エピローグ
―― 十年後、辺境都市ヴァーズェニト
とある春の日。
少しずつ夕暮れが近づいている都市の正門にひとりの少年がやって来た。
門衛は姿勢を保ったまま、それとなく警戒を強めた。
少年が身の丈ほどの大剣を背負っていたからだ。
齢のころは十と少しか。一人旅をするには心もとない年齢だろう。
とはいえ、誰何するほどのものでもない。冒険者にはよくあることだ。
ザックひとつ肩にかけ、軽快な足取りで近づいてくる様子にも旅慣れた気配がある。
少なくとも、魔物の擬態ということはないだろう。オーガすら絶滅して久しいのだ。
「よう、お勤めご苦労さん」
「旅の冒険者かい? ようこそ、ヴァーズェニトへ。遠かっただろう」
「ああ、遠かった。子供の足だとこんなにかかるもんだな」
「?」
「ああいや、こっちの話。それでさ――」
黒い髪に黒い目をした少年は、日に焼けた顔をにかっと笑みに変えると、門衛に問うた。
「この街にすっげえバカがいるって聞いてきたんだけど、本当か?」
◇
「ば――バカだあああああああッ!?」
天を見上げるように仰け反りながら、少年は大声を上げた。
明らかに罵倒だが、その顔は満面の笑み。
道行く人たちは怪訝そうに振り向き、それから少年の視線の先を見て、納得したように仕事に戻っていく。よくあることだったからだ。
彼らの視線の先には塔があった。
正確には、ソレは塔ではない。
製作者からも説明を受けている。
ただ、上向きの投げ矢のように細く尖った建造物は、一般に塔と呼ぶべきだし、そう呼んで困る者は誰もいなかった。
「おや、旅の人かい?」
叫びが届いたのか、塔の外壁に登って作業していた男が躊躇なく飛び降りる。
は、と少年が驚くような高さだが、次の瞬間、
「――“天翼”」
男の背に紋章で編まれた精緻な翼が生まれ、羽ばたきひとつでふわりと着地して見せた。
「……飛翔の魔技」
「よく知ってるね。借りものなんだけど、返し方を会得できなくて借りたままなんだ」
「なんだそりゃ?」
「奥さんに頭が上がらないって話さ。それで――」
男はそこで一度言葉を区切り、膝をついて少年と目を合わせた。
年の頃は二十代の半ばか。均整の取れた長身に、鋭さのある身のこなし。
一目で優れた戦士だと直感する。
ただ、黄金にも似た琥珀色の瞳、他に類を見ないその瞳はひどく親し気で、どうにも毒気を抜かれてしまう。
「こんな時間にようこそ。『ロケット』の見学かい?」
「ロケット? この塔のことか?」
「これは塔じゃないよ。空を飛ぶ船みたいなものでね。あの先端が空の向こう、星々の世界まで飛ぶんだ」
「……正気か?」
塔もとい『ロケット』の高さは尋常ではない。
目算で百メートルを超える。冗談で建てられる規模のものではない。
つまり本気だ。なので、疑うべきは正気だった。
「残念ながら正気だ。実は生身で何度か行ったことはあるんだけど、物資をまとめて運ぶにはやっぱり『ロケット』にするのが効率的なんだ」
「よしわかった。アンタやべえ奴だ」
他の都市で酔狂者として噂されるのも当然だった。
「……本当に、これで空の向こうに行けるのか?」
「行けるんだなこれが。まあ、推進力は百パーセント僕の魔技だから、他の人は真似できないけどね。
魔技を考慮しても、これを他の人が再現できるようになるには千年くらいかかるだろうね」
つまり、このロケットは千年後の技術でできているのだ。
そんなものをどうやって作ったのか気になるが、少年は問わなかった。
魔技は時に過程を省略して、結果を導き出す。
この男に確信があるのなら、千年後の技術を呼び出すことだってあり得ないことではない。
「でも、なんで星々の世界に行こうとしてるんだ? なにがあるんだ?」
その問いを待っていたとでもいうように、男が笑みを深くした。
「“里帰り”って言ったらどうする? あるいは、実家に物質的な家がないから建てようと思ってるとか」
「はあ? なんだそりゃ。あの星のどれかに創神でもいるのか?」
「そうでもあるし、そうじゃないとも言える。まあ詳しい話は明日にしよう」
男は立ち上がり、ぱっと土を払うと少年に手を差し伸べた。
「そろそろ日が沈む。今日は泊まっていくといい、少年」
男の家はロケットからほど近い場所にあった。
工房を兼ねているのだろう。ロケットに面した側は職人たちがひっきりなしに出入りしている。
だが、裏手に回ると途端に静けさがやって来る。
見た目は質素だが、よく考えて設計されているのが素人目にも伝わってきた。
「ただいま」
「あら、遅かったですね、あな――」
扉を開けてすぐ。
夕飯の準備をしていた銀髪の女がこちらをみて目を丸くする。
その手から滑り落ちた皿を、男が素早く間合いを詰めてキャッチしていた。
どうやら鍛錬は怠っていないらしい。
それに――
「ああ、なんだ。もしかして、オマエも気付いてたのかよ?」
「そりゃね。姿かたちは変わっても“魂”は変わらないよ――」
男は涙ぐむ女に皿を渡すと、笑みと共にもう一度手を差し出した。
男の琥珀色の瞳は潤んでいた。
あるいは、潤んでいるのはこの目だろうか。
どちらでもいい。ただ、もう一度この右手を掴めることが嬉しかった。
握手は固く、再会を寿ぐ。
「――おかえり、カルニ」
「――ただいま、メイル」
――アセント 天使の右腕、炎の子 完
読了ありがとうございました。
あとがきは活動報告にて




