玩具を見つけたような感じだ。これは話を変えて、この流れを断つ必要があるな。
「それはそうと、さっきお店をやってたらカミルが来たんだよ。って、ナール達は知らないんだっけ?」
ん、どうした?
急に空気が――
『それ、ルトルに言っちゃ駄目だよ』
『それ、ルトルに言わなきゃ駄目よ』
モーブとナールが同時に反対の事を言う。
「え、どっち?」
『ナール、君はこれ以上話を拗れさせてどうしようっていうんだよ』
『愛に試練は付き物なのよ。アルフを巡って殺し合いとか素敵じゃない』
よし、答えは出たな。
「モーブの言うとおりにするよ」
『えぇ!? なんでよ!? 絶対に伝えた方がいいわよ』
「なんでって、説明するまでもないだろ」
『もう、つまらないわね』
ナールは少し拗ねたような声を出すと俺の耳を引っ張った。地味に痛い。
『月属性の言う愛は歪んでるからね。賢明な判断だよア●ル』
「は?」
『ん?』
「おい、今、俺の名前を言い間違えたのか?」
『あれ? 僕、何て言った?』
『人間とかについてる皺くちゃ穴のことを言ってたわよ。えっと、確か下の方に付いてるやつよ』
『ああ、ごめんごめん。悪口じゃないよアルフ。ロポリスとルトルの会話を盗み聞きしてたから、つい間違えちゃったみたいだよ。てへ』
顔の前に浮かんだモーブがおどけた仕草で謝ってくる。
でも俺には分かる。わざとだ。
「モーブ、ありがとう。疑問が解けて嬉しいよ」
ここでモーブのペースに乗ってはいけない。さらっとお礼でも言っておけばこれ以上下品な――!?
モーブの纏う闇が微かに揺らめいたかと思うと、ロポリスとルトル会話が頭の中に流れ込んでくるじゃないか。
上品で奥ゆかしい俺には想像もできない、破廉恥極まりない話をしいている。
「な、な、な……」
『口をパクパクさせてどうしたの? それに顔が真っ赤よアルフ』
『本当だね。どうしたんだいアルフ』
ナールもモーブ横に浮かび上がってニヤつき始めた。
く、くそぅ。コイツら完全に俺で遊び始めやがった。ナールは血みどろの三角関係を拒否した仕返しのつもりか?
なんて奴らだ。
でも、それよりも止めるべきは――
「ルトルーーー!!」
俺はモーブとナールをひっ掴んで壁に投げつけてから、ルトルの胸ぐらを掴みに、来た道を全力で駆け戻った。
【秘密の愛撫】
セイアッド帝国に存在する大人限定の会員制宿屋。
大人の隠れ宿という商売文句を掲げ、帝国の様々な場所でひっそりと営業している。会員は利用頻度や審査基準に応じてランク分けされている。休憩、宿泊、マッサージから利用方法を選べるが、ゴールド会員からは裏メニューを選ぶことが可能になる。オーナーはルトルの娼館時代の同僚。通常ランクはブロンズ~プラチナ。その他、さらに上位の特別ランクというものも存在する。ルトルは最上位会員として登録されている。
【裏スペシャル】
秘密の愛撫のプラチナ会員以上が選択可能なマッサージコース。通常のスペシャルとは違い、とあるオプションがいくつも追加できる。なにをどうするか等々、あらかじめ事細かに伝えておくといいだろう。