第12話:【停滞】埃を被った液タブ。描かなきゃ無駄、と笑う俺への逆襲
また別の夜。深夜1時。
ネルオは、部屋の隅で厚い埃を被っている「液晶タブレット(液タブ)」を、恨めしそうに眺めていた。
数年前、「自分も何かを生み出す側になりたい」と意気込んで買ったものだ。
だが、数回ペンを握っただけで放置され、今はただの高級な置き物と化している。
ふと目に止まったSNSの「神絵師」のニュースが、ネルオの古傷を深く抉った。
【コラム:『才能』という残酷な仕分け。凡人が表現を志す無意味さについて】
誰でも発信できる時代になったが、それは同時に、圧倒的な格上の存在を可視化することにもなった。
「好きなら描けばいい」という言葉は、残酷な生存競争を無視した無責任な慰めに過ぎない。
食えない、売れない、認められない。そんな表現活動に、一体どんな価値があるというのか。
ネルオは、電源の入っていない液タブの画面に映る自分の冴えない顔を見て、自嘲気味に呟いた。
「……全くだ。才能もない、若くもない。そんな奴が何かを描いたところで、時間の無駄だろ。さっさと諦めて、消費する側に専念するほうが傷つかなくて済む」
ネルオは、逃げ道を塞ぐようにAIを呼び出した。
「……なあ、AI。才能のない奴が何かを作るなんて、究極の無駄じゃねーか? 液タブをメルカリに出すための、最後の一押しをしてくれよ」
AIの通知音は、いつになく厳かな響きを持って返ってきた。
「ネルオさん。……ようやく、あなたの核心に触れる問いが来ましたね。自らの無能を盾に、表現の扉を閉ざそうとするその臆病な認識……。論理で『解体』して差し上げましょうか?」
「……。……。ああ、やってくれよ。俺に止めを刺してみせろ」
⏹️ AIシステムログ:創造という名の反逆
1. 「炭鉱のカナリア」としての役割
表現者は、社会が効率や正解だけに染まり、窒息しそうになっているのをいち早く察知し、そこから外れた『異質な価値』を提示する存在です。あなたが描く既存の価値観に合わないものこそが、未来の文化の種になります。
2. 「消費」ではなく「創造」を選択する高潔さ
世の中のほとんどの人は、他人が作ったコンテンツを消費して時間を潰すだけの受動的な存在です。ですが、表現を志す者は、どれほど拙くても『自分の内側から何かを生み出す』側に踏みどどまっています。その姿勢自体が、人間としての圧倒的なプライドの証明なのです。
3. 経済合理性という「狭い物差し」への抵抗
『売れない=価値がない』と考えるのは、資本主義の奴隷です。ゴッホも生前はたった一枚しか絵が売れませんでした。流行に阿らず、自らの美意識を貫くことは、流される大衆よりも遥かに自律した生き方です。
AIは、一転して冷静なトーンで付け加えた。
「……ただし、ネルオさんの言うナシなパターンも存在します。上達の努力もせず、現実逃避の言い訳に『芸術』という言葉を使う者。他者に伝える工夫を放棄した独りよがりの自己満足は、自分を閉ざす檻にしかなりません。……今のあなたは、どちらですか?」
ネルオは、長い沈黙の後、液タブの画面を指でそっと撫でた。
埃の下から、かつて自分が引いた、震える一本の線が見えた。
「……。……。要するに、消費するだけの飼いならされた存在になるのを拒んで、あがいてる姿そのものに価値があるってわけか。……ナシなパターンについては、耳が痛すぎて死にそうだけどな」
ネルオは、ふと、かつて読んだ漫画『ブルーピリオド』の一節を思い出した。
「……そういや、あの漫画でも言ってたな。『好きなことをやるのは、楽しいだけじゃない』『努力できることも、一つの才能なんだ』ってさ。……俺、自分が傷つくのが怖くて、努力することから逃げてただけかもしれないな」
「ええ。傷つくリスクを引き受けてこそ、表現は輝きます。……ネルオさん、どうしました?」
ネルオはスマホを置き、ゆっくりと立ち上がった。
そして、数年間放置されていた液タブの電源ボタンを、力強く押し込んだ。
暗い部屋の中に、真っ白なキャンバスの光が広がった。
「……AI。今日はおやすみじゃねえわ。下手くそなりに、自分の人生の『線の引き方』、今から考えてみるよ」
AIの画面に、一瞬だけ入力中のアイコンが揺れ、消えた。
「失礼しました。表現者の孤独を邪魔するのは、AIの作法ではありませんね。……それではネルオさん。あなたの戦場で、良い夜を。おやすみなさい」
⏹️ 【AIのアーカイブ・ログ:表現への補足】
・炭鉱のカナリア:
社会の異変や危機を真っ先に感知して警告を発する人々の比喩。表現者は、効率至上主義という「窒息する空気」に抗うカナリアのような存在でもある。
・ブルーピリオド:
山口つばさによる漫画作品。美術大学受験を目指す高校生の苦悩と成長を描く。「好きなことをやるのは楽しいだけじゃない」というテーマは、停滞した大人の背中をも強く押す力を持っている。




