6.不思議な鳥
リリアの家庭教師としてトーラの屋敷にやってきてから、わたしたちはずっと屋敷の敷地内で過ごしていた。
アニマの町にも出てみたかったけれど、もしかすると夫……そろそろ元夫になっている気もするけれど……の関係者に出くわさないとも限らない。
余計なごたごたに巻き込まれたくはないし、ほとぼりがさめるまではここにこもっていよう。そう考えたのだ。
フォンテも特に異論はないらしく、いつもわたしにくっついて屋敷の中をふらふらしていた。「ひとりでお庭で遊んでいてもいいのよ」と言ったけれど、彼は「ママといっしょにいる!」と主張していた。
時折、リリアが外に誘ってくることもあったけれど、そのたびに理由をつけて断っていた。
そのたびにしょんぼりしている彼女を見ると心が痛むむので、いっそ事情を全て打ち明けてしまおうかとも思ったけれど、どろどろした大人の世界を知るのはまだ早すぎるとも思う。
ただ彼女も、わたしが何やら訳ありだということはすぐに悟ったようで、途中からはあれこれと言わなくなっていた。
それをいいことに、ひたすらに敷地内に引きこもる日々を過ごしていた。暮らすには困らないし、仕事の内容も……師の課題が難しすぎることを除けばまあ楽だし、いいことずくめの暮らしだった。
ただたまに、ちょっと気になることもあった。
あれは一晩中雨が降り続いた、その次の日のことだった。
庭に出てみたら、どこもかしこも水たまりだらけだった。うかつに足を踏み入れたら、靴はびしゃびしゃになってしまうだろう。それに服も、跳ねとんだ泥で汚れてしまう。
これでは、とても散歩どころではない。まだ曇っているから、今日だけでなく明日も散歩は難しいだろう。
庭の散歩が日課になっているフォンテは、そのさまを見て「さんぽ……」とつぶやきながらぎゅっと唇を噛んでいた。
しかしその二時間ほど後、メイドが不思議そうな顔で告げてきたのだ。
「あの……庭の水が引きましたので、散歩もできそうです」
「えっ、こんなに早く? もしかして、庭師が掃除を頑張ってくれたのかしら」
意外な展開にそう尋ねると、彼女は眉間にしわを寄せたまま小さく首を横に振った。
「いえ、いつの間にか水が消えていたんです。誰も掃除した覚えはないとのことで」
「ママ、おさんぽ、いこう!」
しかしフォンテはすっかり浮かれた顔で、わたしの手を引っ張っている。
「そうね、せっかくだから行きましょうか」
突然引いた水については謎だけれど、今はむずがっているフォンテをどうにかしなくては。
こっそり首をかしげながらフォンテと手をつなぎ、庭へと出ていった。
メイドが言っていたとおり、庭の水はすっかり引いていた。フォンテはきゃあきゃあとはしゃぎながら、庭を駆け回っている。
訳が分からないけれど、彼が喜んでいるのならまあいいかと、ひとまず深く考えないことにした。
「ママ、ママ! とり!」
物思いにふけっていたら、フォンテが上を見て騒ぎ始めた。何の気なしに顔を上げると、ぼふっと何かがぶつかってくる。
「きゃっ、何!?」
「つかまえた!」
とっさにその何かを振り払った次の瞬間、フォンテの嬉しそうな声がした。
彼は、ハトのような鳥を両手でつかんでいた。普通のものよりふた回りほど大きく、ハトというより小さなニワトリのようでもあった。しかし、その全身が鮮やかな緑色をしている。
そのハトの頭の上には、くるんと巻いた純白の飾り羽がくっついている。中々にしゃれていた。
さらに風切り羽と尾羽は、きらきら輝く金色。目は深い緑色で、とても美しい。
「あら、変わったハトね」
ホー。
ちょっと間の抜けた声で、ハトが鳴く。
「かわいい!」
そしてフォンテは、興奮に頬を赤く染めて、ハトを高々と掲げ持っていた。ちょっぴり抗議するような声で、ハトがホーホーと鳴き続けている。
「フォンテ、ハトさんが困っているわ。放してあげなさい」
「はあーい」
思いのほか素直に、フォンテがうなずいた。と思ったら、突然ハトを空中に放り投げる。子どもらしいというか、少々荒っぽい。
もっと優しくしてあげて、というより先に、ハトがふわりと舞い上がった。そしてそのまま、わたしの頭の上に着地してしまう。
「えっ、ちょっと!?」
頭の上に手を伸ばして、ハトをどかそうと試みる。けれどハトは懸命にふんばって、わたしの手をよけている。
ならばと頭を振ってみたけれど、ハトはやっぱりしがみついている。何がなんでも離れるつもりはないらしい。
「どうしましょう、離れてくれないわ……」
「ママ、なかよし?」
「そうみたいだけど、いつまでもこの子を頭に乗せておくわけにはいかないし、困ったわ」
「ママ、フォンテもハト、もっとさわりたい」
ホーホホッホー!!
かがんでフォンテのほうに頭を差し出すと、ハトが反対側のほうに回って逃げようとする。こちらに手を伸ばしていたフォンテが勢い余って、そのままわたしの首にしがみついてしまった。転びそうになるのを、すんでのところでこらえる。
気づけば庭の一角で、わたしとハトとフォンテは、みんなでもみくちゃになってしまっていた。
「まあ、何の騒ぎですの? ……って、先生、その姿は……」
騒ぎを聞きつけて出てきたらしいリリアが、わたしたちの姿を見て固まる。笑いたいのを必死にこらえているのか、顔が引きつっていた。けれどその視線は、わたしの頭の上に注がれていた。
「さっきから、降りてくれなくて……ほら、わたしの頭はあなたの巣じゃないのよ」
ホーホー。
わたしの言葉に律義に答えているハトを見て、ついにこらえきれなくなったのかリリアがぷっと吹き出した。
「ひ、人懐っこい、ハトですのね……かわいいと思いますわ」
「ああ、リリア……遠慮なく笑ってくれていいんですよ……自分が今かなりこっけいな姿になってしまっているのは、理解していますから」
「いえ、そんな……他者を見て笑うなんて、淑女にふさわしいふるまいではありませんから」
懸命に取りつくろリリアに、フォンテが無邪気に問いかけた。
「リリア、たのしい?」
「ええ、楽しいですわ。かわいらしいハトさんですのね」
ホー。
「まああなた、わたくしの言葉が分かっていますの? 賢い子ですのね」
ホッホー!
「やっぱり、言葉が通じていますわね。得意げな顔をしていますわ」
そっとわたしの頭上に手を伸ばしてハトに触れながら、リリアがつぶやく。
「先生になついているようですし、この屋敷で飼ってもいいかもしれませんわね。その子さえよければ、ですけれど」
クルックー。
彼女の言葉に、わたしより先にハトが答えている。そのことに、またリリアが笑いを漏らしていた。
「……うっ……くくっ……ふう。そ、それでは、決まりですわね。しかしそうなると、名前をつけてあげなくてはなりませんわ。どうしましょうか」
「ヴェンティル」
唐突に、フォンテが口を開いた。ハトを指さしながら、わたしたちをまっすぐに見つめている。
「このこ、ヴェンティル」
ホー。
わたしの頭の上で、ハトがうなずいている気配がする。どうやら、その名前でいいらしい。
「ヴェンティル……いい名前ね。それじゃあ、これからはそう呼びましょうか」
ホホー。
「ところでヴェンティル、いい加減わたしの頭から降りてくれないかしら?」
クルッホー!
なんとなく、言いたいことはわからなくもない。たぶんこれは「お断りします」だ。
結局わたしは、夕食の直前までヴェンティルを頭に乗せたままで過ごすことになったのだった。フォンテとリリアはそんなわたしたちを見て、ずっと笑い転げていた。




