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6.特別な訓練

 伊吹の首には金属製の輪が嵌められている。韋鎚の首にも同様の物が付いていた。

 触れれば音が鳴るそうで、それが朔也側の勝利条件となった。触れるだけで良いというのは些か甘い勝利条件のようにも思われるが、

「まずはそこへ手が届くことを目標にしてください。」

と瑤一は余裕そうに微笑んだ。

 五羽の鳥は身を潜める。開始状況はこちらが先に見つけた状態というとても有利なものだ。何から何までお膳立てされて、流石に皆気合が入っていた。

 岡元は大きな羽を伸ばして身体をほぐしている。

「こんな条件で負けたら凹むわぁ。」

「あの子が相当強いってことじゃない。それにしても舐められたもんやな。」

「あれ依津香ちゃん、瑤一さんは拝み対象じゃないん?」

「可愛い系やもん。将来に期待。」

「こら、無駄口叩いてないで集中しろ。」

「じゃあ、訓練通りに。」

 朔也に向かって、雁矢崎はしっかりと頷いた。

 五羽は静かに飛び立った。今はこちらが先に相手の位置を把握している。見つかる危険を犯して高く飛ぶ必要はない。木々のスレスレを低空飛行し、徐々に加速する。

 先頭の岡元が羽ばたきを重ねるごとに加速した。全員がそれに続き、すぐに伊吹の背中が見えた。

 一気に距離を詰め、一連の斬撃に持ち込もうとした———その時、突如岡元が、隊列の後方に向かって吹き飛んだ。全員がその巨体をかろうじて避ける。

「うふぁーーーーーーーーーー」

 叫びながら後ろに飛んだ岡元を追う暇もなく、皆にも見えない衝撃が襲った。殴られた様な強い衝撃に、体勢が崩れる。

 風?空気?

 それを扱うのは〈仇鬼〉の中でもかなり珍しい部類だ。ここまで「見えない」のは初めてだった。

 立て直した岡元を含め、多方向から伊吹を狙った。既に見つかった今、的を絞らせてはいけない。

 わざわざ距離は取らない。遠距離攻撃が飛んでくる以上、距離を取れば取るほどこちらが不利になる。〈仇鬼〉相手に不本意ではあるが、一刻も早く接近戦で片を付けるのが最善と判断した。

 息吹を取り囲んで円を描く様に飛び、すぐさま距離を詰める。伊吹はただ前を向いて、時折視線を動かすだけだ。反撃をしないのは、こちらを目で追えていないからだとは考えにくい。

 岡元、佐義名が伊吹に向かい、伊吹がわずかにそちらに気を取られた直後、対角に位置する朔也が背後から接近した。時をずらして、越須賀と雁矢崎が次の矢として向かう。

 伊吹は朔也を見ていない。

 朔也はそのまま首目掛けて飛んだが、佐義名があと一メートルほどの距離で妙な動きをした。最初の囮である彼はすぐに距離を取ったが、こちらに向かってなにか言う前に、朔也は伊吹の首を目掛けてその範囲に突入していた。

 突如、体が重くなるのを感じた。初めての感覚に大いに戸惑う。自分の体が重くなったというより、周りの空気が重くなったというべきか、密度が高くなったというか。水中ほどではないが、体が動かしにくいだけでなく、僅かに息がしづらい。

 動揺している一瞬の間に、岡元がまた後ろに飛んだ。伊吹と目が合い、朔也も衝撃に吹き飛ばされた。

 空中ですかさず体勢を整えながら視線を向けると、越須賀に向かって伊吹の回し蹴りが飛んでいる瞬間だった。しかしさすが「最速」の〈眷鳥〉は蹴りを避け、朔也の方に向かう。

 その背後、雁矢崎はもはや首を狙っていなかった。警戒される頭部周りではなく、もっと低く、完全なる死角から機動力を奪うために足元を狙った。

 伊吹は回し蹴りの勢いそのまま、脚を振り切るその遠心力に乗って体を浮かせた。宙で回転して体を捻り逆さになると、雁矢崎を掴んで地面に組み伏せた。

 伊吹の雁矢崎に対する一撃は、後ろに目がついているのではないかという動きだった。雁矢崎の変容は解け、肩で息をしている。一方で雁矢崎に跨り、その胸部を地面に押さえつける伊吹の息は一糸乱れていない。


 パチン


「やめ。」

 瑤一のひと拍手、一声に、伊吹は手を離した。

 これが実践なら、雁矢崎は死んでいた。

 雁矢崎の判断は何一つ間違っていなかった。教科書通り、訓練通りの判断である。

 よりにもよって捕まったのが雁矢崎というのは、朔月隊にとって失態だった。今は最も気にかけるべきだった。これを機により一層、死への恐怖心が芽生えてしまっては———

 飛び起きた雁矢崎はすぐに伊吹の方へ歩み寄った。周りが止める間もなく一定の距離まで詰めると、大きく頭を下げて声を張った。

「もう一回お願いします!」

「あ、え?」

 誰よりも驚いたのは、伊吹だった。

 雁矢崎は顔をあげて、顔の前で人差し指を立てた。

「もう一回、同じ条件で、最初から、お願いしていいですか。」

「あぁ…えっと…」

 伊吹が慌てて振り返ると、瑤一は笑顔で手を振っていた。

 そこに朔也も駆け寄った。

「私からもお願いしていいかな。ぜひもう一度。」

「………問題ない。」

「余裕か。それはそれで悔しいな。さぁ!次こそは一本取ろう!」

 朔也は雁矢崎を引き連れ、他の〈眷鳥〉と共に輪を作る。

 伊吹はその背を呆然と眺めていた。

 

 それから繰り返し、伊吹を相手にした訓練を行なった。

 しかし何度行ってもすぐに決着がついた。手の内がわからなければ訓練にもならないということで、展開される鬼術を教えてもらった。

 一つは、ある種の結界のような鬼術だ。伊吹から一メートルほどの空間は、空気そのものを支配下に置いている。その空気の流れで相手の動きを感知しており、さらに動きの鈍化を伴う。これが展開されている間はほぼ攻撃は不可能と考えていい。

 もう一つは、簡単に言うと空気砲だ。見えないことが最大の難関であるが、温度や圧力が局所的に変わることで、空気の揺らぎはほぼ必然的に起こる。注視しても見えにくいが、逆に遠くや離れた場所を見ることでざっくり捉えやすい。また、空気砲はどこにでも生み出せるものではない。必ず伊吹の付近で発生して飛んでくる。

 接近戦が鍵になる。多方面からの一斉攻撃は、互いに接触する危険性があるため高度な連携が必要だ。あくまでパワーで勝る〈仇鬼〉に対して、こちらは攻撃を受けないようにしながら、結界が展開されていない隙をつかなければならない。

 しかし、さすが朔月隊といったところか。連携はどんどん高度になり、ますます速くなった。各々のパワーや速さを熟知しているからこそ、それを生かした連携が可能であり、雁矢崎も良くついていった。

 こちらの手数が多くなるほど当然、伊吹の余裕も無くなっていく。何度目かの挑戦で、近づくこともできなかった伊吹に、やっと一太刀浴びせることができた。伊吹の腕に鉤爪が引っかかり、大きく裂けた。

 すぐさま次の反撃に備えようと構えた伊吹の前に、一羽の鳥がゆっくりと降りてきた。少し離れて着地した朔也は伊吹に駆け寄り、手を取った。

「怪我は?大丈夫か?」

 怪我は腕の傷だけだったが、そこは手首から肘にかけて刃物で切り付けられた様にパックリと大きく裂けていた。ただの人間ならば腕ごとちぎれていただろう。伊吹のあまりの強さに、朔也は自分も含めて訓練であることを忘れ夢中になっていたことを反省した。

「訓練とはいえ、すまない。」

「や、大丈夫だっ。」

 伊吹は手を離して距離をとった。すぐさま怪我をしたところへ意識を向ける。

「もう、治った。」

 一同は目を疑った。怪我をしていた場所に血は残っていたが、そこにはもう傷はなかった。

 〈輪〉と〈眷鳥〉の治癒能力よりも明らかに速い再生能力は、〈仇鬼〉であることを示していた。

 「でも、」と朔也はハンカチを取り出し、再び伊吹の手を取って血をぬぐいながら、宥める様に、もしくは嗜めるように言った。

「〈眷鳥〉にも言うんだが、怪我して痛くないわけじゃないだろう。治ったら大丈夫ってものじゃないだろう。自分を大切にしなさい。でも本当に助かった、訓練に付き合ってくれてありがとう。」

 伊吹の反応はなかった。血をぬぐい終わり、朔也が顔を上げると目が合った。その瞬間、伊吹は目の前から消えた。

 固まる朔也に、瑤一が歩み寄った。

「伊吹の移動速度は、〈仇鬼〉の中でもトップクラスだと思います。」

 つくづく、訓練では手を抜いてくれていたことを思い知らされる。もしこれが本当の戦闘で、今の速さを駆使されると目で追えない時点で全滅は必至だろう。〈仇鬼〉もこの様な移動が可能なのか、それとも半人半鬼である彼女だからこそ可能なのか、今後の対策のためにも聞きたいことが山ほどあった。

 しかし朔也はそれ以上に、伊吹の表情に気を取られていた。治ったというのが本当なら、傷の痛みに対する苦痛の表情ではなかったと思う。触れられたのが嫌なのではないと思いたい。しかし、何か悲しいことはあっただろうか。

「申し訳ない、彼女に怪我を…」

「訓練ですから、伊吹も承知の上です。今日はもう良い時間ですし、お開きにしましょう。改めてですが、二人の存在は軍の中でも内密にお願いします。誰も彼もが二人を受け入れられるわけではないでしょうし、特に世間は、不安因子を放っておいてはくれないでしょう。二人を守るためにどうか、お願いします。」

「あぁ、わかった。今日は本当にありがとう。」

 瑤一はにこりと笑った。

 そういえばと、烽州の南方に異国の人間が数名訪れているようだと付け加えた。〈仇鬼〉の脅威がすぐ側にある我国に、異国人の来訪は大変珍しい。とはいえ、烽州の西に位置する玖州の〈五光〉、〈桐凰卿〉は我国の外交を担っているため、全くないわけではない。その関連で烽州にも訪問しているのかもしれないが、念のため調査はしておこう。

 安心させたい意図もあり、烽州も安全だと認識されて活気が湧いてきたということかもしれないと返事をしたが、瑤一はただ頷いただけだった。


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