30.目覚め
「アルティス様!!」
もう一度彼に呼びかけたのと、背後にある枝の壁から次々と枝が伸びてきたのが、同時だった。
枝たちはわたしをアルティスから引き離そうとしているかのように、腕や胴にからみついてくる。体ががくんと、後ろに引っ張られる。
それでも懸命に、アルティスの手をつかみ続ける。
この手だけは、絶対に離さない。離してしまえば、シルヴィーの力によってわたしたちは引き離されてしまう。そうなったらもう、アルティスに会えなくなってしまうかもしれない。
枝はさらに数を増し、わたしの頭や首にもからみ始めていた。締め上げられるようなことはなかったけれど、もう少しも身動きが取れなくなっていた。
「ママ!!」
ホー!!
後ろから、フォンテとヴェンティルの声がした。けれど二人とも枝の壁にはばまれているらしく、その声は近づいてこない。
わたしたち、このまま枝に飲み込まれて終わるのだろうか。そんな恐ろしい考えが頭に浮かんだそのとき、鋭い声がした。
「止めろ、シルヴィー!!」
声の主は、アルティスだった。彼が叫んだのと同時に、胸がかっと熱くなった。
そして、まばゆい光が辺りに満ちていく。まるでその光に溶かされたかのように。全身にからみついている枝の感触が薄れ、消えていく。
やがて光がゆっくりと衰えていき、辺りはもとの明るさに戻った。そうして、目の前に広がる光景を見て、驚きに絶句する。
地面から生えていた枝の壁は、全てなくなっていた。それどころか、草地がひと回り大きくなっている。
シルヴィーの背後にある古木こそそのままだけれど、その木を囲んでいた周囲の若木が、何本も消え失せていたのだ。
その向こうに、馬車らしきものがちらりと見えた。さっきの光は、枝の壁だけでなく、周囲の木々も追い払ってしまったらしい。
あれはたぶん、アルティスがここまで乗ってきた馬車だ。おそらく、近くに御者もとらわれているに違いない。
アルティス、シルヴィー、馬車と御者、フォンテとヴェンティル。どこに向かって動くべきか、一瞬悩んでしまう。
「大丈夫か、カルミア?」
アルティスの声に、我に返る。つないだままの手をたどるようにして、彼の腕から肩、そして顔へと視線を動かした。怪我をしているようには見えない。そのことに、心からほっとする。
「すまない、手を貸してもらえないか。奇妙なくらいに、体が重くて……我ながら、無様だな」
銀色の目を細め、苦笑しながら彼はわたしを見つめていた。思わず涙ぐみながら、手を貸して助け起こした。
「街道でシルヴィーに出くわし、彼女を振り切って去ろうとしたら、いきなり木の枝にからみつかれて……すぐに、意識が遠くなった。君の声が聞こえて目を開けたら、ここにいた」
わたしの肩を借りてゆっくりと立ち上がりながら、アルティスはいつもより少しぎこちなく話していた。
シルヴィーは座り込んだまま、そんな彼をぽかんと口を開けて見上げていた。まるで今の光に、魂を抜かれてしまったかのような表情だった。
「君をからめ取ろうとする枝を見て、シルヴィーのしわざだと理解した。思わず声を張り上げたら、光が満ちて……」
そこまで話したところで、彼がぎゅっと眉間にしわを寄せる。
「……何が起こったのか、君には分かるか?」
「いえ、まったく……」
困惑した顔を見合わせていたら、後ろから声が上がった。
「うわーん、ママー!!」
ホホーッ!!
フォンテが叫びながら、腰に抱きついてきた。ヴェンティルも、わたしの頭に飛び乗ってくる。勢いあまって落ちそうになり、小さな足で踏ん張っていた。
「あのね、さっきのはアルティスのちから。アルティス、えだ、どけてくれたの。ありがとう」
わたしにしっかりとしがみついたまま、フォンテが答える。それを聞いて、アルティスが目を見張った。
「……やはり、そうだったか。にわかには信じがたいが」
視線をそらし、彼は考え込んでいるような表情でつぶやく。
「……精霊と人間の間の子は、精霊としての力を持たない。そう考えていたのだが、どうやらそれは間違いだったようだ。いずれ、検証してみなくてはな」
凛々しく顔を引き締め、彼はわたしにささやきかけてきた。
「だが今は、ここを出るのが先だな。カルミア、私から離れるな」
わたしと手をつないだまま、彼は空いたほうの手でわたしの肩を抱いてくる。まるで、わたしを守ろうとしているかのような動きに、こんな状況だというのに少しどきりとしてしまった。
そうして、アルティスがシルヴィーに向き直る。
「シルヴィー。改めて返答する。私は、君と共にはいられない。君は自ら、己が危険な存在であると立証した」
アルティスの声はひどく硬い。まるで、鋭いガラスの破片が秘められたような、そんな声音だ。地面にへたりこんだままのシルヴィーが、気おされたのかびくりと身を震わせている。
「一刻も早くこの森を消し、人里離れたところに移れ。いいな」
しかしアルティスは少しもためらうことなく、厳しく言い渡した。シルヴィーの銀色の目に、みるみる涙がたまってくる。
「アルティス、でも、わたし……」
シルヴィーが弱々しくつぶやいたのと同時に、彼女の前の草地から枝が生えてくる。しかしそれは、すぐに消え去ってしまった。まばたきをひとつする間に、影も形もなく。
それを見て、シルヴィーが途方に暮れたようにうなだれる。やがて、小さなすすり泣きが聞こえてきた。
「……本当に、私の力のようだな。やはり信じがたいが、今は好都合か」
彼女の力を妨害することができる、その事実がアルティスに自信を与えているようだった。彼はさらに朗々と、シルヴィーに言い放った。
「君が私の言葉に従えないというのであれば、今度は君を遠方に追放する。これ以上、人間に害を及ぼさないように。どのような手を使ってでも」
いつになく恐ろしげなアルティスの表情に、フォンテがしょんぼりとした顔でこちらを見上げてきた。
「……シルヴィー、アルティスのママだよね。ずっとはなればなれ、さびしいね……」
その頭をなでてやりながら、小声で言葉を返す。
「でも彼女は、いきなり森を生やして人々を混乱させたし、アルティス様たちを捕まえてしまったわ。だから、アルティス様が怒るのも、仕方ないのよ……」
フォンテに言い聞かせつつも、心の片隅ではほのかに納得できないものを感じていた。
「うん。フォンテも、アルティスにいろいろおしえてもらわなかったら、こうなっていたのかな……」
か細い声でつぶやいて、フォンテはうつむいてしまう。ぽんぽんと背中を叩いてやりながら、考える。
アルティスとシルヴィーの間には、きっと色々なことがあったのだろう。
彼は自分の母について多くを語りはしなかった。彼女について話している間の彼の苦しげな表情は、母との別れを嘆くものではないように思えた。それよりも、怒りやいらだち、憤りといった感情に似ていた。
今でも彼は、彼女を受け入れられずにいるのだろう。だから彼は、精霊に対しても批判的なのだろう。そうして再会した彼女を拒み、遠くへ追いやろうとしている。
アルティスの気持ちも、分かるような気もする。ただ、このまま彼が宣言したとおりに、シルヴィーが遠くにいってしまうのは駄目だと、強くそう思った。
シルヴィーは確かにとんでもないことをしでかしたけれど、それはただひたすらに、アルティスに会いたい、アルティスと一緒にいたいという思いからきているのだから。
「アルティス様、お話があります!」
自然と、声が出ていた。




