7.序章
先日の伊吹との訓練において、初戦で失敗した直後の雁矢崎景士の反応は、朔也にとって意外だった。当時は本人に意識させない様に努めたが、あれが本番であれば確実に死んでいる状況だ。その恐怖を訓練直前まで感じていたはずで、伊吹に取り押さえられたことによりさらに萎縮してしまってもおかしくはなかった。しかし、雁矢崎は自ら再戦を申し出た。
訓練後の岡元との会話が思い出される。
「景士君、怖くなかったん?俺あの威圧感にちょっとちびるかと思ったで。」
「そりゃぁめちゃくちゃ怖かったですよ。心底訓練でよかったと思いました。でも逆に、ここで通用するようになったら自信つくと思って。先輩方の足引っ張るわけにはいかないんで。」
「わぁ、真面目。いい子やなぁ。雁矢崎家の息子で自信なかったって方が意外やけど。ほんで、自信は着いたん?」
「以前よりは。でも、気を抜かないように気を付けます。」
新たな〈眷鳥〉、雁矢崎を迎えての初の〈仇鬼〉討伐は成功した。
伊吹との訓練を経た後では非常に呆気ないものに感じられたが、それでも浮かれることなく謙虚に助言を求める雁矢崎に皆が好感を持った。雁矢崎はすぐに馴染み、新たな体制の元で日常が戻ってきた。
朔月隊としては大きな変化を経たわけだが、朔也にとっては次期〈玉輪公〉へ向けた階段の一つであり、繊乃の宿題に対する答えの一部と捉えなければならないべきことだ。
知っているが、理解できていないこと。
理解しているが、実行できていないこと。
実行しているつもりで、できていないこと。
できているが、足りてないこと。
繊乃の言葉に何か答えを見つけようとしてきたが、これまでの宿題は違い、なにも一つのことを指摘されているのではないのではと思い至った。次期〈玉輪公〉へ向けての「戒め」のようなものだったのかもしれない。
ここ最近、周囲からの風当たりがさらに強くなってきているのを感じる。幼い頃から全身に刺さる品定めの視線には気が付いていたし、慣れてきたつもりだったが。
何一つ、失敗が許されない重圧。
しかし朔也はそれも飲み込んで、達観していた。これまで通りにやるべきことをやるしかない。気負いすぎても判断は鈍る。これまで数年にわたって積み重ねてきた実績が、評価が、確かに自信となっている。
新〈眷鳥〉の受け入れが落ち着いた今、朔也の頭を占めるのは二人の存在だった。
伊吹と韋鎚。
半人半鬼。
〈人間〉と〈仇鬼〉の子。
瑤一が二人を紹介したその時、戸惑わないわけがなかった。越須賀より反応が遅れたのは反省すべき点だ。しかしその戸惑いも、混乱も、動揺も、表に出すわけにはいかなかった。トップが乱れれば、場が大きく乱れる。
あれ以降、自分の〈眷鳥〉達は必要以上にあの二人について話題に出さない。「〈玉輪公〉の公認」という事実は、軍の人間にとっては大きい。しかし朔也は、次期〈玉輪公〉として、〈玉輪公〉に意見できる立場にある以上、今この時も放任していい問題ではなかった。
そもそも半人半鬼の存在など聞いたことがなかったし、実際に自分の目で見なければ信じられなかっただろう。とは言え、彼らの存在が「そういうこともある」という証明に他ならなかった。
あの後、密かに瑤一に確認した。伊吹と韋鎚は兄妹、もしくは姉弟なのか。〈仇鬼〉の血が濃い場合、男女の概念がないのかもしれないが。そして親の所存は?答えは「何もわからない」。当の本人達の記憶が確かな時には、既に二人だったらしい。
〈玉輪公〉の思惑は?
軍の戦力増強に直結するとの判断もあるだろうが、そう単純な話ではない。〈仇鬼〉の力を持つ以上、彼らの存在自体が危険であり、さらにその存在が知れ渡った時に追われる対処は想像したくない。それらの天秤をどう考えているのか。
何故、瑤一に二人を一任しているのか?
瑤一が「拾った」経緯に関しては「成り行きで」とぼかされた。瑤一が曖昧な言い方をするのは珍しく、話したがらないことを無理に詮索するのは気が引けた。とはいえ、たとえ見つけたのが瑤一であったとしても、幼い子に彼らを任せるのはあまりに危険ではないか。瑤一を朔也の側に置いたのは、朔也にも監視させるためだろうか。
即決とはいかなかったが、朔也は個人的には二人の存在を受け入れることを決めた。韋鎚のことはまだあまりわからないが、伊吹は協力的だ。問題を起こしていない内に処分するには惜しい戦力である。かつ彼らが暴走するようなことがあればいずれにしろ軍の人間で対処しなければならない以上、動向は逐一把握しておきたい。
二人の受け入れが、弟のように可愛がる瑤一の願いであったことも理由の一つだ。ただ、軍の中では公表すべきという考えは〈玉輪公〉に進言するつもりだった。
この考えに至るまでに時間がかかったのは、すぐには自分の判断に自信が持てなかったからだ。少なからず、二人に対する同情はあった。「生まれ」に振り回される側の気持ちは、少しわかるつもりだった。
あれ以来、三人でいるところを良く見かけるようになった。隠す必要がなくなったからだろう。
「タマ、伊吹、韋鎚、おはよう。」
「おはようございます。」
韋鎚は相変わらず無反応だが、伊吹は少しの戸惑いを見せた後に小さく頷いた。かなりの進歩だ。最初は目を見開いて呆然としていたし、しばらくは目を泳がせるだけだった。今も時折、伊吹には訓練に付き合ってもらうこともある分、距離は縮まっているのではないかと思っている。朔也はその変化を喜ばしく思っていた。
伊吹は、反応は人間味があって心情を読み取りやすいのだが、容姿は「人間に寄せている感」が否めない。額の角や微妙な肌の色だけでなく、表情が硬いというだけでは説明できない違和感がいつもそこにある。〈仇鬼〉の血が流れていると言われて納得できるのは伊吹の方だろう。
一方で韋鎚は、一見ただの人間に見える。ただ一切の反応がない。他人に興味を持っていないのが明らかで、その点ではコミュニティを一切持たない〈仇鬼〉らしいと言える。瑤一とは会話している様子が見られるため、意思疎通ができないわけではないのだろうが。
いつもなら雑談に入るところだが、その日は瑤一がいつになく強張った表情をしていた。
口にしたのは、烽州南に訪れている異国人のことだった。
朔也は、またこの話かと思う。
最近、瑤一からもっぱらその話題が多かった。異国人の存在自体は確かに珍しいが、諜報部を使った調査の末、隣の玖州に公式に訪問している使節団の一味だとわかっていた。どういった理由で別行動となり烽州へやってきたのかは不明だが、玖州の〈桐鳳卿〉から烽州の〈玉輪公〉に一報もない以上、異国人達の独断行動だと考えられる。しかしそもそも、烽州と玖州の間は〈仇鬼〉の生息域で断絶されているわけではなく、明確な関所もない。彼らの動向からも観光以上の目的があるとは思えない上、非常に友好的で羽振りが良いとのことだった。だから朔也は彼らを問題無いと判断した。
その旨は瑤一にも伝えたのだが、しかし瑤一はずっと気にかかるようだった。何が心配なのか聞いてみると、瑤一は少し悩んだ後に、懐から一枚の紙を取り出した。手渡された紙には絵が描いてあった。楕円形の容器にボタンやコードの様なものが複数付いている。なにかの装置か、近年はもっぱらこのような電子機器を巷で見かけることはない。
———高度な技術は、〈仇鬼〉を引き寄せる。
異国人たちが所持している物だとか。どういった装置でどこから搬入したのかも不明、この装置一つで〈仇鬼〉が引き寄せられるのかもわからないが、万が一、烽州の民が巻き込まれることがあってはならないという瑤一の進言はもっともだった。かつ、〈玉輪公〉はこの件を朔也に相談するよう指示したらしい。試されていると思った。
朔也はすぐに、異国人に対して監視を着けること、そして〈桐鳳卿〉に連絡をとることを決めた。監視を派遣するとはいえ、軍の人間がその装置を異国人から取り上げる権限も、玖州に戻るように強制する権限もない。あくまで外交、異国人の対応は〈桐凰卿〉の管轄であり、〈五光〉の管轄を越えるのはご法度である。
「しかし、今の〈桐凰卿〉は…」
その判断にも、瑤一は不満なようだった。少し悩んだ後、〈桐凰卿〉は世代交代したばかり、かつ異国人の来訪で動ける状況ではないのではと反論した。しかしこのような場合、〈桐凰卿〉本人が動くわけではなく、担当の者を派遣することになるはずだ。うちだって〈玉輪公〉本人が動くことは稀である。〈五光〉とは基本的に一人の人物を指すが、組織全体を意味する場合の方が多い。
瑤一がなにを懸念しているのか、朔也が汲み取りきれていないところがある自覚はある。しかし思い通りにいかないことに苛立つ様子は、いつもの大人びた調子とは外れて、歳相応の子供に見えた。頑張ろうとして少し空回りする昔の自分を懐かしくも感じながら、考えを丁寧に説明をしてやり、瑤一は渋々といった様子で引き下がった。
その会話の翌日だった。
烽州に〈仇鬼〉が襲来した。
しかも五体同時に。




