7.出かけた先で
「やっと先生とお出かけができましたわ!」
「わーい!」
ホホッホー!
ヴェンティルがやってきた数日後、わたしたちは馬車に乗って、町の外の湖に来ていた。
わたしとフォンテが屋敷にこもりっぱなしなのを心配したリリアが、新たな提案をしてきたのだ。アニマの町ではなく、その外で羽を伸ばしませんか、と。
人のいないところなら、わたしも安心してのんびりくつろげる。なので、ためらうことなく同意したのだ。
左手をフォンテとつないで、右肩にはヴェンティルを乗せて。さすがに頭の上に乗られっぱなしだと首が凝るので、お願いして肩の上に移動してもらったのだ。頭が軽くなったのは助かったけれど、今度は肩と首が暑い。
「ここの湖は浅瀬が広いので、安心して遊べますの。わたくしも両親や伯父様に連れられて何度も来たことがありますわ」
わたしたちの前を、浮かれた足取りでリリアが進んでいる。少し離れたところにはメイドたちがいて、笑顔でわたしたちを見守ってくれていた。
一面の草原、その中に広がる穏やかな湖。湖畔にはぽつぽつと木々が生えていて、木陰を作ってくれている。
確かにここは、いい遊び場のようだった。それはそうとして、今リリアが口にした言葉が気になった。
「リリア、その『伯父様』というのは、もしかして『師』のことだったりするのかしら?」
彼女にとって師は、厳しくも親しい間柄なのだと、そう聞いている。彼女の口ぶりだと、彼女と師は血縁のような気がしてならなかった。
しかし彼女は、ふるふると首を横に振った。
「いいえ、違いますわ。『伯父様』は我がトーラ公爵家の当主のことですの」
公爵家の当主……それは、この国では王族に次ぐほどの地位と権力を意味する。どんな人物なのだろう。実家も嫁ぎ先も伯爵家だったわたしには、想像もつかない。
「いずれ、わたくしの様子を見に伯父様もアニマの町にいらっしゃいますわ。先生を伯父様に紹介するのが、今から楽しみですの」
リリアはうきうきしているけれど、わたしはちょっぴり緊張してきた。当主の前でそそうでもしてしまったらどうしようと、そんなことを考えてしまったのだ。
「ママ、あそぼう?」
ホー。
すると、フォンテとヴェンティルの声がした。フォンテは湖を食い入るように見つめているし、ヴェンティルはわざわざ私の耳元で鳴いていた。どうやらふたりとも、遊びたいのにわたしが動かないのが不満だったらしい。
そうね、今あれこれと考えていても仕方がない。当主と会うことになったら、そのときはそのとき。
「分かったわ、行きましょう!」
みんなで靴を脱ぎ、湖の浅瀬に踏み込んでいく。まだ初夏ということもあって水はひんやりとしていたけれど、その冷たさが心地いい。
「ママ、もっとみず、かぶっていい?」
「いいけれど、岸から離れてはだめよ。深いところは危ないから」
わくわくしているフォンテにそう答えたとたん、彼はわたしの手を離してそのままぺたんと座り込んでしまった。お腹の辺りまで、水に浸かってしまっている。
「わーい!」
ホー!
水を跳ね上げて騒ぐフォンテのすぐ近くでは、ヴェンティルが水に飛び込んではまた飛び上がりを繰り返している。
「フォンテもヴェンティルも、楽しそうですわね。誘ってよかったわ。先生も、楽しんでいただけているかしら?」
膝下丈のスカートが濡れないようにすそを軽く持ち上げながら、リリアが微笑みかけてくる。
「ええ。とても澄んだ、きれいな水ね。こうして足をつけているだけでも、気持ちがいいわ」
「わたくしもそう思いますわ。……フォンテはびしょ濡れですけれど」
「着替えを持ってきて正解だったわ……」
今彼に着せているのは、比較的質素な綿の服だった。ここで暮らすようになってから、わたしたちの着るものはリリアに用意してもらっている。
わたしが着ているのは、家庭教師にふさわしい慎ましやかなワンピースがほとんどで、フォンテは動きやすくて柔らかい綿の服を着ている。ヴェンティルも、リリアから赤いリボンを分けてもらって、首に巻いていた。
ただ、リリアは時々、思いっきりフリルのついた服や、女性もののワンピースなんかをフォンテに着せていた。とびきり似合っていたし本人も楽しそうだったので、口ははさまないことにした。
「よーし、もっともっとおみず!」
わたしとリリアがのんびり涼んでいる間も、フォンテの遊びはどんどん派手になっていた。水の中に座ったまま両手で水面を叩いて水柱を跳ね上げ……あの小さな手で、あんなに大きな水柱が立つものかしら?
そしてヴェンティルが、その水柱に体当たりをして……反対側に突き抜けた。ハトって、あんなに飛ぶ力があったかしら? 普通、水にはまっておぼれてしまいそうなものだけれど。
「元気ですわね。……元気すぎる気もしますわ」
「あなたも、そう思う?」
わたしとリリアは、ふたりそろって首をかしげていた。その間もひとりと一羽は、見たこともない大騒ぎを繰り広げていた。
しばらく遊んでいたら、日がかげってきた。風も出てきて、肌寒くなってきた。
「フォンテ、冷えてきたから、もう水から上がりましょうか」
「ええーっ、もっとあそぶ……」
全身びしょ濡れのフォンテが、不服そうに口をとがらせている。
「そろそろ、お腹が空いたでしょう? お昼ご飯にしましょう。その間に、風が収まるかもしれないから」
「ごはん!」
彼はころりと表情を変えて、メイドたちが支度を整えてくれた昼食の席に向かっていったのだった。そんな彼を見て、リリアも、メイドたちも、みんなとっても優しい笑みを浮かべていた。もちろん、わたしも。
サンドイッチやクッキー、切った果物などの軽い昼食をたっぷりとお腹に詰め込んだフォンテは、また湖のほうを見て騒ぎ始めた。
「ママ、ごはんたべたよ。あそんじゃだめ?」
フォンテはびしょ濡れなので、冷えないように大きな毛布ですっぽりとくるまれている。毛布のイモムシのような姿のまま、彼は目を輝かせてわたしを見つめてきた。
「そうね……お日様が出ていないから、まだ寒いわよ」
「さむいの、だいじょうぶだよ!」
言うが早いか、フォンテは毛布を脱ぎ捨てて湖のほうに歩いていってしまう。あわてて彼の手をつかみ、引き留めた。
「だめよ、風が強くて波が高いから、危ないわ」
「だいじょうぶ。フォンテ、およげるから」
「泳げてもだめよ。ほら、もう少し待っていましょう」
もう一度毛布でフォンテをくるみ、抱きしめる。するとわたしの腕の中で、フォンテがぐすぐすと泣き始めた。
「やだ……あそぶの……」
すると、その声にこたえたかのように、クッキーのかけらをつついていたヴェンティルがふわりと舞い上がる。そうして、わたしの頭に着地した。
「ヴェンティル、頭の上はやめてって、お願いしたでしょう?」
そんなわたしの言葉などまるで耳に入っていないのか、ヴェンティルがぐっと背筋を伸ばす。わたしの頭にしっかりとしがみついているので、爪が頭皮に食い込んでちょっと痛い。
コッケコッコー!!
そうしてヴェンティルは、高らかに鳴いた。ハトにしか見えないのに、これではまるでニワトリだ。
そのちぐはぐさに、つい笑ってしまう。近くに座ったリリアも、必死に笑いをこらえていた。
「リリア、淑女たらんとするその心意気は素敵だけれど……これくらいなら、笑ってもいいと思うわ」
「せ、先生がいいとおっしゃるのなら、遠慮なく……」
彼女はそのまま身を二つに折り、ぷるぷると肩を震わせ始めた。
それにしても、今の鳴き声は何だったのだろう。首をかしげながら湖を見て、驚きに目を見張る。
さっきまで激しい風が打ち付けていた湖畔は、すっかり静かになっていた。何がどうなっているのか分からないけれど、突然風が止んだのだ。
「これなら、あそべるね!」
嬉しそうな声で叫ぶと、フォンテが毛布の中から抜け出して、また浅瀬に飛び込んでいってしまった。ヴェンティルもそのあとを追いかけて、水遊びを再開している。
「……偶然……にしては、何かがおかしいような?」
そんなつぶやきに、当然ながら答えは返ってこなかった。




