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アセント 天使の右腕、炎の子  作者: 山彦八里
<1章:孤児院の天使>
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11

 本日は石曜日。前世でいうところの土曜日。サティレ・デーだ。残念ながらフィーバーはしない。

 今週ももう終わり。思い返せばヌシのメタルボアと戦ったり、ゴロツキの皮を被った妙に強いゴロツキと戦ったりと怒涛の一週間だった。みんな無事で本当に良かった。

 そして、昨日のごたごたはあったけれども、サティレ孤児院は平常運転。朝から説法と炊き出しで大忙しだ。

 ファウナ先生が参拝に訪れた信徒にありがたい説法をしている間に、寸胴鍋でスープを大量に作る。

 雑多に放りこまれた具が弱火でぐつぐつと煮込まれ、お腹の空く匂いが台所にたちこめる。

 僕の仕事は焦がさないように鍋をかき混ぜながら、つまみ食いに来る弟妹たちを追い返すことだ。

 とはいえ、お互い本気ではない。あれこれと理由を付けて台所に来る彼らは半ば以上かまってほしくてやっている感がある。ほんとにつまみ食いしたらお説教だからだ。


「……そろそろ説法も終わりかな」


 集中すれば百メートル先に落ちた針の音も聞きとれる天使イヤーには、今も礼拝堂で説法している先生の声が聞こえている。

 一応【石の女神サティレ】にも経典はあるけど、サティレの信者層は主に農民であり、長々と説法を聞く時間はない。田畑の世話があるからだ。基本、彼らに休日という概念はない。

 そんなわけで、サティレの一般向けの教義はかなり単純化されている。

 おおむね「大地と共にあれ」「怒りに身を委ねてはならない」「みなで助け合え」といった感じだ。みんなで協力、分担しなければ生きていけない農村向けの教義とも言える。

 あとは、それに加えて先生はいくつかサティレに関するエピソードを話すことが多い。毎週参拝に来ても飽きさせない工夫だ。


 どうもこの世界の神話は、原生種のドラゴン及びその配下の魔物を相手取り、降臨した創神七柱が人間の住める土地を切り拓いていく……というのを基本としているらしい。

 魔技も人間が魔物に対抗するために神様から与えられたものという扱いだ。

 魔技という恩寵と魔物という敵対者が現実に存在していることは、この世界の宗教の大きな強みだろう。信心の差はあれ、この世界の人間は基本的に神の存在を信じている。

 まあ、その割に月の女神ルティナと火の男神ヴァルナスが痴情のもつれで喧嘩したり、金の獣神キリルサグが魔物を亜神に引き上げたりと、けっこう神話クォリティが頻発しているけど。


 と、そのとき、説法を終えてこっちにくる先生の足音を天使イヤーが捉えた。

 意識を聴覚に集中する。今日の盗み聞きの本題はこっちだ。

 昨日の、先生の浮かべた「痛みを堪えるような表情」が気になったのだ。

 先生が十年前に大きな戦果を上げたにもかかわらず、いまだもって貧乏孤児院の神官に納まっている理由。

 普通に考えて、政治的なあれこれでもなければ、後遺症の類が残っているとみるべきだろう。


 正面から尋ねても先生は答えてくれないと思う。

 戦闘訓練でも気付かなかったから、たぶん子どもたちの前ではバレないように注意している。

 だけど、誰もいない時ならどうだろうか。


 先生の足音は小さい。鍛えられた体には無駄な力が入っていない。

 いつ何時でも襲撃に反応できるように適切に緩めた状態を保っているのだ。これはいまだに僕も真似できない。経験が物を言う分野だ。

 それでも、集中すればほんの僅かな違和感を聞くことができた。


(左足を引き摺ってる、かな?)


 声にはださず、違和感を事実に変換する。

 そうと意識しなければ気付かないほどの小さな瑕疵だろう。

 だけど、なるほど。思い返してみれば、たしかに先生は左側からの攻撃には大ぶりで対処することが多い。あれは足を使って躱すことを避けていたからか。

 ……言ってくれればいいのに。いや、無理か。先生だもんな。


「メイル、説法は終わりました。炊き出しの準備はどうですか?」

「あ、はい。こっちも準備できてます」


 ひょっこりと台所に顔を出した先生はいつもの笑顔。

 けれど、僕は先生の顔を直視できなかった。



 教会の前に鍋を運び、わいわいとみんなで会食する。

 炊き出しとはいうけれど、スープの材料の大半は参拝に訪れた人からいただいたものだ。

 だいたいは余った野菜や、駄目になる前に処理しきれなかったものを貰う。うちの孤児院からも少ないながら備蓄の更新でいくらかの保存食を出している。

 そんなわけで、スープの中身は毎回違う。限られた材料でどう作るかは僕らの腕の見せ所だ。

 今回は行商に出ていた人が余った塩漬け肉をくれたので、久々に肉入りのスープになった。

 食器を持参した信徒の人たちに配り、残ったのを弟妹たちと分ける。


 温かいスープに口を付けると、ごろっと入った謎芋の食感と肉の旨みが舌を喜ばせる。

 久しぶりのお肉ということもあって涎が次から次へと湧いてくる。

 やはり肉はいい。元気が出てくる。ただ、量が少ないのが悲しいところだ。仕方なく、残った汁気をパンでこそいでじっくりと味わう。

 弟妹たちの健康の為にももっと食べられるようにしたいのだけど、肉は貴重でお値段が高い。

 野鳥を獲るための投擲の練習もしているけど、まだ成果は出ていない。

 あるいは、石をパンに変えるみたいに“昇華”で肉っぽいものを創るという手もあるけど、体にどんな悪影響がでるかわからないから、余裕があるうちはやりたくないんだよね。


「ありがとう、メイルちゃん。今日もおいしかったわ。これならいつでもお嫁に行けるわね」

「ちゃん付けはよしてください、おばあちゃん。あと僕は男です」

「あらあら。昔は女の子の格好してたじゃない。よく似合ってたわよ」

「うぐ……」


 片付けを手伝ってくれる近所のおばあさんはにこにこと笑いながらそんなことを宣う。

 昔のことだ。サティレ孤児院がもっと貧乏だったときは、僕は年上の妹のお下がりを着ていた。古着を買うお金もなかったのだ。

 自分で言うのもなんけど、たしかに似合っていた。小さい頃は今以上に見た目が女の子に近かったのでよく似合ってはいた。髪を伸ばせば女の子と言っても違和感はなかっただろう。

 けれど、前世を含めれば僕は十分おっさんといっていい年齢だ。精神的にはかなりきつかった。

 弟妹たちにキラキラした目で「おねーちゃん」って言われた時は死ぬかと思った。おかげで裁縫はすぐに覚えられた。半泣きで覚えた。黒歴史だ。


「メイルちゃんもだけど、ファウナ先生もお歳なのよねえ。いい縁談があればいいのだけど」

「お?」


 期せずして掘り起こされた黒歴史に悶えていると、意外な話が耳に入った。

 この世界の神官は婚姻が禁止されていない。誓願して所帯を持たない人もいるけど少数派のようだ。

 新生児から乳幼児までの死亡率が高いので、夜のキャラクターニュークリエイションができる人には励んで貰わないと人口を保てないのだろう。


「先生が結婚するんですか?」

「ううん。お見合いを勧めてもいつも断られちゃうのよね」

「そうですか……」

「メイルちゃんからもそれとなく訊いてみて。孤児院の大人がファウナ先生ひとりというのは、その、大変でしょう」


 まったくもって仰る通り。心配そうな表情のおばあさんに頷きを返す。

 近所の人からもそう見えるというのは重症だろう。

 やっぱりこのままじゃいけいないよな。



 ◇



「リタ、先生のお叱りは終わった?」

「ええ。一緒に受けてくれてもよかったのよ?」

「僕がいたらできない話もあったでしょ」

「……秘密よ」


 日没後、長いお説教から解放されたリタを早速部屋に連れ込んだ。

 勿論やましい意味はない。今後の相談の為だ。そもそも二人部屋は僕とリタが寝起きしている部屋だ。


「メイルの考えていることが、アタシにもわかるわ」


 僕が何か言うより先に、リタはそう言って切り出した。


「先生を止めたいのね」

「……最終的にはそうなるかな」


 究極的には、先生はひとりでも生きていける。

 強力な魔技と不屈のメンタルで、なんでもひとりでこなしてしまえる。

 けど、先生だって完全な存在ではないのだ。それを今日、確信した。


「このままじゃ先生はいつか倒れちゃう」

「同感ね。メイルと一緒で頑固で強情で意地っ張りだもの。似た者親子だわ」

「僕はそんなことないよ?」

「はい、鏡」

「…………ないよ?」


 今週のことを振り返ると否定できなくなりそうなので、鏡ごと脇に置いておく。本日の議題は先生についてだ。

 たぶん先生はもうずっと「おかあさん」をやっていたから、それ以外の自分なんて想像もつかないんだろう。

 十代は騎士団で過ごし、二十代は孤児院で過ごして……正直、かなりワーカーホリックになっていると思う。

 僕らといる先生は楽しそうだ。それが偽りとは思わない。

 けど、孤児院の運営は楽しいことばかりじゃない。経営はいつだってギリギリだし、ふとした拍子に子どもが死んでしまうことだってある。“癒し”の魔技の持ち主なんてこの大陸に数えるほどしかいない。この世界で病気にかかった孤児が生き残れる確率は低い。

 そんな生活を先生はひとりで続ける覚悟でいる。たぶん死ぬまでずっと。

 先生が神官として生きるというのに文句はない。お世話にも随分なっている。感謝してもしきれない。

 けど、僕らがそういう生き方を強いてしまったのなら、それは素直に喜べることじゃない。

 サティレの教えは「大地と共にあれ」「怒りに身を委ねてはならない」、そして「みなで助け合え」だ。先生にもっと頼ってほしい。その為に必要なことはどんなことだってやろう。


 ――僕が先生の最初の子どもなのだから。止めるのは僕の役目だ。


「メイル、あなたは模擬戦で先生に勝ちなさい」


 そう決意を固めていると、リタがとんでもないことを言い出した。


「なんとなく事情はわかるけど、一応経緯を聞きたいな」

「先生にアタシがこの孤児院を継ぐって言ったの」

「決めたんだ」

「決めたのよ。そこは説得できたわ。でも……」


 リタが言い淀む。

 ああ、うん。先生がなんて言ったか僕にも容易に想像が付く。


「先生は引退する気にならなかった、かな?」

「もちろんすぐにって話じゃない。けど、わかるわ。先生は死ぬまでこの生活を続ける気よ」

「……だろうね」

「あと十年もすれば体力頼りの生活は保てなくなるって先生もわかってるはずなのに……」

「それをわかってもらう為の模擬戦か」


 経緯はわかった。必要性も理解した。ただ、可能かどうかはまた別の話だろう。

 先生は強い。昨日少しだけ見た本気の先生の魔技。あの眩い輝きに僕は勝てるだろうか。


「……ごめん、メイル。アタシじゃ先生に勝てない」


 そのとき、リタが喉の奥から絞り出すようにして告白した。

 目に涙をためて、悔しそうに唇を噛むその表情に胸が詰まる。

 僕とリタは同じ戦闘訓練を受けてきた。一般的に見て、かなりきつい訓練を受けていると思う。

 それでも彼我の実力には大きな隔たりがある。

 昨日のゴロツキの手下くらいならリタひとりでもどうにかなる。けど、そこまでだ。

 たぶん、この子は根本的に人を傷つけることに向いていない。

 それはきっと良いことなんだと思う。思えるような世界なら、だけど。


「よしわかった。お兄ちゃんに任せなさい!!」

「大丈夫?」

「できる限りのことはするさ」


 胸を叩いて快諾の意を告げる。

 妹に頼られたのなら、頑張るのが兄の務めだ。

 それに、僕だってこの街に残ると決めたのだ。

 だからきっと、これはやらなきゃいけないことなのだろう。

 さしあたってはフィンラスさんに土下座して“戦乙女”の魔技について調べよう。情報はあるに越したことはない。

 それから対策を立てて、準備して……勝率は三割あるかないかってところか。がんばろう。


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