3.町のにぎわい
一刻も早く休みたかったので、手頃そうな宿の部屋を取った。とはいえ、自分で宿を取るのは初めてだ。宿代の相場が分からないけれど、さほど高くはない……と思う。
一応、そこそこお金は持ってきている。嫁ぎ先は裕福な家だったということもあって、嫁ぐときに持ってきた持参金は、そのままわたしの自由にしていいということになっていたのだ。
といっても、あの屋敷での暮らしではろくに使うようなこともなくて、ずっとしまいこんだままになっていた。まさかそれが、こんな形で役に立つなんて思いもしなかった。
「ママ、これがおへやなの? いろいろあるね! うえからみると、ひと、とってもいっぱい!」
フォンテは客室につくなり、寝台や小机なんかをひととおり見て回っていた。それが済んだら窓に張り付き、下の通りを行く人たちを見てはしゃいでいる。元気いっぱいだ。
椅子に腰かけてそのさまを眺めながら、考えをまとめる。
これだけかわいい子なら、やっぱり誰かが探しているだろう。こんな子が街道沿いで、たったひとりで暮らしていたなんて、考えられないし。
「少し休んだら、孤児院をあたってみましょうか。そこでなら、あなたのことを知っている人がいるかもしれない」
すっかり愛着がわいてしまって胸が痛むのをこらえながら、平然としたふりをして声をかける。
「こじいん? なあに、それ?」
こちらを振り向いて小首をかしげるフォンテに、孤児院について説明してやる。彼はきょとんとした顔で話を聞いていたけれど、やがて心底不思議そうに口を開いた。
「フォンテ、そんなとこ、しらないよ? いったことない!」
「だったらあなたは、どこから来たの? あんな街道のそばに、こんな小さい子がひとりでいただなんて、どう考えても不自然だし……」
彼と出会ってからずっと抱えていた疑問を、そろそろと口にした。ここまでの短い旅の間、ひとりぼっちじゃないのが嬉しくて、しまいこんでいた疑問を。
「フォンテはずっとひとりだったの。ママにあうまで、ずっと。だから、おいていかないで!」
必死の様子でそういったかと思うと、その大きな目からぶわっと涙がふき出した。
「わ、分かったから! お願い、泣き止んで!」
あわててフォンテを抱きしめたものの、一向に泣き止む気配がない。わたしにしがみついて、わあわあ声を上げて泣いていた。
「そうだわ、お昼を食べに行きましょう! ふたりで一緒に!」
「おひる……」
それでようやっと、フォンテは泣き止んでくれたのだった。まだぐすぐすと鼻を鳴らしながら。
宿の人におすすめのお店を聞いて、きょろきょろしながら道を歩く。何もかもが手探りだけれど、こういうのも新鮮で楽しい。
やがて、目当ての店にたどり着いた。楽しそうな話し声、食器のかちゃかちゃいう音、おいしそうな料理の匂い。店に足を踏み入れたとたん、そういったものが一気に押し寄せてくる。その熱気に、ちょっととまどってしまった。
「ママ、どうしたの?」
きょとんとした顔で、フォンテが見上げてくる。
「……みんな幸せそうだなって、そう思ってしまって」
わたしは、貴族の世界しか知らなかった。そこは全てが上等で上品で、ゆったりとした世界だ。時間の流れ方すらゆっくりに感じる、古めかしい空気に満ちていた。
でも目の前には、活気にあふれた、まるで別の世界が広がっている。最初の驚きが去っていくと、どんどん心が浮き立ってくるのを感じる。
「いらっしゃい。おや、かわいい子ですね」
店の入り口で立ち尽くすわたしたちに、店員らしき女性が朗らかに声をかけてくる。
「フォンテだよ!」
元気よく返事をするフォンテに、近くの客たちが温かなまなざしを向けてくる。店員も笑み崩れながら、店の奥を指し示した。
「あっちの席が空いてますから、そちらへどうぞ。何にします?」
「ええっと……」
何にするも何も、この店ではどんな料理が出ているのか分からない。ちらちらと周囲の人たちが食べているものを確認してはみるものの……何かの煮込みっぽいということしか分からない。
「わたし、宿の方にこの店をおすすめされたので……どんなものがあるのか、分からなくて」
仕方なく、そう言ってみた。すると店員はさらに嬉しそうな笑みを浮かべて、大きくうなずいた。
「ああ、そういうことでしたか! ありがたい話です。それじゃあ、うちの名物料理をお出ししますよ。少し、待っていてくださいね」
その言葉に、ほっとする。どうやら、料理の注文には成功したみたい。
「ママ、ごはん、たべられるの?」
「ええ。どんなものが出てくるのかしらね」
そう話しながらも、フォンテは目を丸くしてきょろきょろと辺りを見回している。どうも、こういった場所が珍しくてたまらないらしい。……それは、わたしも同じだけれど。
さほど待つことなく、温かな湯気を上げる煮込みの皿がわたしたちの前に置かれた。ごゆっくり、と声をかけて、店員がまた去っていく。
「トマト……と肉みたいね?」
スプーンを手に、皿の中身をまじまじと見つめる。大きな皿に、トマトと一緒に煮込まれた肉がごろごろと盛られている。盛りつけも何もあったものではない。
今まで食べてきた肉は、しっかりとした塊を切り分けたものか、あるいは丁寧に叩いたひき肉だった。でもこれは、そのどちらとも違う。大丈夫かなと思いながら、一口食べてみた。
「あら……おいしいわ」
形も大きさも、なんなら食感もばらばらの肉は、食べなれたものより少々歯ごたえがある。けれど、よく噛んでいるとじんわりと味が染み出てくる。その風味が、さわやかなトマトの風味とよく合っていた。
「そえてあるのは、ニンジンとキノコ……オーブンで焼いたのかしら」
やはり不揃いなそれらの食材も、口に入れてみたら思いのほかおいしかった。確かに、これならおすすめされるのも分かる。
そうしてわたしがおそるおそる料理を確かめている間、フォンテも妙な行動に出ていた。
彼は机に顔がつきそうなくらいにかがみこみ、目を細めて料理の匂いをかいでいた。明らかに、知らないものを見る目だ。
「フォンテ、きちんとした料理は初めて?」
まさかそんなはず、と思いながら尋ねたら、彼は即座にこくりとうなずいた。
この子、わたしと出会うまでどんな暮らしをしていたのかしら。そんなことが心配になりつつも、優しく呼びかけた。
「警戒しなくても大丈夫よ。これ、とってもおいしいから」
その言葉に背を押されたように、フォンテもぎこちないながらスプーンで煮込みを口に運んだ。次の瞬間、目を真ん丸にする。
「たべたことないあじがする……でも、すっごくおいしい!」
「ふふ、そうね。火傷しないように、ゆっくり食べるのよ」
「はーい!」
そうしてせっせと食べ続けるフォンテを、幸せだなあと思いながら見守る。ふと、やけに視線を感じることに気づいた。
そろそろと店内を見回して……ああ、この視線、わたしに向けられたものじゃないわ。
いつの間にか、店の中にいる人たち……客も、店員も、そして料理人までもが、ほわほわした笑みを浮かべてフォンテを見つめていたのだ。
当のフォンテは、みんなの注目を集めていることなんて気づきもせずに、おいしいおいしいと言いながら食べ続けている。
すると、わたしたちのテーブルにことりと皿が置かれた。顔を上げると、笑顔の店員が小声でささやきかけてくる。
「……これ、店からのおごりです。かわいい息子さんと一緒にどうぞ」
皿の上では、ハーブをまぶしたゆでジャガイモが湯気を上げていた。もう煮込みを半分以上食べてしまったフォンテが、新しい皿を見て目を輝かせた。
「それも、たべていいの!?」
「ええ、店の人にありがとうを言ってからね」
「わーい、ありがとう!」
明るく言って、フォンテがスプーンでジャガイモをすくおうとした。
「あれ、うまくいかない……」
「そういうときは、フォークを使うの」
フォークを手に取ってジャガイモをひとつ刺し、フォンテの口元にもっていく。
「はい、どうぞ」
フォンテは一瞬目を丸くしていたけれど、すぐに大きく口を開けて、差し出されたジャガイモをぱくりと食べた。
「ママにたべさせてもらうと、すっごくおいしい! ねえ、もっと!」
結局わたしは、ほんわかした空気の中、せっせとフォンテにご飯を食べさせ続けることになったのだった。
「おいしかったね、ママ!」
大いに満足しながら店を出て、宿へと戻っていく。フォンテはわたしの手をつないだまま、浮かれたような足取りで跳ねている。
どうやら彼は、うっかり手を離したらそのままどこかに置いていかれるのではないかと、そんなふうに感じてしまっているらしい。
わたしの手をつかんでいる小さな手の温もりを感じながら、こっそりと決意する。こうなったら、できるところまでフォンテと一緒にいよう、と。
いつか、彼の本当の親や保護者が現れるかもしれない。でもそれまでは、わたしが彼のママを務めよう。
手をそっと握り返して、優しく言葉を返す。
「そうね。あなたがおいしいご飯をこれからも食べられるように、お金を稼ぐ方法を早く見つけないと」
そんなわけで、目下の悩みはこちらだった。ひとりよりもふたりのほうが、たくさんお金がかかる。これは、のんびりしていられない。
わたしのつぶやきに、フォンテがすぐに反応した。
「おかね……おみせのひとにわたしてた、あれのこと? どうしてあげたの?」
「ええ、そうよ。お金っていうのはね……」
まともな料理を知らないフォンテは、お金についてもやはり知らなかった。彼にも分かるよう言葉を選びながら、順に説明していく。
「おかね、かせぐ……ママ、おかねほしいの?」
まっすぐにこちらを見ながら、フォンテが小首をかしげている。
「もちろんよ。お金がなくなったら、もう宿にも泊まれないし、おいしいご飯も食べられないの」
「フォンテは、ママがいればいいけど……ママは、おうちやごはんがいるよね……ねえ、おかねってどうやってもらうの?」
「働くのよ。自分にできることをいかして、毎日懸命に」
力強く答えつつも、頭の中には別の考えがよぎっていた。
あのまま嫁ぎ先に残っていれば、少なくとも働く必要はなかった。わたしはただそこにいるだけで、生きるのに必要なものは与えられていたから。
けれど、もうあそこに戻りたいとは思えない。あそこでの暮らしは、生きていながら死んでいるようなものだったから。家を飛び出して、こうしてフォンテと一緒に過ごしたこの短い時間の間に、そのことを痛感させられた。
「とはいえ、わたしにできそうな仕事って……」
ただ、結局わたしが世間知らずな女性でしかないことに変わりはない。家事はできないし、お店の仕事も難しそう……。
「家庭教師の口があれば、一番なのだけれど……あとは、お針子とか、かしら……」
「かていきょうし?」
「お金をたくさん持っている家の子どもに、勉強を教える仕事よ」
これでも、伯爵家の娘として必要な教養や礼儀作法は叩き込まれている。わたしの一番得意なことは、たぶんこれだ。問題は、教える相手をどうやって見つけるか、なのだけど。
「おかね……たくさん……こども……」
フォンテはそんなことをつぶやきながら、視線をうろうろとさまよわせている。かわいい眉間に、きゅっとしわを寄せて。
やがて、彼の視線がぴたりと一点で止まった。




