第12話「お洒落な家」
その後。
俺たちは永崎奏に感づかれないように、跡を尾けていた。
「なんで話しかけないんだ?」
ふと疑問に思った俺は、声かけを頑として許さなかった音無冬華に尋ねる。
「いいから、黙ってついてきて」
冬華はそう言ったきり、取り合ってくれなかった
なんなんだ。
尾行を続けること10分そこら。
俺たちはいつの間にか、海辺へと歩を進めていた。
「...」
まさか、身投げでもしないだろうな。
そう思っているのは俺だけではなかったらしく、他の女子3人も固唾を飲んで見守っている。
海面まではまだ距離がある。こもし海に身を投じようとしても、この距離であれば十分に助けられることだろう。
「...奏」
が、彼女の様子を見て当の姉である楓さんが、妹の名前を口にする。
「―――」
彼女は泣いていた。
遠目では細かい様子まではわからないものの、彼女は声を上げて泣いていた。
子どもの様に。
「奏!」
楓さんが弾かれたように走り出す。
置き去りにされた学校指定の鞄が、浜辺の砂で汚れてしまっていた。
「奏、お姉ちゃんよ、分かる?」
抱き締められて泣き続ける彼女は、小さく頷いて、いつの間にか眠ってしまった。
「よっと」
俺は眠ってしまった永崎奏の足を支える。
背中に押し付けられる柔らかい感触に、ひそかに労働の対価をもらった気になりつつ、帰り道に着くことになった。
つまるところ俺は、同い年くらいの女の子をおんぶしてやるという、男ならだれでも一遍は妄想するようなシチュエーションを実体験した訳で。
周りからの視線がだいぶ厳しいことになっている。
「みて、あの男の子。周りに女の子連れて、しかも一人は気を失ってるわよ」
「どんなプレイをしたのかしら。はしたない」
そんなひそひそ声が、俺の脳裏に響く。
何もやましいことなんてしていないのに、冷や汗が止まらない。
「どうしかしたんですか?湊君」
俺の様子にいち早く気が付いたゆかりさんが、助け船を出してくれる。
しかし、どう説明したものか。
下手なことを言えば女の子を背負っていることで欲情していると思われかねないし、何よりその場合背後で純真無垢な寝息を立てている少女のことを傷つけかねない。
が、そんな俺の迷いはゆかりさんの一声で霧散した。
「もしかすると、お手洗いに行きたいんですね?」
...その通りでございます。
完璧だ...。
偶然の産物ながら、俺は部長の声かけによってしばしその場を離れることに成功する。
針の莚状態から救ってくれたゆかりさんに深い感謝の意を抱きつつ、俺は手洗いへ。
トイレを出ると、空には少し雲の気配が見て取れた。
「これは急がないと降るだろうな」
半ば駆け足気味に目的地まで戻ると、彼女らは空を見ながら談笑していた。
「ほんとだってー、ちゃんと見たもん」
「へー、私気づかなかった。無念」
「あ、湊君戻ってきましたね。おかえりなさい」
俺に気づいた神野ゆかりが頬をほころばせる。
いつも一定以上のテンションを保っている永崎楓も今はさすがに元気がないし、冬華は奏さんをおぶっているので空気を読んだゆかりさんが場を盛り下げない努力をしているみたいだ。
こういうところは部長の器を感じられて頼もしい気分になる。
「おう。みんなどうしたんだ?空なんか眺めて」
「なんかね、冬華ちゃんが流れ星を見たらしくて、また流れないかなー、って。君が来るまでの暇つぶしに」
先ほどより幾分元気を取り戻した楓が、短く状況を説明する。
目には苦しみの色が見て取れた。
こいつも妹同様、無理は禁物だなと心に留めておくことにしよう。
しかし、流れ星かー。
今朝のニュース番組では特に何も聞いていなかったけど、突発的に発生したのかもしれないな。
「そうか、何かお願いしたか?3回唱えるんだぞ、3回」
3人は苦笑したように、「一瞬だったから無理」というようなことを言った。
その後、俺たちは雲の隙間から時折覗く星を眺め、それぞれの家に向かって歩き出した。
「お前こんな良い家に住んでたのかよ」
断続的に感じる重みに耐えながら歩くこと、20分。
ようやく着いた永崎家は、この近辺ではそれなりに目立つ豪邸だった。
家そのものが大きいということもあるが、建物がレンガ調の造りになっていて全体的にレトロな雰囲気だ。
しかもよく見ると天窓やカモフラージュされたソーラーパネルがついていて、現代的な要素も取り入れているところが単におしゃれなだけではない洗練された印象を作り出している。
こんな良い家の娘が、夜中にふらりとどこかへ行って危険な行動を起こすというのはどこか現実性に欠けているな、と俺は内心で苦笑した。
「うん、両親のお給料が少し良くてね。そのおかげで、どちらも家にいないことが多いんだけど」
「そうか。...しかし、立派なもんだ」
俺は感心するように嘆息した。
永崎楓は少し照れるようにした。
「ちょっとお茶でも飲んでいく?」
「...え?」
暗がりから明かりへ飛び込む昆虫のように、彼女の家に転がり込んでしまった。
「良いのか?こんな時間に。親御さんはいないのか」
時刻は既に9時を回っており、俺の常識から言えばプライベートな時間であることに違いなかった。
「いいんだよ。どうせ今日も両親は遅いし」
「そんなに遅いのか。大変そうだな」
「うん、どっちもすごく忙しそう。それだけ、社会から求められてるってことかもしれないけどね」
お湯を沸かしつつ楓が言う。
ここからでは表情を確認することはできないが、その顔はどこか自嘲的に歪んでいる気がした。
「そういうものか」
しかし、ほんとに良い家だな。まさか暖炉までついているとは思わなかった。
家具の少なさにセンスを感じていると、テーブルの上にコップの置かれる音がした。
ちなみにテーブルは骨組み以外は全て黒みかかったガラス製のショーテーブル。渋い。
コップを傾けると熱い液体が少し冷えた体を暖めてくれる。
良かった。お茶は普通のお茶だ。
「楓」
「はい?」
出されたお茶をひとしきり飲み終えると、俺は出来る限り真面目な表情を意識しながら呼びかけた。
「お前の妹のことだがな、もう一度、ちゃんと話してくれないか。もちろん無理にとは言わない。話したくなければ、話さなくてもいい。
だけどな、お前にはまだ何か言いたいことがあるんじゃないか。そんな気がしてるんだ」
家の中の空気が、ピシリという音と共に固まった気がした。