8
その後、名残惜しくもエルフ図書館を後にして、僕はヴァナール郊外に出た。
燦々と照る初夏の日差しが眩しいけれど、吹き下ろしの涼しい風が吹くため暑さはさほど感じない。
ぱたぱたと揺れる外套を押さえつつ、人目につかない岩山に腰かけ、周囲を見渡す。
できるだけ同じ材質の岩がある場所を選んだだけあって、薄い下草の他はごつごつとした岩ばかりだ。
生き物の姿はみられない。ヴァナール近郊はフェネクスの縄張りだ。並の魔物では近付くことすら許されない。
カルニの知識によると、魔物のヌシにはふたつのタイプがあるらしい。
すなわち、「配下を支配するか」「場所を支配するか」。たいていのヌシはこのどちらかによって自己をヌシと定義する。カルニや僕は前者、フェネクスは後者に分類できるだろう。
このあたりは元となった魔物の魔技による部分もある。
強い人間を喰らうべき“人喰い”は旅しながら人間の住処を襲うのが効率的だろう。
逆にフェネクスは“炎命”という魔技の性質上、火が常に近くにある場所、つまり火山に陣取るのが合理的であり、縄張りを移すメリットは薄い。生物から現象に近付いた高位の魔物であれば食事もさしていらないだろう。
もっとも、魔神イムヴァルトの教義的にはどんどん縄張りを広げ、配下を増やしてヒャッハーするべきであり、フェネクスの方法はかなり消極的だ。
けど、人類と同じく魔物も各々で信仰の濃淡がある。誰もが熱心に「最強の唯一」となることを求めている訳ではない。
仮にそんなことになったら人類はたぶん滅ぶ。大人しくしてくれるのならそれに越したことはない。それはそれとしてフェネクスは倒すけど。
「ともかく、配下の魔物はいなさそうだね」
『野郎が神話通りの炎の使い手なら、火山に適応した程度じゃ消し炭だろうしな』
「よかった。カルニみたいな二重魔技だと本格的に手が付けられなかった」
それでもキツイことに変わりはないけど、多少はマシだ。
なお、ヌシになったからといって、常に複数の魔技を使えるわけではないらしい。
現に僕も“昇華”と“人喰い”を同時に使うことはできない。
どれだけ存在強度が高くても、そのための資質を有していなければ二重魔技にはならないようだ。
そしてそれは、おそらくかなり珍しい資質だ。
“人喰い”と“熱狂”を同時に使用したカルニがおかしいのだ。本気でやばい魔物だったんだと改めて思う。
五年前、もし彼がもう一種でも魔技を使えたら、たぶん勝敗は変わっていた。
「そういえば、カルニはフェネクス狩り止めないんだね」
『オレだって色々考えてるんだよ。それに、止めても無駄だからな』
「無謀だって自覚はあるよ?」
『だが、オマエの本質は戦士だ、メイル。いつだって自分の命の使いどころを探している。無謀であることは足を止める理由にはならない』
「……」
『戦士はいつかは死ぬものだ。馬鹿な生き方をしようがしまいが、それは変わらねえ』
「……そうだね」
さすがに、いつも一緒にいるカルニの言は無碍にはできない。
火の中にわざわざ手を突っ込む生き方をしている自覚はある。
今回だってそうだ。気に食わないからって神話の魔物に挑むなんて馬鹿げている。
馬鹿げているけど――
「でも、ノキアは一度として笑わなかった」
『……』
「あれほど会話の機微を理解している子が、演技でも笑うことができなかったんだ」
それを見逃すことを、僕は自分に許していない。
生きると決めた。よく生きると、誓ったのだ。
だから、気付いてしまった以上、見て見ぬふりはできない。
そんな世界をそのままにしておくことはできない。
なにもかもが気に食わなくて、どうにかできる力が自分にあるなら、動かないと嘘になる。
「ほんと我ながら馬鹿な生き方だなあ」
『かもな。けど、そういう生き方は、なんだ、その……かっこいいんじゃねえか』
「……ふふ。ありがとう、カルニ」
ぶっきらぼうなくせに気遣いだけは一丁前な相棒に、僕は笑みを返した。
さて、気持ちを入れ替えて今回の青空魔技教室に移ろう。
トーマスさんに「研鑽を怠るな」と言われた通り、旅の間でも僕は可能な限り“昇華”を磨いてきた。
おかげで、基本的な武器の類は見本なしでも作れるようになった。
魔技の基本は認識、つまりはイメージだ。
確固としたイメージを持つことは上達のための必須条件と言える。
相手に合った道具を作れる“昇華”ならば特に、まず発想で相手の上をいかねばならない。
「そんなわけで、本日のお題はフェネクス対策の兵器です」
僕とフェネクス。
いかに改造天使ボディでも、素で神話級の存在強度を上回れる可能性は低い。
一方で、存在強度は肉体の損傷に左右される。あるいはメンタルコンディションすら影響しているかもしれない。そのあたりは正確な数値がないので感覚の話だ。
「最終的に合成昇華で決めるにしても、まずは相手を削る必要がある」
『言いたいことはわかるが、ナニ作る気だ? このあたりにゃ岩しかねえぞ?』
「……空気、かな」
『ハア?』
「その言い方すっごい腹立つ!!」
『いや、オマエのやることに文句つける気はないけどな……』
呆れたように溜め息つくカルニはあとで埋めるとして作業に移ろう。
“昇華”の本質は存在強度を引き上げることにあるけど、その際に、対象の形状や重量を変化/変質させることができる。
死体という推定炭素を金に変えることもできるのだから、応用範囲はかなり広いだろう。
そして、この付随効果は非常に悪用が捗る。なんかもう悪用することしか考えてないけど、とりあえず悪用する方法をひとつ思いついている。
すなわち、同じ物質の状態変化だ。
今までは固体しか昇華してなかったけど、ここで新たな悪用方法に着手しようと思う。
この異世界でも、水を沸かせば蒸気になり、蒸気が冷めれば水滴になることは確かだ。
それが科学的な法則によるものでなくとも構わない。
いわゆる相転移、位相の変化が存在しているのなら、ひとつ、どこにでもある物でフェネクスをやり込められる可能性がある。
右手に紋章を起動。
まずは手ごろな石を昇華して金属製の水筒を作る。
大きさは薬缶くらい。強度もかなり必要なのでこれ以上大きくするのは難しい。
内部は二重構造にして外層と中瓶の間の空気を抜き、限りなく真空に近い断層を構成する。
いわゆる、魔法瓶。正確にはデュワー瓶だろうか。
原理と構造はシンプルだけど、まともな設備なしで作るのは難しい。
そして、そういう物こそ魔技の「イメージから直接結果を導く」という性質が活きてくる。
魔法瓶自体は前世でも馴染みがあったから、イメージはしっかりできていた。
旅にも便利だし、これまでに何度か作っているから失敗はない。
ちなみに金策手段でもある。分解すれば二重構造であることまではわかっても、真空構造まで見抜かれることはまずないからだ。
ひとまず一個作って一旦休憩。精神力の回復を図る。
そして、問題はここからだ。
僕はこれから五年の間に失敗し続けたとある物質の昇華に、あと五日の間に成功しなければならない。
『さっきは空気って言ってたが、作ってんのは水筒じゃねえか。氷水でもぶっかける気か?』
「基本はそのつもりだよ」
『……本気か? 雨でも降らせる方がまだ勝機があるぞ』
「それは中身によるんじゃないかな」
論より証拠だ。
魔法瓶をひとつ選んで蓋を開け、右手を突っ込む。
中身は空だ。しかし、何もないわけではない。
魔技を行使するための第一段階は認識にある。
対象の画定と言い換えてもいい。
詫びチートの場合は右手で触れる動作でこれを定める。
言い換えれば、触れたという確信がなければ、僕は魔技を行使することができない。
これまで「大気」を昇華することができなかった理由がそれだ。
鍛冶師は長い時間をかけて認識を広げることで、より多くのものに魔技を行使できるようになる。「出来の結び」と呼ばれるある種の秘伝だ。
けど、今は悠長に訓練している時間はない。
だから、ちょっとした裏技を行うことにする。
今の僕でも大気に触れたと認識する方法はある。
つまり、筒の中という限定された空間ならば、僕でも大気の存在を確信できる……ハズだ。
確信できると思いこむ。ここまで状況を限定した以上、あとはイメージの問題だ。
今までできなかったのは気合が足りなかったからだ。
できるできる。絶対できる。殆ど自己暗示みたいに自分で言い聞かせながら昇華を発動する。
そこにある存在の中から望む成分を抽出、冷却し、満たすイメージ。
すなわち――――。
………………。
…………。
……。
ふと、頬を撫でる風の冷たさを感じ、ぱちりと目を開けた。
直後に、闇に塗り込まれた光景に驚き、慌てて天使アイを暗順応させる。
いつの間にか、外は夜になっていた。
冴え冴えとした満月の光だけが岩山を照らしている。
「カルニ、どのくらい寝てた?」
『半日ってところだな。三日も起きっぱなしだったから仕方ねえよ』
「そっか。今日で四日目か」
ぐっと伸びをすると背筋がバキバキと鳴った。ずっと座り込んで作業していた弊害だ。
結局、昇華に成功したのは二日目の昼ごろだった。
殆ど偶然に近い一度目の確信を縁に、イメージが薄れる前に魔法瓶ごと作る合成昇華に移行、量産。
精神力と体力の欠乏で意識を失ったのが四日目の早朝。
正直、作る端から気化するのでイタチごっこの感はあった。間に合わないかと焦ったせいで、余計に失敗が嵩んだ気がする。
「これで、なんとかなるかな」
『効果があればな』
「まあ、なかったらなかったで力押しするだけだ。結論は変わらないよ」
あとは作った分を火山まで運ばないといけないんだけど、けっこうな手間だな。
冒険者酒場で人手を募るか。幸い、ロック鳥をソロで討伐したおかげで荷運びを雇う程度の余裕はある。
あと、できれば明日の夜までに一回きちんと休みたい。寝不足で負けましたとか洒落にも――
――その瞬間、不意にすさまじい悪寒が背筋を走り抜けた。
「……か、はっ」
視界がチカチカと明滅し、心臓が痛いくらいに跳ねまわる。
一瞬止まりかけた呼吸を強引に息を吐いて取り戻す。
気持ち悪い。なんだこれ。
いや、わかる。これは、これは恐怖だ。あまりにも莫大すぎて体が処理しきれないのだ。
『北だ、メイル!!』
見たくない!!
体がそう訴えてくる。
その恐れをねじ伏せて、ぎしぎしと軋む首を振り向かせる。
――視線の先、火山の山頂から炎が噴き出していた。
――翼の形をとった、まばゆい炎が、燃え盛っていた。
「な、んで……」
わかる。わかってしまう。
あれは、あの炎こそが“不死の赤”、神代より生きる魔物【フェネクス】だ。
「ノキアは、五日後……明日だって……」
なんで、どうして、疑問がぐるぐると脳裡を回り――その全てを切り捨てる。
深呼吸を繰り返し、恐慌に陥った頭と体を落ち着かせる。
重要なのはそこではない。
考えるべきは、どうやって間に合わせるか、だ。
カルニを引っ掴んで走り出す。
全速力で走ったとして、ヴァナールまで三分、岩屋まではさらに五分。
ノキアは覚悟決めているだろうし、間に合うかは微妙なところだ。
それでも、必ず間に合わせる。
その意思で、僕は地を蹴って加速した。




