28.森、森、どこまでも森
わたしたちが進んでいたのは、田舎に向かう街道だった。
道幅は狭く、ただむき出しの土が踏み固められただけのものだ。周囲には、一面の草原が広がっている。草原のところどころにぽつんと木が生えているだけなので、ひたすらに見晴らしがいい。
そんな中に、深い森……というより木の塊が、どんとそびえていた。街道は森に呑み込まれてしまっていて、影も形もない。木々があまりに密で、中に入れそうにない。
それはなんとも恐ろしげな、現実味のない光景だった。
呆然と立ち尽くしていると、ちょっと上から様子を見てくるわ、と言い残して、ヴェンティルが飛び立っていった。フォンテは困ったような顔で、わたしのスカートをつかんでいた。
「ママ、このなか……せいれい、いるよ」
「そうなのね。教えてくれて、ありがとう」
フォンテの頭をなでながら、森を見つめて考える。やっぱり、この森には精霊がからんでいるようだった。だとしたらなおのこと、放っておくことはできない。
この森を生み出した精霊を探し出して、どうしてこんなことをしたのか聞きだし、解決策を探す。それができるのは、おそらくわたしたちだけだ。
アルティスのことは心配でたまらないけれど、この森をどうにかすることのほうが先だ。振り返り、御者に声をかける。
「何があるか分かりませんから、少し離れたところで待っていてもらえますか」
彼は心底ほっとしたような顔でうなずき、すぐに馬車ごと後退していった。その姿が、あっという間に小さくなる。普通の人間なら、こんな薄気味悪い場所からは離れたくて当然だ。
わたしたちにとっても、彼が思いっきり離れてくれたことはありがたい。たぶんここからは、フォンテとヴェンティルの力を借りることになるだろうから。
フォンテと並んで森に向かい合ったまま、ヴェンティルの帰りを待つ。そうかからずに彼女は帰ってきたけれど、その尾羽がちょっと乱れていた。
せっせと羽づくろいをしながら彼女が語った内容は、このようなものだった。
この森は、信じられないくらいに木々が密集していた。そのせいで、上から見ても、森の中がどうなっているかはっきりとは分からなかったらしい。
ただ、森の中央の辺りに差しかかったとき、木々の枝を透かしてちらりと地面が見えたのだそうだ。どうなっているのかもっとよく見てみようと近づいたところ、近くの枝が伸びてきて彼女を捕まえようとした。彼女はあわてて真上に飛び、どうにか逃げることに成功したのだとか。
「『わたくしのはねをむしろうなんて、ふとどきなえだですわ!』……ヴェンティル、おこってるね」
「……近づきすぎると襲ってくる枝……それはいよいよ、放ってはおけないわね……」
彼女の報告を聞いて、頭を抱える。どうやらこの森はただ気味が悪いだけでなく、かなり危険な場所だ。
人間に被害が出てからでは、遅い。その前に、この問題をなんとかしなくては。最悪、人間と精霊との間に、どうしようもなく深い溝ができてしまう。
中にいるらしい精霊と、どうにかして会わなくては。
「ひとまず、ヴェンティルが見たという場所に行ってみましょう。あなたたちの力を合わせて、道を作ってほしいの。できる?」
ホーッ!
「『もちろんですわ! めにものみせてやりますわ!』っていってる。ぼくも、がんばる!」
「ありがとう。それじゃあ、覚悟を決めて……行きましょうか」
するとヴェンティルがわたしの頭にぽすんと乗り、フォンテがわたしの手をぎゅっとにぎりしめてきた。
「『はぐれたらたいへんだから、ここにいるわ』だって。フォンテも、ママとてをつなぐの」
この子たちなりに、不安なのかもしれない。そう思いながら、笑顔でゆっくりとうなずいた。
まずは御者から見えないところまで、強引に森に割って入る。まだ森の外周部だからか、枝が動くようなこともなかった。とはいえ、途中でスカートを何回かひっかけてしまった。破れていないといいのだけれど。
そうして森の中にすっぽり入り込んだところで、フォンテとヴェンティルが同時に背筋を伸ばした。
ホホーッ!!
「えいっ!!」
太い枝はヴェンティルが風ですぱすぱと切り落とし、茂みはフォンテが水流で押しのける。みるみるうちに、細い道が開けていく。
「ふたりとも、すごいわ……」
正直、この子たちがいなかったら、わたしは途方に暮れることしかできなかっただろう。
こんな不気味な森を切り開いて道を作るには、屈強な男性たちの手が必要だ。でもみんな、恐ろしがってまともに作業ができないだろう。
それに、中にいるであろう精霊と、普通の人を会わせたくはなかった。突然こんなことをしてのける精霊は、かつてのフォンテ以上に話が通じない可能性が高そうだから。
人間のほとんどは、精霊の存在を知らない。精霊は、むやみに人間に関わらない。今はまだ、そんな関係を保っていく段階だと思うのだ。
物思いにふけりながら、ふたりが作ってくれた道を進む。スカートが濡れて重くなってしまったけれど、それを気にする余裕すらなかった。
ばっさばっさと豪快に枝を切っていたヴェンティルが、ふと動きを止めた。声をひそめて、短く鳴く。
ホッ。
「『そろそろ、このへんよ。きをつけてね』……ねえ、ママ。あれって……」
フォンテがわたしの手をしっかりと握ったまま、行く手を指さしている。木々の枝の向こうにかすかに見えているものに気がついて、息を呑んだ。
深い森の中に、小さな草地が広がっていて、そこだけ日が差している。木漏れ日の中に、ふたつの人影が浮かび上がっていた。
ひとりは、若い女性だ。まるで下着のような、袖のないワンピースをまとい、草地に腰を下ろしている。年のころはまだ十六、七歳くらいだろうか。
若葉のような緑色の髪が、彼女の肩から、腕から流れ落ち、地面にまで届いている。その銀色の目は、彼女のひざに頭を乗せているもうひとりの人物に注がれていた。
その人物の顔が見えたとき、思わず叫んでいた。
「アルティス様!!」
女性のひざを借りて横たわっているもうひとりの人物は、アルティスだった。目を閉じていて、わたしの声にも反応しない。
考えるより先に、体が動いていた。目の前のやぶをかき分け、草地に足を踏み入れる。ふらふらと彼のそばまで歩み寄り、がくんとその場にひざをついた。
すぐ近くで彼をじっと観察する。その胸がゆっくりと上下していることに気づき、ほっと息を吐いた。どうやら、眠っているらしい。けれどどうして、目覚めないのだろう。
呆然としていたら、女性がゆったりとした口調で声をかけてきた。
「ねえ、あなた、アルティスを、知っているの?」
そちらを見ると、愛らしく小首をかしげている女性と目が合った。この浮世離れした感じ、珍しい髪と目の色、彼女はやっぱり精霊だろう。
普通の人間は、金、銀、黒、茶、赤などの髪色が多い。けれどたまに、青や緑などの髪をした者もいる。だから、水色の髪をしたフォンテも、そこまで怪しまれることもなかったのだ。
もっとも彼の場合は、わたしにべったりとくっついて、ママ、ママと連呼していたからというのもあるかもしれないけれど。
ともかく、彼女のまとう雰囲気は、普通の人間のものとはかけ離れていた。それにこの状況に、少しも動じていない。きっと彼女が、この森を生み出した張本人だ。
「はい。わたしの……大切な人です」
警戒しつつ、言葉を返す。彼女が精霊なら、もってまわった言い方は通じにくいかもしれない。だから、短く、はっきりと答えた。
すると女性が、嬉しそうに笑った。
「そうなのね。わたしも、アルティスが大切なの」
つぼみがほころぶような笑みを浮かべ、彼女は歌うように続ける。
「わたし、シルヴィー。アルティスのおかあさんよ」
彼女の愛らしい唇から飛び出した言葉に、思わずぽかんと口が開いてしまった。




