傍観をする悪役令嬢?の姉
全寮制の王立学園に通っている妹の婚約破棄が決定的なものになった。
家族、両親と兄とわたくしが夕餉を終え、給仕から紅茶を受け取ると父、ジェームズ・リンデル侯爵は徐に告げる。
「明日、陛下のもとへ家族で参じることになった。用意をしておくように」
母、アイリーンは微笑み。
兄、エドアルドは真面目な顔で頷く。
わたくしも兄にならって頷くのを確認すると、父と母は早々に自室へと引き上げた。
「エリィも早く休むんだよ」
「えぇ、わかりましたわ」
お休み、と言いながらわたくしの頭を軽くなでて、お兄さまも食事室から出て行かれるのを見送る。
誰もいなくなったその部屋で、わたくしは待ちに待った言葉にホッと胸をなでおろした。
かわいそうな妹。
婚約者から不当な扱いを受けながらも、健気に諫言を続けていたというのに。とうとう目を覚まさせることができなかった。むしろ、妹が言葉を募れば募るほど、婚約者である彼の心は頑なになったのだろう。
「バカな子だったわね…」
つぶやきをかき消すように紅茶を飲み下して、わたくしも部屋へ戻る。
王宮へ行くためにはそれなりに身なりに気を付けなければならないから、準備が大変なのだ。
翌日、謁見質の控えの間で久しぶりに見た妹は、王立学園の制服を正しく着込み、可哀そうなくらいに真っ白な顔色をしていた。
「アン…?」
わたくし達と違い、王立学園の寮から直接王宮へ来た妹、アンは、どれほどここで待たされていたのだろうか。出された紅茶の湯気も立ち消えてすっかり冷めているように見える。
王宮で働く侍女達がこんな杜撰な仕事をするはずもない。
おそらくアンが断ったのだと思うけれど、紙のような顔色をしているアンに侍女も迂闊なことができなかったようで、部屋の隅で所在なさげにしていた。
「ぁ…」
お姉さま、とアンの口が動いたが、その声は謁見の間へ入室を許可する侍従の声でかき消された。
わたくしは周りに気取られないように短く深い息を吐く。
「面を上げよ」
許しを得て、わたくしは足元の赤いじゅうたんからゆっくりと視線を上げる。
正面に、国王陛下と王妃様。
玉座からこちらへ伸びている階段に2人の王子殿下と末の王女殿下がご生誕された順番で並び立つ。
王子殿下たちの正面には宰相閣下に王弟公爵様とご子息。
階段終わりに近衛騎士が左右に5人ずつ並ぶ。
そこから2メートルほど下座に、わたくしの父と兄が片膝を付き頭を垂れ、父の後ろに母が控え、隣にわたくし、わたくしの隣に妹のアンが控える。
「ジェームズ…手間をかけさせてしまったな」
「いいえ、こちらも行き届かず。カイン殿下にご迷惑をおかけしてしまいました」
カイン殿下、第二王子はにこりと微笑んで首を横に振った。妹と同じ年のカイン殿下は、妹同じく王立学園の生徒なので、学園の制服を着ている。
「私にアイリーン叔母様のお願いをお断りすることなんてできませんよ」
「できるのはジェームズくらいだろうかな」
簡易的に謁見の礼をとったが、この部屋にいるのは、宰相閣下と護衛の騎士以外はすべて血縁者であることから、陛下が気安い様子で笑う。
「お兄様はもっとわたくしの家族に感謝なさるべきですわ」
「母様」
兄が苦笑しながら振り返り、母を窘める。
王妹である母は、兄である陛下から未だにたいそう可愛がられているため時折こうやって素のままで陛下に接する。今回この部屋にいるのはほとんど身内のみだが、そうでないことも多く、父や兄は肝を冷やすこともあるらしい。
「だって、今回の事で旦那様と約束していたロネス湖への視察が中止になりましたのよ。わたくし、毎年楽しみにしていましたのに」
「わたくしもお母さまと一緒に、三か月も前から準備をしていましたのでとても残念でしたわ」
唇を尖らせる母が可愛くて、わたくしもつい軽口をたたく。
「あぁ、だから婚約者殿も忙しくて私との時間も取れず、手紙の返事も滞っていたんだね」
陛下と父が申し訳なさそうに眉を下げたので、溜飲を下したところで、第一王子のディア殿下から最近の不義理を責められた。
「いえ…申し訳ありません」
もちろん母の準備の手伝いが彼を避ける理由ではないけれど、これ以上やぶをつつきたくないので素直に口をつぐむ。
「それにしても」
陛下が苦笑交じりに、わたくしに後ろに控える妹、アンををみた。
「素直なのはけっこうだが、考えなしで無謀が過ぎるぞ。まったく、母に似たのか…」
「お兄様、失礼でしてよ。わたくしのどこが考えなしなのです」
「こうやってすぐにへそを曲げるところだよ。…まったく。素直なのは美点でもあるが…本当に、ジェームスが引き取ってくれてよかった」
やれやれと肩をすくめた陛下に、妹、アンは何を思ったのか、唐突に声を張り上げる。
「わたくしはっ…わたくしは、決して誰か意図的に虐げるなんてことはいたしませんわ…!もし…もしも行き違いがあってそのような誤解があったとしても、家族に責はありません!処罰が下るのでしたらどうかわたくし1人に」
「お待ちなさいな、アン。唐突になにを言っているの」
「お姉さま…だって、わたくしがミリィを…マロフト子爵家のミリアリア様に嫌がらせをしたって学園の皆様が噂をしてて…陛下もディア殿下もカイン殿下もご立腹されているって…ジョシュが…」
フルフルと肩を震わせて目に涙をいっぱい溜めたアンは真っ青な顔をしながら、わたくしの制止も聞き入れず必死に言い募る。
「わたくしの行いに姉さまは関係ありません。お願いです、ディア殿下…どうか姉さまとの婚約を破棄なさらないでくださいませ。わたくしのことが不愉快だとおっしゃるのでしたら、これから先、領地から出ないことを天地神明に誓いますわ」
「落ち着きなさい、アン。…思い込みが強いのも、妻に似たようです」
「そのようだな」
父と陛下がやれやれと肩をすくめ、兄が眉間に寄った皺をゆっくりともみほぐし、ディア殿下が噴き出すのを必死でこらえながらで口元を隠す。こら、肩が震えていましてよ。
「っふ、あぁ、アン。大丈夫だよ、私は決してエリィを手放さないと婚約式の時に誓いを立てたからね」
ちらり、とディア殿下が艶めいた流し目をくれる。
「…そうだったかしら。緊張しすぎていたせいか、覚えていませんわ。」
「そういうところも可愛いよ、わたしのエリィ」
「殿下の所有物になった覚えはございません」
つん、と顎を上げて顔をそむける。
父と兄のため息が聞こえたけれど、まるっと聞かなかったふりをして、まだ青い顔をしながらこちらをうかがっている妹へ微笑みかけた。
「アン、大丈夫よ。あなたの心根が真っ直ぐだということは、ここにいるすべての人が解っているわ。もちろん、マロフト子爵家のミリアリア嬢を虐げたなんて馬鹿げた噂のことも信じていないわ」
「お姉さま…」
「証拠をそろえるのに時間がかかってしまって貴方に辛い思いをさせてしまったけれど、ちゃんと被害者といわれている彼女からも証言をもらっているのよ」
「ミリアリアさまが…?」
子爵令嬢の名前を出すと条件反射のように愛しい妹はびくり、と体を震わせたの怯えた。普段は気が強く見られがちなだけで内心はとても怖がりな子なのだというのに。こんな 勢力争いに巻き込まれてかわいそうに思う。
できれば知らずにいられればいいと思っていたのだけれど、仕方がない。侯爵家に生まれてしまったのだから、多少は不穏な会話や諍いに馴れなければならない。
「えぇ、子爵令嬢はあなたを恐れるどころか、とても感謝していたのよ」
「ミリアリアさまが…本当に?」
不安げに揺れる瞳にわたくしは微笑みかけ、兄が朗らかに笑う。
「自分のせいで誤解されてしまって申し訳ないと謝っていたらしいな。できれば今後も親しくしてほしいそうだ」
「そう…ですか…。ミリアリア様がそうおっしゃってくださるなんて…」
安堵した様子で胸に手を当てたアンに私たち家族は満足する。結局は、まだまだ末っ子に甘いのだ。
陛下や殿下が小さく肩をすくめたのを視線の端にとらえたが、特に何も言われないのでミリアリア嬢の証言を陛下と殿下も認めたものとする。
多少、事実と異なっていたところで誰も気にはしない。妾腹で市井から召し上げられた礼儀知らずな子爵令嬢の証言など些末なことだが、その証言を陛下と殿下が認めたという事実がものをいうのだ。
父が口の端を楽しげに持ち上げ、母はおっとりと微笑む。
その笑みを合図として、陛下が一つ咳ばらいをした。
「それとだな。メルバルン侯爵の息子のジョシュとアンの婚約を解消したいと考えているのだ」
「そんなっ!」
「アン」
「だけど、お父様…!」
「落ち着きなさい」
「陛下…陛下、そんな…わたくしの努力が足りなかったためでしょうか…」
婚約破棄という、貴族令嬢にとっての不名誉に顔色を真っ青にしたアンへ陛下は首を横へ振る。
「そんなことはない。貴女はよくやってくれたと、むしろ申し訳ないことをしたとメルバルン侯爵も謝罪していたよ。貴方は決して悪くはない」
「陛下…ですが、陛下……」
悄然と項垂れたアンに胸は痛むが、この婚約解消に私は心からの喝采を送る。
可愛い妹がこれ以上、不必要な心労を抱えずに済むのだ。
メルバルン侯爵家子息、ジョシュのやり方は今のアンの心を傷つけたが、アンの輝かしいであろう未来は守られた。
そもそもジョシュは侯爵家の人間だというのに、やり方がお粗末すぎるのだ。
確かにはじめはアンの物言いに子爵令嬢も困惑しただろうが、学園や週末に帰宅する子爵家で礼儀作法を教わっていれば、決してアンの言っていることが言いがかりなどではないことなどすぐに理解できる。
市井で育ったとはいえ、ミリアリアとて貴族の家に引き取られたのだ。子爵家も、社交界で通用するように意地でも教育をしている。
教育をされたからこそ、ミリアリアはジョシュではなくアンに追随することを選んだのだ。
メルバルン侯爵家と我がリンデル侯爵家は同じ侯爵家でありながら、世間への影響力に雲泥の差があり、当然、我がリンデル侯爵家に軍配があがる。
メルバルン侯爵家は6代ほど前に緩やかに勢いを失い、さらに2代前の侯爵が大変な浪費家だったらしく、借金こそ作らなかったものの、資産は随分と減らされたそうな。
その上、最近では領民への増税に増税を重ねているとの報告もある。
このままいけばわたくし達の代までもつか、とも囁かれていたことをジョシュは知らないのだろう。お父様が陛下に頼まれてアンとジョシュの婚約という形で手を差し伸べなければ、おそらくメルバルン侯爵家は緩やかに衰退し、近い将来、貴族名鑑からその名を消すことになったはずだ。
そう。
陛下がへたに温情をかけたりしたせいでアンとジョシュが婚約をしなければならず、今回の事態に至ったのだ。
ついでだからもう一つ愚痴ってしまおう。
お父様は、慈善活動家ではない。むしろそれなりの野心家だ。
そんなお父様が明らかに傾きかけてているメルバルン侯爵家にかわいい末っ子を嫁がせる約束を簡単に結んだわけではない。
メルバルン侯爵家には交渉の材料などないに等しい。むしろ、あの家が持っていて当家がもっていないものなど無いに等しいほど。
だからこそ、陛下の口利きがあった。
アンをメルバルン侯爵家へ通常の数倍もある持参金をもって嫁がせることと引き換えに、姉であるわたくし、エレナが王位継承権第一位のディア殿下のもとへ嫁ぐこと。それによってディア殿下の学友でもあるエドアルドお兄様の地位が盤石となる。
お父様は、後嗣であるお兄様のためにわたくし達姉妹を貴族女性として正しく「つかって」くださったのだ。
お母さまが陛下の同母妹である以上、わたくしが王家に嫁ぐことはよしとされない風潮にあった。暗黙の了解として、権力が偏りすぎることを防ぐためにも当然のことだと思う。
けれどお父様はお兄様のために、陛下は当家の繋がりを強固にするために、メルバルン侯爵家を利用した。
それだけのことなのにメルバルン侯爵は、陛下に気にかけていただいていると思い違い、少々謙虚さを見失ってしまったらしい。それとも利用されているだけだとわかっていながらも、その事実から目をそらしたかったのか。
メルバルン侯爵は、その子息へ婚約の経緯を告げなかった。
そしてアンは、定められた婚約者に好意的だった。素直な性格が裏目に出たのだ。結婚をするのだから両親のように仲良くしたいと、あまり貴族らしくない思考だが、歩み寄った。
結果として、ジョシュはアンが自分にほれ込んで婚約をしたのだと勘違いをしてくれたらしい。
バカな子だこと。
気遣わしげにアンの肩をそっと撫でてあげながら、内心では笑いが止まらない。
本当に、バカな子だったわ。
学園へ通わせているリンデル侯爵家の子飼いから届いた報告書を思い出す。
ジョシュとアン、ミリアリアの関係は歌劇にもならないような茶番だ。ジョシュが子爵家に引き取られた市井で育った妾腹の娘、ミリアリアに好意をもったこと。学年代表として、ミリアリアの指導員の1人として指名されたアン。右も左もわからなかった、天真爛漫なミリアリア。
せめてジョシュにミリアリア程度の冷静さがあれば今回の婚約解消、ひいてはメルバルン侯爵家への支援の打ち切りにはならなかったはずだろうに。けれども、恋は盲目というから、仕方のないことなのかもしれない。ミリアリアがアンを選んだから、彼の恋は一方通行のまま終わらせることになるでしょうけど。
「もうしわけありません…お父さま…」
「気にすることはない。エレナと殿下の婚約が今回のことで解消されることはないんだ」
わたくしとしては、解消してくださってもよろしいのですけれどね。
アンの肩を撫でながら、ちらりとディア殿下に目をやると、いつからわたくしをみていたのか、にっこりと笑みを浮かべてくださった。
昔から、あのお方のことは少し苦手だわ。
殿下はたいそう気に入ってくださっている様子だけれど。
「それにね、アン」
お父さまは殊更に優しく話しかけた。
「実は前々から、アンと結婚したいという熱心な若者が数人、私へ直談判しに来ていてね」
「わたくしと…?」
「あぁ。そうですよね、ニール公爵」
「叔父様が?!」
驚いて目を丸くしたアンにニール公爵、母の弟は歯を見せて笑う。
「ふっ、ははは!いやいや、わたしも20歳ほど若くて未婚であったなら候補に手を挙げさせてもらったかも知れないのだけれど、残念ながら違うんだ」
「わたくし、勝手な勘違いを…っ」
「あなたは!どうしてそこで、僕ではなく父に思い浮かべるんだ!」
ニール公爵の子息、アンよりも1歳年下のサイが顔を赤くしてアンを睨む。
たった1年遅く生まれたというだけで、アンから子ども扱いされるのが許せないみたいだけど…。
あぁ、もう。そんな態度をとるから、アンに避けられるのよ。
「だ、だって…サイは年下だし…すぐ怒るし…」
肩を撫でていたわたくしの腕をキュッと掴んで、サイの視線から隠れるように、わたくしへ身を寄せた。
昔から、サイはすぐに癇癪を起こすけど、それはいつだってアンの気を引けなかった時だ。ほら、今みたいに。
「あなたが、僕を見ないから!僕はいつだってみてたのに!ずっと!初めて会ったときから!なのに、ほかの男と婚約して!」
熱烈な告白に、母と王妃様があらあらうふふと微笑ましげに笑い、父や兄たちは苦笑をこぼす。
告白された当人、アンはきょとんとして首をかしげた。
「サイは、お姉さまのことをお慕いしているのでしょう?」
「へぇ、そうなのかい?」
「いいえ!エレナ様に恋心なんて恐れ多い!実の姉のように思っています!」
間髪入れずにディア殿下が不穏な様子でサイへ問いかけると、必死に首を横に振った。
そんなに必死に否定されると、少し傷つきましてよ。
「そうだよね。今も昔もこれからも、エリィは私のエリィだから、胸に刻んでおいてね」
「もちろんです、ディア殿下!」
「エリィの妹は私の義妹でもあるからね。…けれど、これ以上の瑕疵はご令嬢としてはあまりよろしくないだろう。だから次の婚約には少し慎重になる必要があるんだ。そうだよね、マイルス宰相」
ディア殿下の言葉にこの室内で、護衛騎士以外の唯一の他人、マイルス宰相が重々しく頷く。
社交界としては少々スキャンダラスな婚約解消劇だったから、次の相手は吟味に吟味を重ね、慎重に決定する必要がある。もちろん、貴族間のパワーバランスもあるから、そちらもよく精査しなければならない。
ちなみにお父さまの最有力候補は、残念ながらニール公爵子息のサイではない。残念でしたわね。でも、ご本人の頑張り次第でしてよ。
妹が学園を卒業するその日に真っ赤なバラを捧げることができるのがどなたになるのか。
わたくしは胸を躍らせてその日を待たせていただきますわ。
え、卒業の日に真っ赤なバラを捧げられるのは普通のことではありませんの?
婚約者ならバラを捧げて、校門前で口づけをするのだと…
ディア殿下が…。
ディア殿下のご予定を確認していただけますかしら?
ありがとうございました。