13
ノキアが“水冠”の魔技を止めても、小雨は止む様子がない。そのあたりの微調整ができる魔技ではないのだろう。
ぱらぱらと降る雨粒が当たって、ぼろぼろの外套が仄かな熱を発し、蒸気を吹きあげる。
注意深く見れば、うっすらとフェネクスを図案化した紋様が脈打っているのがわかる。
冬には便利だけど、夏は暑そうだな。
「ど、どうですか?」
「封じるのには成功したよ」
お互いに抱き合ったまま、興味深げな顔をしたノキアに応じる。
意識してみると、心臓のあたりに真紅の紋章が走り、ぼっと音を立てて僅かに炎が散った。
“炎命”の魔技だ。支配にも成功したらしい。
やはりというべきか、これがヌシとしての僕の支配方法なのだろう。
あとは、フェネクスの意識がどのくらい残っているかだけど……この感じだと、辛うじて存在しているといった程度のようだ。
おそらくフェネクスはかなり自動的な存在だったのだろう。動物よりも植物に近い感じだ。
思い返してみれば、攻撃もかなりパターン化していた気がする。
まあ、歌って脅せる配下はひとりで十分だし、それはそれで悪くない。
それよりも、だ。
「ノキア、その、楽しんでるところ悪いんだけど……ゆっくり急いで着地してくれないかな? 実は僕、高い所が苦手なんだ」
いまだに僕らは夜空の天辺にいた。
空を飛べることがほんとうに嬉しいのか、ノキアは先ほどからくるくると遊覧飛行を続けていて、高度を落とす様子がない。
まことに心苦しいんだけど、戦闘の熱が冷めると、途端に背筋に冷や汗が浮いてきた。
「メイルは、わたしと飛ぶのが嫌なのですか?」
「嫌とかそういうんじゃないんです!! 生理的な問題で――」
そこまで言って、ノキアが冗談を言ったことに気付いた。
露わになった空色の瞳が弓なりに細められている。
なんというか、案外お茶目な子だな。これが素なんだろうか。
そのうちに、彼女はゆっくりと羽ばたいて徐々に高度を落としていった。
天使眼下には蟻の頭ほどの大きさで火山や山岳都市ヴァナールが見える。
幸いにも降り続けた雨で火はあらかた鎮火したらしい。山火事にでもなったら目も当てられなかった。
さらに視線を転じると、地平線のむこうに朝日が顔を出しているのが見えた。
眩しい輝きに思わず目を細める。
黒い空が、徐々にノキアの瞳と同じ色に変わっていく。
そうか。夜が明けたのか。
「ねえ、メイル」
「なに?」
囁くような声音に視線を転じると、頬が触れるような距離でノキアは神妙な顔をしていた。
「お礼を言わせてください。フェネクスのこと、魔技のこと。わたしの諦めていたすべてを、あなたはくれました」
「いいんだ。代わりに、僕は君のこれからを奪った」
混血の紋なしが魔技を使えるようになった。それは社会の常識を根底から覆す事柄だ。
天使(仮)である僕よりも社会的に危うい。受け入れられるとは、とてもではないが思えない。
だから、彼女はヴァナールに戻ることは出来ない。僕の旅についていくしかない。
旅は楽しいけれど、そればかりではない。
今日ここで死んでいた方がマシだったってこともあるかもしれない。
そういう旅路に、僕は彼女を放りこむのだ。
だけど、そう告げると、彼女はふるふるとかぶりを振った。
「それでも、わたしが今生きているのはあなたのおかげですよ、メイル」
「……この世界に、人外の居場所はないかもしれない」
「なら、わたしがあなたの居場所になります」
「――――」
驚き、見つめると、ノキアはそれはそれは見惚れるような笑みを浮かべた。
朝日の中で輝くように彼女は微笑む。
はじめて見た彼女の笑顔は、ほんとうにきれいだった。
幸せな感触と恐怖の感覚が肩を組んでいた遊覧飛行が終わり、僕らは地面に足をつけた。
途端に、ノキアがふらついたのを抱きとめる。
はじめて魔技を使ったのだ。精神力が枯渇しても不思議ではない。
「お疲れ。辛いなら寝ててもいいよ」
「いえ、その前にやることがありますから」
ノキアの視線はサルヴァに肩を貸されたまま走ってくるクランさんを見つめている。
そうか。長年の付き合いだもんね。積もる話もあるのだろう。
「行っておいで。僕はちょっとやることがあるから。って、歩ける?」
「大丈夫です。自分で、歩けます」
「そっか」
ノキアはところどころ焼け焦げた装束を脱ぎ捨てて軽装になると、ゆっくりと一歩を踏み出し――たところでぴたりと止まった。
「どうしたの?」
「忘れ物をしていました」
そう言ってノキアが振り向いた直後、頬に柔らかな感触が触れた。
え、と思う間もなく、ノキアはさっと離れてしまった。
まじまじと見つめると、彼女は俯いて前髪で目元まで覆ってしまう。
それでも、耳まで真っ赤になっているのは隠せない。
「ぶ、武勲をあげた騎士には、貴婦人が口づけを与えるものだと本にありました!」
「僕は騎士じゃないよ」
「わたしも貴婦人ではありませんが、こういう時はこうするものだと思ったので! そ、それでは!!」
最後まで恥ずかしげな表情のまま、ノキアは走り去って行った。
転ばないか心配だ。でも、大丈夫だろう。たとえ転んでも、彼女はもう自分で立てる。
雨はいつしか止んでいた。
◇
頬に触れた感触を思い出しながら、僕は踵を返す。
名残惜しいけど、ここからは歌って脅す時間だ。
思い出したように、焼け焦げた硫黄臭が鼻をつく。
『お疲れさん。討伐には成功したみたいだな』
「――カルニ」
火山の天辺に突き立った大剣を見る目は、図らずも厳しいものになる。
ノキアを昇華した結果、僕は彼女のこれからを背負うことになった。
無責任に投げだすことは出来ない。最低でも、人間カテゴリーでなくなった彼女が安心して暮らせるようになるまでは、面倒をみるべきだ。
僕がその責任を投げだせるような男なら、そもそもヴァーズェニトを出奔してなどいない。
僕のしたことのツケは僕が払う。ノキアにだけ背負わせはしない。
とはいえ、こういう結果になったことに文句はない。僕が決めて、僕が実行したことだ。
…………同類ができて嬉しい気持ちも、ちょっとはある。
「だけどカルニ、お前は別だ」
『いいツラになったじゃねえか。王はやっぱそうじゃなきゃな!!』
ケラケラと嗤うカルニの狙いは別にあった。
ノキアを昇華し、彼女の人生を背負った僕は「人間に戻る」という目的を変更せざるを得ない。
その手段では彼女は紋なしに戻るだけだ。希望を与えた上で奪うのはあまりにも無体だろう。
僕はこれからも人外ロードを走り続けることになる。
それこそがカルニの狙いだ。
僕を王に、ひいては「最強の唯一」にするためには、人間に戻られては困るのだから。
「お前がフェネクス討伐に反対しない時点で気付くべきだった」
『だが、必要なことだった。あの娘はうってつけだった。昇華で魔技を与えれば必ずオマエの配下になるとみた。予想以上に懐いたのはオマエの人徳ってやつだな』
「善意の押しつけだよ、それは……」
カルニは配下として、僕が生き残る確率を上げる為に最適解を選んでいる。
他者を食い物にすることを躊躇わない弱肉強食の発想だ。
頭が痛くなってくる。悪意がない上に言ってることは正論なのが度し難い。
――中途半端はするな。
ノキアの現状を変えるには昇華するしかなかった。
まったくもってこの大剣は正しい。
「でも、腹立つしここで不法投棄しておこうか」
『構わねえぜ? オマエは王としての一歩を踏み出した。オレのすべきことは終わった』
「だろうね」
飄々と宣うカルニを持ち上げ、火山の内部をひょいっと覗きこむ。
フェネクスが散々に暴れて崩した上、当の本人もいなくなって、かなり冷え込んでいるようにみえる。溶岩は黒く固まり、発せられる熱も薄く汗ばむくらいのもの。
これは迷うところだ。正直、この程度のぬるさではカルニは融けないし、僕でも取りに行けてしまう。
僕が取りに行けるということは、そこそこ高位の魔物なら取りに行けるということだ。
一応、有力候補地としてキープしておいて、他を探すべきだろう。
深海とか、砂漠とか、迷宮とか、選択肢はまだたくさんある。
「仕方ない。もうしばらく付き合って貰うよ、カルニ」
『そうかい。せいぜい背中に気をつけるんだな、メイル』
最後まで憎まれ口を叩く大剣を背に負う。
喋る大剣に、燃える外套。厄ネタ装備も充実の一途をたどっている。
けれど、そういう旅だと思えば悪い話でもない。
仲間だってできた。責任は増したけど、きっと一人旅よりも楽しいはずだ。
「そうだ、カルニ」
『なんだ?』
「僕は諦めないよ」
『あん?』
「僕の目的はヴァーズェニトに帰ることだ。別に人間に戻る必要はなかったんだ。ただ、見た目とか気配とかを人間に偽装できればいいだけで」
『……あ』
訝しげだったカルニは、ここでようやく自分の失言に気付いたようだ。
僕はにやりと笑みを浮かべて、黒塗りの大剣を乱暴に小突いた。
「言ってたよね、人化できる魔物がいるって。そういう魔技を持つ輩を昇華して装備すれば僕の目的は達成されるわけだ」
『テメッ、それは卑怯だろ!! 心をオーガにしたオレの決意はどうなるんだよ!!』
「卑怯なもんか。限られた条件の中で目的を達成するだけよ、元オーガめ」
『いやいや。ここは諦めて王サマになるところだろうが。今なら大将軍もついてくるぞ』
「口だけ大将軍じゃないですかやだー」
やいのやいのと言い合いながら、僕らは火山を後にする。
フェネクスのいなくなった火山は、ゆるやかにその活動を休めていった。




