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アセント 天使の右腕、炎の子  作者: 山彦八里
<1章:孤児院の天使>
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13

 懺悔します。


 前世を含め、これまで僕は自分がアブノーマルな趣味嗜好の持ち主ではないと自負していた。

 だけど、鎖に縛られたファウナ先生を見た時、ちょっとだけイケナイ気持ちが湧いたことは否定しきれませんでした。

 育ての親とはいえ、神官服姿の、元騎士で、妙齢の女性が、鎖に縛られている!!

 これはもしや、噂に聞く「くっころ」という奴ではないのかッ!!


 ……そろそろリタの視線が痛くなってきたので妄言はさておこう。

 地面に転がった先生をうつ伏せにして、神官服の背中に右手でタッチする。

 立て続けの昇華でかなり精神力は消耗したけど、まだ数回分の余裕は残っている。

 警戒はまだ緩めない。勝敗が決しても敗者には抗う権利があり、勝者は最後まで気を張る義務がある。


「さて、先日のゴロツキは覚えていますよね、先生?」

「服を硬化するつもりですか?」

「はい。先生の腕力なら鎖を千切ることもできるかもしれませんし」

「……」


 先生は否定も肯定もしなかった。

 どっちでも構わない。なにせ、先生はまだ「参った」と言っていないのだから。

 残虐ファイト心得その2、息の根を止めるまで攻撃の手は緩めるな、だ。


「では先生、一張羅にお別れをどうぞ」

「待って!! 参りました、参りましたから!!」


 勝った。

 一拍遅れて、リタが高らかに決着を宣言する。

 僕は思わずガッツポーズした。




 その後、ちょっと涙目の先生を解放し、改めて向かい合った。


「メイル、貴方、どこでこんな卑劣な手を覚えたんですか?」

「鏡持ってきます?」

「ああ、あんなに可愛かったメイルがいつの間にかセメントに」


 よよと袖で目元を隠す先生にジト目を向ける。

 なんにせよ、これで決闘は終わりだろう。


「先生、なんで最後防がなかったんですか?」


 たとえ、手を抜かれていたとしてもだ。

 数瞬、気まずい沈黙が裏庭に満ちた。

 嘘泣きをやめた先生はコホンと小さく咳払いすると、真っ直ぐにこちらを見返した。

 やましさの欠片もない視線に逆にこちらが気圧されてしまった。


「たしかに最後の瞬間、飛んできた鎖を切り払うことは出来ました」

「やっぱり……」

「でも、それをしてしまえば、着地まで私にはもう手がありません。貴方は私の服の裾を掴むなりして、硬化で勝ちを決めたでしょう。違いますか?」

「その形で勝つ可能性が高いとは踏んでました」

「はい。つまり、あの時点で私は既に詰んでいたわけですね。これが実戦なら噛みついてでも逆転を狙いますが、今回は決闘でした。であれば、詰んだ時点で潔く負けを認めるのも騎士の流儀です」


 まあ、私は元騎士なのですが、と先生は目尻を細め、


「強くなりましたね、メイル」


 我がことのように嬉しげに、そう告げた。


 …………そうか、僕は先生に勝ったのか。

 胸の奥から少しずつ、じわじわと達成感が湧いてきた。

 あれ、なんか視界がぼやけてきた。天使アイの視力は凄く良いはずなのに。


「勝者が泣いてどうするのですか、メイル。ほら、顔を上げて。貴方が喜ばないと私も褒められませんよ」

「ず、ずみまぜん……」

「もう、仕方のない子ですね」


 先生は懐からハンカチを取り出すと、優しく涙を拭ってくれた。

 まるきり子ども扱いだけど、今だけはそれを拒む気にはなれなかった。


 きっと、これが最後なのだから。





「ところで、メイル。その、私はそんなに無理しているように見えましたか……?」


 しばらくして、涙もようやく止まった折り、先生はばつの悪そうな表情でそう尋ねてきた。

 自覚あったのか。なおさらタチ悪いぞ。詫びくっころしてくれようか。


「左足のこと」

「――っ。やはり気付いていましたか」

「それを家族に告げられないような状態で、無理してないなんて言えますか?」

「そう……ですね。メイルの言う通りです。私も意固地になっていたようですね」


 はあ、と大きく息を吐いて先生は肩の力を抜いた。

 その瞬間、僕は生まれてはじめて等身大の先生を目にした気がした。


(こんなに小さかったんだ……)


 先生はこれまでどれだけ気を張っていたのか、僕には想像もつかなかった。

 だから、だからこそだ。僕は言うべきことを言わねばならない。


「僕が勝ったら何を言うつもりだったのか、もうわかりますよね?」

「一応、聞かせてください」

「……もっと僕らを頼ってください。お願いですから」


 不意に、おかあさん、と呼ぼうとして僕は口ごもった。

 先生に自分の幸せを見つけて欲しいと思いながらも、その呼び方はするりと胸の奥に沁み込んでいった。

 この十年、先生は本当に母で有り続けたんだな。ずっと、ずっと……。


「先生、僕も決めました。ヴァーズェニトに残ります」

「メイル」

「孤児院のことは心配ですけど、それだけじゃないんです」


 諭すような先生の呼びかけに、かぶりを振って否定する。

 ちらりとリタを見れば、彼女も何も言わず頷いていた。


「ここにいたい、ここで生きたいと思ったんです。それが僕の偽らざる本音です。

 ……ただ、孤児院にいられるかはフィンラスさんとの交渉次第になるので、そこらへんは追々相談します」

「ビブリオエルフに、ですか?」

「はい、魔技のこととかでちょっと。ここに残るための最低条件です」

「無理はしていませんか?」

「先生に言われたくありません」

「うぅ、でもでも、メイルは頑固で強情で意地っ張りですから心配です……」

「大丈夫です。ほんとうに、大丈夫ですから」


 まだフィンラスさんを説得できるかわからないけどね!!

 けど、約束することはできる。約束を守るために努力することも、きっとできる筈だ。



 ◇



 それからしばらくは平穏な日々が続いた。

 変わったことはいくつかある。

 ひとつは、リタが神官見習いになって、正式に先生の弟子になったことだ。

 ヴァーズェニトの神官を統べるアリアルド教会の司祭様に申請したり、手続きやら儀式やら、あとは教育やらで、ここしばらく彼女は忙しそうにしている。

 僕も弟妹たちと一緒に彼女の神官服を作ったりした。成長することを見越して大きめに作った。

 プレゼントすると、少しだけ袖の余った神官服を着たリタは顔を真っ赤にして「ありがとう」なんて言っちゃって。とても兄冥利に尽きる一時だった。


 そして、もうひとつは、先生のことだ。


 ある日の夕飯後、僕は先生の部屋にお呼ばれした。

 久しぶりに訪れた先生の部屋は相変わらず綺麗に整理整頓され、相変わらず物が少なかった。

 この世界の騎士はけっこうな高給取りだけど、その蓄えもこの十年の間に残さず吹っ飛んでしまったのだ。


「適当なところに座ってください」

「椅子がひとつしかないです、先生」

「ベッドで構いませんよ。シーツも毎日換えています」

「あっはい」


 おずおずと古いベッドに腰掛けると、ぎしりと軋む音がした。

 懐かしい。このサティレ孤児院にまだ孤児が僕しかいなかった頃は、ここで先生と一緒に寝起きしていた。

 三歳くらいまでだから記憶はかなり怪しいけど、なんとなく覚えている。

 それから、年上の弟妹たちが増えて、ひとりだちしていって、いつの間にか僕が名実ともに兄になっていた。

 今、孤児院にいるのは皆、年下の子たちばかりだ。

 ほんとうにたくさんの兄弟に恵まれた。こればかりは本気で天使さんに感謝していることだ。


「十年というのもあっという間でしたね」


 そう言って、先生は童女のような笑みを浮かべた。

 自然と浮かんだその笑顔が、本来の先生のそれなのだろう。

 決闘の後から、先生は少しだけ怠けるようになった。いくつかの仕事を僕らに割り振って、自分の時間を持つようになった。

 そのことに文句はない。はっきり言って、今までがおかしかったのだ。孤児院の先生と教会の神官の二足の草鞋で休む間もなかった今までが。


「体の調子はどうですか? 特に左足は……」

「元より治るものではありませんから。あっ、でも体は随分楽になりましたよ。気付かないうちに疲れが溜まっていたんですね」

「気付いてください、真面目に、お願いですから」

「ふふ、ごめんなさい。でも、これでまだしばらくは子どもたちのお世話ができます」

「先生……」

「貴方と同じですよ、メイル。私がやりたいからやっていることです」


 それを言われるとこっちは何も言えなくなる。

 先生もすっきりした表情で気負ったところはない。これ以上なにか言うのは野暮だろう。


「それで、今日はどうしたんですか?」

「お祝いをしようと思いまして」


 そう言って、先生は棚の奥から一本のワインを取り出した。

 ラベルもなにもないけど、けっこう古い感じがする。


「これは私が騎士を辞める際に餞別でいただいたものです。贈り物なので売るのも忍びなくて。だから、貴方が大人になった時に一緒に飲もうと決めていました」

「僕が成人するのは来年ですよ」

「貴方はもう十分に大人ですよ、メイル。今回のことはいいきっかけでした。……ちょっと強引でしたけどね」


 片目を閉じてお茶目に笑いながら、先生はお猪口のような小さな石杯にワインを注いだ。

 石杯とはいうものの、よく磨かれたそれは陶器のような材質だ。サティレの儀式で使う祭器らしいけど、使ったところを見たことがない。いいのかそれで。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 ともあれ、とっくりとワインの注がれた石杯を手に取ると、芳しいブドウの香りが漂ってくる。

 ワインは全然詳しくないのだけど、これけっこういいお酒なんじゃなかろうか。もう開けちゃったから飲み切るしかないけど。


「メイルの成長に、乾杯」

「先生の今後に、乾杯」


 零さないように、石杯をそっと合わせる。

 初めて飲んだお酒はほろ苦い味がした。




 それからしばらく、先生と他愛のない話をした。

 昔の思い出とか、ひとりだちしていった年上の弟妹たちのこととか。

 最近はゆっくり話すこともなかったので話題はたくさんあった。

 加えて、神官という職業柄か、先生が聞き上手なのもあってつい話しこんでしまった。

 気付けば夜も更けて、名残惜しいけれど僕は先生の部屋を後にした。


「……あ、転生のこと話すの忘れてた」


 廊下を歩いている時にふと気付いて軽く頭を抱えた。

 どう考えても絶好の機会だったのに。というか、先生も待っていたんじゃなかろうか。

 五歳の時に前世の記憶を思い出してから、僕の言動は大きく変化している。何かあったとは先生も気付いているとは思う。


 ただ、正直なところ、自分の中で転生どうこうはもう重要なことではなくなっていた。

 有り体に言って、「このまま有耶無耶にしてしまおう」という段階に来ている。

 孤児院の今後にメドがついて、先生が落ち着いたのなら、僕の生まれなんて些事だ。話したところで今さら変えられるものでもない。

 自分がこの世界の「人間」にカテゴライズされるのかという不安はあるけど、それだけだ。無理に明かして忌避されるというのもコトだ。

 ……先生は僕が神様から大きな使命を受けている、なんて言っていたけど、そんなことはない。

 僕が受けたのはリコール隠しと詫びチート、あと隕石みたいな角度で突っ込んできた転生トラックだけだ。元より、大それたことができるような人間じゃない。

 分を弁えるべきだ。今は前世の記憶を使ってはしっこく生きてるけど、成人すれば、どうせそれだけじゃ生きていけない。

 調子に乗って後悔してからでは遅い。今ある幸せを取りこぼさないように生きることが間違いだとは思わない。


 この孤児院と、先生とリタ、それに弟妹たち。あとはこの街で出会った人たち。

 僕に器があるというのなら、それだけ入っていれば十分。生きるのには足りる。

 だから、あとは僕がこの街にいられるようにすれば――



 ――そのとき、街中にけたたましい鐘の音が鳴り響いた。



「……え?」


 一瞬、なにが起きたのかわからなかった。

 時鐘がこんな夜更けに鳴る筈がない。

 今も鳴り続ける鐘は、住民全員を叩き起こすに足りる。

 緊急事態。

 そうか。これは――――


 ――――魔物の襲来を告げる鐘だ。


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