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5.気になることが少々

 トーラの屋敷での暮らしは、拍子抜けするくらいに順調だった。


 リリアは、真面目ないい生徒だった。まだ八歳とは思えないほど利発で、そして素直なのだ。わたしもフォンテも、すぐに彼女に好感を抱くようになっていた。


 そして彼女もわたしとフォンテのことをすぐに気に入ってしまい、わたしはあっという間にお試しの家庭教師から、正式な住み込みの家庭教師へと格上げされた。


「先生、お茶のカップが空になっていますわ」


 うきうきした様子で、リリアがそう声をかけてくる。彼女はわたしのことを『先生』と呼ぶようになっていた。


 控えていたメイドがお茶を注ぐ音を聞きながら、ぼんやりと辺りを見渡す。バラが咲き乱れる庭園は、とても美しい。


 わたしたちは今、屋敷の中庭でお茶をしている。一応、『礼儀作法の勉強のため』という理由をつけて。


 ここはトーラ公爵家の所有する屋敷のひとつで、今はリリアと使用人たちだけが暮らしている。


 なんでも、トーラ家の子女はある程度の年齢になると、親元を離れてこのアニマの町にある屋敷で暮らすならわしになっているのだとか。この町はトーラ領の中でも特に栄えているから、見聞を広めるには適していると、そう考えられているらしい。


 トーラの者はみな通った道ですわと言いながらも、リリアはちょっと寂しそうにしていた。それも当然だろう。貴族最上位の公爵家とはいえ、このしきたりは中々に厳しい。


 彼女がわたしを屋敷に招き入れたのは、甘える相手が欲しかったからなのではという気もする。もっとも、わたしが助けになれるのであれば、それはそれで光栄だ。


「それにしても先生は、礼儀作法も教養も素晴らしくて……師も、先生のことを褒めておられましたわ」


 かわいらしい声が、わたしの意識を現実に引き戻す。リリアは視線をそらしたまま、頬を染めてもじもじしていた。


「……実際、先生が来てくださってから、師の課題をこなすのがずいぶんと楽になりましたもの」


 彼女は週に一度、町で暮らす師のところに通っている。毎回緊張して出かけ、ほっとした顔で戻ってくるのだ。難解な課題を抱えて。


 その課題ときたら、たまに大人でも苦戦しそうなものがまざっているのだ。たぶん、出された課題の補助をしてくれる教師を見つけてくるようにと、そういう意味もあるのだと思う。


 必要な人材を見つけ、その者の協力をあおぐ……この課題の真の狙いは、たぶんそういうことだ。貴族は自分の力で何かをこなすだけでなく、必要に応じて他者の力を借りる必要がある。その能力を、この課題を通して養おうとしているのだろう。


「ところで、先生はどこでそういった高度な知識を身につけられたのかしら……それに、フォンテとふたりで旅をしていただなんて、不思議で、素敵ですわ……」


 リリアはフォンテのことを、すっかり気に入ってしまっていた。それもどうやら、弟のように思っているようだった。


 彼女は毎日、あれこれと理由をつけてフォンテに話しかけたり、構いつけたりしている。そしてフォンテは、いつもどおりののんびりした態度でそれにこたえていた。


 そうしていると、二人はまるで本当の姉弟のようにも見えていた。仲が良くて何より。


 ただそれはそうとして、彼女がわたしたちのことを気にしてしまうのも無理はない話だった。


 わたしは二十一歳、フォンテはたぶん四歳くらい。一応ぎりぎり、親子でも通る年齢差だ。


 しかし、見た目がまるで似ていない。わたしはふわふわの金髪に紫の目、フォンテはぴょんぴょん跳ねる水色の髪に青い目だ。


 しかも彼女と出会ったとき、わたしは質素ながらもそこそこ質のいいワンピース姿で、フォンテは素朴そのものの麻の服を着ていた。色味だけでなく、身なりもばらばらだ。


 ちょっとでも観察眼のある者なら、このふたりは本当に親子なのかと疑いたくなる状況だ。しかしフォンテはわたしのことをママと呼んでべったりだし、わたしはわたしでそんな彼を愛おしく思ってしまっている。


「……以前、貴族の屋敷で暮らしていたことがありました。けれど訳あって、そこを出ることになって……この町に向かっている途中に、フォンテを拾いました。どうやら孤児のようなのです」


 落ち着いた口調で、そう返した。いずれどこかで尋ねられるだろうなと思っていたから、間違ってはいないけれど真実とも言い難い、こんな言い訳を用意しておいたのだ。


「まあ……どこの子だったのかなど、分かりませんの? 孤児だというのなら、せめてご両親のお墓くらいは探してあげたいですわ」


 リリアはわたしの言い訳を素直に信じてくれたらしく、気の毒そうに眉を下げてしまった。


「フォンテのママは、ママだけなの! おはか、ない!」


 そしてフォンテは、一生懸命にそんなことを主張している。


「そ、そうなんですのね。……血はつながっていなくとも、あなたがたは仲睦まじい親子。きっとそれが、正しいのでしょう」


「うん!」


 あわててリリアがそうまとめると、フォンテも納得したようにうなずいていた。


「ところで、他にも聞いてみたいことがありましたの。先生とフォンテの趣味って、何なのでしょう?」


 そして澄ました顔で、彼女はそんなことを聞いてきた。


 客人が触れたがらない話題になってしまったら、速やかに話題を変えること。そんな礼儀作法を、彼女は幼いながらもすぐに実行したらしい。


「いたって普通ですよ。読書ですから。といっても、本であればなんでもいいんです。物語から図鑑、専門書まで」


「まあ、だから先生は博学でいらっしゃるのね!」


「フォンテ……しゅみ、なんだろ?」


 わたしの答えに目を輝かせているリリアと、真剣に考え込んでしまったフォンテ。なんともかわいらしい。ああ、和むなあ。


「しゅみ……わかった、ママといっしょにいること!」


 彼の返事に、リリアが声を上げて笑う。


「それは趣味と言っていいのかしら?」


「しゅみって、すきなことだよね? だから、ママといっしょにいることだよ!」


「ふふ、言われてみれば、そうかもしれませんわ」


 リリアも目を細め、優しい表情でフォンテを見守っている。


 それからも、和気あいあいとお喋りが続いていった。その途中、リリアがふと目を見張った。


「あら、あそこの花壇の花、少ししおれていますわね。あとで庭師に水をやるよう、言っておかないと」


 彼女の視線の先にある花壇を見ると、そこの花だけがしおれてうつむいていた。その一角は他の花壇に比べて日がよく当たるから、水切れを起こしてしまったのだろう。


「おみず……」


 フォンテがやけに真剣な顔で花を見つめていたけれど、また何事もなかったかのようにお菓子を食べ始めた。




 さらにもう三十分ほどお喋りして、そろそろお開きにしようかというとき、またリリアが声を上げた。


「……花が、元気になっていますわ?」


「本当ですね。たまたまさっきだけ日が当たりすぎていたとか、そういうことだったのでしょうか」


「よかったね!」


 にこにこしているフォンテの頭をなでながら、ぼんやりと考える。偶然……にしては、ちょっとできすぎているな、と。


 さっきまでうつむいていた花々は、今では生き生きと天を向いて、元気に咲き誇っていた。

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