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アセント 天使の右腕、炎の子  作者: 山彦八里
<3章:異郷の人々>
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船上余話:ノキアとイチャイチャする話

 それはある日のノキアの発言から始まった。


「メイルはとても、計算が速いですね」


 港近くの市場からの帰り。

 大量に購入した消耗品や食料品を船倉に積んでいた折、キラキラした空色のまなざしで見上げられて僕は首をかしげた。


「そうかな? 普通だと思うけど」

「今日のお買い物も相手の商人が算盤(アバカス)を弾くより速かったですよね?」


 それは速いと言うのでは?と言いたげな顔でノキアも首をかしげる。

 カーレと船上生活していると、どうしても食料その他消耗品は寄港したときに買い集めることになる。一か所で揃えられるわけもないので、市場を駆けずり回る。けっこうな大仕事だ。

 “昇華”で作ることもあるけど、大勢いるカーレの日々消費する分を賄おうとするとそれだけで一日が終わってしまう。切実にスーパーマーケットのありがたみを思い出す日々である。

 結果、一度の買い物でけっこうな量を買うことになるから、代金を清算するのも一仕事だ。相手の商人さんも忙しなく指を動かしていた記憶がある。


 ……うん。思い返してみるに、たしかに僕の計算能力は異世界では高い方だろう。実際は前世から引き継いだ分を腐らせていないだけだけど。

 もしもこちらの世界の貨幣経済が十進数基準でなかったらそれすら危うかった。

 そのあたりの基礎的な文化はエルフが率先して基準を統一してくれているのだけど。まったくもってありがたい話である。


「なにかコツがあるのですか?」


 やる気に満ち満ちた顔でノキアが尋ねてくる。

 それで得心がいった。彼女には今度トゥーラの護衛を兼ねてふたりでおつかいに行って貰うことになっている。その時、トゥーラに先輩面をしたいのだろう。

 なんといじらしいことか。よーし、そういうことならメイルがんばっちゃうぞー“昇華”!!


「練習です」


 僕はノキアの前にそろばん――こちらではアバカスというらしい――をドンと置いた。


「……え?」

「計算が速くなるコツは――ひたすら練習することです」


 ノキアも岩屋時代に基礎的な教育は受けている。二桁の足し算引き算くらいなら滞りなくできるのは確認している。ぶっちゃけそこまでできれば日常生活で困ることはない。

 逆に言えば、そこから先は普通に生活しているだけでは身に付かないわけだ。時間があればひっ算を教えるところけど、あと数日では厳しい。とにかく基礎を詰める。


「じゃあルールを説明するね」

「ルール」

「一緒にがんばろうね!!」

「一緒に」


 僕はポカンとしているノキアの手を引いて自室に連れ込んだ。



 ◇



「ねがいましてはー、八十五円なり、十三円なり、七十二円なり、四十九円なり、九十六円なり、引いては十六円なり、五十一円なり、三十六円なり、加えて二十円なり、三十二円なり、六十四円では?」


 自室に机を並べての1対1の授業。

 ノキアは慣れない手つきでそろばんをパチパチと弾くと、ちょっと自信なさげに顔を上げた。


「……さんびゃくにじゅうはちエン、です」

「正解」


 やはり筋がいい、と僕は師匠面しながら呟いた。これなら数日で必要な計算能力は身に付くだろう。


「では、がんばったノキアにはメイルポイントを1点差し上げます」

「メイルポイント」

「10点溜まったらなんでもお願いをきいてあげる」

「…………なんでも?」

「ぼ、僕に可能な範囲で、かつ他の人に迷惑をかけないものね!!」


 先ほどとは打って変わって、ノキアは妙に迫力のある真顔で聞き返してきたので慌てて条件を追加する。

 彼女は分別のある娘だけど、それはそれとして予防線は張っておくべきだ。

 「では、この星の自転を止めてください」とか言われたら全生物が詰む。


「なんでも……メイルにあんなことや、こんなことも……」

「ノキア?」

「!! 大丈夫です!! さあ、次の問題を出してください!!」

「お、おう」


 それから凄まじい熱意を発揮したノキアは、瞬く間にメイルポイントを10点獲得してしまった。








「……で、結局おねがいすることがこれでいいの?」

「はいっ!」


 僕は寝転がったままノキアの満面の笑みを見上げていた。

 速攻でポイント使用を宣言するから欲しいものでもあるのかと思ったのに、出てきた言葉が「膝枕させてください」なのだから驚いた。


「うう……」

「どうしました、メイル? わたしの膝枕硬いですか? たしかに鍛えてはいますが……」


 頬を赤らめ、もぞもぞと頭を載せるポジションを修正するノキアに理性がぐらつく。なんだこの可愛い生き物は。

 ちなみにノキアの膝枕は硬いどころかすごく柔らかい。ストッキング越しに筋肉のまわりをふんわりと柔らかい肉が覆っているのがわかる。あといい匂いがする。やばい。


「い、いや、なんか、僕ばっかり得してて悪い気がしてさ!」

「こうでもしないとメイルは休みませんから。それに『あなたの時間を独占する』ことは、とても、とても贅沢なことですよ」


 そういうものだろうか。ノキアの価値基準はたまによくわからなくなる。というか、僕を過大評価している節がある。素直すぎるのも考え物だ。

 それにしても、あなたって言い方がすごく色っぽい。カーレのお姉さん方から学習している……ッ!!


「メイル」

「アッハイ。別にカーレのみんなのこととか考えてませんよ?」

「いえ……はい。そうやって茶化して誤魔化すのも、今は許します」

「今は」


 ノキアはなにも言わずにこりと微笑むと、どこからともなく耳かきを取り出した。


「メイルの態度が、わたしが大人になるのを待っているためだというのはわかります。でも、いつもいつも茶化されると、わたしだって拗ねてしまいますからね?」

「はい」


 拗ねてしまう等と言いながらも、耳かきを繰るノキアの手つきは優しくて、臆病に思えるほど慎重だ。

 ただの耳かきに突破されるほど天使鼓膜はヤワじゃないけど……あ、耳かきもメイル印だった。ノキアの腕力ならワンチャンあるかもしれない。


 とはいえ、今さらノキアを信じないという選択肢はない。

 なにもかも今さらだ。そう言えるくらいには彼女のことを知っている。


 耳かきの先端が優しく耳の内側を撫でる。

 カサブタを剥がす時のような不思議な快感が皮膚の表面で弾ける。


「あー気持ちいい」

「ふふ、どこかかゆいところはありませんか?」

「くちびる。なんて――」


 言ってみたりして、と告げるより先に、ノキアの指先が唇に触れた。

 細い指先が紅を塗るように唇をなぞる。未体験の感触に背筋がぞわりと震える。


「ノ、ノキア?」

「ッ!!」


 瞬間、ぱっと跳び退いたノキアのふとももから僕の頭は転がり落ちた。

 ごいん、とイイ音がして船の床が凹む。どこからか恨めしそうな感情が伝わってくる。微妙に感情豊かな船だ。


「ご、ごめんなさい!! 大丈夫ですか!?」

「ああ、うん。平気平気」


 起き上がってオロオロするノキアを落ち着かせる。当然ながら僕は無傷だ。天使ヘッドは鋼の如し。

 ……髪の毛の先端が床に突き刺さった気がするけどきっと気のせいだろう。


「その、わたし、ちょっとどうかしてました……」

「いや、うん。僕も悪ノリしすぎた。ごめん」

「いえ、わたしこそ――」


 ぺこぺことふたりで謝罪合戦が始まる。

 耳まで真っ赤にしたノキアには申し訳なさを感じる。僕も似たような表情かもしれないけど。ここに鏡がなくてよかった。もしもノキアみたくはにかんで、でもちょっと嬉しそうな表情をしていたら――


「いかん。自爆した……」

「わ、わたしも、その、お洗濯取り込んできます!!」


 早口で告げながらノキアが走り去っていく。

 部屋の出口まで一直線、そのまま扉の蝶番を撥ね飛ばして甲板へ。

 ああうん。とりあえず扉は直しておこう。



 ◇



「ノキアさん? 顔が真っ赤、ですけど?」

「トゥーラさん!? いえ、お気になさらず!!」

「??」


 それから、自分の指先を唇に当てては顔を覆って悶えるノキアの姿が一部のカーレに目撃されるが、その理由は杳として知れなかった。


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[一言] 末永く爆発しろ。
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