序
マヤの神話と伝説
序
マヤという言葉は「大いなる愛」、「広大な故郷」とか「測り知れない評価」という意味です。
この文明は紀元前8000年という古代に起こり、カリフォルニアの北からボリビアまで、メキシコと中央アメリカ諸国を縦断してその足跡を残しています。
その文化と宗教に関しては、未だ閉ざされている大きな謎と信じられないほどの発展した科学的知識があるということで、おびただしく研究されており、他のアメリカ文化の柱の一つにまでなっております。
その最も重要で且つ驚くべき謎の一つは生活を支配し、都市を組織する暦の製作でした。
したがって、彼らは「星のマエストロ(卓越した先生)」という名前を貰っており、これらの星の動きが周期的であり、ある出来事が周期的に繰り返されるということを発見していました。
この分野の研究並びに観察においては、彼らは完全という域にあり、同時代の文明をずっと上回る水準にまで到達しておりました。
こうして、マヤ文化は多くの研究者から、占星術的な知識、天文学知識、数学的知識によって「アメリカのギリシャ」であると考えられるに至っています。
加えて、もっと多くのことをやり遂げました。
魅惑的な神々の神殿を造りましたし、自然と共生して暮らしました。
死という時間に恐怖を感じませんでしたし、大いに魅惑的な絵画を有するピラミッドを建設しました。
時間と密林による突然の貪食を受けるまでは、3000年という長きに渡って、独特の文明を築きました。
この文化を研究している研究者たちはとても献身的な動機を持って、密林の中の都市のあのような威厳を想像させる、その偉大なる未知を解明しようとしました。
それらの支柱が巨大であるからばかりでは無く、圧倒的な雑草の中に一つの文明を築くことの難しさから言っても、考古学的な本物の宝であると言えます。
考古学的な遺跡の発見以降、マヤ文字を解読する試みと幾つかの部族がどういう運命を辿ったのか解明する試みも始まりました。
この文明の子孫たちが残した神話とか伝説で際立たせられた、何千という仮設が立てられています。
一つの明確な例としては、マヤの聖書と呼ばれ、この文明がどのようにして氷の国から来たのかとか、舟に乗って着いたのだとか語る、ポポル・ブーの記述に遭遇します。
さらに、パレンケの碑銘の神殿には、大空を支配する人物を描いた図柄にも遭遇します。
同様に、マヤ民族は白人で髭を生やしたククルカンとそこで死んだと信じている十字架を崇拝していました。
ククルカンは永遠の命を持った光輝く人物でありました。
この教義はコロンブスよりも早くアメリカ大陸に来たキリスト教の伝道士がマヤの人たちに伝えたと信じられています。
しかし、前述しましたように、これら全ての魅惑的な物語はマヤ文化の本当の運命を叙述することが出来る沢山の全ての通路を構成しているのです。
- 完 -