35.苦難を越えて咲く花
シルヴィーが屋敷に来てから、わたしたちの生活はまた変わっていた。入れ代わり立ち代わり彼女のもとを訪れては、あれこれと教えていく。
以前、フォンテに色々と教えていたおかげで、わたしやリリアもある程度やり方は分かっていた。それに今回はフォンテも手伝ってくれるから、意外と苦戦せずに済んでいた。
何より、シルヴィーはとても協力的だった。ひとつ屋根の下にアルティスがいる、ただそれだけのことが、嬉しくてたまらないらしい。
にこにこしながらわたしたちの教えを覚えようとしているシルヴィーを見て、リリアが眉をひそめ、ささやきかけてくる。
「……あの、先生……これだけ順調なら、二十年前にシルヴィーさんを追い出す必要って、なかったのではありませんの……?」
小さくうなずいて、やはり小声で返す。
「さすがに、これだけ特殊な存在を、公爵家の当主の妻としては置いておけないわ。今は、当主の客人という立場だからどうにかなっているけれど」
「きぞくって、めんどうなんだね。シルヴィーはシルヴィーなのに、どうしてあつかいがかわるんだろう」
「『そういうものなのよ。人間って、いろいろ妙なことに縛られているのよね。でも、どれだけおかしいと思えても、そこのところはきちんと尊重してあげるのがコツなの』」
ヴェンティルが澄ました顔で鳴き、リリアが訳する。もうすっかり、慣れたものだ。
みんなを見回して、さらに続ける。
「それに、二十年前のアルティス様とそのお父上は、精霊についての知識がなかったわ。ヴェンティルやフォンテのような、精霊の助けも得られなかった」
「……わたくしが先生とフォンテに出会い、ヴェンティルが屋敷を訪ねてきて……そういった出会いが、伯父様とシルヴィーさんの力になれた、ということでしょうか」
リリアが感慨深そうに、頬に手を当ててつぶやいている。
「わたしも、そう思うわ。ひとつひとつは偶然でしかないけれど、それがからみあって、素敵な未来を連れてきた。きっと、そういうことよ」
「すてきだね!」
「うん……わたし、うれしい」
フォンテがシルヴィーにぎゅっと抱きつき、シルヴィーも幸せそうに目を細めた。このふたり、精霊同士だからなのか、あっという間に打ち解けて……それはそれでいいことだとは思うのだけれど、少し複雑な気分でもある。ちょっと親離れ、早くないかしら。
どうにかしてフォンテを呼び戻そうとしたそのとき、ノックの音に続いてアルティスが部屋に入ってくる。
「カルミア、時間はあるだろうか」
彼はシルヴィーに視線だけで会釈すると、わたしに向かって話しかけた。相変わらずシルヴィーに対してはそっけないけれど、ちゃんと目を合わせるようになっただけ進歩している。
「はい、今はみんなでシルヴィーと話していただけですから。何の御用でしょう?」
すると彼は、やけにかしこまった態度でぼそぼそとつぶやいた。
「お忍びで町を歩きたいのだが、付き添ってはもらえないだろうか」
その言葉に、リリアとヴェンティルが顔を見合わせ、にやにやしながらアルティスを見た。アルティスははっと目を見張り、こほんと咳払いする。
「先日の騒動からそれなりに日にちが過ぎ、町の者も落ち着いてきたころあいと思う。使用人たちから報告は聞いてはいるのだが、実際にこの目で確かめたい。それだけのことだ」
なるほど、筋は通っている。でもアルティスはちょっぴり早口で、熱心にまくしたてている。
「私ひとりで出向いてもいいのだが、それでは民たちが敬遠してしまうだろう。だから、君にいてほしい」
「はい、喜んで」
そういえばシルヴィーの騒動より前には、よくこんな感じのやり取りを経て、お茶会に誘われたものだ。
今日はお茶会ではなく町歩きだけれど、彼と一緒に出かけられるのは嬉しい。のんびりとこんなことを考えていられる平和をかみしめながら、もう一度うなずいた。
それからふたりで、町を歩く。もうすっかり人々も落ち着いたようで、その顔に不安の影はなかった。
……ただ、あの不思議な森のことで、すっかり盛り上がってしまっていて……このまま放っておいたら、あの森にいる何かに捧げるお祭りなんかができてしまいそうな雰囲気だ。
ふらふらと町中をさまよい続け、小さめの広場に出たところでアルティスが足を止めた。
「この辺りで、少し休もうか。ちょうどそこに、果物売りがいる」
わたしが何も言わないうちに、彼はいそいそと果物売りの屋台に近づいていって、またすぐに戻ってきた。美しい絹のハンカチに、キイチゴがたくさん載せられている。染みにならないか心配だ。
しかし彼は、そんなことは少しも気にしていないようだった。ハンカチごとキイチゴを差し出してきて、朗らかに言った。
「ほら、食べるといい。ずっと歩いていて、喉が渇いただろう」
「お気遣い、ありがとうございます。それでは、失礼して……ふふっ、おいしい」
両手でキイチゴを受け取り、ひと粒食べてみる。口の中いっぱいに広がる甘酸っぱさとみずみずしさに、自然と大きな笑みが浮かんで来るのを感じた。
「そうか、ならばよかった」
嬉しそうに微笑むものの、彼はキイチゴに手をつけようとはしない。
「アルティス様は召し上がられないのですか? たくさんありますし、わたしばかりいただくのも……」
「いや、いい。それは君のために買ったものだから」
彼はあくまでもその主張を崩すつもりはないようだけれど、わたしはわたしで、彼にも食べてほしいと思っていた。
だって、こんなにおいしいんだもの。それに喉が渇いているのは、きっと彼だって同じだろう。
少し考えて、キイチゴをひとつ、そっとつまみ上げた。それからその手を、アルティスの口元に持っていく。
「はい、どうぞ」
たまにフォンテがせがむので、こうやっておやつを食べさせることがある。この方法なら、アルティスの守りも崩せるかなと、ふとそう思ったのだ。
しかしアルティスは、みるみる真っ赤になってしまった。いつも冷静な彼の思わぬ動揺っぷりに、こちらもとまどってしまう。
「わ、分かった、自分で食べる! ……カルミア、淑女がそのようなふるまいをするのは感心しない。気をつけるように」
彼はそっぽを向いてそう言うと、口元に迫っていたキイチゴをすっと奪い取った。
「は、はい……」
さすがにちょっとやりすぎたかな、と反省していたら、彼はキイチゴを口にしてぼそりとつぶやいた。
「……他人の目のないところでなら、構わない」
それはつまり、彼も実はフォンテのように甘やかされたいということなのか、あるいはもっと別の意味があるのか。
ともかく、今の行動そのものを嫌がられてはいなかったようだ。そのことにほっとしながら、ふたりでキイチゴを食べていた。
どちらも無言だったけれど、不思議と居心地は悪くなかった。むしろ、とっても温かな気分だった。
やがてキイチゴも食べ終えたので、さわやかな気分でまた歩き出す。
「……先日の、ヴェンティルの疑問……私と、精霊の力との関係についてなのだが」
人通りの少ない道にさしかかったところで、アルティスがふとつぶやく。
「あれから私は、精霊としての力を使えないかあれこれと試してみた。だが一度も、成功はしなかった。雑草ひとつ、私は動かせない。やはり、私はただの人間だ」
その声音はほっとしているようであり、少し残念そうでもあった。
「だからあれは、何かの奇跡だった……のだと思う」
「不思議なことも、あるものですね。一度、あのときのことを思い出してはみませんか?」
そう提案すると、彼は視線をそらして考え込み始める。
「……そう、だな……あのとき、私は眠りの中で君の声を聞いた。まるで泣き出しそうな君の声に、目覚めなくては、と強く思った」
彼はそのまま、わたしのほうに手を伸ばしてくる。どうやら無意識のうちにだろう、わたしの手をしっかりとつかんでいた。
「君の手が、私の手をしっかりとつかまえてくれていた……そのことに気づいて、胸がかっと熱くなった」
目を閉じ、彼がそうつぶやいたまさにそのとき……わたしの胸が、熱くなる。ちょうど、あの森でアルティスと合流できたあのときと、同じ感覚だ。
「これ、は……?」
アルティスが驚きに目を開け、辺りを見渡す。一緒になってきょろきょろしていたら、とんでもないものが目に入った。
近くの花壇に植えられていた、小さなバラの苗。ちょうど花が終わったところらしく、ふさふさと緑の葉を茂らせていた。花もつぼみも、どこにも見えない。
しかしその茂みから、するんと細い枝が伸びてきたのだ。その先につぼみがついたかと思った次の瞬間、つぼみはほころび、愛らしいバラの花へと変わった。
「あのっ、これは……」
「精霊の、力……?」
普通のものよりずっと小さな、みずみずしいピンクのバラを見ながら、アルティスが呆然とつぶやく。
彼は空いたほうの手をそろそろと伸ばして、今咲いたばかりの花を慎重に摘み取った。花を胸元に隠して、大あわてで周囲を見渡している。
「……誰も、今のを見てはいないな?」
「はい。それにしても、この花……」
「どこからどう見ても、バラの花だな……決して、造花などではない……」
二人顔を寄せ合って、間近でバラの花を見つめながら、こそこそとささやきあう。真剣にバラの花を見つめていたせいか、気づけば顔が思い切り近づいてしまっていた。同時に赤面して、同時に距離を取る。
「ん、んっ! これはあくまでも、仮説だが」
まだ頬を染めたまま、アルティスが視線をそらして咳払いをする。
「私たちふたりが力を合わせることにより、精霊の力が発動する……ということなのかもしれない」
「かも、しれませんね」
そう考えれば、一応筋は通る。ただどうしてそんなことになっているのかという謎が持ち上がってくるわけだけれど。
「……カルミア」
考え込んでいたら、やけに真剣なアルティスの声がした。なぜか彼はさらに赤くなりながら、うつむいている。
「君さえよければ、なんだが……」
さて、何を言おうとしているのだろう。
「私と、婚約してほしい」
「ええっ!?」
驚きのあまり大きな声が出てしまい、あわてて口を押さえる。ちょっと待って今、さらりと求婚された!?
「えっ、あの、ですがわたし、今はもうただの平民ですが!?」
ひとまず、そこのところははっきりさせておかなくてはならない。
彼のトーラ家は公爵家、貴族でも最上位だ。その当主が、平民を妻にするなんて……あ、でも、先代の当主の妻は精霊だったか……とんでもないわ、この家。
「立場など、どうでもいい。私が生涯をともにしたいのは、君だけなんだ」
普段の彼からは想像もつかない熱っぽい言葉に、それ以上反論できなくなってしまう。
「本当は、ずっと前から考えていた。ただ勇気が出なくて、ずっと言えずにいただけで」
「そう……だったんですか……」
彼の第一印象は、はっきりいってよくはなかった。フォンテに対して敵意むき出しで、いきなり試練なんてものを持ち出してきたし。
でもすぐに、彼は意外と親切な人なんだなと思うようになった。なんだかんだで世話を焼いてくれたし、わたしの危機にも手を差し伸べてくれた。
いつしかわたしは、彼を頼りにしていた。彼とともにある時間を、心地よいと思うようになっていた。そのことを自覚してしまい、かっと頬が熱くなる。
わたしの表情の変化に気づいたのだろう、彼は泣き笑いのように目尻をぎゅっと下げて、まっすぐにわたしを見つめてきた。つないだ手に、力がこもる。
「私にとって、君は何より特別で、大切な人なのだ。このバラの花が、その思いを形にしてくれたように思う」
彼はわたしの両手に、しっかりとバラの花を握らせた。懇願するようなまなざしで、彼は言った。
「カルミア。どうか私の思いに、こたえてほしい」
悩むまでもなかった。両手でバラの花を持ったまま、笑顔でうなずく。
「はい、アルティス様。どうぞこれからも、よろしくお願いいたします」
すると感極まったのか、アルティスがいきなり抱きついてきた。わたしを腕の中に閉じ込めようとしているかのように、力いっぱい抱きしめてくる。
彼の温もりを感じながら、幸せそのものの気分で目を閉じた。
……上のほうから、ホゥホゥと笑う声が聞こえた気がした。
ここで完結です。読んでいただいてありがとうございました。
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