148話 同じような臭い
本文修正。
う、うーん……なんだ? 顔がチクチク、ペタペタ、ワサワサする。
「黒、いや緑……うわぁぁ!?」
飛び起きた俺は顔に纏わり付く正体不明の物を払い除ける。それはもう一心不乱に。と同時に何かが転がり、足に乗っかる感触も伝わってきた。
「はぁはぁ」
寝起きとほぼ同時に跳ね上がった心拍数のせいか少し息苦しい。
「……草?」
何度か荒い呼吸をするうちに余裕が出てき気付いた。部屋いっぱいに広がる様々な緑が、草や木葉といった植物だと。
「ありゅふさま、だいすき……むにゃむにゅ」
呆然としていたところに、寝言に有りがちな抑揚で可愛いことをアドイードの声が聞こえた。
そうか、さっき転がって行ったのはアドイードだったのか。俺の足の上ですぴすぴ寝息を立てるアドイードはとても可愛い……可愛いのだが、寝返りをうった勢いで垂れた涎が……な。
起こさないようゆっくり足を抜きアドイードを見れば、すべての植物はこの可愛らしい生き物に繋がっていると分かった。
「アドイード、起きてくれアドイード」
さっきの遠慮を捨て去り声をかける。しかしそれだけでは涎を拭う以外にたいした反応はなく、ゆっさゆっさと揺さぶってようやくアドイードは目を開けた。
「ありゅさまだぁ、おしべつりゅつりゅ……ふにゃむにゃ」
どんな夢を見てたんだよ、と問い質したい気持ちをグッと堪えて、今度はさっきよりも強く揺さぶる。
「部屋が大変なんだ。どういうことかアドイードなら分かるんじゃないのか? 起きてくれ」
「う~にゅぅ……」
ゆっくり身体を起こしたアドイードが俺を見て、にへらっと表情を崩す。
「おはようございます、アリュフ様。えへへ、起きてすぐアリュフ様がいりゅなんてアドイードとっても嬉しいな」
「おはよう。そう思ってくれて俺も嬉しい。だけど今は周りを見てくれ。どういうことだ?」
「まわりぃ……何かへん?」
寝ぼけまなこをこしこし擦って逆にアドイードが聞いてきた。
「変だろ。部屋中に植物が散らばってるんだ。それも全部アドイードに繋がってるみたいだぞ」
「ああ……こりぇ、アドイードの寝癖だよ。今朝はいつもよりぃボサボサしてりゅ。アリュフ様と一緒に寝たかりゃかなぁ」
そう言いながら眠そうに片手で顔全体を揉むように擦っている。
寝癖? これが? てことは、この部屋いっぱいの植物は全部髪の毛だっていうのか?
「ちょと待てて」
アドイードがもぞもぞ動き出ながらベッドから降りた。進む度に植物がアドイードに絡み付き、あっという間に緑の物体と化していく。そのまま真っ直ぐ鏡の方へ進んで……あの状態でも前が見えてるのか? それとあの鏡、あんな場所にあったっけ?
「むぅぅ、届かない」
鏡の前に立ったアドイードが小さく上下している。やっぱり可愛い。なんて思っていると草で出来た手が空中に現れた。
んんん? あれはこのあいだ森でアドイードの首を締めた呪われた草の手じゃないのか?
その手はアドイードから離れた空中で髪を梳かすような仕草を始めた。すると部屋中の植物がどんどん、緑の物体に吸い込まれていった。
植物が減り姿を見せたアドイードが、鏡を見ながら頭に吸い込まれていく植物のチェックをしている。
「うん、今日もちゃんとアドイードだね」
すっかり植物を吸い込んだ頭を見て満足そうに頷くアドイードだけど、俺の位置からは小さな新芽のような葉が後頭部でぷるぷる揺れているのが見える。やがてその葉は動きを止めて、ピョンと跳ねた状態で取り残された。
呪われた草の手はその葉を直そうと近づいたけど、一瞬考える素振りを見せて、結局何もせず消えていった。
「アリュフ様もこっち来て。アドイードが寝癖直してあげりゅよ」
動く度にぴらぴら揺れる葉に気付かないアドイードが、嬉しそうに振り返って手招きしてきた。
もしかしたら、あれは狙って残した寝癖かもしれない。けれど、そのあまりの破壊力に俺は易々と屈してしまった。
アドイードに身支度を整えてもらい部屋を出ると、やたらと広くて長い廊下が伸びていた。初めて見る廊下だ。
今日は隠されし大宮殿を大き目にしてるのか。空気の量で段階的に形状が変わるって言ってたから、寝てる間にドリアードかロポリスが空気を追加したんだろう。
幸い迷うほどの広さではなかったので、朝から元気なアドイードと手を繋いで食堂までやって来ると朝食の支度を終えたっぽいルトルが近付いて来る。
「おはようございますアルフ様。ちょうど声をかけに行こうと思っていたんです」
あれ? ちょ……立ち止まる気配がない。え、近い近い近い。
「今日も良い1日になるといいですね」
俺をぎゅぅぅっとハグされておまけに耳元で囁ささやかれた。 今までにない友情のスキンシップに驚くも、ちょっと嬉しい。ハグし返しそう。
「すぐに朝食を持って来る。座ってろ」
にこりと光の粒を飛ばす笑顔をしたルトルが食堂の奥にある扉から出て行った。
なんだか今日のルトルはご機嫌だな。良いことだ……ん? 今ルトルは素の喋り方じゃなかったか!? おお、遂に……遂にルトルが俺にも素の自分を見せてくれたのか。
「朝から鬱陶しい勘違いしてないでさっさと座りなさいよ」
感動に浸っていたらグルフナを持っているロポリスに声をかけられた。不機嫌丸出しなんだけどいったい何だ?
『そ、そんなに、怒らなくても……いいじゃない。グスッ』
ん? どこからか声が聞こえる。これはたぶんドゥーマトラの声なんだけど……そういえばロポリスは感じの悪い人形に入っていないな。
窓辺で朝日を浴びて、危ないクスリでもキメたかのような顔を晒している人形はドリアードだろうから……もう1体の人形どこだ?
キョロキョロしていたら、ロポリスがグルフナを思いっきり振りかぶってぶん投げた。続いてドスッと鈍い音をたてたのは、光る鎖で樹木に張り付られた人形だった。
たぶんいつもロポリスが入っているヤツなんだろうけど、今は顔面にグルフナがめり込んでるから確かなことは言えない。
『う、うぅ……手伝ったのに、こんな仕打ち、酷いわ』
「文句があるなら言われた通りセイアッド帝国まで転移させなさいよ。相変わらず非協力的な精霊ね」
『い、嫌よぉ。だって、今は……その、彼女が起きてるんだもの』
「もう! どいつもこいつも本っ当に面倒臭いわね! いつまで私の人形に入ってるのよ。さっさと出なさいよ!」
『ロ、ロポリスが拘束……して、るんじゃない』
よく分からないけど、なんとなくロポリスが理不尽なことを言ってるんだろう。可哀想に。
「おいロポリス。ドゥーマトラが泣いてるじゃないか」
「は? 昨日の話を忘れたの? アルフも怒るべきよ……ああもう、ルトル! オムライス作って! とびっきり美味しいのじゃなきゃ許さないわよ!」
プンプン怒りながらロポリスはテーブルに座った。案外そういうとこは行儀がいい。でも、普段は自堕落で面倒臭がりの、言ってしまえば大精霊としては腐りかけたロポリスがあんなに怒るなんて……ドゥーマトラは何をやらかしたんだ?
「えっと、この鎖はミステリーエッグで卵に――お、できた」
ミステリーエッグは解除して卵を床に置く。そしてメリ込んだグルフナを引っこ抜いて、ドゥーマトラが入っている人形を手に取った。
人形の顔は一瞬で元に戻ったけど、俺が握ってるせいでその表情は心を抉ってくる酷い有り様だ。
「大丈夫か? 何したのか知らないけど、ロポリスは俺が何とかしとくからドゥーマトラは帰った方がいいんじゃない?」
表情はともかく中にはドゥーマトラがいる。俺は優しく話しかけた。
「ううう、あなた、思ったよりいい子、なのね。殺されたり閉じ込められたり、本当、大変なのに……もっと協力、して……あげようかしら」
人形から出てきたドゥーマトラが泣きながら頭を撫でてくれる。
「はぁ!!? あんたね、今さら勝手なことしたらクロノス様に言い付けるわよ!」
テーブルから悪魔みたいな表情でロポリスが吠える。
うーん……なぁロポリス。お前本当に聖光の大精霊なんだよな。この上なく清らかで慈悲に満ち溢れたっていう話はどっかたきたんだよ。
まあ清らかは清らかだけど、本気で苛ついているみたいだから、清らかでありつつも貫かれるような鋭い光が体から漏れ出している。
「うう、分かった、わよ。グスッ。ロポリスの馬鹿、薄汚れた光り女、腐った大精霊」
お、ドゥーマトラも俺と似たようなこと思ってるんだな。
ロポリスが大悪魔の表情になるのと同時にドゥーマトラは消えた。その直後、ドゥーマトラのいた場所に光り輝く眩い立体型魔法陣が展開された。
つまり俺の周囲にだ。
こういう魔法陣はたいていヤバい魔法、それも特級魔法を遥に凌ぐ威力の魔法の発動に必要なわけで……
「チッ、逃げ足だけは早いんだから。あ、ありがとうルトル。美味しそうなオムライスだわ。合格よ」
オムライスを見てコロっと態度を変えたロポリスが満足気にスプーンを進めていく。
「あのぉ、ロポリス? これ消してくれない?」
「いやぁよ。またミステリーエッグを使えばいいじゃない。私は美味しいオムライスを食べるのに忙しいの。早くしないと発動しちゃうわよ。すんごい聖光魔法が」
ああ、やっぱり。相当ヤバい魔法なんだろうなこれ。仕方ないから、心してミステリーエッグを発動した。そして倒れた。
「お、おぶっ……うげっ」
「アルフ!?」
「アリュフ様!?」
ルトルとアドイードが駆け寄って来る。
「これは酷い……魔力が尽きかけてる」
強制連結の効果で分かるんだろうな。どうでもいいけど。うっぷ。
「アリュフ様、こりぇ飲んで。魔力回復すりゅよ」
どこからか取り出した深緑色の液体をアドイードが強引に飲ませてくる。自力で動けない俺にはありがたい。ルトルもアイテムボックスからマジックポーションを取り出して同じようにしてくれる。
数えきれない量の魔力回復薬を飲んで、ようやく俺は動けるようになった。
「あー、美味しかった。また作ってねルトル」
その間にオムライスを食べ終えたロポリスは、小さく欠伸をして人形に入っていった。
ふふ、ふふふふ……抜かったなロポリス。お前が入ったこの人形、今は俺が手に持っているんだぞ。
思いっきり人形を握り締めてやった。いや、もっとだ。このまま捻りも加えてやる。
『んー? 何やってるんだアルフ? 満腹のロポリスなんか捻ったら――』
「う、うわぁぁぁぁ!!」
うう、ドリアード。もっと早く忠告してくれればよかったのに。
盛大にぶちまけられたそれを全身に浴びた俺は、朝食は食べず風呂へ行くことにした。ルトルに魔法で綺麗にしてもらったけど、気分的にどうしても……。
ちなみに、まみれた俺の横にいたアドイードは「アドイードと似たような臭いだね」と嬉しそうにしていた。
【アドイードの寝癖】
寝ている間に頭部分の植物についた癖。
湿った枕を好むアドイードの特徴で、頭の植物は寝ている間に枕の水分を吸収し成長しようとする。植物が部屋いっぱいに広がっていたのは、単にアドイードの寝相が悪く部屋中を寝たまま転がりまくったからである。