第3話『さらば、俺の平穏』
つまりこういうことだそうだ。
冬華には何か優勝しないといけない理由がある。
だが人前で愛想を振りまくのが極端に苦手なこいつには校内で宣伝活動をするのが困難。
そこで、俺に協力を仰いだ、と。
つまりそういうことである。
ちなみに「優勝しないといけない理由」については頑ななまでに教えてもらえなかった。
どうして俺がそんなことをだとか、頼るんだったら理由くらい教えてくれてもいいじゃないかだとか、いろいろ聞きたいことは多かったが、逡巡の末に俺が選りすぐったのは
「なにをすればいいんだよ。」
という史上最高にポジティブな質問だった。
なぜか1も2もなく引き受けてしまっているが、どうせ断っても泣きついてくるのだろうから、面倒事は早めに終わらせるべきだ。
さらば、俺の平穏。
宣伝活動といっても、俺はこいつのマネージャーでもスポークスマンでもなんでもない。
第一こういうアイドル的なイベントは本人が観客と同じ目線で立って会話でもするのが一番手っ取り早くて効率的なのだが...。
「うぅ...」
肝心のコミュニケーション能力が著しく欠如した恥ずかしがり屋のクールビューティー(笑)には難しいだろうな。どう考えても。
うーん。どうしたものか。
――
あれは俺がまだ反抗期真っ盛りだった頃の話だ。
ある日、どういう話の流れだったかは定かではないものの、祖父に言われた言葉が妙に頭に引っかかっている。
「お前は投げ出すよ」
祖父は言った。
名探偵が、「犯人はあなたです」とでも言うかのような、断定ぶりだった。
「お前は、いつか壁にぶち当たるだろう。その時どうするか、わかるか?」
俺はその時どういう反応をしたのか、首を横に振った気もするし、頷いたような気もする。
もしくは、祖父の言う通り逃げだす準備をしていたのかもしれない。
とにかく、祖父は言ったのだ。
「投げ出すよ。お前は困難を前に、投げ出す性質がある。」
―――
「クラブ活動なんてどうだ?」
「クラブ活動?」
翌日、担任の田所先生に相談を申し出たところ、俺の予想の斜め上を行く解答が帰ってきた。
俺の隣では驚いた様子の音無冬華が目を見開いている。
曰く、路上でのアピールが難しいならクラブ活動に参加して優勝を狙えというのだ。
「いや、それは。時間的にも人員的にも難しいんじゃないですかね」
そうだ。こんな提案、むちゃくちゃにもほどがある。
第一クラブに参加できたとして、どうやって注目を集めればいいのだ。
「クラブに入部するだけなら一日頑張ればできるぞ。何、今年入部希望者がいなければ廃部が決定していた、唯一のクラブだ。クラブ名は『生徒相談室』。
活動内容は名前の通り、生徒の相談を聞いて解決のためのサポートをしてやってくれ。活動内容はシンプルだし、部員は一名でしかも同級生。これ以上ないほどの安心物件だと思うが」
物凄いきらきらした目で話す田所先生は、クラブの話にかなり熱を上げている。
基本的に学校では表情を表に出さない冬華だが、さすがにこの話に戸惑っているのか唇を噛みしめていた。
うーん、俺は今のところ放課後は暇だし、サポート役としてなら付き合ってもいいが、何をする部活動なのかもわからない上に部員がこのポンコツだろ?
不安しかない。
まあ最終的にどうするかはこいつが決めることなんだし、俺は決断を待つだけなのだが。
「...」
田所先生と俺は、黙って音無冬華の決断を待つ。
教師というのは見ている生徒が多い分、成績や表面上の顔で生徒を評価することが多い。
そりゃあそうだろう。あれだけの数の人間を見るのだから、見解が浅くなるのも道理である。
田所先生はいつも歯切れよく答える冬華の思案顔を、物珍し気に見つめている。
よほど、冬華の困った顔が珍しいんだろうな。
「...」
考え込んでいる冬華の横腹を突くと、一瞬だけハッとした顔をしてまた元のクールな顔つきに戻った。
「...やります。やらせてください」
意を決した、その声が職員室内に響き渡る。
決して大きな声じゃなかったはずだが、強い意志を伴う者の声は周囲を黙らせる力を伴っているものだ。
「...オッケー。ではとりあえず、最速で入部するためには当然いくつかの書類を書いてもらう必要がある。この書類を今日中に提出してくれ。できるだけ早い方が、良いだろう」
どうやら明日の朝の職員会議でこれを提出することが出来れば、余計な時間を食うことなしに手続きが完了できるのだとか。
そういって数枚の紙束をまとめて渡してくる。
今まで部活動なんざ興味なかったから知らなかったが、結構記入量あるんだな。
「いや、見た目の量が多いだけで、中身は大したことない。坂井はともかく、日頃成績優秀な音無なら、今日中に終わらせるなんて余裕だと思ったのだが...。」
おい、俺はともかくってなんだよ。俺だってたまにはちゃんと勉強してるっての。
そもそも大量の書類を書くのに成績云々は関係ないでしょう。
ていうか、そんなこと言ったらこいつ...。
「...いいでしょう。今日中に全部、提出します」
音無冬華は案の定、瞳に闘志をみなぎらせていた。
こいつ、褒められると調子に乗る癖治ってないな!
それはそうと、さっきからこの先生やたらクラブ活動の参加を推し進めてくるけど、何か企んでるよな。いや絶対企んでるよ。
「...何か、文句でもあるのか?」
田所先生が女性であることを考慮しても非常にさらさらな髪をかき分けながら微笑を浮かべる。
だが目は笑っていない。そのゴミをみるような視線から逃れるように。
「何でもありません!」
俺は全ての疑惑と主張を、心の奥底に隠した。
こええ!なんだあの目。
マジ小動物くらいなら眼力で殺せんじゃねえの?
「そうか。素直な生徒は好きだぞ」
クスッと小さく笑いながらまさかの発言。
図らずもそういうことにまったく縁のなかった俺だ。
そんなこと言われたら本気にしちゃうよ?
「そもそもお前たちの目的は、校内での知名度を高め、人気を勝ち取ることだろう。もし成功すれば少なくとも知名度はあがるし上手くやればそれなしに人気も出る。
私も自分の教え子が能動的になるのはそれなりに幸せ。依頼者も手助けがもらえて幸せ。みんな幸せになれる計画だと思うがな。」
う、なにその一縷の隙も無い提案、この先生天才なんじゃないの?もういっそ営業マンにでもなればいいのに。教師やめて。
「ですが相談というと、そもそも依頼人が現れなければ意味がありませんよね。」
最後の抵抗とばかりにぼやく俺。我ながら諦めが悪いな、と思う。
「そのことなら心配するな。先生がいい感じにお前たちのところに生徒を回してやるから。」
無い胸を張りながら俺の最後の提案を粉砕する田所先生。
もうね、勘弁してくださいよ。
「まあ話は大体これくらいだ。あとのことは書類を提出したときにでも話そうじゃないか」
そう言ってあっさりと話を区切った先生が、俺に紙の束を押し付ける。
いや、俺じゃなくて冬華に渡せよ。
そう思いながらも紙束を受け取ってしまう自分が情けない。
そそくさと職員室を出ていく俺たち。
文句はあとだ。とりあえず今は、この書類をどうにかしよう。
田所先生の言う通り、時間はあまりないのだ。
腕時計に目を落とす。時刻はざっと4時というところだ。
下校時刻、この学校にいられる時間は7時まで。
つまり3時間の猶予しかないぞ!
俺たちは教室に入るなりペンと印鑑を広げる。一刻の無駄が命取りになる、そんな緊張感を、俺たちは醸し出していた。
一枚一枚を猛烈なスピードで書き上げていく。
そして時刻は午後6時50分。
「...驚いたな。まさか本当に今日の内に仕上げてくるとは思わなかったぞ」
『生徒相談室』と書かれた入部希望書を見て、田所先生が苦笑。
「せ、先生。これで、入部が、出来るんですよね...」
長時間の作業で喉が乾燥しているのか、冬華の言葉も途切れ途切れだ。
「ああ、もちろんだ。君たちの頑張りに免じて、必ず生徒会に通しておこう」
そう胸を叩く田所先生が、この時はいつもの倍増しで頼もしく見えた。
「それでは、失礼しました」
一仕事終えた俺たちは、職員室をあとにしてそのまま学内にある自販機へ向かった。
「ところで」
「ふえ?」
学校内だというのに、すっかり素に戻った冬華が、間の抜けた返事を寄越してくる。
まあ、もうこの時間は誰もいないけどさ。
「どうして、そんなに優勝にこだわってるんだ?いつもなら、こういうのはなんとなく参加してる風だったのに」
「...」
冬華は俺の顔をじっと見ながら、なぜか顔を赤くした。
「...この学校のミスコンには、ジンクスがあるでしょ?」
「ジンクス」
俺はその単語を反復した。
『ス』で終わる単語は抜ける音だからかどこか気持ちがいいな、とその時思った。
「そのジンクスが、どうしたんだよ」
聞いても結局、それがどんな内容なのかは教えてもらえなかった。
どうしたんだ、一体。
俺は首を傾げながらも、考えることを辞めた。
頭の中で、死んだ祖父の声がする。
『ほらな、投げ出したろ』