155話 ある少女の思い出は
本文と後書き修正。
丘の上の墓所に戻るとジャコモはまだ眠っていた。起こさないようそっと拘束して抱える。毒魔法で眠らせているけれど、念のために口はしっかり塞いでい目も布でキツく覆う。
もうあまり時間が無い……確か領主館の地下には強力な魔法からでも身を守れる部屋があったはず。なんとしてでもあそこへ行かないと。
固有スキルを発動し、領都テティスを避けるように迂回して走る。一定の感覚で視界の端に入るのは暖冬の年にだけ花を咲かせるミリツィナの蕾。もうじき母様と同じ名前の美しい花が咲くのね。もし明日も無事でいられたらなら、母様の墓前に植え直そう。
母様は優しい人だった。
飾らない笑顔とどんな時も他者を思いやる心とその行動。私は母様のようになりたかった。でもそれはもう無理。私が理想とした母様はある時を境に消えてしまったから。
「故郷に帰りたい」
あの頃の母様の口癖。
最近までこの旧アトゥール辺境伯領は反乱が相次いで荒れに荒れていた。
だから母様の願いは叶わなかった。
悲惨な事件を起こすまでに心が壊れた母様は、隠されるように療養させられていた。そしていつしか私をディーと呼ぶようになり、アトゥール辺境伯領がいかに素晴らしい場所で、子供時代がどれほど幸せに溢れていかを話しては泣くようになった。
私はただそれを肯定して、慰めるように手を握ることしかできない愚かで無力な子供だった。
ニルド侯爵の妾腹であった母様はこの土地で庶民として暮らしていたらしい。でもある日突然、訳も分からず侯爵家に連れて行かれ令嬢として厳しい教育を施されたという。
今思えば、おそらくその頃から少しずつ母様の心は壊れていったのかもしれない。後に聞いた話で母様は目の前で母を殺され連れ去られたのだと知った。しかもそれは実父であるニルド公爵の命令で。
母様の死はとても安らかだった。
「やっと故郷に帰れる……」
と、私が大好きだったあの頃の笑顔で呟き息を引き取った。
冷徹で恐ろしい兄様もあの時ばかりは悲しんでいた。眠りについた母様の頬を、静かに泣きながら何度も何度も優しく撫でていた。
私にはそれが、消えていく母様の温もりを自分の温度で食い止めようとしているんだと思え、私も兄様と同じようにそっと母様の頬へ手を伸ばした。
それは母様が起こした事件の3ヶ月後、花の蕾が膨らみ始めた春の朝だった。
そして、それを最後に兄様の顔から表情が消えた。
母様を旧領都テティスが一望できる小高い丘に埋葬した翌々月、私が冒険者になると別れを告げた時もそう。眉1つ動かさず勝手にしろと言っただけ。
家を出てしばらくして気付いたのだけれど、持ってきた荷物の中にやや短めのロッドが入れてあった。それはあの魔法大国、クランバイア魔法王国の第1王子から直々に譲られたとても貴重なロッドで兄様の宝物。
幼い頃から常に持ち歩いていたその宝物を、世間知らずな私のためにくれたのだ。このロッドが無ければ冒険者にもなれず、すぐに死んでいたと思う。
兄様も本当は優しい。そう初めて実感した瞬間だった。密かに護衛を付けてくれていたのも後から知った。
そしてもう1つ、母様が使っていたお忍び用のローブ。何年も大切にとっておいたなんて思わなかった。でもそれをくれた時にまた兄様の涙を見た。1人で蹲り大声をあげて泣いていたわ。まるで子供に戻ったみたいに。
フワフワしながら一方的に兄様とお別れしたその日の夜、私はジャコモに呼ばれて起きた。そして胸の上にあったローブをなんとなく身に付けた。
力不足なジャコモのお陰というか、ある意味自由になった私は謎の解放感いっぱいで毎日が楽しかった。新しい固有スキルのせいでいくつかの冒険者パーティーを崩壊させてしまったけれど、私とジャコモの相性は良くてトントン拍子でAランクまで駆け上がった。
妙に懐かしいと感じる短いロッドと地味なローブのお陰もかなりあったと思う。
ある日ジャコモが新しく覚えた術を私に使った。その瞬間、突然思い出した。やらなきゃいけないことがあったんだって。だからここへやって来た。旧アトゥール辺境伯領、旧領都テティス。ここならおぼろ気な記憶の中で笑う兄に会えるんじゃないかと思って。
ただ、やっぱり忘れていた。
反乱を鎮圧したニルド公爵は領都を別に定め人間だけを移住させ、テティスは反乱の象徴として住人ごと破壊。私もそれに巻き込まれて死んだということを。
母様の墓石の横にあるもう1つの墓石を見て、それを含めたすべてを思い出した。死の間際に見たあれは間違いなく大規模殲滅魔法だった。
そんなものが使える魔法使いはそう多くない。当時のマデイルナン公国で言えば、公都ニアに新しく設立された公国唯一の魔法関連ギルドのマスターか兄様だけ。
現在、理想の領都と讃えられたテティスは裏切りの廃都と呼ばれ、ジャコモの持つ地図には禁足地とまで記されている。
それなのに何故、いったいどうして……遠目ではただの薄霧がかった廃墟だったのに、近付くと当時のように活気づいた町になっていた。
町は見知った顔で溢れていて、ありえないことなのに甦った記憶と同時に時間まで戻ったのではと思った。当時は正体がバレないよう性別を偽っていたから、ジャコモに頼んでそれ用の首輪を出してもらった。
ジャコモは見習いのままだから直に首輪を書き換えられず、交換したり消したりで面倒臭いとぼやいた。ジャコモは当時から容姿が変わっていないからそのままでもいいけど、私はかなり違う。だからどうしても必要だった。
町の大通りを歩けば、ちょうど人間たちが移住した直後だと気付いた……よく通った冒険者ギルドとその酒場は、反乱に失敗した事実をかき消すように活気づき、数日後にはすべて吹き飛ぶだなんて嘘のようだった。
どう考えてもおかしいのに、ジャコモはジャンディを見付けると飛び付いて泣きだしてしまった。
彼女はジャコモを大規模殲滅魔法から守るため、自らの魔眼と羽衣を与え短期封印を施した彼の義母であり師匠。ジャコモがずっと探し続けていた人物だ。
私も見付けたとある冒険者パーティーにフラフラ近付き会話に交ざった。よく注文していた少し薄い味のジュース、その安っぽい味は私の懐かしさや後悔を強く強く刺激して喉にツンとした痛みをもたらした。
なに泣いてんだと笑うかつての仲間に、私はエールを振る舞った。当時は理解できなかったお酒も今は飲める。ここのエールを飲んだことはない。だから無性に皆と同じ味を共有したくなったんだろう。
テーブルに並んだ私のエールを見て珍しいと驚いた仲間が囃し立て、グイッと一気に飲み干せば、酸っぱ苦くてやや温い爽快さが喉を駆け抜けた。今なら分かる大人の味……。
歓声を上げて私の背を叩いたのはポディナス。頭をクシャクシャと撫で回したのはデガス。大人になった祝いに胴上げしようと叫んだのはヌティシテ。皆死んでしまったのが嘘のようで……私は当時と同じように夢を語り合った。決して実現しない夢を。
しばらくして、鬱陶しいとジャンディに追っ払われても嬉しそうなジャコモと合流。状況を話し合ったけれど、酔った頭ではなにも答えは出ず夜だけが更けていった。
完全に酔いが回り考えることを放棄した頃、領主の館に明かりが灯っていると、マトラ平原に近い町外れに住んでいた鍛冶屋のポールさんが走り込んで来た。
当時は無かった出来事だった。しかもマトラ平原にも異変が起きているという話……その時、ふと違和感を覚えた。騒がしい店内を注意深く見回してそれが何か気付いた。当時の私がいない。それにジャコモも。
この日はまだ私に例の指名依頼が来る前だったはず。やっぱりおかしい。毒無効化のスキルを発動して酔いを覚まし、毒魔法で障壁を展開する。
さらに追加注文へ行ったジャコモの酔いも醒まし、できうる最小の声で話しかけた。ずば抜けた聴力のジャコモなら喧騒の中でも間違いなく聞き取れる。
さらなる情報を集めるために聞き耳を立てていたら、男女問わず手を出しまくっていたレアルと、勧誘がやたらしつこかったキリックがやって来た。
レアルからあの時と同じ匂いがしてドキリとしたけれど、あれは最悪な思い出だから丁寧にお断りしておいた。
なのに2人共すごく面倒で、ジャコモに助けを求めるとすぐに来てくれた。少しだけ、危険だというマトラ平原に興味を示したけれど、長年使い込んだ魔眼を用いて2人を黙らせギルドを後にした。
早々に町から出て墓所まで戻り振り返れば、やはり旧領都テティスは廃墟だった。あれほど明るかった町が嘘のように真っ暗で無音。
ジャコモがアイテムボックスから食べかけの食事を取り出そうとするも、忽然とアイテムボックスから消えてしまったと驚いていた。
一夜明けて立ち去る準備をしていたら、ジャコモがもう1度だけ町へ行きたいと言い出した。どうしてもジャンディにお別れを言いたいんだと。
私もかつての仲間にお別れを言いたかった。少し怖かったけれど、これが最後だと言い聞かせて再び町へ入るとレアルとキリックが待ち構えていた。
そしてマトラ平原の調査を合同で行おうと持ちかけてきた。ジャコモは了解と即答してジャンディに駆け寄って甘え始めた。
私は反対したけれど、「参加だよルカ」とジャコモに言われると頷くことしかできなかった。
調査に向かったマトラ平原は私の記憶とはまったく違う光景で、しかも知らない人物まで現れた。
アルフと名乗った男は親友の故郷だから見てみたくてここに訪れたと言った。当時のマデイルナン公国の情勢を考えれば、他国から旅行に来るなど愚の骨頂。死にに来るようなものだ。ありえない。
ジャンディがその男に優しくしたせいでジャコモがあからさまに敵意を抱いた。自ら進んで助けたのに凄い手のひら返しだった。
男が自分も冒険者だと登録証を出した時に確信した。もちろんジャコモも。彼の持っていた登録証はパンに剣が刺さったデザインで、パッと見では分かりにくいけれど、剣の形が当時のものとは異なり最新のものだったのだ。
つまり彼は私たちと同じ、この不可思議な過去の世界に迷い混んだ人物。
何とか2人きりになって話をしようと試みるも、アルフ殿を気に入ったジャンディや、手を出そうとしいているレアルが常に近くにいた。
さらに翌朝は事件が起こり、謎の巨大植物と見たことのない種族が現れててんやわんや。もうアルフ殿を見捨てて私たちだけで逃げようかと考えたけれど、ジャコモがギリギリまでテティスにいたいと駄々を捏ねるから今日まで我慢していたのに……。
さっきレアルから逃げ出した時、アルフ殿の戸惑う声が聞こえた。けれど私は足を止められなかった。これ以上町の人たちと関わってはいけない。そんな危機感を覚えたから。
過去とは違うことも多いけれど、おそらくもう時間がない。夜には町が吹き飛ぶはず。アルフ殿には昼までに伝えればきっと間に合う。最悪強引に連れて行けばいい。
それよりは今はジャコモだ。
昨夜ジャコモは泣いて泣いて、今度は一緒にいるんだと喚き散らした。そうすれば助けられるかもしれないと。
でも私はもしかするとに賭けるには分が悪すぎると思っている。なぜなら薄霧の中で受けた影響はそこを出てもそのままだったのだから。でもそれだけじゃない。きっと誰も助けられないからだ。
町が吹き飛ぶ前日、低ランクの私に急な指名依頼が入った。簡単な上に破格の報酬。一緒に行こうかと心配してくれた仲間を、迷惑がかかったら嫌だからと断り、運命の日の夜明け前に別の町へ向かった。
それは今回も同じで、急な指名依頼が入った。私は町にいる過去の人が、薄霧から出るとどうなるかが知りたかった。私だって助けられるならそうしたかった。だから今回は仲間の申し出を受けた。
アルフ殿を見付ける少し前、かつての仲間とテティスを出発して薄霧を抜けた。その瞬間、皆が爆発して消えてしまった。それはあの日、嫌な予感がして途中で引き返した私が丘の上で見た大規模殲滅魔法の効果とたぶん同じ死に方。皆があんな顔で死んでいったなんて……。
咄嗟に衝撃波で飛ばされた瓦礫にまた貫かれないように身構えたけれど、瓦礫の破片がぶつかる以外何も起こらなかった。
「ルカは助けたくないの!?」
私をルカと呼ぶ時のジャコモは本気の証。昨夜ジャコモに言われた言葉が頭の中でこだまする。ジャコモの気持ちは痛いほど分かる。私だって助けたい。でも無理。
襲いかかってくる凶暴な植物たちを避けながら領主館を目指す。力極と早極を使っているのに避けきれなくて身体が齧り取られていくし毒魔法も効かない。
この身体になって怪我をするなんてなかったのに……死体でも血が流れるなんて不思議。
ジャコモを抱えていなければもっとマシな動きができるだろうけど――
「ぐぁっ!?」
ジャコモに気を取られた一瞬、死角から現れた巨大なワニに片足を捕らえられた。でも勢いよく振り回して食い千切ってくれたお陰で、運良く領主館側に飛ばされた。
ここまで来ればジャコモの拘束と魔法を解いてもいいだろう。ジャコモ1人であの異常な植物たちを突破するのは無理だ。
「ルカ!」
目が覚めて状況を把握したであろうジャコモが私を責める。
「この館の地下には大規模殲滅魔法をも防ぐ特殊な部屋がある。見れば分かると思うから行って。私はアルフ殿を連れて来る」
「本当に!? なんで黙ってたの!? 早く皆を連れてこようよ!」
「待ってジャコモ。それは無理」
駆け出しそうだったジャコモを引き止めて、過去の人が薄霧を出るとどうなるかを教えた。
「そんな……」
「私はアルフ殿を連れて来る」
ジャコモに告げて両手と片足を使い駆け出した。
「ダークスタンピング!」
ダンダンッと大きな音と同時に、闇の壁が現れ行く手を阻んだ。
「駄目! そんなボロボロの身体じゃもう無理だよ。元に戻せるかも分からないのに……行かないでリーダー。僕を1人にしないで」
ルカと言って命令すればいいものを、私の意思で残ると言って欲しいんだろう。
「お願いだよ。僕だけ置いていかれるのは、もう嫌だ」
ジャコモがグスグス泣き出してしまった。
「ジャコモ……でも助けないと。分かってるでしょ? 今夜、テティスは吹き飛ぶ。兄様の魔法で」
「グズッ……兄様の、魔法?」
しまった。私もここへ来て泣いている兄様を思い出して知ったことだ。ジャコモに話すかどうか迷っていたのに、良くないタイミングで言ってしまった。
「どういうこと? あれは原因不明の大爆発だったって……リーダー、いやルカ、話して。ルカのお兄さんてこの国のっ――」
音もしなかった。姿も見えなかった。気配すら感じなかった。それなのに、今、目の前で見たこともないグニュグニュした物体にジャコモの身体が何ヵ所も貫かれている。
そいつはビクビクと痙攣するジャコモをそのまま体内に取り込んで飛んで行き、領主館の遥か上空へ向かって行く。
「待て!」
毒の魔女箒《ポイズンブルーム》を発動して追いかける。もう少しで掴めそうだったのに、突如グニュグニュが方向転換して姿を消した。
「えぇっ!?」
同じく方向転換した私の前に現れたのは巨大な宮殿らしき建物だった。グニュグニュが最上階辺りの窓に入っていく。
「逃がさない!」
圧倒されはしたものの、迷わず窓へ突っ込んだ。
「うわっ!?」
どうやら人にぶつかったみたい。グニュグニュの主かもしれないから蹴飛ばしておく。そして血まみれで床に倒れたジャコモへ駆け寄った。
「ジャコモ! 生きてる!? ねぇ、ジャコモ!」
「痛たた、なんなんだ急に――!?」
胸を擦りながら身体を起こしたのは、目を見開いているけれど恐ろしく整った顔の男。それはまるで幼い時にお会いした――
「っ!?」
――テティス様によく似た男が首を締めてきた。激しい憎悪の表情と凄まじい力。力極を発動しているのにまったく抵抗できない。
「ルカーシュカ……ルカーシュカ……ニア………マデイルナン!!」
懐かしくて大好きな兄様の名前、それにぐちゃりと何かが潰れひしゃげる音が聞こえた。
~入手情報~
【名称】ミリツィナ
【分類】寄生植物
【分布】マデイルナン公国
【原産】マデイルナン諸島
【属性】無
【希少】★★
【価格】-
【特徴】
暖冬のみ花を咲かせる植物。非常に数が少なく希少な植物であり、マデイルナン公国の固有種である。美しい花を咲かせるが、受粉すると風に吹かれただけで崩れてしまう儚さもある。蜜は魔法薬の原料になる。別名、マデイルナンの宝石花。一般に知られている花言葉は美と繁栄、待ち望んだ幸せを掴む。しかし精霊たちには、不幸を愛でる花、連鎖する悪夢の花と言われ、ミリツィナが開花した土地からは多くの精霊が離れて行くという。もちろん宿主は精霊である。
~~~~~~~~~
【名称】力極
【発現】ルカーナ・マデイルナン
【属性】毒
【分類】限界突破型/固有スキル
【希少】☆☆☆☆☆☆☆
【効果】
攻撃力が15000上昇する。暴走時は追加で15000上昇。さらに一定時間経過ごとに15000ずつ攻撃力が上昇していく。しかし長時間発動し続けると身体が崩れてしまう。
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【名称】早極
【発現】ルカーナ・マデイルナン
【属性】毒
【分類】限界突破型/固有スキル
【希少】☆☆☆☆☆☆☆
【効果】
ルカの固有スキル。
素早さが15000上昇する。暴走時は追加で15000上昇。さらに一定時間経過ごとに15000ずつ素早さが上昇していく。しか長時間発動し続けると身体が崩れてしまう。
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【名称】ポイズンブルーム
【発現】ルカーナ・マデイルナン
【属性】毒
【分類】魔女箒型/スキル
【希少】☆☆☆☆☆☆
【効果】
魔力を消費して毒を撒き散らす箒を作り出せる。箒で空を飛ぶことも可能で、自身の魔法威力を増幅する効果もある。箒を使用するあいだは常に魔力を消費するは微量である。遠隔操作可能な武具として使用する場合はその限りではない。
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【毒魔法】
特殊な属性の魔法。
自身が使用するすべての魔法に毒の効果が付与できる。熟練してくると付与する毒の種類も選択可能。先天属性が毒以外のものには決して扱えない魔法である。