第二話 襲われる皇女
1
新緑が彩る鮮やかな森の奥深く。清らかに流れる川のすぐそばに、粗末な小屋が建っている。
人里離れたこの場所に住むのは、シュンジ・ウルフェナイト。黒い髪に黒い瞳、ほどよく筋肉が付いた長身の少年で、3年前からここに暮らしている。
「疲れた……」
シュンジは独りつぶやくと、腰に差した刀を脇に置き、ぐったりした様子で草の上に寝そべった。
3年間鍛錬に明け暮れたシュンジの体には、貧乏生活でまともな食事をとれていないことも相まって、凄まじい量の疲労がたまっている。
しかし、あまりのんびり休んでいる暇はない。強くならねばならない理由があるからだ。そのために一日も欠かさず、できる限りの時間を己の力と技の練磨に費やしてきた。
しかし、個人でやれることには限界がある。かつては人に師事していたこともあり最初から自己流でやってきたわけではないが、現在は師もおらず、思いつくことは全てやりきってしまった。
「このままじゃ……ダメだよな」
自らに言い聞かせるようにつぶやいてみるが、現状は何も変わらない。これまで鍛錬を積むなかで幾度も壁にぶつかってきたが、今回は突破の糸口すら見えなかった。
何か、今まで思いつきもしなかったようなことをしなければ――
「!!」
突如発生した大気の震えと木々に走る緊張感が、戦いの気配をシュンジに伝えた。
――これは獣気だ。それも、膨大な。
獣気は人間を含めた全ての動物が生来備えている力だが、一部の人間はこれを自在に操り、獣術という特別な体術を繰り出すことができる。
これほどの獣気が一瞬のうちに膨れ上がりそれが周囲に伝わったということは、何者かが強力な獣術を使った、あるいは使おうとしているということだ。
「……行ってみるか」
シュンジはこの獣気の発生源まで向かうことにした。
近くで起こった戦いというだけで気になったし、それになによりも、もし誰かが襲われているような状況ならば、助けに入りたいと思ったからだった。
2
「お下がりください、姫様」
鋭い眼光で敵を威嚇しながら、スピカはアトリアをかばうように前に立つ。
ふたりは翡翠首長国連邦とアングレサイト帝国の国境付近にある森まで来ていた。
この森を抜ければ帝国はもうすぐ――というところで、赤い鎧を着た戦士風の男10人の襲撃を受けてしまった。
「私はグラナート獣士団国、一角獣士軍大佐マルセロ・マルダー。そちらはアトリア・オブ・アングレサイト皇女殿下とその騎士とお見受けする」
マルセロと名乗った、戦士たちの中でもひときわ大きな体格の男が言い放つ。
グラナート獣士団国はアングレサイト帝国の西方に位置する軍事国家で、帝国とは昔から争いを繰り返してきたが、今は休戦状態にある。
「我が帝国と貴国は休戦中のはずだが、なにゆえ私の前に立ちふさがる。それに、私の行動をどうやって掴んだのだ」
「主戦派がどこからか……。……まあ、問答は無意味だろう。上層部の指示だ。殿下にはここで死んでいただきたい」
「私が、姫様が殺されるのを黙って見逃すと思いますか」
スピカが剣を抜く。比較的高身長であるといえど、女性が扱うにはおおきすぎる大剣。
アトリアも、繊細な細工が施された銀の杖を取り出して構えた。
「もとより戦いを避ける気はない」
マルセロが手で指示を出すと同時に、グラナートの戦士たちが剣を構えて咆号を叫ぶ。
「【朱雀第二門・走狗颯】!」
「走狗颯」は獣気を脚にまとわせ、速度を強化する基礎的な獣術である。
グラナートの戦士9人は一斉にこれを使用し、アトリアとスピカにものすごい勢いで襲い掛かった。
「《伝わらぬ波動・終わりなき世界の終わり・闇を打ち払う光を――能天級・光波動》!!」
アトリアが聖詠を詠むと、眩い光が獣士たちの視界と平衡感覚を奪う。
バランスを崩したところに、すかさずスピカが斬撃を打ち込んだ。
「ぐあああぁぁっ……!」
3人の戦士がまともにくらって、うめき声を上げながら倒れる。
それを見てマルセロは感心したように、
「騎士殿はさることながら、姫殿下も素晴らしい腕前。その若さで能天級聖術とは。こちらも本気で行くしかないようだ」
「本気でやればなんとかなるかのような言い方は不愉快だな」
マルセロの言葉に、アトリアが挑発的に応じる。
「やれやれ、強気なお姫様だ……。【朱雀第二門・走狗颯】!」
「走狗颯」を使用したマルセロがスピカに向かって突進し、倒された3人を除いた戦士もそれに続いた。
マルセロの初撃をスピカは剣で受け止めはじき返し、そのまま打ち合いに発展する。
他の6人がその隙を狙って攻撃を仕掛けようとするが、
「そうはさせん! 《切れた縄の縛め・自由なき世界の自由・愚を戒める光を――能天級・光状縄》」
アトリアの聖術で生み出された光の縄が、グラナートの戦士の剣や鎧に絡みつく。
縄の対応に追われ、彼らはスピカとマルセロの戦いに手が出せない。
「【白虎第四門・滝餓狼】!!」
「《不断を断つ・邪を断ち切る光を――権天級・光斬撃》!!」
マルセロの獣剣術とスピカの聖剣術がぶつかり合う。
獣術が放つ紅と聖術が放つ白が混ざりあい、桃色の火花が散る。
互いの実力は拮抗し、戦況は膠着状態に陥るかと思われた、そのとき。
「あ? まだ終わってなかったのか」
11人目の戦士が、凄まじい獣気を纏って現れた。