魔王軍大幹部交流会…いわゆる飲み会
「おう、代行殿。こっちこっち!」
「はしゃぎすぎですよ。あなたの声は響くのですから落ち着いてください」
「うるせぇ!あー、すいませんね。こいつ一々細かいことに五月蝿くて」
「五月蝿いのはあなたの声です。訂正しなさい」
「…君たち二人はいつもそうなのか?」
「そんな畏まらないでくださいよぉ。立場ってものがあるんですよ。いくら公の場ではないとはいえ、俺たちぁ部下なんですから気なんて使わんでください」
ガハハハと五月蝿いのが魔王軍海大将クラーケン。
それを五月蝿いと諌める魔王軍空大将リュウ。
現在の魔王軍の実質的なツートップである。
「こいつの言う通りです。私たちに対しては普段どおりの言葉遣いで結構です。今回はお酒を飲みお互いの距離を縮めようというイベントなのですから」
これは魔王軍の魔王を除くトップスリーが集まった飲み会なのだ。企画立案は目の前の二人。
昨日の代行就任声明を出した後に、最後まで二人は残っていた。
あまりにも真剣な空気だったので何かあるのだろうと思っていれば案の定であった。
「もし、これから言う条件が飲めないのならばあなたが代行であることは認めない」
空大将の重い言葉だった。それは真剣そのものだったし、違えるというのなら戦っても良いという強い意志が感じられた。
「勇者、どうしてもこの条件が飲めないって言うなら今すぐにでも俺たちが扱える戦力全てを注いでも、全員が死ぬとわかっていても戦うことになる」
殺気、殺意。魔王の間に重苦しい空気が満たされる。
「どんな条件だ。言ってみろ」
「簡単なことだ」
「簡単なことです。今から飲みに行きます」
「………はっ?」
さっきまでの空気が一気に弛緩する。何があってもとっさに対応できるように裏で待機していた侍従長と執事がずっこける音が聞こえた気がする。
「今すぐ出ますよ。何、ここから一時間とかかりません。道も場所も私が把握しております」
「おう、一応スーツ着用で頼むぜ。VIP専用の店なんで今の勇者の格好だと入店を断られてしまう」
魔王城に来てから今までで一番間の抜けた顔をしているだろう。
「……本当にお酒を飲みに行くだけ?」
「はい」
「俺たちと一緒に飲めない奴を俺たちの上司と認めるわけにはいかねぇな」
それが二時間ほど前の話。
流石に急な話だったので、魔王と戦うための戦闘服以外の服なんて、さっきのスウェットくらいしかないはずだったのだが、侍従長が
「スーツなら既に準備しております。好きなものを選んでください」
何故だか複数のスーツ、何着か試着したものの、どれを着てもサイズに違和感がなかった。
おかしい…一度たりとも採寸なんかしていないし、そもそも何故勇者の体にあったスーツが何着もあるのか…
それを侍従長に問おうとすると
「メイドのたしなみです」
問う前に回答が来た。
意味は分からないが、有無を言わせない雰囲気だけは察した勇者はそれで一応納得はできないが、納得した。
「しかし、随分と飛ばしたな」
移動手段は空挺団のワイバーンだった。恐ろしく早かったが、それでも休まずに一時間の時間がかかった。馬車で移動すれば半日はかかる距離だった。
「なぁに、帰りもワイバーンを使えばすぐでさぁ」
「おいおい、何を言ってるんだ?この店に行って当日に帰れる訳ないだろう」
「はは、確かに。言われてみりゃその通りだ。代行殿もなかなかに強そうだが…まぁ、流石に持つわけがないな」
「…随分と侮った評価をくれるね」
今まで酒で潰れたことはない。大好物だ。数少ない趣味の一つと言える。
「ほう、若ぇってのにえらい自信があるみてぇですな」
「…相変わらず君の言葉は中途半端に気を使うと下手糞すぎる」
「気にしなくて良い。酒の席では無礼講だろ」
「意外や意外と魔王軍にはそれがないんですよねぇ」
「意外だな」
「あぁ…陸将の奴が厳しくてさ、勝ったときにしか羽目が外せなかったんでさ」
「勝った時でさえ兜の緒を締めよって言ってましたからね」
二人は懐かしそうに目を細めた。
そうこうしている目的地に着いたのか、ワイバーンは動きを止め、着地をした。
「お待ちしておりました」
タキシード姿の狼男が出迎えた。
なかなかに隙のない佇まいだ。
かなり鍛えこまれているのは間違いなかった。
「とりあえず、例のアレ、頼むわ」
「わかりました」
「何が出てくるんだ?」
「そいつぁ見てからのお楽しみでさ」
「ふぅん、リュウがそういうのなら相当よいものが期待できますね。腕っ節と酒に対する味覚だけは信じてよいです」
「がはは!だろう!?」
クラーケンから貶めるような言い方をされた割にリュウは上機嫌であった。
クラーケンは勇者に対し目配せで「こいつはこういう男です」と伝えてきた。
「おまたせいたしました。こちらがリュウさまが持ち込みなされた魔王殺しになります」
「へぇ、これは…幻の銘酒、魔王殺し」
「ほう、知ってますか」
「知らないなら俄かすぎるだろ」
鬼殺しは最も安く大衆に愛される酒でアルコール度数が強いだけの酒で有名なのに対し、竜殺しは高級酒として有名だ。
芳醇でフルーティーな香りと爽やかな後味、何杯でも飲むことができる飲みやすさ。飲みやすさから考えられないほど強烈なアルコール度数を誇ることで有名な逸品だ。
そして魔王殺しはそんな竜殺しとは違い、飲みやすさなんて気にしていない強烈な風味で有名である。あまりにも濃過ぎるために十倍以上に薄めて飲むことが推奨されている。酒の上手い成分を全て集めて圧縮したらこのような味になると言うものが居るほどである。これをストレートで飲んで上手いと言えるので酒が何たるかを知っているとも言われている。
老舗赤雪にて年間50本しか販売されないということもあり、毎年抽選を行い販売しているのだが当選倍率は1000倍を超える。
ナンバリングに記名までされていて、もし、赤雪本社に持っていけばそのナンバーと名前などを確かめることで本物かどうかわかるという。これは、あまりにも人気が高いため偽者が多く出回ってしまったためである。
偽者なんて飲んでほしくない、本物の味を知ってほしいという五代目赤雪がわざわざ手間をかけて確認できるようにしたらしい。
毎年販売本数の十倍以上の数が偽者が出回っているというのは有名な話だ。一升瓶一本で家が建つほど価値のあるもので、当選会は半ば宝くじ感覚になっているのだが、不思議と販売目的で手に入れようとしているものには渡らないという。
「竜殺しなら飲んだことはあるが…流石に魔王殺しは初めて見たな」
「俺も普段は竜殺しを頼むんですが、今日はそんな普通の酒はもったいないでさ」
リュウはくくっと喉を鳴らし、自慢げに
「しかもこれ、プレミアの921年の伝説の奴」
「な、、、あの伝説の!?」
921年の魔王殺しといえば三代目赤雪が作り出した最高の酒の一つだ。
曰く、グラス一杯の水に魔王殺しを一滴垂らすと最高の酒の風味を楽しめる。
しかもそれだけではない、同じように薄めても全く違う風味になるという。究極的に酒の甘みと風味を閉じ込めたと言われるだけある。
かの三代目赤雪も「この酒は美味い酒を知っていれば知っているほど美味く感じられる。
飲み手が今まで飲んだ全ての甘みと風味が閉じ込められているのだから」と言っている。
そもそも、魔王殺しが大量生産できないのは世界中の葉から伝わり落ちた水だけを使っているためなのだが、気象条件などにもよれば200本以上作れるときもあるし、10本作れないときもある。
この年に生み出された魔王殺しは僅か7本。史上最低本数である。しかし、19で赤雪の名を継いだ酒造りの鬼才、三代目赤雪は25の時にこれを生み出したときに「これを超えるものを作り出すことは私の短い生涯では不可能だろう」と言わしめた伝説の逸品だ。
これを手にするためには国が滅ぼされたことがあるといわれるほどである。
「こいつを出してきましたか…大盤振る舞いですね」
「一滴で家が建つとまで言われてるからね…実物を見たのは初めてだよ」
「こういう日にしかこういう酒は飲めねぇ」
「…なるほど、それなら私も出し惜しみはやめますか」
「は、お前にこれ以上のものが用意できるのか?」
「…侮りましたね、後悔させてあげますよ」
「はっ、むりむりかたつむりだ。これ以上の酒なんてそうそうないぜ」
クラーケンが先ほどの狼男に
「…あれを頼む」
「わかりました」
それだけで伝わったのだろう、狼男は店の奥へと消えていき、一本の酒を持って現れた。
「これです」
そこに出されたら酒のラベルには伝説の名が刻まれていた。
「…おいおい、冗談だろ?」
「もしかして…銀竜酒ですか?」
「はい。それも原酒です」
「嘘だろ…まだ存在してたのか?」
「偽者じゃないんですか?」
「私も飲んだことがあるわけではないので絶対の保障はありませんが…それでも確かな筋から手に入れたものです」
銀竜酒、文字通り銀竜と呼ばれた竜が原材料となったまさしく伝説のアイテムだ。
当時から世界最強の一角と言われる真竜王と互角に戦い世界の10分の1を破壊したといわれる伝説のドラゴン。
圧倒的に強く、怖いというドラゴンのイメージを作り出した教科書にも出てくる、下手をすると魔王よりも有名だ。
何でも、とんでもないほどの酒好きで度々人の姿になっては酒を飲み歩いていたという話だ。
世界の10分の1を破壊した割りにほとんど人が住む地域で暴れなかったのは好きだった酒を守るためだったとも言われている。
あまりにも暴れまくった銀竜は死後、真竜王に文字通り八つ裂きにされ、大陸に8つに分けて封印された。
その百年後、次代の真竜王が彼を許そうとバラバラにしていた銀竜の体を一つにして葬儀をあげようとしたところ、なんと彼の体は全て酒になっていたのだ。
何故そうなったのかは誰にもわからない。吟遊詩人はそれを物語めかして語ったりするのだが…酒好きがたたった、神様にお願いした、自らを倒したものへの褒美だの、真竜王がすりかえたなど色々言われているが真相はわからない。
ただ、この酒は飲む相手を選ぶ。
それはただ強い酒が飲めるというだけではなく、レベルが低いと飲むだけで死んでしまうのだ。
もし、原酒ともなれば少なくともレベル30は必要だと言われている。1000分の1に薄められた銀竜酒を各国の王族に振舞ったところ、王族でさえこれに勝る酒はなしと言わしめた。
銀竜酒の原酒を飲んで死ぬことは地上最高の極楽死であるとも言われている。
「…もしこのお酒がどちらも本物だというのなら…国が傾くな…」
「だな」
「何、金額や価値なんて関係ありません。これは美味い極上の酒である。ただそれだけですよ」
話をしている間に、狼男が酒の入ったグラスを各人に配っていく。
「これが…魔王殺し…」
鼻を近づけるまでもなく、圧倒的な香りを感じさせられた。
だが、この匂いを嗅いで酒だと思うものは居ないだろう。
それだけ芳醇で、華やかな香りであった。
「悪いがこれを前にして我慢はできねぇ」
「同感です」
「…乾杯」
酒好き三人は口上もなしに酒宴を始める。
極上の酒を前にして我慢できる無粋な者はこの席には居ないようだ。
「美味い…」
「究極の酒といわれるだけのことがありますね…」
あえて例えるならそれは爆発だった。
まず、飲む前の香りで驚いた。
それは鋭く、やさしく、透明で、濃厚で、ともかく、嗅いだことのある最高の香りがいくつも混ざり合っていた。
なのにまるで喧嘩をしていない。
方向性もまるで違うのに、一つに纏まっている。
こんなことがありえても良いのだろうか?奇跡のバランスである。しかし、それは匂いだけでなかった。
舌に当たった脳が混乱を起こした。
これは一体何なのかわからない。
脳の理解力を超えてしまった。
香りが最高のものだったというのなら、これは、それさえも超越した何かだった。
もし、既存の酒の美味い部分だけを閉じ込めたらこうなるのだろうと、そう思わせる味だった。
「素晴らしい…これ程の美酒は生まれて初めてですね…」
「ちげぇねぇ…思わず感動しちまったよ」
「今までに飲んだ美味い酒の数だけ美味く感じる…とはよく言いましたね」
この酒はあまりにも美味すぎるために、脳の処理が間に合わないのだろう。故に、今までの経験したことのある情報しか拾えないのだ。未知の情報を拾えるほどこの酒は優しくない。
そして、これだけの酒を飲んだ後に控える酒も、また伝説の逸品である。
「どうぞ、こちらが銀竜酒です」
先ほどと打って変わって香りも何も感じられなかった。
…それなのに、惹きつけられる魔力がそれにはあった。
今度は乾杯とさえ口に出さずに、三人はそれを飲み干した。
「こいつぁ…すげぇな」
「魔王殺しを飲んだ後に言うのもなんですが…これも究極ですね…」
「…美味い、美味すぎるんですけど…これを酒というカテゴリに入れて良いか悩みますね」
「足しかに、これはそれだけ異常ですね」
「そもそも、酒かどうか怪しいからな」
魔王殺しが既存の酒を究極的に美味く作り上げたとするならば、銀竜酒は未知への挑戦だけでできている。
味わった感触は間違いなく酒なのである。
なのに、今まで飲んだ酒と何一つとして被らない。
…知らない、未知は文章化することができない、どのような表現をしたら良いのかわからず三人とも美味いや凄いとしか言えない。
なんとなく、酒のような感じがするというだけで酒と断定できない。
まだこの酒を表現するための言葉が存在していない、そう言ってしまっても過言ではない。
未知への困惑を拭い切れない反面、この充足感は一体何なのか。
エリクサーを飲んでもこうはならない。
「言葉が出ないね」
「それしか言えないな。衝撃度は魔王殺しでさえ上回るな」
「えぇ、どちらが上とは言えないですが…方向性が真逆すぎる」
「既存の酒の究極形、未知の酒の究極系…ってところかな?」
「そうだな…それが一番しっくり来るか」
「銀竜酒は生まれてくるのが1000年ほど早かったのかもしれませんね」
「全くだ。美味いさえ言葉にできないってのは初めてだったな」
三人は言い知れぬ充足感を味わっていた。
「しかし、これ程の酒を振舞ってもらっておいて言うのもなんだが…俺が魔王代行になった程度でこれ程の酒を出すものなのか?」
「はは、こいつぁ面白い勘違いをしてるぞ」
「代行殿、そんなものにたいした価値はありません。というか正直どうでも良いです」
「なら、なんであんな極上の酒を出したんだ?」
彼らは生粋の酒飲みである。振る舞いや言動、何よりあの酒を飲んだときの表情、雰囲気、ただの酒好きではなく、猛烈な酒好きだろう。
その彼らでさえ恐らく生涯で一度も飲んだことがないような酒を出したのだ。
これ以上の歓待はないだろう。
「一つ目は陸将の奴の弔い酒ですわ」
「この店は我々が飲むときにいつも贔屓にしていた店で、初めて三人が将軍に上り詰めたときもここで飲みました」
「思い出の場所ってことですわ」
「そうか」
それ以上何も言えなかった。
その男は自分の手で殺したからだ。
「それだけではありません。あなたが彼を倒した男だからです」
「…それは、むしろ恨みの対象になるんじゃないか?」
「そりゃあ違う。俺たちは戦争をしてんだ。一々味方が、友が、家族が死んだからと言って個人を恨むのは間違いさ」
「正々堂々一騎打ちで魔王軍最強の男を倒したのです。我々からすれば賞賛の対象です」
それは、嘘だと理解していた。
何故なら肉親を殺されたことで魔王を殺すことを決意したのは己なのだから。
「しかし、実はこの酒宴を開いた理由はそれだけではありません」
「こいつぁ言いづれぇことなんだが…」
「なんだ、言ってくれ」
「断ってくれてもいいんだ、だけど、話だけは聞いてほしい」
「陸大将ゴウには一人、娘が居る」
ドクッ、大きく一度心臓が跳ねた。
「なかなかの、ではなく、最高にべっぴんさんだ」
「恐らく、十年後には三大美女の名が書き換わるだろうと思っています」
「それはさすがに身内びいきじゃないのか?」
「彼女はまだ16歳なのですが、すでに申し込まれた婚約は100件を超えます」
「あの陸将代行の若造でさえ出会った瞬間に惚れちまってていへんだった」
「そうそう、陸将が死んですぐに代行の地位を確保した瞬間、彼女は俺にこそ相応しいと勘違いしたことを言って痛い目にあってましたね」
「痛いことを言っただけにな」
「言いたいことを言っただけでしょう」
と酔っ払い二人は下品に笑う。
「痛い目って言うのはどんな目にあったんだ?」
「そいつはこの後わかります」
「…そうですね、後何分かすれば始まります」
気づけば、優しい音が室内を満たしていた。
それは、やさしい、やさしい子守唄であった。
このようなVIPが集うような酒場には相応しくないとも言える。
しかし、その歌声の心地よさであれば誰も文句を言うことはないだろう。
子供を思う母の歌で心温まる詩で、子守唄としては最もポピュラーな物の一つだ。
だが、その歌声とは裏腹に心が熱くなる。
「やっぱり、だな」
「ええ、私達の目に狂いはなかった」
「何の話だ?」
「あなたは今この歌を聞いて心が高揚しましたね?」
「あ、あぁ…正直歌の内容から考えるとおかしなことだとは思うんだが…」
話は半分程度しか耳に入ってこない。流れてくるBGMを聞くのに必死だからだ。
「俺たちは残念ながらこの歌を聴くとドンドン下がって行くんだ」
「心地よさ、というものを感じているのは一緒だとは思いますが、私たちでは高揚することはできません」
「感性の違いか?」
「それも背景にはあるかもしれませんが…違います」
「レベルの差、だな」
「この歌を聴いて気分が高揚するということは、この歌を聴いても全てを吸い取られないと言うことでしょう」
「歌を聴いて何を吸い出されるだ?魂か?」
「あながち外れてないかもしれませんね…正解は精気です」
「精気?」
「えぇ、この歌を歌っているのは淫魔です」
「それも、この大陸で一番の子だ」
「この歌を聴いている者は極上の気分を味わえますが、精気を吸われすぎて必ずダウンしてしまいます」
「俺たちにはそういう趣味はないんですが、淫魔の歌声は男の精気を吸う代わりに快楽を与える」
「淫魔に精気を吸われると言うのは最高の快楽ですからね…例えぶっ倒れるとわかっていても一度聞いたら止められない」
「そんな店の常連だったのか?」
「違います。このサービスが始まったのは一ヵ月半前です」
「そうだ、ゴウが死んで二週間後の話だ」
「なら、彼女が」
「ゴウの一人娘です」
一瞬、沈黙が支配する。
「何故このようなことをしているかというと彼女が取る食事が足りなくなってしまったからです」
「食事?」
「今までは父親である陸将から精気を得ていたのですが…彼が死んでしまい生きるのに必要な生気が足りなくなってしまったのです」
「少量でもある程度定期的に取れるならあまり問題はなかったのですが…私達の権限を使って軍隊連中から精気を吸えば問題なかったのですが…」
「公私混同は止めろってさ。流石良い親父を持つと良い事言うわ」
「それで、父親お気に入りの酒場で精気を吸い出したってか?」
「まぁ、私たちが公私混同特権パワーと古くからの知り合いでもあるマスターを脅してね」
魔王軍のナンバー2と3に脅されれば誰だって屈するだろう。
「かか、思い出すなぁ。あいつ俺らの後輩でね、すぐ泣くんで有名だったんですが、未だに俺たちの前ではその癖が直ってねーんですわ」
「今では魔王領随一の酒場のマスターだってのにね」
「それがいいんだよな。ギャップ萌えってやつだな」
多分違うとは思うがあえて何も突っ込まない。
他の席から人が倒れる気配を感じる。
倒れるまで精気を吸われるというのはかなり危険な行為なんだが大丈夫なのだろうか?
「その心配は要りません。耳栓を付けていない客には竜命酒を飲ませていますからね。精々二三日体がだるくなる程度で済みます」
心身ともに癒してくれる酒なのだが、結局酒には変わりないので冒険の最中には使えない。
クエスト終了後などに振舞われる冒険者が知らぬことのない有名な蒸留酒だ。
癒しのエメラルドドラゴンの鱗を特殊な加工を施し、粉末にして酒に漬け込むことで体を芯から癒してくれるかなり上等な酒である。
「私たちなら流石に歌を聴く程度で倒れたりはしませんが…」
「ここに居る連中は全て倒れるだろうな。相当な耐魔力か体力がなけりゃ立ってられねぇ」
「私たちも一曲聞き終えたときには疲労困憊です」
二人はそこで押し黙り、同時に勇者を見た。
「彼女を救ってはもらえませんか?」
「俺たちでは力不足…なんですわ」
「どういう、こと?」
彼らのいう救いが何なのか、わからなかった。
「彼女は淫魔…食事と言いますか必要な栄養は異性の精気、精気と言うよりも生体エネルギーというほうが正しいかもしれません」
「…あの子は栄養失調で五年前から成長が完全に止まっています」
「それはおかしくないか?五年前には陸将は健在だったはずだぞ」
「ええ、つまり、五年前の時点で彼女は陸将の生体エネルギーでは食事が足りないほど大食らいに成長してしまったのです」
「…俺たち二人のエネルギーを根こそぎ持っていっても無理だろうな…あの子曰く満腹感はあると言っているが、質が足りていないだろう。一応腹の足しにはなるが成長するほどの者ではないらしい」
「だから、あいつはずっと待っていたんです。自分を倒す男、勇者が現れるのを」