彼女の名前
魔王城の数少ない飲食スペースでゆっくりくつろぎながら、執事の入れた紅茶を飲む。
最近では侍従長の食事の次に、楽しみを見出している。
「執事」
「はい。紅茶のお代わりでしょうか?」
「大丈夫、執事がお代わりを入れてくれるタイミングは完璧だ」
本当に、同じ部屋に居なくても空になる寸前で姿を現すのは何故なのだろうか…。
「ありがとうございます」
執事はそう答えるも、笑みもない。
彼からすれば当たり前のことなのだろう。
「新しい陸軍の大将について考えようと思ってね」
「彼では荷が重いですか?」
執事が言う彼とは、魔王軍の歴史上最も短い時間で将官になった男であり、才気もある。
しかし、
「わかっているだろ?頭も回るし立ち回りも上手い。が、魔王軍の武将としてはイマイチだな。上に立つ人間としては悪くはない」
「なら彼のままで良いのでは?」
「それこそ馬鹿な。魔王軍の大将、それも陸だぞ。武将として才覚が劣っているような奴に素直に従ってくれるほど甘いところじゃないだろ」
魔王軍において強さは絶対なのだ。少なくとも先日集合をかけた時点で奴より強い将官は二人は居た。その程度では残念ながら大将の器ではない。最強であることは最低条件にして必要条件。
「とはいえ、あいつが上手いこと大将代行に収まったのは裏工作の上手さ、なんだろうな。他の将官がしぶしぶ従っているところを見ると、手回しだけは達者に思える」
「では、彼を大将代行から下ろすと?」
「ああ、奴には別のポストを用意する。ああいう奴は今の魔王軍には必要だ」
「…意外です。彼をそこまで買っているのはあなただけですよ」
海と空の二大将も明らかに格下だと見下していたし、他の将官も実力では負けていないと目で訴えていた。強さが全てである魔王軍では仕方のないことなのだ。如何に策略を使ったところで地力の低さは変えることができない。
「だろうな。だからこそ、だな。あいつは優秀な男だ。…まぁ欠けている素質も多いが、持っている素質も多い。上の人間が上手く使ってやれば歴史に名を残してもおかしくないくらいの人材だよ」
力が全ての魔王軍において知略とそこそこの強さで大将代行まで登りつめたのは奴だけだろう。
「それでは、大将代行を取り下げ、陸大将を決めるということですね」
「そういうことだな。昨日来てた中将二人はなかなか悪くはなかったが決め手がないな。見た感じほぼとんとんな実力に思えたけど、どっちかが一番強いんだよね?」
「違います。魔王軍最強はどちらでもありません」
「…その言い方だと魔王軍最強は海空の大将どちらでもなく、より強い存在が居るように聞こえるが」
あえて陸軍最強ではなく、魔王軍最強と言った様に聞こえた。
「その通りでございます」
「お前のことじゃないよな?」
「はは、まさか。私のような老いぼれが魔王軍最強などと恐れ多い」
「嘘をつけ嘘を…」
相対すればわかるが、単純な戦闘力であれば魔王に限りなく近いものがある。
いや、経験や技術を加味すれば魔王よりも厄介な相手かもしれない。
魔王城で戦った時も、全力は出していないように思えた。
「陸大将が死んだ今、魔王軍最強はドラン中将でございます」
「この前唯一欠席してた奴か。確か…左遷させられてダンジョンの監視をしているんだっけ?」
「はい。概略はその通りですが、それでは些か不足しております」
「ふぅん。では彼について知っていることを一通り教えてくれ」
「まず、正確には魔族ではありません」
「魔族ではない?まさか…人間なのか?」
「それも正確ではありません」
「…なら、もしかして竜族なのか?」
妖精も考えられたが…妖精はあまり直接的な戦闘は得意としていない。平均的な戦闘力は低くなくても、戦闘には向いていない種族だ。
だとすれば、考えられるのは竜族。最も戦闘に特化した最強の種族。
「それでさえも正確ではありません。彼女は…人間と竜の間に生まれたドラ
ゴンハーフなのです」
「ドラゴンハーフ…か」
「歴史を紐解いても私が知る限り彼女しか居ません。強さで彼女に敵う者は魔王軍には存在しません」
「それほど強いのか?」
竜族は強い。硬い鱗に空を翔る翼、大地を染め上げる灼熱の吐息、鉄を切り裂く鋭利な爪と隙がない。最強の種族として教科書にも出てくるし、銀竜事件の銀竜のようにその中でも規格外の怪物が存在している。
「以前の陸大将でさえ一対一で勝てる保証はありませんな。むしろ分が悪かったのでは?と思っています」
「そんな奴がどうしてダンジョンの見張りなんてしょうもないことをさせられているんだ?」
「至極簡単なことです。将官二人を殺したからです」
「おいおい…将官二人を殺すってのは前代未聞じゃないのか?」
「前代未聞です。それも当時陸の将官で実力2位と5位の中小将がやられました」
「二人同時に、か?」
「はい。止めに入った陸大将も既に事が片付いてしまった後だったようで…どちらが強いかは結局わからずじまいです」
「一体何が彼をそこまでさせたんだ?」
「簡単なことです。血を馬鹿にされたのですよ。人と竜族の血を引いているだけで魔族の血が流れていないのもありますが…度々上官にそのことを馬鹿にされ…その度に昇級していった上官殺しということで有名ですから」
強さこそが大事である魔王軍ならではだろう。普通なら軍事裁判にかけられて死刑を待つだけだ。
「大将代行が持つ表向き正規の手段での昇格記録で一番なら、ドラン中将が持つ、上官殺しで最短昇格記録はその半分以下という記録です。なかなかに恐ろしい」
僅か二年で中将まで駆け上がった戦闘力、確かにそれだけの実力があるのなら魔王軍最強と言うのも頷ける。
「それで、そいつには何処に行けば会える?」
「ここより北北東の方角で、馬の早がけで三日というところですかな」
休みなどを考えれば少なく見積もっても往復一週間と言ったところか。流石にそれだけ魔王城を空けるわけにはいかない。それでは魔王が調子に乗るか寂しがるかのどっちかだ。
「その距離なら…風の絨毯を使えば片道三時間だ」
「ほう、代行殿は風の妖精の加護を受けているのですか?」
「あぁ、なかなか融通の利かない子たちだったけど、仲良くなったなら凄く気前が良くてね。こいつがなかったら魔王城までたどり着けたかどうか」
コンコン
と二度のノック音が部屋に響いた。
少し戸惑いながらのノックも、何処となく彼女の人柄を感じさせられる。
「どうぞ」
「勇者様…失礼します」
扉の先に居たのは、先程話をしていた陸大将の娘だった。
昨日助けてもらった代わりに魔王城に住居を用意した。
彼女も彼女で、魔王との戦いが終わり、落ち着いて話をしたときにどうして魔王城に居たのか聞くと「お、押しかけに来ました」と顔を真っ赤にしながら言っていたので、無理やりにでも魔王城に居座るつもりだったらしい。
なんというか、その愛され方は少し、照れる。
「畏まらなくて良いよ。どうかしたの?」
「いえ、その、特に用事があるわけではないのですが…」
「あぁ、もしかしてお腹が減った?」
隠語、という訳ではないが、精力が足りないときは「お腹が減った」というようにしている。
初めて手を握ったときは精力の大半を持っていかれた。
「いえ、その、今はお腹が一杯なので大丈夫です」
彼女は照れながらうつむいた。
昼間から精力が欲しいです…とは言いづらいだろう。
「執事に席を外させようか…と言う前に既にいない、だと?」
馬鹿な、気配を全く感じさせずに執事は部屋の外に出ていったようだ。
その証拠に、テーブルの上には「必要があれば呼んでくださいby執事」と書かれたカードが置かれている。
本当に何者だ…。
「本当に大丈夫です…。それで、その、少し、お話ししたいことがあって…」
「うん、何でも言ってごらん」
「…………いえ、やっぱり良いです。失礼しました!」
彼女はそういうと疾風のように部屋を出て行った。
それを唖然と見送ってしまった。
「なんだったんだ…」
「代行殿はいささか鈍感、いえ、無神経です」
「執事…」
先程一瞬で部屋を出たはずの男が一瞬で部屋に戻っていた。
こいつ、もしかして東の国で噂になっている忍者とかいうやつじゃないだろうな。
「彼女が何を言いたいのかわからないのですか?」
「…わからん」
「いけません。が、彼女を見ていると不憫ですので、お教えしましょう」
「……よろしく頼む」
「代行殿は彼女の名前をご存じなのですか?」
「………あっ」
そうだ。
彼女は好きだと言った。
彼女は魔王との戦いの時に命を救ってくれた。
そして今では一緒に魔王城で生活しているのにも関わらず名前さえも知らなかった。
これは確かに鈍感を通り越して無神経だと言われても仕方ない。
「代行殿、彼女は自ら名前を伝えに来たのです。けれど、今更になって名前を言うことに恥ずかしさを感じたようです」
「すまん。これは俺のミスだ」
「えぇ、すぐにでも代行殿の口から聞くべきですし、謝罪すべきです」
「本当に、その通りだ」
すぐに席をたつ。
彼女を追いかけるために。
「ご武運を」
「うるせぇ」
半端で申し訳ないけど投稿。
今日はここまで。