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そんな風に穏やかに、しかし、忙しく、二人と一羽の生活は進んでいった。
二人が精力的に働いた為(ジーニアスはあくまで見ているだけで手伝いはしない)、アルドがサラの畑を手伝い始めて二週間ばかりが経とうとしたある日には、すっかりとうもろこしの収穫や、次の作物の準備は終わり、後の仕事は畑の隅に残された少しの家庭菜園を収穫するのみとなった。
「今日はこれで終わり。アルドの鍬や鎌の使い方も大分上手になってきたから、明日には全部の収穫が終わりそうね。最初はどうなることになるかと思ったけど、アルドの飲み込みが意外に早くて良かったわ。最終的には一人でほとんどの仕事を出来るようになったし。大分、力もついてきたんじゃない?」
新しく植えたナスの苗に水をやりながら、サラがアルドに笑いかける。
「…………(ニコッ)」
アルドも誉められて、うれしそうだ。
照れたようにはにかむ。
そんなアルドの様子を眩しそうに見ながら、サラが言いにくそうに語りだした。
「……ねぇ? アルド? あなた達、明日の作業が終わったら本当に旅に出ちゃうの……?」
その途端、アルドは水やりの作業を止め、手元のじょうろからサラへと視線を移した。
「べ、別に旅に出ちゃいけないって言ってるわけじゃないのよ……!」
そんなアルドのまっすぐな視線から逃げるように、サラが慌てて言った。
「……でも……でも、ほら! 私の所の畑は年中人手不足だからさ! 誰かが一緒に働いてくれればいいなぁ~って思っただけなの。ほら! アルドはたくさん食べるけど、しっかり働いてくれるし。ジーニアスは何もしないけど……でも、おもしろいから一緒にいてくれれば楽しいと思ったの! 私、アルドやジーニアスが好きな食べ物なら何でも作るし……。だから……」
「サ~~ラちゃん!!」
たどたとしくも一生懸命話すサラを遮るように、聞くだけで不愉快になるような嫌らしい声が二人の間に響いた。
声がした方向を見れば、そこにいたのは黒いスーツに身を包み、ニヤニヤとした気味の悪い笑みを浮かべた無精髭の男。
そして、その側には薄汚いマントを羽織り、それについたフードをすっぽりと被った男だか女だかわからない怪しげな人物……。
「あなた達!!」
サラが緊張した面持ちで男達に身構える。
「サラ……。こいつらは誰だ?」
騒ぎを聞きつけて、木から降りてきたジーニアスが緊迫した声で訊ねる。
サラが男達を鋭い視線で睨みつけながら言った。
「こいつらはこの辺りを取り仕切ってる悪質な地上げ屋よ。あの嫌らしい笑顔を浮かべたヒゲ親父が『ランダバ』。あいつらの親玉よ。嫌がらせや、何の根拠もないいちゃもんを繰り返しては、この辺りに住む人々の土地を取り上げているの。……私の家の周りも昔はもっと畑が広がり、たくさんの人が住んでいたのだけれど……みんなこいつらに追い出されたわ」
「いちゃもんとは心外だなぁ~」
そのランダバというヒゲの男がサラとジーニアスの話に口を挟む。
「こっちは正当な主張をしているだけですよ。ただ、単純に組合費を払えって、こんな簡単なことを言っているだけなのにいちゃもんなんて失礼だなぁ~」
「どこが正当な主張よ! あんた達がかってに言ってるだけで組合なんて実際にはどこにもないじゃない! ない組合に何でお金を……しかも高額なのを払わなきゃいけないのよ! そんな風にみんなに高いお金を請求して、ここから追い出したのはどこの誰よ!!」
ニヤニヤと嫌らしく語る男にサラが怒鳴る。
しかし、男には悪びれた様子が一切ない。
一層、笑みを濃くして、楽しそうに言う。
「それこそいちゃもんじゃないですか。いつ俺達が彼らを追い出したと? 俺達が彼らを追い出したんじゃない。あいつらがかってに出ていったんですよ」
「嘘おっしゃい! あんた逹が汚い手を使ったくせに! みんなを追い出したくせに! ……あんた達なんかに絶対この畑は渡さないんだから!!」
「ハハハ。……やれるものならやってみな」
「……っ!」
ランダバの声の温度が一気に下がる。
「どれだけサラちゃんが頑張れるか見てやるよ。でもな、残念だけどこっちにもそろそろ期限がきてるんだ。ここに大きなビルを建てなきゃならねぇんだよ。サラちゃんの『遊び』にもいつまでも付き合っていられない。……明日には勝負を決めさせてもらうぜ?」
そうまたニヤリと嫌らしく笑ってランダバ達は去っていった……。
「アルド……。さっき私が言ったことは気にしなくていいわ。あなた逹は明日、朝早くに出発するべきよ。収穫の手伝いはもういい。ちゃんとお金も払うから、一刻も早く立ち去った方がいいわ」
ランダバ達が去って、しばらく経ってからサラがそう静かに呟いた。
「別に、追い出そうって訳ではないのよ。……でも、あぁ言ったからには明日には絶対あいつらがくる。あいつらは本当に血も涙もないような奴等よ。下手すれば殺されてしまう。早く逃げた方がいいわ」
「……それで俺達はいいとして、嬢ちゃんはどうするんだ?」
自分のことは触れずに、彼とアルドのことだけを心配するサラにジーニアスが訊ねる。
そんなジーニアスの目は見ずにサラが静かに、でも、力強く言った。
「私はここを離れるわけにはいかないわ。だって家族が残してくれた大切な畑だもの。最後まで……結果がどうなろうとも守り抜いてみせるわ。……そんな顔しないで」
アルドとジーニアスの顔を見て、サラが静かに微笑みながら言う。
「私は大丈夫。あいつらはずっと昔からこの土地を狙っていたの。だから、いつかこんな日が来るのはわかっていたから、覚悟は出来ているわ。……でも、その前に少しの間だけど、あなた達と暮らせて本当にうれしかった。あなた逹のおかげで毎日楽しくて……私も一人じゃないんだなぁって思えたの。本当にありがとうジーニアス。アルド……」
「嬢ちゃん……」
「さっ! 夕御飯の支度をしましょ! 今夜は腕によりをかけて豪華なご馳走を作るから! 楽しみにしといて!!」
そう笑いながら言うと、そのままサラはサッと何かを振り切るように踵を返した。
「…………」
そんな彼女の後ろ姿にアルドとジーニアスは何も語りかけることができない。
――ギリリッ!
アルドは心の底から自分の口で話せないことを悔しがるように、マスクを強い力で握りしめた……。
「サ~~ラちゃん!!!」
翌日、ランダバ達は宣言通り、サラの畑へとやってきた。
――アルドとジーニアスはいない。
サラに言われた通りに朝早く、彼女の家を出発したのだ。
サラは『一人』で戦う決意を決めていた……。
「あんた達なんかにこの畑は渡さないんだから!!!」
唯一の武器に鍬を携え、サラは勢いよくランダバ達の前へと飛び出す。
「ハハハ! 本当に逃げないとはね!!」
そんな精一杯のサラをランダバは鼻で笑った。
「そこまで馬鹿とは思わなかったよ! 忠告はしてやったのにさ! それに一人でどうしたんだい? お仲間達は? 昨日は誰か知らない奴らと楽しそうに話してたじゃないか! てっきり、畑を守るために用心棒でも雇ったのかと思ったよ! まぁ、あんな細っちい奴と鳩なんかいてもいなくても変わらなかっただろうがな!!」
「……アルドとジーニアスはもうここにはいないわ。だってあの二人は関係ないんだもの。迷惑なんかかけられないわ。……あんた達なんか私だけで十分! どこからでもかかってきなさい! 返り討ちにしてやるんだから!!」
そのままサラは鍬を高く上げ、ランダバへと向かっていく。
しかし……
「きゃあ!!」
そのサラの渾身の一撃はランダバの側にいたマントを被った人物によっていとも簡単に返された。
「うっ……」
その上で倒れたサラの体は、そのマントの人物によって首を片手で掴まれると、軽々と持ち上げられる。
「サラちゃ~ん。良かったのは威勢だけかな?」
嘲るようにランダバが言う。
「くっ……!」
サラは血色が悪い紫色をした、しかし、凄い力を持ったマントの人物の手を振りほどこうと暴れたが、その手はビクともしなかった。
「……っ!」
それどころがもがけばもがくほど鋭く尖ったその爪がより深く食い込んでいき、サラの呼吸を妨げる。
「ハハハ! もう終わりかい? サラちゃん。今まで粘ったわりには最後はあっけなかったね。長い仲なのに残念だよ。でも、何も心配しないでいいから、安らかに眠りなよ。……君の大切な畑は、俺達の大きな利益生む宝石箱へと生まれ変わるんだから!」
「くっ……!」
サラは悔しそうに顔を歪めた。
最後の力を振り絞って手を振り上げるが、それも虚しく空を切るだけだった……。
「ごめん。父さん、母さん、ミリアム……。さようなら……。ジーニアス。アル……ド……」
サラは静かにそう呟き、諦めたようにその意識を手放そうとした。
しかし、その時……
「嬢ちゃんをはなせっ! このマント野郎!!」
どこからか、バサバサーっと激しい鳥の羽ばたきと共に、白い塊が現れた。
「このヤロ! このヤロ!!」
その白い塊はサラの首に食い込んだマントの人物の手を激しく攻撃する。
「…………!」
その急な攻撃のため、サラの首を締めていた力が弱まる。
「……んっ!」
支えられていた力が無くなり、サラの体が後ろへと傾く。
ガシッ! その倒れたサラの体を地面に触れる寸前に、細くとも温かい手がしっかりと支える。
サラはその手に支えられながらうっすらと目を開けた。
「嬢ちゃん! 大丈夫か!?」
「……ジーニ……アス……?」
サラはまだぼやける視界に映る白い物体を見て呟いた。
「……これは……夢……?」
しかし、心配そうに自分を見つめるアルドの顔を見てサラは目を覚まし、バッと頭を上げた。
「ア、アルド……! ゲホッ! ゲホッ!」
呼吸量が増えた途端、急に咳が込み上げ、サラは激しくむせかえった。
「大丈夫か? 嬢ちゃん!」
「だ、大丈夫……。それより、アルド! ジーニアス! どうしてあなた達がここにいるの! 旅に出たんじゃなかったの!?」
呼吸を静め、咳で涙目になった目元を拭いながら、サラが訊ねる。
「あぁ。今朝のはフリだ。フリ」
ジーニアスがサラとアルドの回りを旋回しながら、ニヤリと笑う。
「あぁでもしないと嬢ちゃんの気がおさまらないと思ったからな。アルドと一芝居うったのさ。旅に出るフリをして、嬢ちゃんから見えない所まできたら、すぐそこの納屋の影に隠れたんだ。嬢ちゃんがピンチになったらすぐ助けにはいれるようにな」
アルドもうん。うん。と同意するように首を縦に振る。
そんな二人を見ながらサラは震える声で訊ねた。
「な、なんで……? あ、あなた達には何の関係もないのに……」
そんなサラを叱るようにジーニアスが言う。
「関係なくなんてないだろ! ほら。アルドも言っている。 『君を一人になんてさせない』 だってさ。……まぁ。あれだ。袖振り合うも多生の縁だ。力を貸すぜ」
ギュッ! と肩に加わるアルドの握力で、サラは今まで張っていた何かが緩むのを感じた……。
「あ、ありがとう……」
震える声でそう呟く。
「フッ。勇ましいことを言う騎士様達だ」
そんな三人を嘲るようにランダバが言った。
「しかし、こいつのこの姿を見てもまだそんな風に言ってられるかな!!」
ランダバが傍らにいた人物のマントを剥ぎ取る。
「きゃあ!!」
サラが悲鳴を上げた。
マントの下から出てきたのは、今まで見たことのないようなおぞましい姿。
ただれた皮膚に、窪んだ眼、全身が紫色で、その血色の悪い顔からは生きている気配が一欠片もせず、長く、鋭く尖った爪だけが光を反射して黒く光るのが妙に恐ろしく、不気味に見えた。
「こいつは……!」
「ふふふ。醜いだろう?」
マントの人物のあまりの異形な姿に震撼する三人を見てランダバが満足そうに笑う。
「こいつは古の戦いの負の遺産。人間の形をした生物兵器、『ハイドラ』さ。『ハイドラ』は魔族との圧倒的な戦力差を埋めるために作られた人間と魔術の禁忌の子。強大な力に耐えきれず、骨は醜く歪み、知能も低いが、その分長い寿命と人間を超越した強い力を持つ。戦争が終わった今は用なしとしてオークションに売られていたのを俺が買い取ったのさ。今では俺の言う通りに動く、憐れでかわいいやつよ。大金をはたいて買ったかいがあったってもんだ。……いけっ!!」
ランダバの一声で『ハイドラ』が動き出す。
「きゃあ!」
素早い動きで一瞬で間合いをつめ、サラ達に襲いかかる。
「くっ……! なんてスピードだ!」
なんとか間一髪のところで避けたが、三人が元いた場所の地面には大きな穴があいていた。
「……な、何……これ?なんていう力なのよ……。こんなのくらったら一発であの世行きじゃない……」
サラが目の前の大穴を見て、ペタンと力が抜けたように座り込む。
「嬢ちゃん! へたれてる場合じゃないぞ! 立て! 立つんだ!!」
そんなサラをジーニアスが叱咤するが、サラの足は震えてしまってピクリともしない。
「だ、だめ! 立てない!」
サラが一生懸命、足に力をいれようとしている間にも、敵はどんどんと近づいてきた。
「何で!? 何で動かないの! 動いてよ! ……アルド!?」
立ち上がろうともがくサラを庇うように、アルドがバッと彼女の前に出る。
「だめっ! 逃げて!」
叫ぶサラを尻目にハイドラのその鋭い爪はアルドの目の前まで迫っていた。
「……っ!」
アルドの『死』を予知してサラが目を閉じる。
しかし……
「《止まれ……》」
そんなサラの耳に、まるで荒れ狂う嵐の森のような、それでいて静かに流れる川のような、激しくも澄みきった……今までに聞いたことのないような不思議な声が響いた。
「えっ……!?」
サラは急いで目を開け、頭を上げる。
そこには爪をアルドの目の前に突きつけたままピタリと動きを止めたハイドラがいた。
まるで突如時が止まってしまったような不自然な格好で止まっている。
「何で……!?」
サラがキョロキョロと原因を探す中、アルドがスクっと立ち上がった。
――見れば、あのいつもしていた不思議な柄のマスクを外している。
「アルド! どうしたの!? 危ないわよ!」
しかし、アルドはサラの忠告を聞かず、つかつかとハイドラに近づいていく。
そして、その何にも隠されていない口をゆっくりと開けた。
「《こんなことは無駄だ。ここから早く去れ》」
アルドの口から出てきたのはさっきの不思議な声。
確かにアルドの口から発せられているはずなのだが、四方から話しかけられているように鼓膜の中で怪しく響く。
「アルド?」
「《そうでないとどうなるかわからないよ……?》」
その冷たい響きにサラは全身を固くなるのがわかった。
「ヒッ……!」
しかし、誰よりもそのアルドの不思議な声に怯えたのはランダバだった。
ガタガタと体だけでなく、声まで震わせ、喘ぐようにこう呟く。
「お、お前……その声……。ま、まさかあの『悪魔のパーツ』の持ち主……!? あの話は伝説ではなかったのか!」
「《……『ハイドラ』だってまだ残っているんだ。僕らが実在してもおかしくないだろう……?》」
「う゛っ……」
鼓膜だけでなく、脳にも激しく響くアルドの声にサラが頭を抱える。
「大丈夫か? 嬢ちゃん」
そんなサラを心配げに見守るジーニアスの表情も辛そうだ。
「くっ……! あいかわらず、凄い威力だ。『同じ悪魔のパーツを持っている俺』ですらくらくらするぜ」
「ねぇ! 悪魔のパーツって何なの!? アルドはしゃべれないんじゃなかったの? これはどうなっているの!!」
サラが半ば叫ぶようにジーニアスに向かって質問する。
「それは……」
ジーニアスは言いづらそうにうつむきながらも話し始めた。
「……『悪魔のパーツ』。それは『ハイドラ』と同じ、古の戦いの遺物……。嬢ちゃんも俺らの生まれるずっとずっと前にあった悪魔との戦いを知っているよな?」
「うん。昔、おばあちゃんから聞いた。確か悪い悪魔達と長い長い間戦ったんでしょ?でも、そんな大昔の話とあなた達が何の関係があるのよ?」
「……そう。俺達、この地に生きとし、生ける者は全ての総力を上げて悪魔と戦った。悪魔はこの地に生きる過去、現在合わせたどんな生き物よりも強い。それでもほとんどの悪魔はなんとか……たくさんの犠牲を払うことによってだが……倒すことができた。しかし、一匹だけ……あまりに強大な力を持つために、どうしても倒せない悪魔がいたんだ」
ジーニアスはそこで一度言葉を切り、どこか遠く見つめた。
「……そんな強大な悪魔をどうにかするため、ある高名な魔術師達……七人が立ち上がった。彼らは倒せないならと悪魔を、自分達の命を懸けて封印することにしたんだ。悪魔をそれぞれ『手』、『足』、『耳』、『目』、『脳』、『心臓』、そして『声』の七ヶ所にバラバラにして『ある場所』にな」
「『ある場所』って……?」
サラが訊いてはいけないことを訊くようにおずおずと訊ねる。
そんなサラの緊張に応えるようにジーニアスも声を潜めてこう言った。
「『ある場所』……それは七人の魔術師達、それぞれの……『魂』さ。魔術師達は自分達の魂に悪魔のその七つのパーツをそれぞれ封印したんだ。……『魂』ならたとえ魔術師達が死に、肉体が滅ぼうともいつまでも存在し、封印を維持し続ける」
「それじゃあ……!」
サラが恐ろしいことに気づいたように口を押さえた。
「……そう。俺らはその魔術師達の生まれ変わり。俺の魂には『脳』、アルドには『声』が封印されている。俺が鳩なのに人語が話せてアルドのジェスチャーを理解出来るのも、アルドの声に不思議な能力があるのもそのせいさ」
「そんな……」
「ハハハ!!!」
突然、そんなサラとジーニアスの会話に耳をそばだてていたランダバが気が触れたように笑う。
「まさか本当にそんな伝説が実在するとはな! しかも、相手がその七つのパーツの中でも最も人々を死へと到らしめたという『デビル・ボイス』の持ち主だと! おもしろい! 伝説の悪魔と生物兵器ハイドラ、どっちが強いか試してみようか! ほら! 動けっ! 化け物! お前に払った大金分の価値を俺に見せてみろ!!」
そう言うとアルドの声で動きを止め、石像のように固まっていたハイドラをランダバは殴った。
その衝撃にハイドラはビクン! と反応し、固まっていた動きを再開し始める。
「ぐぉおおおおー!!!」
雄叫びを上げ、真っ直ぐにアルドへと突っ込んでくるハイドラ。
「《やめるんだ!!》」
アルドが叫ぶが、ハイドラは止まらず、その鋭い爪で攻撃を加えてくる。
「《くっ……!》」
「アルド!!」
アルドの肩をハイドラの鋭い黒い爪がえぐる。
「ハッハッハ! 何だ? 伝説の悪魔の力も大したことないな! 大層なのは名前だけか!!」
アルドの肩を赤い血が染め上げるのを見ながら、ランダバがうれしそうに高笑いをした。
「ちっ! やっぱり魔術によって作られただけあるな。アルドの声の利きが悪い。やはりハイドラの耳元まで接近しないと無理か」
ジーニアスが悔しげにそう言う。
「……しょうがない。嬢ちゃんは少しここで待っててくれ! 絶対に動くなよ!」
「ジーニアス!?」
そう言うと慌てるサラを残して、ジーニアスはどこかに飛び立った。
「《くっ……!!》」
一方、アルドはハイドラの素早い動きに翻弄されていた。
優れた反射神経のおかげでなんとか致命傷は回避していたが、いつハイドラの鋭い爪がアルドの心臓を抉ってもおかしくはない状況だ。
「《うわっ……!》」
疲れておぼつかなくなってきたアルドの足元を、ハイドラが蹴り上げる。
「今だ! ハイドラ! 殺ってしまえ!!」
倒れたアルドを見てランダバが叫ぶ。
「ぐぉおおおー!!」
ランダバのその命令に従い、倒れたままのアルドにハイドラが襲いかかろうとした。
「……ぐわっ!?」
しかし、そんなハイドラの動きを制するように、ハイドラの顔面にチカチカと眩い光が注がれる。
「ぐあぁ!!」
ハイドラは目を庇いながら、苦しそうに後ろへと後退する。
「ジーニアス!!」
アルドが光が差し込む方向を見ると、そこには硝子の破片をくわえ、太陽の光をそれに反射させているジーニアスの姿があった。
ジーニアスは口が塞がって辛そうだったが、それでもくぐもった声で言う。
「ふがっ。この天才ジーニアス様を忘れてもらっては困るぜ。マントを被っていたのは光が苦手だからと睨んだが、やっぱり図星だったみたいだな。さっすが! 俺様! やっぱり天才だじぇ! ……ゴホン! とにかく! 光に怯んでる今だっ! 行けっ! アルド!!」
「《わかった……》」
そう静かに頷くと、アルドはソッとハイドラに近寄った。
「《……ごめんね。僕には君を助けてあげることができない。だから、せめて安らかな死を。……おやすみ》」
アルドがハイドラの耳元で優しく、まるで幼い子供に子守唄を歌う母親のように囁く。
すると、その途端、ハイドラは今までの長い時が一瞬で訪れたように、サァアアアーーと細かい砂粒になり、風にふかれていった。
「うわぁああ!!!」
その光景にランダバが絶叫する。
「く、来るな! こ、こ、この化け物め!」
そして、狂ったように懐から出した拳銃をアルドに向かって撃った。
しかし……
「《止まれ》」
その銃弾は全てアルドのたった一言によって止められた。
「ヒッ!?」
驚くランダバにアルドが淡々と言う。
「《僕の声が効くのは生き物だけだと思った? 大悪魔の力を舐めてもらっちゃ困るね。ハイドラを失った君に勝ち目はない。変な抵抗しないで、素直に諦めなよ》」
「来るな! 来るな! 来るなーーーっ!!!」
しかし、そんなアルドの忠告も聞かず、ランダバは銃を乱射する。
「《『止まれ』。ほら? だから無駄だって言っただろ? もう弾は撃ち終わったかな? それじゃあ、『砕けろ』!!》」
アルドがそう言うと拳銃はランダバの手の中で砕けて、バラバラになった。
「うわぁああ!! 嫌だ! 助けてくれ! 頼む!!」
そう必死で命乞いをするランダバにアルドはニコリと笑いかけた。
「《安心して。殺しはしないよ》」
「ほ、本当か……?」
ランダバが恐る恐るアルドに訊ねる。
「《うん。本当》」
アルドがその問いに笑顔のまま答える。
……しかし、笑顔とは裏腹に、その声はまるで氷のように冷ややかで、暖かみの欠片もなかった。
「《だって、君みたいな人には殺す価値もないもの。地獄よりももっと辛い悪夢を見せてあげる。その中で永遠にさ迷いな……》」
そう冷たく言い放つと、アルドは「いやだぁあ~!!」と暴れるランダバを無理矢理押さえつけ、耳元で囁いた。
「《良い悪夢を……》」
「う゛っ……あ……」
その一言で、ランダバの全身から、全ての力が抜ける。
「あ゛っ……」
そして、ランダバは最後に小さなうめき声だけを上げると、二度と覚めない暗い暗い夢の世界へと旅だった……。
「アルド……」
ランダバが地面へと倒れ伏す中、サラが喘ぐようにアルドの名を呼ぶ。
そんなサラの視線を避けるようにしながら、アルドが言った。
「《……ごめんね。今まで黙ってて。このとおり僕は化け物さ。人の形をしていても悪魔と何ら変わりはない……。そんな自分を変えたくて、この声から解放されたくて、僕とジーニアスは旅をしているんだ。……何回も君に本当のことを言おうと思ったんだよ。でも、君には怯えてほしくなかったから……嫌われたくなかったから……言えなかったんだ……。怖い思いをさせて本当にごめん。でも、大丈夫。僕達の記憶はちゃんと消していくから。僕が『忘れろ』と一言言えば、ランダバのことも……そして、僕とジーニアスのこともきれいに全部忘れられる》」
そう言うと、アルドはついと座り込んでいるサラの目の前まで来て、彼女の頬に優しく手をかけた。
「な、何であなたたちのことを忘れなければいけないの?」
「《……悪魔のパーツは災いを呼ぶ。こんな化け物たちと関わった記憶なんてなくしまった方がいいんだよ。……本当はさっさと出ていくべきだったんだ。でも、君と一緒にいるのはうれしくて、楽しくて……化け物の僕にはそんな資格なんて……幸せになる資格なんてあるはずなかったのに……》」
それは胸にズシリと響く、とても悲しそうな声……。
「……っ!」
そんなアルドの声をきいているとサラの目から自然に涙が溢れてきた。
「う、嘘よ……」
サラは震える声で、しかし、しっかりと力を込めて頬に添えられたアルドの手を握りしめながら叫ぶ。
「嘘よ! あ、あなたたちが幸せになっちゃいけないなんて絶対に嘘! だ、だってあ、あなたたちのどこが化け物なの? ジーニアスはおしゃべりで、うるさくて……でも、とっても楽しくて……。アルドは非力で大食らいで……でも、すっごくすっごく優しくて……。そんなあなたたちのどこが化け物? 世の中にはもっと酷いやつらがいっぱいいるじゃない! それなのにあなたたちだけ幸せになれないなんて……。そんなの嘘よ! ……アルド、私に『一人』じゃないって言ってくれたよね? もう一人は嫌だよ……」
最後の方は消え入るような、小さな小さな声だった。
「《ごめん。泣かないで》」
そんなサラの涙をアルドが優しく拭う。
「《……本当はずっと側にいてあげたいけど……今の僕じゃ無理なんだ。君にはきっともっとたくさんの幸せがあるはずだから……。僕たちのことなんか忘れて、君は幸せになって》」
「……っ!」
そう優しげに語るアルドの目は、完全にサラと離れることを決意した、寂しげな目だった。
再度アルドが触れては壊れてしまう繊細な硝子細工に触れるように、サラの頬にソッと手を添える。
「……そ、そんなんであなたの幸せはどうなるのよ! そんな風に人のことばっかり! あ、あなたたちは何も悪くないのに……幸せになってはいけないなんて……。絶対おかしいわ! そ、そんな訳、絶対ないのに……!!」
「《……ありがとう。『サラ』》」
その時、アルドはふいに満面の笑顔を浮かべ、サラを抱き締めた。
「《君のご飯はおいしかった。君の笑顔がうれしかった。君の優しさに癒された。……君と短い間だけど一緒にいられて本当に本当に良かった。僕には遠くから祈ることしかできないけど……どうかどうか幸せに……》」
「バカ……」
サラが意識を失う前に聞いたその声は、悪魔のくせして、誰かの幸せを心から願う、白くて清い声だった……。
「あぁ~勿体ねぇ。何も自分の事を『忘れろ』とまで言わなくて良かったじゃねぇか。あの嬢ちゃん、絶対お前のこと好きだったぜ?」
うつむきながら黙々と前を歩くアルドにジーニアスが声をかける。
――二人はサラの家を今度こそ本当に出発したのだ。
「…………」
「お前だって……」
返事をしないアルドにジーニアスは更に言い募ろうとしたが、途中で口をつぐんだ。
その代わりにソッとアルドの肩に止まる。
「……今からでもやり直せないのかよ? 話せなくても、いつもみたいに俺を仲立ちに使えばいいじゃないか。不本意だがやってやるぜ……?」
「《……それで暮らしたとしてもサラが何も知らなかった最初には戻れないよ。サラがもし僕の声に何も望まないと言ってくれても、それでもどこかで期待してしまうだろうし……それに何より僕がしてあげたいと思ってしまうと思う……。この声は何でもできるから……でも、だからこそ決して悪用してはいけないんだ。……この声がある限り、僕に平穏な生活は無理だ……。……だからこそ、どうにかしてこの呪いを解きたい。そうしない限り、サラには一生会えないんだ……》」
悪魔の力を制御するための呪印が施してあるマスク越しでも、耳元に怪しく響くアルドの声を聞きながら、ジーニアスはその優秀過ぎる脳を回転させ、切なげに言った。
「……一言で何もかもできるっていうのも大変だな。その代わりに、普通にできる何もかもを犠牲にしなければいけない……。……俺もこの優秀すぎる脳から早くおさらばして、普通の鳩として生きたいからな。しょうがない。まぁ……この呪いが解けるまでは俺が側にいてやるよ」
「《ありがとう……》」
アルドは小さくそう呟いた。
■■■
――こうして一人と一羽は進んでいく。
『解放』への道を……。
例えその道が茨の道だとしても、傷つきながら、一歩ずつ、一歩ずつ……。
■■■
今はここまでしか書いてませんが、もし続きを書くなら、手に悪魔が宿る怪力幼女や、足に悪魔を宿した俊足男、耳に悪魔を宿した主人公の能力相殺ヤローに目に悪魔を宿した千里眼女、心臓に悪魔を宿した不老不死老婆(美女)なんかがでてくるんだと思います。