第八話 学校へ行こう
1
「あー、死ぬかと思った……」
味気のない粗末なパンを頬張りながら、安堵のため息と共につぶやく。
シュンジは住んでいる小屋に戻り、食事と休息をとっていた。
座る木製の椅子をはじめとするほとんどの家具はシュンジの手作りであり、ひとつ食べ終えてまた手に取った丸いパンも、彼が小麦粉から作ったものだった。
シュンジは貧乏だ。自然に恵まれた森に住むがゆえに飢え死にするようなことはないが、己に課す厳しい鍛錬に対して十分な栄養を取れているとは言えない状況である。
「腹は減ってるわ、敵は予想外に強いわ、本当に危なかった……。ここでの修業はマジで限界だな。あの綺麗な子との約束通り、帝都シトリンに戻ってみるのも手かもしれない。――にしてもこのパン、不味くはないけど……」
単調な味。しかし体力の消耗を考えれば、こんなものでも大量に食べざるをえない。
肉や糖などの贅沢品への渇望を振り払うように三つ目のパンへ勢いよく手を伸ばすと、机に立て掛けていた刀に肘が当たってしまった。
「あ――」
大きな音を立てながら刀が床に転がる。慌てて拾い上げ、鞘に付いたほこりを払った。
厳しい戦いの直後とはいえ、大事な刀を倒してしまうほど気を抜いていたことに猛省する。
「そういえば黒白を実戦で使ったのは久しぶりだし、刀の状態が少し気になるな」
刀を鞘から抜く。
刃文のない漆黒の刀身。黒曜石のように艶やかで、滑らかな輝きを放っている。
「ぱっと見、問題なさそうだ。能力の方も確かめておくか。《闇を照らす光を――天使級・光松明》」
黒白の柄を握りながら聖詠を詠む。
「光松明」はこぶし大の光の玉を作り出し、辺りを照らす聖術である。
シュンジの肩の少し上あたりに小さな光が瞬き、それが徐々に大きくなっていく。
「よかった、大丈夫――」
安心したのも束の間、突如として黒い霧のようなものが黒白の刀身から漏れ出す。
「光松明」の光は揺らめきながら弱まり、ふっと消えてしまった。
「なっ!?」
よく見ると刀身の根元、鎺のすぐ上あたりにごく小さな傷があり、そこから黒い霧が染み出ているようだ。
「光松明」が完全に消えたのと同時に、霧の放出も止まった。
「お、俺の命よりも大切な黒白に、傷が……!?」
頭が真っ白になり、思考は停止する。愛刀に傷がついたことは、シュンジにとってそれ程のショックだった。
しかし茫然自失の数秒後には、自分が取らなければならない行動に気付く。
刀を鞘に戻して小屋を飛び出し、扉を閉めるのも忘れ、街に向かって一心不乱に駆け出した。
2
「ドワーフの刀匠が鍛えた刀? それは無理だ。そんなモンを直せる者はこの街にはおらんだろう。国で一二を争うクラスの刀匠でなければまず歯が立たん」
黒白を持ち込んだ先の鍛冶屋の主人はそう言った。
厳めしい顔に深いしわが刻まれた老人で、街で一番の腕だと評判らしい。
「孫の譲ならあと数年もすればわしを追い抜いて、ドワーフの業物も扱えるようになっているかもしれんが」
自慢気な鍛冶屋の老人。容姿や雰囲気からは孫馬鹿とは思えないが、どんなに厳つくても孫は可愛いものなのだろう。
「そうか……困ったな……」
「それに結構な金がかかる。お前さんはあんまり金持ちには見えんが、大丈夫か?」
刀身の傷を見つけた時以上の絶望が襲う。
確かにそうだ。仮に黒白を直せる刀匠にありついたところで、金がないシュンジには対価として支払う金がない。
途方に暮れて虚空を見つめる。諸々の問題を一度に解決する、何か画期的な方法はないものだろうか……。
――この恩は必ず返す。
銀髪の少女の言葉が脳裏に蘇った。
「いやいや、見返りを期待して助けたわけじゃないし……」
身なりの良い少女たち。シュンジに恩を感じている。
彼女らがいる帝都シトリン。大国アングレサイトの首都ならば、優秀な刀匠が必ずいるだろう。
ここでの修行の限界。森を離れて何か新しいことをしなければと思っていたところだった。
様々なことが、まるで運命の導きのようにかみ合っていく気がした。
「……行ってみるか、シトリン帝立騎士学校」
勝手に救った相手に報酬を要求するのは気が引けるが、物質的な援助でなくとも、何かきっかけのようなものが得られるかもしれない。
「心当たりがあったみたいだな。よかったじゃないか」
「とりあえずは」
そうと決まれば明日の朝にでもアングレサイト帝国へと向かいたいが、携帯食料の準備や装備の手入れなど、やらなければいけないことは少なくない。
移動を考えると夜を徹して作業するわけにもいかないので、少し急いだほうがよさそうだ。
「じゃ、鍛冶屋のじいさん。色々教えてくれてありがとう」
「力になれなくて悪かった。譲が一人前になったらぜひ来てくれ。その時はどんな要望にも応えてみせよう」
「それは頼もしいな」
鍛冶屋「蔵内」を後にする。
黒白に傷がついたことは相当ショックだったが、近頃べたべたとまとわりついていた停滞感を打破できそうな予感に、少しだけ胸が高鳴っていた。