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アセント 天使の右腕、炎の子  作者: 山彦八里
<1章:孤児院の天使>
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「――リタが家出した」


 嵐のような涙声の大合唱の中、顔面を蒼白にしたジェイクはそう言った。

 なるほど。弟妹たちのまとめ役である「おねえちゃん」がいなくなったとなれば、みんな慌てふためくだろう。泣き出す弟妹たちがいるのも不思議ではない。

 だけど――


「ないな。ないない」


 僕はつとめて笑い、ひらひらと手を振った。

 ジェイクがぽかんと口を開けた。そんなに予想外かな。


「リタが家出する? 有り得ないよ。彼女は賢い。自分がそういうことをしたら、周りにどれだけ迷惑をかけるかわかってる」

「いや、けど……」

「それに家出するなら昨日のうちにしてるよ。一晩経って冷静になってから家出するというのもおかしな話だ」

「け、けど、ほんとにリタねーちゃんがいないんだよ!!」

「落ち着くんだ、ジェイク」


 取り乱す弟を真面目な声音で制する。

 僕の次に弟妹たちを守るのはジェイクだ。まだ八つの子に厳しいことだとは思うけど、今後の為にも彼にはここで大人になって貰わないといけない。

 リーダーが慌てては、みんなも落ち着くに落ち着けないからだ。


「リタは僕が連れて帰るから、ジェイクはみんなを取りまとめて。外はもう暗い。勝手に探しに行く子がでたら冒険者が遭難者になりかねない」

「にーちゃんにはアテがあるのか?」

「おや、最近は一緒に遊ぶこともとんとなかったから忘れたのかな」


 ちょっと屈んで、縋るような目の弟を真っ直ぐにみつめる。

 口元に不敵な笑み。もう少しだけ堪えるんだ。ここで彼らを不安がらせてはいけない。


「僕がかくれんぼで君たちを見つけられなかったことがあったかい?」



 ◇



 弟妹たちをジェイクに任せ、夜の街に飛び出す。

 帰宅途中のご近所さんが何事かと振り向く。お気づかいなく、と場を濁して駆け抜ける。

 ファウナ先生も既に探しに出ているらしい。どこかで情報を擦り合わせたいけど、合流は難しいだろう。こんな時に携帯電話があればと思わずにはいられない。


 ……弟妹たちの手前、ああ言ったものの、リタだって人間だ。発作的に家出してしまうことだってあるだろう。

 けど、前世の日本とは環境が違う。夜歩きしてる子どもを攫って非合法な人買いに叩き売るくらいはありうる世界だ。

 なにせ、都市の外は魔物の世界。司法の手もエルフネットワークも及ばない。

 都市の庇護なしに生き残れるかはともかく、逃げ出すだけならそう難しくない。

 しかも今はブルファンゴの群れの討伐で夜間でも人の出入りが激しい。

 最悪の想像が頭をよぎる。


「……落ち着け。まだそうと決まった訳じゃない」


 走りながら深呼吸するという器用なことをしつつ、気持ちを鎮める。

 闇雲に探しても駄目だ。ひとつずつ順を追って考えていこう。

 まず、先生がまだ見つけていないということは、ぱっと思いつく場所にはいないとみていい。

 けれど、リタの性格からして、家出するにしても無意識に目的地を定めているだろう。

 その場所を見つけるのが、兄の役目だ。

 ヴァーズェニトは広い。子どもの足であちこち探すのは得策じゃない。

 彼女の性格、経歴、取り巻く状況を加味して答えを引き当てるんだ――。



 三十分後、僕はヴァーズェニトの商業区のさらに奥まった場所、いわゆる貧民窟に来ていた。

 都市の地図は軍事機密なので詳しい地理は分からないが、おおむね南東を中心に四半円くらいがその商業区で、貧民窟はその端の端、都市を囲む城壁の直下にある。魔物に侵攻された際にまっさきに犠牲になる地区だ。

 辺りにはバラックじみた荒ら屋が無秩序に立ち並び、埃っぽい異臭が鼻をつく。

 明らかに計画的に都市設計がなされ、貧乏孤児院ですら上下水道が完備されているこの都市では逆に新鮮な光景だ。


 リタが孤児院を飛び出してどこに行くか。

 その命題に対して、僕は元いた家に向かったのではないかと予想した。

 先生が探しそうにない場所で他に心当たりはない。外れたらお兄ちゃん失格だろう。


 あまり話したがらないが、リタが元は商人の家の子だったとは前に聞いた。

 商業区の傾向として、東に行くほど富裕層が多く、南に行くほど中層下層に、そこから城壁近くまでいくと貧民窟になる。

 彼女の家がどこにあったのか、僕は知らない。

 ただ、破産したというのなら、最終的には貧民窟に落ち延びていた筈だ。そうでなくとも、ここから下層、中層と遡っていけばいい。


 ここから先に手がかりはない。リタ発見器とか作れたらよかったんだけど、そんな複雑なものは作れない。

 なので、自力で探すことにする。

 そろそろ日もとっぷり暮れている。街灯もない夜のヴァーズェニトは暗い。

 特に城壁に月光も阻まれた貧民窟の暗さは指折りだ。


 だから、多少は無茶なことをしても人目につく心配はない。


 目についた狭い路地に入り、思いっきり跳躍。左右の壁を連続で蹴り上げながら屋根へ。

 そこからさらに三階建ての屋根へと跳び移れば、周囲一帯を一望できる高さに辿りついた。


 夜闇に目を凝らす。眼下にこの十年暮らしてきた街が広がっているのがくっきりと見える。

 天使謹製ボディは伊達ではない。天使アイは視力の良さは勿論、夜目が利くどころか気合を入れれば昼と同じ明るさを確保できる。この時間に動いている人間をみつけるくらいはわけない。

 ただ、透視は出来ないので屋内にいたらアウトだ。そのときはリタ発見器(嗅覚)でしらみつぶしに探すことになるだろう。この悪臭の中で嗅覚を全開にするのはかなり勇気がいるけど。


 けど、たぶんそこまでせずとも見つかるという確信が僕にはあった。

 リタのことを考えれば考えるほど、何か目的があったように思えてならない。彼女はそういう子だ。

 そして、その先が元いた家なら、おそらくは前に彼女がぽろっと漏らした――


「――みつけた!!」


 視線の先、崩れかけた古い家屋の裏庭にリタの姿があった。

 彼女は三人の男に取り囲まれていた。



 ◆



「離して!!」


 少女の声が夜を切り裂く。掴まれていた腕を振りほどき、数歩後ずさる。

 だが、その先は少女の背よりも高い石垣が退路を阻んでいる。簡単には跳び越えられそうにない。

 振り返れば、三人の男はリタを包囲するようにして迫っていた。


「大声を出しても無駄だ。このあたりはどこも空き屋だからな」

「急に帰ってきたから驚いたぜ、お嬢ちゃんよぉ」


 二人の手下はにやにやと喜色の悪い笑みを浮かべながら包囲を縮めていく。

 その後ろでリーダー格と思しき男はつまらなそうな表情でリタを見下ろしていた。


「家の中のモンは全部持っていった筈なんだが、まだ隠し財産でも残ってたか?」

「……っ」

「アタリのようだな」


 迂闊、おまけに図星でもあった。リタは悔しげに唇を噛み締めた。

 男たちは金貸しの雇ったゴロツキだろう。

 運が悪いのか。はたまた貧民窟の情報網を侮っていたのか。

 少女の両親が破産してから三年も経っているのに、金貸しがまだ諦めていなかったことだけは確かだ。

 どうする、と少女は自問する。

 相手は三人。腕がいいとは思えない。

 装備も粗末な皮鎧に、目釘が入っているかも怪しい錆びたブロードソードだけ。

 辺境の大都市であるヴァーズェニトにはこういう夢破れて落ちぶれた者も少なくはない。

 リタとて戦闘訓練は受けている。腰裏に忍ばせたナイフもある。

 一人、せめても二人ならどうにかできる目はあっただろう。


「さあ、隠し財産の場所を教えて貰おうか。オレたちも“戦乙女”に喧嘩売るほど馬鹿じゃねえ。ここですっぱり手切れとしようや」

「嘘よ!! 借金なんて全部返したじゃない!! なのに、アンタたちは証文を偽造して――」

「騙される方が悪いんだよ」


 リーダー格の男が言い捨てると、それを合図に手下のふたりはさらに一歩を詰めた。


「あん……? 貧乏孤児院にいる割に随分と器量良しじゃねえか。アシュトンさん、こいつはいい値が付きそうだぜ」

「や、やっぱり手切れなんて嘘なんじゃない!!」


 キッと視線を鋭くするが、男たちが動じる様子はない。

 逆にリタは、下卑な視線に晒されて膝から力が抜けそうになっていた。

 駄目だと己を叱咤しても、手の震えも止まらない。


「せ、先生は強いのよ!!」

「知ってるよ。十年前の防衛戦にはオレも参加していた。だが、その先生はここにはいねえよな」

「っ!!」


 リーダー格の男、アシュトンと呼ばれた大男はあくびを噛み殺しながら、リタの反論をすっぱりと断ち切る。それ以上言い返す言葉をリタは持たなかった。


「へへ、安心しろ。悪いようにはしない。お嬢ちゃんもそのうちに楽しめるようになるさ」


 そう言ってふたりの手下は嗤い、そのうちのひとりが手を伸ばしてリタの肩を掴む。


 瞬間、リタが引き抜いたナイフが閃き、男の指を二本ほど切り飛ばした。


「がああああああ!!」

「このっ――!!」


 リタはさらに踏み込み、絶叫をあげる男の腹を刺そうとする。

 が、それはアシュトンの伸ばした剣先によって阻まれた。

 目にも止まらぬ早業だった。

 突き出された男の袖からうっすらと薄紅色の紋章の光が漏れている。


「馬鹿野郎、油断し過ぎだ」


 言って、アシュトンがくるりと剣先を返すと、魔法のようにリタの手からナイフが弾け飛んだ。

 唖然としてリタが思わず手元を見下ろした瞬間、ブーツの爪先が少女のみぞおちにめりこんだ。

 吹き飛んだ矮躯が石垣に当たって跳ねる。

 そのまま地面に倒れ落ちたリタを、手下たちは怒りの目で、アシュトンは冷めた目で見下ろした。


「嬢ちゃんも大人を甘く見過ぎだ。見かけはこんなんでもやる奴はやるんだぜ。勉強になったな」

「カ、ヒュゥ……」

「大人しくなったところでさっさと吐いて貰おうか。こっちも仕事なんだよ」

「ぃ、や……」

「そうかい。なら、足の腱からいくか。逃げられなくなるし一石二鳥だな」


 そう言って、男はリタの踵に剣を振り下ろす。



 ――その直前、甲高い木笛の音が周囲に響き渡った。



「警邏か!?」

「……いや、違うようだ」


 ゴロツキたちの間に動揺が走った刹那。

 とん、と軽やかな着地音がした。


 音に惹かれるようにリタが顔を上げる。

 そこにはいつの間にか、ひとりの少年の姿があった。

 空でも飛んで来たかのように、突然現れた。


「メイル……?」


 名前を呼ばれて、少年は木笛を咥えたまま振り向くと、中性的な横顔に小さく笑みを浮かべた。

 安心しろと、そう言われたようで、リタは思わず安堵の息を吐いていた。

 震えは、いつの間にか止まっていた。


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