10
屋根伝いに飛んでくるまでの間に、一部始終は見聞きしていた。
異世界ってほんとハードモードだな、というのが最初に浮かんだ感想だった。
「なんだてめえ!?」
取り巻き二人のうち、指が飛んでいない方が剣を突きつけてくる。
咥えていた木笛を吐きだし、僕は目の前の切っ先をちょこんと摘む。
はい、紋章起動。
【燃えろ】
次の瞬間、剣がひとりでに燃え上がった。
「ぎゃああああああ!?」
おや、火炎属性付与はお好みでなかったか。まあ、柄まで燃えてるしね。
というわけで、剣を取り落としてのたうちまわっている男の背中を踏みつける。
背骨こってますねーバキバキ音がしますよー。
骨の折れる音に混じって野太い悲鳴が聞こえたけど、無視して紋章の光る右手で服にタッチ。
イメージはシンプルに【硬くなれ】。
途端に、男の動きがぴたりと止まった。
即席の拘束服だ。安い服でも粗鉄程度の硬さにはなる。やはり“昇華”は便利だ。
「ッ!! こ、このっ!!」
呆気に取られていた指の飛んだ方が遅ればせながら突っ込んでくる。
剣は素人らしい。錆びた剣を間抜けに振り上げ、大股で踏み込みこんでくる。丸わかりだ。
なので、こっちからも間合いを限界まで詰めてあげる。
体勢低く突っ込み、でっぷりと突き出た腹の下に潜り込む。
それだけで相手はこちらを見失い、慌てて踏みとどまった。
見上げた男の顔には困惑が浮かんでいる。うん、得物に頼り過ぎ。
即座に上着にタッチ。【硬くなれ】。念の為ズボンにもタッチ。そのまま地面に蹴り倒す。
これで取り巻きは無力化完了。
残るはアシュトンとか呼ばれていたリーダー格だけだ。
視線を向けると、そいつは眠たげだった目を見開いて随分と神妙な顔をしていた。
「助太刀に入ってもよかったんですよ?」
「ならその殺気をどうにかしろ。オレが突っ込んだらブチ殺しにかかってただろうが」
「当たり前じゃないですか。人の妹を足蹴にしておいて許されるとお思いですか?」
怒っているか? 当然だ。僕はとても怒っている。
目と鼻の先でリタが傷つけられて冷静でいられるはずがない。
ただ、怒りに身を任せてどうにかできるほど、このアシュトンという男は甘くない。
先のリタのナイフを弾き飛ばした技を見ただけでも、僕より使える剣士だとわかる。
おまけに、服に隠れてはいるけど、相手の魔技は十中八九“強化”だ。
この世界で人間と対する時、まず気をつけなきゃいけないのが魔技であることに疑いはない。
特に“強化”。フィンラスさん曰く、人間の魔技で最も多いのが、最もシンプルな身体強化なのだという。
人によるけど、強化された腕力なら最低でも鉄の棒を飴細工のように曲げることできる。
こっちよりでかく、剣が上手く、おまけに身体強化持ち。敗色は濃厚だ。
可能なら逃げたいところだけど、位置が悪い。リタを担いで後ろの石垣を跳び越えられるかは五分、それまでに斬られる可能性はもっと高い。
なら、やるしかない。
紋章の光を放つ右手でナイフを構える。
応じるように、アシュトンも錆びた剣を下段に構える。迎撃の構え。狙いは見透かされているらしい。
「――ッ!!」
構うものか。後ろにはリタがいる。僕に突っ込む以外の選択肢はない。
地面を蹴って全速力で間合いを詰める。
相手はまだ動かない。ギリギリまで見定める気か。
なら、先手はこっちだ。
走りざまにナイフを昇華、イメージは【伸びろ】。
応じて、質量保存の法則を無視して伸びたナイフの切っ先が、アシュトンの胸元を浅く抉った。
ぶっつけ本番だけど狙いは良かった。
でも、見てから避けられた。動体視力もバフられている。これだから“強化”は!!
「無茶苦茶な魔技だな、クソガキ!!」
「どっちが!!」
アシュトンは歯を剥いて笑い、一転して一気に踏み込んでくる。
速い。即座に振り下ろされる剣撃は、外見に反して随分と綺麗な運剣だ。
狙いは右肩、というより鎖骨か。明らかに正規兵の訓練を受けている動き。
だけど、それは悪手だ。
ガキン、と硬質な音と共に振り下ろされたブロードソードが半ばで折れる。
事前に動きを阻害しないギリギリまで硬化しておいた服と天使謹製ボディの頑強性。安物の剣で斬れるはずがない。
衝撃までは防げないのでものすっごく痛いけど、今は我慢。
得物が喪われた好機を逃さず、僕は全体重をかけて思いっきり相手の足を踏みつけた。
ファウナ先生直伝の残虐ファイト、ストンピングだ。
それも予め靴底をスパイク状に昇華しておいたので破壊力はさらに倍。
足裏に氷の張った水たまりを踏み砕いたような感触が返ってくる。
「づ、ぐぉっ……!!」
ぐりぐりとスパイクを抉り込むと、たまらずアシュトンが無事な片足で跳ねるように後退した。
感触からして骨は完全に砕いただろう。しばらくはまともに動けまい。
「まだやりますか?」
「……この足で逃げ打って無事でいられる自信はねえよ」
地面に転がされた手下ふたりを見ながら、アシュトンは苦々しい表情を浮かべた。
そりゃ触れるだけで無力化できると知っていて、背中を見せるわけにはいかないか。
とはいえ、正直なところ退いてくれるならそれでもいい。
得物と機動力を奪っても、正面から殴り合えばまだ相手の方が強いからだ。リーチと“強化”のアドバンテージはいかんともしがたい。
硬化服もバレて、右手も完全に警戒されていてタッチできそうにない。
言ってしまえば、相手はまだ自分が有利だとわかっているから撤退しないのだ。
つまり、ここらが潮時だ。
「そうですか。じゃあ、僕らはこれで帰りますね」
「……は?」
割と決死の覚悟を決めていたっぽいアシュトンがぽかんと口を開けた。
「当然じゃないですか。その足相手ならリタを抱えても僕の方が速い。逃げ切れるのなら、これ以上あなたに構う必要はない」
「……襲ったオレが言うのもなんだが、おまえ報復されるとか考えないのか?」
「考えてますよ? だから――」
だから、こうして均衡状態を作って、口八丁で時間を稼いでいるんじゃないか。
次の瞬間、アシュトンが視界から消えた。
遅れて、青い燐光が軌跡をなぞり、向こうの壁に何かが激突する音がした。
ゴロツキ風剣士と入れ替わるようにその場に現れたのは、夜風に神官服をなびかせたファウナ先生だった。
うん、言葉が通じるって素敵だね。時間稼ぎの難易度が段違いだ。
「――今度は間に合ったようですね、メイル」
「僕もいま来たところですよ」
冗談で返すと、拳を振り抜いた姿勢のまま先生は硝子のような笑みを浮かべた。
全身から青い燐光が零れ、ふわふわと浮かぶ様は蛍のようできれいだ。
(それにしても、すごいな……)
ここまで来るのに全力を出したのだろう。先生の全身を青く輝く紋章が覆っている。
鎧に似た紋様が爪先から髪の先まで余すところなく、真昼のように周囲を照らしている。輝きも僕が今までみた魔技の中で最も強い。
効果の高い魔技ほど紋章は大きくなり、強く輝く。
これが十年前、都市を守った“戦乙女”であり、その由来となった魔技なのだろう。
「怪我はありませんか?」
「僕は大丈夫です。ただリタは手酷くやられたようなので……」
「!!」
はっとした先生がリタの下に行こうとする。
が、その時、ほんの僅かに顔を顰めたのを僕は見逃さなかった。痛みを堪えるような表情だった。
けど、すぐに先生は何事もなかったかのように紋章を消し、リタに駆け寄った。
気のせい、だったのだろうか。
「リタ、大丈夫ですか? もう安心ですよ」
「せんせ……」
「痛いところはありますか?」
「大丈夫。骨は、おれてないと思うわ」
リタは先生の手を借りて立ち上がる。まだ足元がおぼつかないけど、腰が抜けただけのようだ。
よかった。ほんとうによかった。今さらながらに肝が冷えたのを自覚する。
「先生、あいつらはどうするの?」
「笛の音は警邏の騎士にも聞こえていました。すぐに来ますから、彼らに捕縛を任せます」
「事情を説明しないと、いけないし……まだ、時間はあるわよね」
「……リタ、貴女が黙ってここに来たのは」
「貧民窟に行くなんて言ったら、先生止めるでしょう」
そう言って、リタは弱々しい笑みを浮かべた。
そりゃそうだ。現にこうして襲われている以上、反論の余地はない。
馬鹿なことをしたという自覚はあるのだろう。リタがこれまで訪れなかったのも、その危険性を正しく認識していたからだ。
逆に言えば、そんな彼女が危険を押してここに来たということは――
「ほんとうに隠し財産が残ってるの?」
「……たぶん」
そう言うリタの瞳が淡い碧色に輝く。
記憶に特化した“賢人”の魔技。
そして、ほっそりとした指が確信を持って庭の一角を指差した。
なるほど。親子でこの魔技を持っているなら、隠し場所に目印も必要ないのか。
僕は転がっていたエンチャントファイア剣をもう一度昇華してスコップにし、指し示された場所を掘る。
……火は消したけど柄はまだ熱い。他の剣にすれば良かった。
それはともかく、だいたい五十センチほど掘り進めただろうか。スコップの先にカツンと硬質な手応えがあった。
慎重に周囲の土を除けていくと、厳重に封をされた掌大の壺が出土した。
「これで合ってる?」
「見た目は、あってるわ」
「開けるよ?」
リタは緊張の面持ちでこくりと頷いた。
僕はがんじがらめになっていた紐を解き、照明代わりに紋章を起動して中を検める。
「……」
「ど、どうしたの、メイル? なにか言ってよ」
「……これがどのくらいの価値を持つのかは、君が決めるべきだ、リタ」
リタに見えるように壺を傾ける。
瞬間、いまだ淡い碧の輝きを放っていた彼女の目が大きく開かれた。
中に入っていたのは壺一杯の汚れた銅貨だった。
苦しい生活の中で少しずつ溜めていたのだろう。おそらくは、リタの為に。
「……こんな……これだけじゃ、みんなの役には……」
「そうだね。銀貨に換算すれば二枚ってとこかな。両替する?」
「いや!!」
叫び、リタは庇うように壺を抱き寄せた。
「このお金はおとうさんと、おかあさんが必死に……がんばって……」
限界だったのだろう。リタはしゃくりあげるように泣き出した。
他人にとっては銀貨二枚にしかならない隠し財産。だけど、彼女にとっては思い出の品だ。
今よりもずっと貧しかった頃の、けれども、実の両親との思い出の品。
声を上げて泣く彼女を見て、そういえば彼女がまだ十歳だったことを思い出した。
この世界ハードモードすぎじゃないですかね、天使さん……。
◇
その後、泣くだけ泣いてリタはそれなりに立ち直った。
やって来た警邏の騎士にもはきはきと受け答えし、ゴロツキたちが連行されるのを見送って、帰宅した。
そして帰宅直後、まだ起きていた弟妹たちにもみくちゃにされた。泣き出す子も何人もいた。
「ごめんね、みんな」
そう言って謝るリタの横顔は、朝よりも大人びて見えた。
今日の一件で、彼女の中のなにかに区切りがついたのかもしれない。
それはそれとして明日は先生からお説教だけど。
そういうわけで、夜も遅いし、名残惜しげな弟妹たちを子ども部屋に放りこみ、僕らも床につく。
リタには英気を養ってもらわないと明日が辛いだろう。先生のお説教はきつい。
いや、今日は今日で違う辛さというか、命の危機があったんだけど。
(それにしても、さっきの先生はなんだったんだろうか?)
全力で走っているうちにどこか痛めたとか、魔技の全力行使の反動とかだろうか。あるいは――。
と、ベッドに横になって、うつらうつら考えていると、ふと足もとの方でもぞもぞと動く気配がした。
「……リタ」
声をかけると、膨らんだ毛布の小山がびくりと震えた。
「ベッドは隣だよ」
「ま、間違えた訳じゃないわよ……」
夜ということで声量を押さえつつ、寝間着のリタが応える。
開き直ったのか、彼女は侵攻速度を一気に増すと、瞬く間にベッドの半分を占領してしまった。
さして大きなベッドではない。子どもでもふたり並ぶと狭く、肩やら足やらが密着してしまう。
……リタは体温が高いな。春先とはいえちょっと暑い。
加えて、ぴたっと触れた彼女は想像以上に柔らかくて、柄にもなくドキドキする。
「そ、それで、どうしたの?」
「お礼をいってなかったから。助けに来てくれてありがとう。お兄ちゃん、物語にでてくる騎士さまみたいだった」
二人でひとつの毛布を被る中、そう言ってリタは無邪気な笑みを浮かべた。
灯りはもう消していて、暗くて見えないから意地を張ることもないと思っているのだろう。
もちろん天使アイなら丸見えだ。ばっちり記憶した。
……その笑顔だけでも体を張った甲斐がある。心からそう思えた。
「どういたしまして。でも、今度からはちゃんと相談してね」
「うん、そうする」
リタは頷き、それから体を寄せて、僕の胸元に小さな頭を預けた。
「リタ?」
「ごめん、今夜だけは一緒に寝させて……」
暗闇の中でブルネットの髪が微かに揺れる。
僕は何も言えず、ただ妹の小さな背中をさすっていた。
それからしばらく。
リタが落ち着き、眠りについたのを確認して、僕もゆっくりとまぶたを閉じた。