162話 ずっと一緒だよ
本文と後書き修正。
黒紫色の花から放たれる悪臭が部屋に充満している。妖しく艶めいているその花は、見た目だけはとても美しい。
「くっ、なんだこれは……」
手の甲で鼻を覆ったルトルが顔をしかめてふらついた。
首が……首が見えない何かで絞められていく。同時に身を切り裂くような熱さと冷たさが、ゆっくり身体の内側を侵食していく。自然と首をのけ反らせ、絞めつけるものを引き剥がそうともがくも、俺の手は自分の首に爪を立てるだけだった。
「アルフ!!」
「大丈夫だから兄様から離れて。今は兄様よりルトルの方が危険だよ」
異変に気付いたルトルが俺の手を掴もうとしたのを、コルキスが制止する。
「でも――」
「クランバイアの王族に呪詛の類いは通用しないんだよ。絶対に。だから平気」
「そうね。止めなさいルトル」
「……はい」
渋々といった感じでルトルが動きを止めた。
コルキスの言っていることは正しい。だけど、本当に大丈夫なんだろうか。現に今も俺の首は絞まり続けてて、行き先を失った血が出口を求めて皮膚を破裂させようとしてる。
『あれ? なにやってるの?』
そこへ黒い光を伴って感じの悪い人形が現れた。あれはドリアードの入ってた人形だけど、本を背負ってるってことはモーブだ。
「モーブ様!」
コルキスが黒紫色の花を闇魔法で枯死させて道を作り、モーブに近付き跪いた。
モーブは人形から上半身を出すと、そんなコルキスの頭を優しく撫でた。いや、それよりも俺を助けてはくれまいか……花が減ったから少しだけ首を締める力が弱まった気がするけど、限界は近そうだ。
「やあコルキス。無事でなによりだ。ロポリスやドゥーマトラの嫌がらせに耐えて偉かったね」
「は? 喧嘩売ってるの? 嫌がらせの大精霊がなに言ってるのよ」
「語弊のある言い方は止めて欲しいなロポリス。それはリウタレリアのことだろ? 僕は闇の大精霊だよ」
「あ、あの……」
若干ピリついた大精霊同士に困惑したルトルが声を出す……うん、ねぇだからまず俺を助けてくれって………。
「ああ、君がアルフの新しい婚約者だね。僕は闇の大精霊モーブ。よろしくね」
「は、はい。こちらこそよろしくお願いいたします」
『ちょっと、私のお気に入りにちょっかい出さないで』
コルキスのように跪こうとしたルトルをロポリスが止めさせる。あ、ヤバい。口から泡が……。
「へぇ……ま、いいや。それはそうとアルフ。魔眼が開花して嬉しいのは分かるけど、自分で練習するのはどうかと思うよ。アルフのお守りはそろそろ交換の時期なんだし」
やっと俺の方を向いたモーブがとことん呆れた様子で、どこからか取り出したグルフナで俺を殴る。瞬間、首を締めていたものと花が消え去った。
「はぁはぁはぁ……」
「アルフ! 大丈夫か?」
倒れそうになった俺をルトルが支えてくれる。
「ガェ?」
一方、グルフナはなぜ自分がここにいるのか理解できてない。触手についた食べかすを見るに、きっと食堂で夕食を摘まみ食いしてたんだろう。
「ドリアードに忠告されたはずだよねアルフ。魔眼は慎重に使わなきゃいけないって」
モーブが少し怒ってる。モーブが俺に怒るなんて滅多に無いことだ。
「ご、ごめん。でも、アドイードが死んだんだと思ったら、呑気だった自分に腹が立って、そしたら急に……」
「そっか。可愛がってたもんね。だけど、だからってそんなことじゃいけないよ。それにアルフが苦しんだらアドイードはどう思うかな」
俺を案じてくれるだろう。きっと大慌てで魔法や固有スキルを使って俺を助けてくれる。そして「アリュフ様、もう大丈夫だよ」なんて笑って俺と手をつなぐんだ。
「アルフ……」
「ガイ? ゲアッ?」
「もう、なんて顔してるのよ。アドイードは自分の意思でこうなることを選んだの。それがアドイードの幸せだったんだわ。だからこれでいいのよ」
そうなんだろうか。アドイードは最後まで笑ってた。だけど違う、絶対に違う。だってアドイードは泣くのを我慢してたんだろ。本当はもっと別の幸せを夢見ていたんじゃないのか?
アドイードが本当に思い描いていた未来……いつも嬉しそうだったアドイードがさらに喜ぶ未来――
「なあ、ルトル。草原で追いかけっこって、本当は草人の間ではどんな意味になるんだ?」
あの言葉を言った時、アドイードは妙にやる気満々だった。参加すると言ったルトルに激しい対抗心を燃やすくらい。ドリアードから教えられた意味はきっと嘘だ。
「そ、それは……」
「あなたとずっと一緒に生きていきたい。もし、あなたが私を捕まえられたなら。だよ」
静かに告げたコルキスの言葉に息が詰まった。それじゃあ俺がしたことって……胸に鋭い痛みが走る。
「ほらこれ。大切に持っててあげなよ」
モーブが乾燥した茶色い葉を、まるで宝物を扱うように手渡してくれた。
「軽い……」
その軽さがアドイードのいない事実を突き付けてきて涙がいっそう溢れてくる。
「ごめん、アドイード。本当にごめん……」
俺は馬鹿だ。今さらアドイードの願いを叶えてやりたくてしかたない。そんなこと、もうできないのに。
「ちょっ、何やってるのよ!?」
ごめんな、アドイード。ずっと一緒にいよう。こうすればもう俺たちは一つだ。
傷つけてごめん。
無理して笑わせてごめん。
我慢させてごめん。
一人で寝かせてごめん。
痛いよな。最後まで我慢させて本当にごめん、ごめんなアドイード。
「アルフ……」
俺は乾燥した茶色い葉を欠片も残さず食べ尽くした。
~入手情報~
【アドイード】
アルフとの結婚を夢見たドリィアド族。
無邪気でうっかり屋さん。歌や踊りも好きで自作のそれらを披露することも珍しくない。芋虫は大嫌いだが蝶々はお気に入り。日向ぼっこや雨にうたれることも好む。枕が変わると眠れず、寝相が悪い。微かに臭う体臭を気にしており、基本的に他者とは距離を置きたがる一面もあった。アルフのことが大好き。精霊に匹敵する存在であった。
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【リウタレリア】
氷を司る大精霊。
悪質な嫌がらせを好む氷精霊の頂点。世界を氷で覆い尽くしたいと思っているらしい。植物の大精霊であるネダラケンガフェーリとはあまり仲がよくない。ヴァロミシアと同じ、2人で1人という特徴を持っている。狼が大好きである。