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第7話「母親の苦悩」

結局、その日は誰も部室には訪れることはなく。


一人階段を下りる音がやけに大きく聞こえる頃合い。


「おっ」

昇降口を下ると、やたら柔らかそうな生物がそこにいた。


犬のようにも、大きめの綿のようにも見える。

その口に何かを咥え、こちらをじっと見ていた。


「よう。お前、学校に入ってきたらつまみ出されるぞ」

その愛くるしさに頬を緩めながら、俺は犬が咥えていたものの正体を知る。


靴だ。


かわいそうに、誰か取られてるなあ。

と、俺は自分の下駄箱に手をやる。


下駄箱の中には、靴が一足。

...。

走り出す犬。

Fight!


犬の走る速度は、ソフトな見た目とは裏腹に素早かった。

中庭を走り、時にグラウンドを駆け抜ける姿は、さながら陸上選手のような優雅さを醸し出している。


ところで、室内用のシューズという装備の俺には少々分が悪いように思えた。

だが地の利はこっちにあるのだ。


とうとう犬を池に追い込んだ俺は、靴を奪還すべくじりじりと距離を詰めていく。

「はあ、はあ、ようやく追い込んだぞ...。この靴ドロ犬...。」


息はかなり切れていた。

さすがに犬といえど、池を泳いで逃げることは出来まい。


というかそうなればむしろ狭い池では袋のネズミだ。

近づけるだけ近づいた俺は、勢いをつけて犬の胴をつか...もうとした。


が、野生の反射心経が反応したのか犬は目にもとまらぬスピードで、俺の体を避けた。

そして、俺は見事な音を立てて池に飛び込んだ。


そういえばここ、如月学園は今年、創立30周念を迎えたらしい。

この学校の30年の歴史の中でも、自分の靴を追いかけて池にダイブした生徒は初めてだろう。


「何してるの?」

我ながら見事な飛び込みをした俺を、通りかかった女子生徒が不思議そうに見下ろす。


「綿菓子みたいな動物が、俺の靴を持ち逃げしたんだ」

すでに全身ずぶ濡れの俺は、もはや構うこともなく池の中で立ち上がった。


膝から下が、水の感触を楽しんでいる。

見たことのある少女だった。


が、具体的にどこで見たのか、よくわからない。

少女が池のふちに腰掛けると、先ほどまでボルトと見間違うほど縦横無尽に走り回っていた犬が、その隣にちょこんと座る。


「あ、なーるほど。ふむふむ。そういうことー。」

綿菓...犬を撫でながら独り言のように頷く少女を、俺は怪訝な目で見る。


「あー、ごめんねー。この子、君と遊びたかったみたい。ほら、靴返すよ」

少女が靴を触ると、犬は当然のように離した。


「...言葉がわかるんだ?」

「何となくだよ。」


空気に触れた服が、急激に体感温度を下げた。


無事に戻った靴を履き、無事ではなかった制服から水滴を滴らせつつ放課後の降車を徘徊している。

世が世なら都市伝説として学校の7不思議に例えられても仕方のない異様さだ。


「ふうん、坂井湊君っていうんだ。」

彼女は俺の顔をみながら、やや間をおく。


「...私はね、永崎楓。」

そして、自分の名前を発音し、寂しげに微笑んた。


「そうか。よろしくな」

「うんっ」

永崎楓と名乗った生徒は、先ほどとは打って変わって、快活な表情をしていた。


「ねえ!」

またしても校門で分かれることとなり、数歩歩いたところで声がした。

振り返ると、当然のように声の主、永崎楓がこちらを向いて、通路の向こう側に立っている。


「魔法が使えたらって、――」

「思ったこと。ないかな?」


「...はあ?」

予想の斜め上を行く問いかけだった。

「あは。冗談冗談。じゃあね」


彼女はいたずらをしかける子どものように笑い、踵を返す。

...魔法?


俺は自転車を走らせる。

ほのかに漂う潮の薫り、鮮やかな夕焼けを映し出す海、はるか彼方に光る一番星。

その中を颯爽と駆け抜けるのは、とても贅沢なことだった。


「おーい!」

その中で、一つの人影が揺れる。


それは明らかに俺に向けられた声だった。

よく見ると、少し先に帰ったはずの神野ゆかりが、笑顔で手を振っているのが見えた。


「なにやってんだ。こんなところで」

「えへへ、ちょっと時間潰し」


そういって、彼女は自分の隣のコンクリートでできた堤防を触る。

『ここに座れ』ということだろう。


「良い景色だ」

辺りを見渡し、思わず声が漏れる。

海はどこまでも広がる青を。

空は一つの星を中心に周って、絶え間なく続く紅を映し出している。


「この間も、そうしてたな」

もしかしたら、先日見た光景と重なったのかもしれない。

あの時も、彼女はこうして何をするでもなく佇んでいた。


神野ゆかりは遠くに光る星を見ていた。

「星にはね。ずっと昔から、憧れを抱いてた」

「どうして?」

「わかんない。でも、あそこにもう一つの世界があって、本当の自分もそこにいる。そんな気がして」


神野は空を見ている。

俺はどうしてか、その体に羽が出現し空高く飛び立つ光景がやすやすと想像できた。


「私が見ている世界なんて、とてもちいさく見えて――」


両手を大きく広げて風を受ける彼女は、まるで空を飛んでいるかのようだ。

「きっと、なんでも許せてしまうような、そんな気持ちになれるんだね」


空は見るもの自身を焦がし続けるように、紅く燃え盛っていた。



夢。

僕はまた夢を見ていた。


女の子は僕の体を抱き寄せた。

彼女の体は、こんなにも暖かい。

それなのに、僕は彼女にこの温かみを分け与えることはできない。

僕の体はきっと冷たいのだ。


「一緒に遊ぼう」

彼女は小さなカードを取り出す。


彼女は賢かったと僕は思う。

この「とらんぷ」という遊びも強かったし、何より僕の体を作った。

それだけでも十分尊敬することができた。


僕の体は土で出来ている。


記憶は曖昧だった。

元々、僕は別の世界に住んでいた。

その世界での僕は今とは違う体で、周りには同じような体を持った人たちで溢れ返っていた。

それはこの世界とは全く違う、不思議な世界。


一体、僕はどこから生まれたのだろう。


「とらんぷ」という遊びは、彼女の圧勝に終わった。

彼女は、どこか遠くの星を眺めていた。


「君は、どこから来たのかな」


それは僕にもわからない。

ただ僕は、彼女を救わなければならないと思った。


何故だろう。

理由があったはずなのに、思い出せない。


そして少女は再び翼を広げる。

少女は手に入れた翼で空を飛び、星から星へ。

そして彼女は気が付く。

この無数に浮かんでいる星の中には、何者も住んでいないのだと。

――――


目を開けると、白い天井とカーテンの隙間から漏れだす日光が、俺の顔を射した。

鳥の鳴き声が聞こえる。

朝だ。


「いってきまーす」


俺の家には、サクラの木が一本だけ生えている。

いつ、どういう経緯で植えられたのかは定かではないものの、それはそれなりに大きく、立派な木であることには間違いなかった。


「さむ...」

春とは言え、まだ4月。

なんの用意もなく外に出ると肌寒さを感じる季節だ。


家の温もりに体を慣らしていた俺は、普段より早いペースで学校までの道のりを歩いた。

今日は冬華が一緒ではない。


別に待ち合わせをしている訳でもないのでおかしいことは何もないのだけれど、どういうわけか今日に限っては胸騒ぎがした。


放課後。


教室は静かで、騒がしい。

言ってしまえば異様な空気感に包まれていた。


みんなの視線の先には女の子が。

音無冬華が泣いていた。


「ごめんなさいね湊くん。大変だったでしょう」

音無冬華の母親、音無彩華さんが頭を下げた。


「...いえ」

俺はかぶりを振る。

冬華の家は俺のすぐ隣に位置しているし、冬華が終始泣いていることを除けば大した労働はしていない。


それよりも、何故こんな状態になっているのか分からなかった。


「ちょっと上がっていく?久しぶりにお話しましょう」

彩華さんは俺を客間に通すと、冬華を寝室へと運ぶ。

俺はなぜか、戦場の中で旧友に遭遇したかのような印象を受けた。


「7年位前でしょうか」

彩華さんの話は、そう切り出された。


「二人で、遊びに行ったんです。2泊3日で、田舎の実家に帰ることにして。」

当時の後継が目に浮かんでいるのか、彼女の顔はどこか遠くを見るようだった。


「冬華はすごく喜びました。おじいちゃんっ子で祖父母に会えるのを心待ちにしていましたから。でも、今思えばあれは間違いだったのかもしれませんね。」


「どういうことですか?」

今の時点でどこか間違いがあっただろうか、と記憶を遡る。


「実家に帰ってあるとき、急に冬華が居なくなったことがありました。近くに畑が広がっている他には、神社と高台、数件のスーパーと学校がある程度の、そんな田舎町でしたから、祖父母と手分けして探していたんです。


冬華は高台にいました。

見つけたのは私です。

冬華は手に羽を持っていました。普通に歩いていて見つかるような汚れた羽ではありませんでした。」


「羽、ですか」

意味が分からない。

「それから、冬華の様子が、少しおかしくなったんです。人混みを極端に嫌うようになったり、人と遊ぶのを嫌うようになったり。」


「俺のところには、ちょくちょく来てましたけど」

「それは、湊くんがあの子にとって特別、だからではないですか?」

彩華さんは目を細めた。


からかわれているのか、本気でそんなことを言っているのかどうかは分からない。

ただ一つ言えるのは、俺はその言葉にさほど驚かなかったということだった。


「湊くん。あの子、学校で一人でいるでしょう」

意を決したような、それでいて覚悟はできているような、そんな表情だった。


「ええ、まあ」

そうだ。あいつはいつも一人だった。


「...あの子、昔は学校の友達のことばっかり話す子だったの。でも、7年前のあの日から学校のことを話すことがなくなって。今はもちろん良くなっていますけど、昔は学校のことを聞き出すと泣き出してしまうこともあって。だから私...」


次第に言葉が途切れるようになる。

「あいつは、クラスメイトに邪険にされているようなことはないと思いますよ」


俺はこれ以上彩華さんが傷つかないように、先手を打つように言った。


「ただ、あいうは一人でいるんです」

「...そうですか。」

彩華さんはことばを選ぶようにした。

「...あの子に友達が出来ると、私も安心なのですが」


それはきっと、俺自身も同じ気持ちだったのだろう。

「きっと出来ますよ。今に」

その発言は、自分で思っていたよりも少しだけ大きく聞こえた気がした。


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