第6話「似たもの同士」
俺は数分前の記憶を遡る。
そこには自腹で材料を用意し、さも料理慣れした様子でハンドミキサーを回す女の子の姿が。
今目の前には、グロテスクを服に来たような物体が。
「うぅ...」
そして視界の端では、申し訳なさそうに目を伏せる女子生徒の姿が、まるであつらえたような3点セットでこの場に横たわっている。
新たなギャップ萌えにしたって出来が悪い。
「意味が分からないわ」
音無冬華は心底呆れたように眉間を抑えつつ、嘆息交じりのため息を漏らす。
その意見には全面的に同意するが、かわいそうだから本人の前で言うのはやめておけ。
作業途中の観察をしなくては何が駄目なのかすらわからないので、垣根京子には悪いがもう一度やり直しをさせてみた。
30分後。
「どうしたらここまでの失敗を重ねることができるのかしら...」
学校ではクールキャラで通っている冬華が、頭を抱えて呟いた。
それは傍から眺めているかぎりでは流れるような動作でスムーズにお菓子作りをしているふうに見えただろう。
だがそれは流れるような動作で失敗をしているだけだったらしい。
しかし、間違いは間違いで進展を生むもので、今ので彼女の大体の欠点が分かった気がする。
通常、料理でもなんでも、軽い失敗にはリカバリ―で対応できる面が多分にある。
だから、「隠し味に蜂蜜を入れるつもりがアンモニア入れちゃった☆」くらいのレベルにならない限り、多少の失敗は早期発見早期解決で対処できるのだ。
しかしながらこいつは、失敗を認識することなくそのまま進めてしまうため、事態が改善することがなく、こんな今時漫画でもそうそうみないような物体Ⅹが誕生してしまうのだろう。
俺は言っちゃなんだが料理に自信があるわけではない。
しかしだからこそ、言えることがあるのだと思う。
「よし、お前ら一旦部室に戻ってろ。俺がこのムリゲーを攻略してやる。」
「ムリゲーって私のことですか⁉」
垣根京子が顔を赤くするが、最終的には大人しく教室から出ていってくれた。
意外と言ったら失礼かもしれないが、この子はちゃんと聞き分けられる子だったみたいだ。
「もういいぞ。家庭科室に来てくれ」
一連の作業を終えた俺が、ラインで呼びかけると少しの間をおいて二人分の足音が聞こえてきた。
がらりとドアの滑る音がする。
「で、これはどういうことかしら」
俺が差し出したケーキを見て、音無冬華が口を開く。
「俺が作ったケーキだよ。好きに食べていいぞ。」
俺の催促にしぶしぶという顔でケーキにフォークを突きさして口へ運ぶ垣根さんと冬華。
「へー、普通に美味しいです」
「ほんと、これ以上ないくらい普通ね。凡庸だわ」
「おい、わざわざ傷つく言い方をするなよ。思わず涙が出ちゃうだろうが」
「それで?何が言いたいの?」
俺のケーキを完食した冬華が、俺の顔を見る。
綺麗に平らげておきながら、文句をつけるかのようだ。
その隣では垣根京子も同じように頷いていた。
「いいか、俺はお前と同じ材料。同じレシピでこれを作った。そういうことだ」
俺の言葉を聞いた冬華がハッとした表情になる。
さすが、付き合いが長いだけあって気が付いたみたいだな。
「つまり、垣根さんが練習不足で、それなのにあんなに早い段階で手順を進めていたのがいけなかった、ということかしら」
「その通り。見たところ、手順そのものは間違いではなかったんだ。つまりちゃんと丁寧に、時間をかけてこなしてしまえば、普通で凡庸な、どちらかといえば美味しい、くらいのケーキが出来るんだよ」
垣根京子は考え込むような仕草のあと、「私にもできるかな」と言った。
なので俺は自信を持って親指を立てる。
「おう!当たり前だろ。だってレシピ通りに作っただけなんだぜ?」
俺と冬華の二人掛かりで修正箇所を指摘する。
垣根京子はそれを嫌な顔一つせずメモしていた。
よほど渡したいんだな。正直言ってその男子がちょっぴり羨ましくもある。
その後下校時刻を迎えた俺たちと垣根京子は家庭科室の後片付けに追われ、半ば汗ばむ制服を気にしながらを出る。
校舎で後片付けをしていた時に気が付いたが、冬華は垣根京子と会話を楽しんでいた。ごく普通に。
多分、これも先生の目的の一つだったんだろうな。
冬華が、部活を通して人と関わるきっかけを持つように。
田所先生なりの、そんな不器用な計らいが見えた気がして、俺は思わず口元を緩めた。
「今日はありがとうございました。自分で言うのもなんだけど、何とか出来そうな気がします」
「おう、まあ大切なことだからな。やるだけやって、駄目だったら愚痴でも聞いてやるさ」
いつの間にか、俺も冬華と同じく垣根京子と普通に話ができるようになっていた。
きっと「誰かと悩みを解決する」という行為には、ともに戦場を生き抜いてきた戦友のような絆が生まれるのかもしれない。
「あ、みーちゃん。おかえり」
「だからみーちゃんはやめろって。母さんのせいで、未だに冬華までそのあだ名で呼ぶんだぞ」
俺の周囲には、俺のことを妙なあだ名で呼ぶ奴が二人いる。
音無冬華と俺の母親、坂井礼子だけだ。
「ご飯にする?お風呂にする?それとも、わ・た・し?」
「おい母さん年齢を考えろよ」
ウインクする母に正当なクレーム。
まあ見てのとおり母は基本アホだ。
反対にすごく聡い部分も少しはあるのだけれど、それはまた別の話。
年齢を指摘され「ガーン!」という文字が浮かんできそうなほど肩を落としているお袋は、「お風呂湧いてる」と言い残し居間の方へと消えてしまった。
瞼はしっかりと閉じているのに、日が昇っていることがわかる。
彼女と出会ったのは、そんな朝だった。
「こんにちは」
俺が幾分軽やかな気持ちで部室へと足を運ぶと、見知らぬ女生徒が文庫本片手に座っていた。
「こ、こんにちは」
出し抜けに挨拶された手前、返事にもいまいち気合いが入らない。
厳密に言えば俺はその女性徒を知っている。
この前冬華と部室の掃除をしていた時に話に出てきた―――。
女生徒はこちらを見る。
女の子にしては少し短く切りそろえた髪が、水の流れのように揺れる。
「...初めまして、ですよね?私は神野ゆかりです。この部活の部長、と言っても今では一人しかいないのですが...。」
「坂井湊」
俺が名乗ると、彼女は『ああ。』という顔をした。
恐らく冬華から、少しは俺のことを聞いているんだろうな。
「冬華の友達か。ミスコンにも出てたよな」
正直言って俺は女性に対して臆するということが少ないので、普通に話すことは出来た。
しかし、素性を知らない、ミスコンに出るくらいの美人と話していると、町中で初対面の芸能人と会話を交わしているかのような、現実感のなさがある。
「うん、いつも冬華ちゃんにお世話になってます。」はにかみつつもペコリと会釈をする神野ゆかり。
彼女の容姿は、間近で見ると、また違った印象を受ける。
髪のさらさらした感じとか、唇の柔らかさが、彼女の活発なイメージにプラスして、言うに言われぬ色香を醸し出していた。
(アイドルみたいだ)
俺はアイドルを見たことがないにも関わらず、自然とそう思った。
「ははは、俺も世話になってばっかで...」
話を合わせるように同調する。
まあ本当は全くの逆名のだけれど、あいつは友達の前でも基本猫を被っているからな。
俺の発言を聞いた神野ゆかりは、面白い話でも聞いたかのように笑った。
「...君のお話は、よく聞かせてもらっているよ。いつも支えてもらってばかりだって。」
...。
「君たちって、本当に似たもの同士なんだね」
「やめろ、あんなのと一緒にするなよ。涙が出てきちゃうだろうが」
どうしよう。お世辞だったのになんだか話が不本意な方向に進んでいる気がする。
今のやりとりで気が付いたが、冬華は普段の泣き虫モードではないにせよ、少なからず本心を見せているっぽいな。
その辺は、ちょっと安心出来る要素が増えたと思う。
それは友達付き合いが苦手だった冬華にとって、大きな進歩であるように思えた。