9.嵐のあとの一波乱
「先生! それにフォンテにヴェンティル! みんなずぶ濡れで、どうしましたの!?」
屋敷の中に戻ってきたわたしたちを、リリアが出迎えた。どうやら、わたしたちが嵐の中に飛び出してしまったことを知り、ここで待っていてくれていたようだった。
「それが……」
訳が分からないまま、客室を出てからのことを話す。思ったことは抜きにして、ただ起こったことだけを、ひとつひとつ順番に。
リリアはじっと耳を傾けてはいたものの、不思議そうな顔をして首をかしげているだけだった。どうも、いまいち状況が呑み込めていないらしい。
けれど遅れて屋敷に戻ってきた使用人たちは、複雑そのものの表情だった。彼らは落ち着かなげに視線をさまよわせながら、時折フォンテとヴェンティルのほうをちらちらと見ていた。
妙な動きをした波に、突然弱くなった嵐。きっとそれは、この子たちが引き起こしたに違いない。彼らもわたしと同じように、そう考えているようだった。
彼らがフォンテたちを見る目が、少しずつ変わっていく。この子はいったい、何なんだ。彼らのまなざしは、そう語っているように思えた。
そしてフォンテも、その視線の意味に気づいたのだろう。おびえたように身を震わせて、わたしの後ろに隠れてしまう。
「……先生?」
ここでようやく、リリアもこの場の空気がおかしいことに気づいたらしい。
「あ、いけませんわ。まずは濡れたお召し物を着替えてくださいな。お話は、またのちほど」
彼女に会釈して、フォンテとヴェンティルを連れてその場を立ち去る。背中に、使用人たちの突き刺さるような視線を感じていた。
客室に戻って服を着替え、濡れた髪を拭いていると、リリアがひとりでやってきた。先ほどよりもずっと、神妙な面持ちをしている。
「使用人たちから、改めて話を聞いてきたのですけれど……フォンテが波を押し戻し、雨を止めた……というのは、本当なんですの?」
「……わたしにも、分からないのよ。ただ、そうとしか思えなくて……」
「おみず、あぶない。だからフォンテ、おてつだいした。ヴェンティルもいっしょ」
ホー!
懸命に訴えるフォンテの頭の上で、ヴェンティルがいつもと同じように鳴いている。リリアはそんな彼らを見て、少し考えこんでいた。そして、おもむろに口を開く。
「不思議な力を持つ子どもと鳥……先生、この件についてはわたくしにお任せいただけませんか? 少し、考えがありますの」
「え、ええ……」
わたしには、考えなんて何もなかった。だから、ただうなずくことしかできなかった。
嵐は過ぎ去ったものの、使用人たちの態度には、まだぎこちないものが残っていた。それを察知したのか、フォンテはわたしのそばを片時も離れなかった。みんな、こわいねと言いながら。
嵐の日から五日後の朝方、リリアが突然わたしたちのいる客室を訪ねてきた。
「先生、その……このようなときに、なんですけれど……」
彼女はやけに歯切れが悪い。困ったように眉をひそめ、こちらを見ないまま言葉を続けた。
「……伯父様が、訪ねてこられました。先生に会いたいとのことです」
「伯父様って……トーラの当主様、なのよね……?」
いつかそのうち会うことになるのだろうとは思っていたけれど、よりによってフォンテたちのことで悩んでいるこんなときに、会うはめになるなんて。
「ええ。それと、フォンテとヴェンティルも連れてくるように……だそうです」
リリアの表情は、いつになく固い。この先に待つ展開は、あまりありがたくないものなのだろうなと、容易に想像がついた。
それでも、呼ばれたなら行かなくてはならない。急いで身支度を整え、メイドに案内されて廊下を進む。屋敷の一室、普段は立ち入らないその部屋に、わたしたちは向かっていた。
フォンテとヴェンティルをいったん廊下で待たせて、部屋に入っていく。
「あの……失礼いたします」
窓辺に立っていたのは、たぶん、まだ三十歳にはなっていない青年だ。わたしより、数歳年上といったところだろう。華美ではないけれどとても上質な衣に身を包み、背筋を伸ばして立っている。
彼は長くまっすぐな黒髪を首の後ろでくくり、背中に流している。目は灰色のようにも見えるけれど、光の加減できらりと銀のような輝きを見せていた。
美しさと鋭さを兼ね備えた、名工の手による刃を思わせる雰囲気の青年だった。間違いなく、美男子の域に入るだろう。しかし、とにかく表情が怖い。
彼はわたしをじろりとひとにらみすると、低くつややかな声で言った。
「私はアルティス。当主として、このトーラ公爵家をまとめている」
「カルミア、と申します……」
気後れしながら頭を下げると、彼は温かみのかけらもない声で続けた。
「事の次第は、リリアから聞いている。君が連れているという子どもと鳥を、至急ここに呼んでくれ。廊下にでも、待たせているのだろう?」
「は、はい……」
なんだかひどく、嫌な予感がした。けれど、彼の言葉に逆らうわけにもいかない。
ひとまず部屋を出て、すぐ近くの廊下で待っていたフォンテとヴェンティルを連れ、また戻ってくる。
フォンテとヴェンティルの姿を見たとたん、アルティスは大きく顔をしかめてしまう。
「やはり、そういうことだったか。話を聞いたときから、そんなことだろうと思ってはいたが」
その反応にとまどっていると、彼はわたしを銀色の目でまっすぐに見すえ、言い放った。
「カルミア、とか言ったな。君が優秀であることは、リリアからも、また師からも聞いている。だが、こんなものを連れているとなれば話は別だ」
こんなもの……って、フォンテとヴェンティルのこと? さすがにそれは、ひどくはないだろうか。
反論しようとしたそのとき、彼はやはり刃を思わせる鋭い声で、ばっさりと切って捨てるように言い放った。
「その子どもと鳥を追い出してくれ、カルミア」




