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火曜日。将来の悩みはさておき、今日は郊外の森で山菜摘みだ。
めいめい籠を背負って、春の恵みを頂戴しにやって来た。
鬱蒼とした森の中はそこかしこで木の根が地表を侵食し、コツを掴まないと歩くのにも苦労する。
僕やリタは何度も経験したから慣れているけど、まだ数回目の弟妹たちはちょっとぎこちない。
ヴァーズェニト周辺にはいまだ人の手の入っていない森が大きく広がっている。
開拓が遅れている理由は単純。魔物が出るからだ。
なので、山菜摘みひとつとっても命懸けだ。ファウナ先生が警戒についているとはいえ、危険がないわけではない。
できればやりたくないし、弟妹たちを連れて来たくもない。
けど、彼らを養うにはやらなきゃいけないし、こうした経験を積ませておかないと、彼らが独り立ちしたあとに飢えを凌ぐ手段がひとつ減る。今日より明日なんじゃ。採った山菜は今日の夕飯になるけど。
とはいえ、無策で森に来ているわけではない。
入るのは弱い魔物の縄張りである外層域までと決めている。小鬼や角突き鹿なら僕でも倒せる。
むしろ素材が収入になるので無理のない程度に出てきてほしいくらいだ。
加えて、前日に冒険者が中層域で狩りをしたことも冒険者の宿で確認済みだ。
これを確認しているかどうかで生存率は大きく変わる。魔物も生物だ。一度狩られれば次が成長するまでに時間がかかる。
「お、クラネの実がある。今日は運がいいな」
森に入ってすぐ、僕は蔓から垂れ下がった濃い赤色の実を見つけた。
採り尽くしてしまわないよう、いくつか残して背負い籠に実を放りこむ。
古木に巻きつくように生えた蔓の実は、前世で言うところのアケビに似ている。
この実は生食も可能なため競争率が高い。森に棲む魔物たちに先んじて見つけられたのは幸運だろう。
……ほんとに幸運かな。少し違和感がある。
獣道周辺にあるクラネの実をゴブリンが見逃すとは思えない。彼らの魔技は“悪食”だと推測されている。何でも食べて栄養にしてしまう彼らは、目についた食べられそうな物は何でも口にする。
一応、冒険者が行き掛けの駄賃にゴブリンをゴブゴブした可能性もあるけど、それ以外の可能性も考慮しないといけない。
安易な判断は下せない。僕の判断ミスで犠牲になるのは弟妹たちだ。
「リタ、今日は早めに切り上げよう。子供たちを集めて」
「まだお昼よ。どうしたの?」
「ゴブリンの痕跡が見当たらない。別の魔物が棲みついているのかもしれない」
「……わかったわ」
リタは頭の回転が早い。これだけで危険性が伝わったらしく、手早く弟妹たちを集めている。
今日連れてきているのは孤児院でも年長の子たちだ。魔物の怖さを知らない子はいない。素直に従ってくれるだろう。
「あとはファウナ先生か……」
先生はたぶん外層域と中層域の境目に陣取って睨みを利かせている。
山菜摘みに来た時、先生は意図して僕らから離れる。
曰く、「近くにいては意味がありませんから」とのこと。
その意図はわかる。魔物は強者の気配に驚くほど敏感だ。先生が近くにいると外層域の魔物はまったく近付いてこない。
――それでは安全過ぎるのだ。
僕らは山菜摘みに来ると同時に、経験を積みに来ている。
森の中の変化に気付く注意力、突発的な遭遇への対処能力、それらを養わなければ、この先生きのこれない。
僕もこれまでの経験がなければ、たぶんクラネの実の違和感に気付かなかった。
危険ではあるけど、先生の教育方針は正しかったのだろう。
「メイル、全員集まったわよ」
「ありがとう、リタ。周りに注意しながら森を出よう」
「ええ、後ろは任せるわ」
そう言ってリタは先頭を買って出る。一方の僕は最後尾で伏撃を警戒する役目。
腰裏には先日作った鉄鞘入りのナイフ。トーマスさんとの擬似的な合作であるこのナイフだけど、たしかに切れ味がすごかった。
危うく、まな板まで両断するところだった。トーマスさんもわざわざ鉄で鞘を作るわけだ。まったくもって頼もしい限りである。
「にーちゃん、今日はもうかえるのか?」
そのとき、声変わり前のやや高い声が聞こえてきた。
視線で促すと、前の列にいた赤髪の男の子が慣れた様子でぴょんと根から根へと跳んできた。
彼の名前はジェイク。向こう見ずだけど活発で、場のリーダー的な位置にいることが多い子だ。
「ちょっと早くないか? まだキケンってきまったわけじゃないんだろ?」
「いい質問だね、ジェイク。じゃあ、逆に訊くけど、君は下の妹たちを守りながら熊や狼と戦えるかい?」
「……むり、だと思う」
「それが質問の答えだ。リーダーは全員の命を預かる立場だ。集団で行動する時は一番弱い立場の子のことまで考えなきゃいけない。今回の判断は彼らの身の安全の為なんだ。わかったかな?」
「うん、わかった!」
「よし。じゃあ、リタに怒られる前に列に戻るんだ。めっちゃ睨んでるから」
「ご、ごめん……」
ジェイクはそそくさと列に戻っていく。
その小さな背中を見ていると、らしくもなく感慨が湧いてきた。
彼はいま八歳。来年、僕が独り立ちするときには次を託すことになる。
さっきの質問も、意図してかはわからないけど、不満そうな弟妹たちの雰囲気を察したからだ。その気づきの良さはリーダーとして武器になる。
僕は、ちゃんと次の世代を育てられたようだ――などと思うのは、先生やリタに悪いだろう。
別に僕だけの手柄ではない。みんなで助け合い、支えあった結果だ。
ただそれでも、こことは違う世界から来た僕がちゃんと馴染めているのだという実感がある。
今はただ、それが嬉しい。
◇
その後、何事もなく森を脱出できた。
思わず胸を撫で下ろす。森の周囲には子供の胸元ほどの石の防壁が築かれ、その足元には投擲用の小石が転がされている。
森の魔物への備えだ。これらがあれば、一般人でも中層域から迷いでた魔物をどうにか撃退に持ちこめる。
「……フラグじゃなかったか。よかった」
冗談はともあれ、まずは弟妹たちを防壁周りの日陰に集合させる。
子供は体力配分が苦手だ。走り回っていたと思ったら次の瞬間には電池が切れたように眠ってしまう。
これから街まで戻らないといけないのだ。各自に水分補給を徹底させつつ、とにかく休ませる。
「あとは……そうだ、先生を呼ばないと」
僕は首から提げた小指ほどの小さな木笛を取り出すと、森に向けて吹いた。
ピーッと甲高い音を短く区切って三回。撤退の合図だ。
この笛はさりげに前世知識由来だったりする。小学校の工作ってすごい。
まあ、単音で音程も考慮しないなら構造は単純なので、五歳児のイメージでも割とすぐに作ることができた。
それでもって、元々はみんなの玩具兼防犯グッズとして量産してたんだけど、ふと前世で観た忠臣蔵のドラマを思い出して、森での活動に使ってみたらと進言したのだ。
これがどうもけっこうなアタリだったらしい。
先生のツテで広まったのか、そのうちに街を警邏する騎士も同じ笛を首から提げ始めた。
笛自体はこの世界にもあったけど、小型化は日本人のサガか。
実物があれば“魔技”でコピーするのも簡単だっただろう。儲けるチャンスを一個失ったことだけが残念でならない。
閑話休題。
笛の音はゴブリンあたりも呼んでしまうので、森の中ではよっぽどのことがない限り使わないよう厳命されているけど、遠くへの合図としては便利だ。
加えて、戦闘・警戒中の先生の聴覚はかなり鋭いらしく、森のどこにいても聞き逃すことはない。
膂力強化に知覚強化。筋肉と神経系。肉体強化の中でも複合強化は上位系統に分類されると聞いた。ほんと何で孤児院の先生やってるんだろう。
「リタ、先生が戻ってきたらそのまま街に戻るよ。怪我してる子はいないかな?」
「大丈夫。けど……」
「けど?」
珍しく歯切れの悪いリタに目を向けると、森を見つめる彼女の瞳が淡い碧色に輝いていた。
紋章の光、“賢人”の魔技を発動しているのだ。
“賢人”の効果は『頭が良くなる』と言われているけど、リタの話を聞く限りでは、脳の思い出す機能を強化しているようだ。
彼女は今、目の前の違和感を自分の見聞きした十年分の記憶に照らし合わせているのだろう。
「お兄ちゃんの言う通り、今の森の状態はおかしいわ。なんていうか……」
随分と深く潜っているのか、リタの口調が素に戻っている。
けれど、僕には彼女が何に引っかかっているのかわからない。
……少し、考えてみよう。
『まずゴブリンより始めよ』というのが冒険者の定型句らしい。冒険者酒場にいたおっちゃんたちをヨイショして聞きだした。
あらゆる場所にゴブリンはいる。砂漠にはデザートゴブリンが、雪山にはスノウゴブリンがいる。
ゴブリンはずる賢く、獰猛で、面倒くさがりで、しかし他のどの魔物よりも臆病だ。
魔物は強者の気配に驚くほど敏感だけれども、わけてもゴブリンの生存感覚は優れているのを通り越して魔的ですらあるという。
だから、冒険者は狩り場に入るとまず彼らの痕跡を探す。
ゴブリンが我が物顔で荒らしている狩り場には大型の魔物はいない。仮にいたとしても草食の魔物だ。冒険者は比較的安心して狩りに勤しむことができる。
逆に、彼らが糞や住処を隠し、こそこそ暮らしている場所は要注意だ。
そういう場所には、肉食の魔物や彼らと生活様式の似た人型種族――大鬼や巨鬼がいる可能性がある。
そして、ゴブリンの痕跡がまったくない場合。
どこにでもいる筈の彼らが矢も盾もたまらず逃げ出してしまう場所。
――ひとつの地域で数十年、数百年に一度あるかないかというそれを、僕は考慮の外に置いていた。
それは、ある一体の魔物が完全な支配圏を確立してしまった場合だ。
絶対支配を敷くは、ゴブリンすらも逃げ出す野生の暴王。
「お兄ちゃん、今すぐここを離れましょう。――森が静かすぎる」
――――その特異個体の魔物を、冒険者は“ヌシ”と呼ぶ。
瞬間、森の一角が爆発した。
離れているのに、そうとしか思えないほどの衝撃だった。
もうもうと土煙が立ち上り、破砕音が連続して響く。
次いで、木々を乱暴に蹴り砕きながら、ソレは僕らの前に姿を現した。
一見して、ソレは鈍い鋼色の装甲を纏った巨大な猪だった。
大きさはインド象に伍するだろう。緩く弧を描く長い牙は馬上槍を彷彿とさせる太さだ。
装甲というのも比喩ではない。ソレの外皮は半ば以上が鋼鉄で出来ていると聞いた。
この森の外層域の“ヌシ”となったその魔物は【メタルボア】という。
通常個体であっても、討伐には狩猟専門の冒険者が十人ばかし必要になる危険な魔物だ。
「――GRRRRRRRR!!」
メタルボアが咆哮をあげる。
大気がビリビリと震えて、離れているのに鼓膜が破れそうだ。
「ア、アイツ怒ってるの!?」
「そうみたいだね。ヤバいな」
メタルボアが怒っている理由は明白だ。
奴の右目は真新しい爪痕によって斬り潰され、見るも無残に化膿している。あれでは視力も完全に失われているだろう。
……他の魔物と争って縄張りを追い出されたか。
話を聞いた冒険者たちの記憶が正しければ、メタルボアの生息地は鉱山の筈だ。
奴の主食は鉄鉱石。森の中に転がっている分ではあの巨体を維持することはできないだろう。
そして僕らは、各々ナイフやら鉈やら鉄製の武器を持っている。
(武器を置いて逃げれば……無理だろうな)
あそこまで興奮してるとなると、目につく相手を殺してストレス発散してからでないと食事をする気にはならないだろう。
先生が戻ってくるまで、目算であと五分。
それまでどうにか時間を稼がないと、僕らは全滅する。