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アセント 天使の右腕、炎の子  作者: 山彦八里
<3章:異郷の人々>
54/99

16

 地平線の向こうから太陽が顔を出す。

 黒々とした空を、日の赤と空の青がグラデーションを伴って夜明けへと塗り替えていく。

 きっと雲ひとつない快晴。訓練終了を言い渡すには絶好の日だ。


 カーレの皆さんもまだ寝床に潜っている朝の早い時間。トゥーラが起きて来るまでもう少しかかる。

 なんだかんだで、誰かを教えきったのは初めてのことだ。緊張と少しの達成感を覚える。

 心を落ち着けようと吐き出した息はふわりと白く、空気が澄んでいるのに気づく。


 そして、天使イヤーにはカツカツと忙しない靴音が木霊する。


「……落ち着きましょうよ、ブロフさん」


 苦笑を噛み殺し、動物園のライオンみたく甲板を歩き回っている彼に声をかける。

 日頃は足音を消して歩いているブロフさんだからか、余計に気になってしまう。


「わかってはいるのだが、こればかりはな……」

「はいはい。ほら、これでも咥えて」


 情けない顔をするブロフさんの口にチャンダナの枝をねじ込み、外套を伸ばして火を点ける。

 試行錯誤の末、最適な温度を見つけたチャンダナの枝は線香に似た落ち着いた香りをくゆらせる。


「……ふう。すまんな、メイル」

「いえ、お気持ちは重々承知しています」

「ああ……」


 ブロフさんがトゥーラの母親的存在に庇われてから五年と少し。彼はずっとこの船の護衛についていたけど、トゥーラと言葉を交わしたことは殆どなかったという。

 数少ないそれも事務的なものだけ。

 ブロフさんが言いたかった言葉はしかし、彼女の感情を大きく揺さぶるものだからだ。

 限りなく親子に近い二人は、ずっと過去を昇華することもできずにここまできている。


 けど、それも今日までだ。


 今ならきっと大丈夫だ。はじめてのおつかいから帰って来たノキアも太鼓判を押した。

 トゥーラの魔技の制御はもう普通に生活できるところまできている、と。


「落ち着いたところで訊きますが、僕は席を外した方がいいんじゃないですか? 感動の対面ですよ?」

「いいや。万が一がある」


 ブロフさんは即答した。

 万が一。万が一、トゥーラが負の感情を“共感(エンパシー)”させたとき、それに影響された自分を止める存在が必要だ、と。


「その時は俺を殺せ」

「ご心配なく。暴走して技量を発揮できないブロフさん相手なら、僕は確実に制圧できます」

「そうだな……ああ、そうだろうとも」


 僕たちはプロフェッショナルっぽい笑みを交わした。

 護衛仕事の傍ら、何度か手合わせして互いの実力も把握している。

 ブロフさんは強い。が、その強さは魔技と技量とそれらを繰るメンタルが組み合わさった精密機械だ。

 言い方は悪いが、パーツが損なわれた状態では僕が負ける要素はない。


「まったく。この歳になっていまだ遠き武の先を知れるとは、俺は幸運な戦士だ」

「僕は授かったものが良かっただけですよ」

「その通りだ。だが、その力を己の支配下にするためにお前が支払った時間と研鑽に、俺は敬意を表する。だから、安心してこの場を任せられる」

「……了解しました」


 そうこうしているうちに、おずおずとトゥーラがやって来た。

 丁寧に梳かれた金糸の髪が湖面の光を反射して燦然と輝く。

 つぶさに見ればやはり、彼女の顔はどことなくブロフさんに似ている。


「お、おはようございます、メイルさん、ブロフさん」

「あ、ああ……」

「おはよう、トゥーラ。予め伝えていた通り、今日で訓練は終わりです」

「ッ!! は、はい。ありがとう、ございました……」


 そう告げると、トゥーラはくしゃりと顔を歪め、喉元で励起する紋章に触れた。

 淡く輝く桜色の紋章に以前のような不安定さはない。


「みんなとふつうに話せるようになるなんて……ボク、ほんと、ほんとに……」


 トゥーラは言葉を詰まらせたまま俯いてしまった。その細い肩が微かに震えている。

 彼女にとってはまさしく青天の霹靂だっただろう。

 たまたま船に乗せた冒険者が、たまたま自分の魔技に理解があって、長らく頭を悩ませていた問題を解消できるとは思ってもみなかったのだろう。

 ……まあ、アーネストさんはここまで見越してカーレの船を紹介したんだと思うけど。お互い魔技に詳しいところはちょこちょこ見せていたし。

 ただ、あくまでそれはきっかけであって、トゥーラがここまでこれたのは彼女の努力の成果だ。

 実際、僕は話し相手になったのと、多少のコツを教えただけだ。

 魔技を繰るのは意思であり、それを支えるのは「自分の手が結果に届く」という確信だ。

 なによりも前に進もうとする彼女の意思が重要だったのだ。


「うん、制御もばっちり。よくがんばったね」

「はい……!!」


 ギリギリだったけど、ランガに着く前に仕事を完了出来てよかった。

 あとは、隣でブロフさんはむっつりした表情で硬直しているのが不安と言えば不安だけど……。

 ちょいちょいと肘で脇腹を突つく。硬い。カッチカチだ。じゃなくて。


「ブロフさん、ブロフさん。なにか言うことがあるのでは」

「少し待て。今喋ると涙を堪え切れん」

「そこまでかー」


 朝焼けの空を仰ぐ強面の戦士は絵になるけど、その、意外と可愛いところもある人だな。


「……ふふっ」


 ふと、小さな笑い声が場に響いた。鈴の音に似た澄んだ高音。

 視線を向けると、トゥーラは目元を拭って笑顔を浮かべた。

 あどけない泣き笑いの表情。朗らかでどこか安心するような笑みだ。


「ボクもずっとブロフさんとお話したかったです」

「ああ」

「……その、お父さんって呼んだら、迷惑ですか?」

「ふっ」


 あ、ブロフさんが死んだ。

 胸を押さえてくずおれたパパをトゥーラが慌てて抱き留める。致命傷だったらしい。


「メイルさん、笑ってないで手伝ってください!!」

「寝かせておけばいいよ」


 体格差で支えきれずに徐々に傾いでいくトゥーラを助け出しながら、僕は大いに笑った。

 ……父親、か。

 おそらく“運命の代替”はそういう重なりを生み出すのだろう。

 雛人形の原型とされる流し雛の人形が人の相似であるように、身代わりとなる際に「辻褄あわせ」が行われているとみていい。

 実際、二人の間にはいくつか遺伝子が仕事した痕がある。

 顔立ちから始まり、骨格、体臭にも――って、あれ、いつの間に“人喰い(カルニバス)”が起動してたんだろ。

 人間を探ることに関しては特級の魔技はプライバシーの侵害どころじゃない。色々と失礼だ。オフにしとこう。


 そうしてしばらく経って、なんとかブロフさんも再起動した。

 いつものしかめ面をどうにか保って、よろよろと立ち上がる。


「……トゥーラ殿」

「は、はい!!」


 改まった呼びかけ。

 ブロフさんは緊張も露わに何度も深呼吸して、トゥーラの前に片膝をついて右手を差し出した。


 それだけで、緩んでいた場の空気がしんと引き締まった。


 慌てて笑みを消す。笑っていられる状況じゃない。

 彼の所作がどのような意味を持っているかはわからない。

 ただ騎士の礼に似た印象を受けた。発想の起点は同じだろう。

 利き手は戦士の命だ。それを無防備に差し出すことは、心臓を差し出すことに等しい。

 ブロフさんは真剣だ。そのまま切腹すると言われても不思議じゃないくらい、真剣だ。


「五年前――」


 低く、決意のこもった声でブロフさんは告げた。


「五年前、母君にお伝えすること叶わなかった言葉を、どうか受け取ってほしい」

「……はい。ボク……わ、わたしでよければ」

「かたじけない」


 そのとき、ひとりの戦士だった男の顔に浮かんだ表情を僕はきっと忘れない。


「――私の命を助けていただき、ありがとうございました」


 それは朴訥で飾り気のない、精一杯の言葉だった。

 歯を噛みしめて震えを堪える男の頬を一筋の涙が流れる。

 五年間、伝えることを許されなかったすべてが、今、終わったのだとわかった。


「……」


 トゥーラはすぐには応えなかった。

 ぎゅっと目を閉じて、真剣に彼の言葉を受け止めていた。

 そして――


「ブロフさん、それにメイルさんも。ボクの歌を聴いてください」


 彼女の返答はとてもカーレらしいものだった。



 ◇



 すっと背筋を伸ばしたトゥーラがゆるりと緩やかな舞と共に声を発する。

 高く澄んだ一音。喉元の紋章は誇らしさすら感じるほどに眩く。

 すっと伸ばされた手足。果たしてヒトの手足とはこれほどに雄弁だっただろうか。

 月、雲、夜空。トゥーラの一挙手一投足に情景が浮かぶ。


 その歌は、カーレの祖神、愛と月の女神ルティナの歌だった。

 その歌は、ルティナ神が月を司る経緯を記した神話の一幕だった。


 この世のすべてに愛されたルティナ。

 だが、それゆえに彼女を巡って争いが起きた。

 この世のすべてに愛された女神は同時に、偶像(トロフィー)としての価値も計り知れなかったからだ。

 ルティナにとっての一番とはすなわち、この世界の一番に等しいからだ。


 争いは留まるところを知らず、ついには戦乱の兆しすら見えた。

 旅と祭りと喧噪を愛し、しかし戦いを厭う調停者でもあったルティナはそこで一計を案じた。


 彼女は、父神たるアリアルドをただひとりの夫と宣言したのだ。


 多くの者は困惑した。

 空の神アリアルドは姿なき神。あまりにも大きくて、その姿を捉えることは誰にもできないのだ。


 ゆえに彼女は“月”を任じた。


 太陽と月はすなわち、空を司るアリアルドの両眼である。

 天空にひときわ輝く両のまなこ。

 燃え盛る右の瞳と、静謐を湛えた左の瞳。

 ルティナは神としてのすべてを、月に捧げたのだ。


 ゆえに彼女は月の神。

 万物を愛し、その愛を天に返した月の神――――。




 けれどもやはり、ルティナは奔放で、時折ふらりと旅に出てしまう。

 だから、新月の夜はこの世界のどこかに彼女が降り立つ夜。


 いつかどこかで巡り合う、月に一度の夜なのだ。




 そうして、歌は終わる。

 叙情的な始まりから、壮大な終盤、そして茶目っ気のある締め。

 まさしくこの歌はルティナ神そのものだ。

 僕は知らず感嘆の息を吐いていた。自然と拍手していた。

 芸術を解する能がなくとも、彼女の“共感”の対象外でも、伝わるものがあった。

 納得と感動があった。

 だから、カーレは他のどの種族よりも高らかに歌い、誇りを以って舞うのだ。

 自らの愛した祭りと喧噪を離れ、夜に浮かぶ月となったルティナに捧げるために。

 新月の夜に降り立つ彼女が静寂に沈まぬように。

 それは祈りだったのだ。


「……この歌はカーレに伝わるおとぎばなしです。カーレはみんなこの歌を聞いて育つんです。ボクが今ここにいるのはお父さんのおかげです。この歌を聞いて育ちました。だから、いいんです」

「そうか……そうか」


 ブロフさんは涙を堪えるように再び空を見上げて固まってしまった。

 茶化すものでもないし、そっとしておこう。僕はトゥーラに水を向けた。


「いい歌だね。舞台では歌ってなかったみたいだけど」

「古い歌で流行ではないですし……それに、自画自賛になっちゃいますから」


 トゥーラは眉根を寄せて困ったように笑った。

 ……自画自賛、ね。

 一般に、ルティナ神は自由で奔放な神と解釈されている。

 実際には戦争を調停した等の真面目なエピソードも多くあるのだけど、顧みられることはあまりない。

 第一印象というのは神様にもあるらしい。

 だから、他種族からしてみれば、この歌は不自然に先祖を称賛しているように見えるのだろう。

 魔技を受け継ぐ種族という括りに強い拘りのあるこの世界にとって、先祖と自分たちはほぼイコールで結ばれるものだ。トゥーラの言葉も間違いではない。


「もったいないね。僕でもいい歌だと思うのに」

「ホントですか!? メイルさん、く、訓練の時は反応よくなかったので、てっきりボクの歌は気に入らなかったのかと……」

「メイル、お前」

「復活したと思ったら今にも人殺しそうな目はやめてください、ブロフさん!!」


 冤罪だ。冤罪である。しかし僕のミスでもある。

 カーレはわりと大げさにリアクションしないと認識してくれないところがある。おそらく、種族的に感情が伝わりやすい弊害だろう。


「とにかく冤罪です。断固として無罪を主張します。弁護士を呼んでください」

「冗談だ」

「真面目な顔でそれはキツいです」

「そうか? これでもカーレと行動を共にして諧謔が身に付いたと自負しているのだが」


 むむっと唸るブロフさんを見て、トゥーラはもう一度笑って、それから優しいまなざしで僕を見つめた。


「ボクの歌がイヤじゃないなら、メイルさん。その、これからも一緒に旅しませんか? もちろん、ノキアちゃんやフィア様も一緒に、みんなで――」

「……ごめん。それはできないんだ」


 この気持ちのいい親子に隠し事はしたくない。二人は魔技からなにまで露骨に怪しい僕にも、真心をもって接してくれた。

 僕は外套を外し、上着を脱いで、ふたりに背中を見せた。

 粘土の翼の生えた、人外の背中を。

 息を吞む音がふたつ、無駄に鋭敏すぎる天使聴覚に届いた。


「…………それがお前が旅する理由か。魔技をおのれに使ったな」

「はい」

「後戻りはできぬとわかっていただろう」

「はい。でも、勝つために必要なことだったので」

「……戦士の覚悟だ。俺には称えることしかできない」

「ありがとうございます。でも、後悔はあんまりしてないんです」


 そのとき、どん、とトゥーラが勢いよく背中に抱き着いてきた。

 肉感的な感触と、舞の直後で熱を持ったままの体温が触れる。


「こんな……ボクのことなんて気にしてる場合じゃないですよ!?」

「仕事は仕事だからね。それに、どうにかするための方法を探してるんだ。トゥーラは気にしなくていいよ」


 そう言ってもトゥーラが泣き止む様子はない。

 僕は困ってブロフさんに助けを求めるように視線を向けた。


「成程。だから、西部開拓地か。魔物の持つ人化の魔技が狙いか」

「はい」

「生半可な旅路ではないぞ?」

「それでも、必要なことですから」

「お前はそう言ってどんな困難も乗り越えてしまいそうだな。トゥーラ、笑って見送ってやれ。メイル達の旅は決して悲しいものではない」

「……うん」


 トゥーラは目元を拭い、朝日に照らされる甲板で、柔らかな笑顔を見せた。


「――貴方の旅路に月神ルティナのご加護がありますように」


 その笑みに込められた想いは、“共感”の対象外の僕にもたしかに伝わった。




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これだけ頻出してるなら、人喰いの暴走を暗喩しているのか?それとも馴染むにつれて制御しなければずっと発動する王のシステム?
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