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21.にぎやかな時間

「……また、おべんきょう?」


 建物の中には、たくさんの子どもがいる。それなのに勉強をしなくてはならないということが、フォンテにとっては不服なようだった。特に、さっきさんざん勉強をした後だったから。


「ああ、そうだ」


 ミュゼットはフォンテの頭にぽんと手を置いて、優しい声で答えている。


「今度の勉強は、先ほどのものとはまた違う。人の中で生きるということを学ぶのだ。君には一番必要なことだろう」


 その声音に、ふと気になるものを感じた。


「あの……ミュゼットさんは、何か……気づいておられるのでしょうか?」


 思いっきりぼかして尋ねると、彼はこともなげに言葉を返してきた。


「ああ。フォンテは、精霊なのだろう?」


 これ、どう返事をしたらいいのだろう。そしてなぜ、彼はそのことに気づいたのか。


 頭にヴェンティルを乗せたままこの建物の説明を続けているリリアと、つま先立ちになって建物を眺めているフォンテ、そんなふたりに目をやって、ミュゼットは声をひそめる。


「昔、似たようなふるまいをする女性に会ったことがある。しかもその女性は、ずっと見た目も変わらず……」


 それを聞いて、ぎくりとしてしまった。……もしかしてこれは、アルティスの母……のことだろうか。ミュゼットはアルティスの遠縁だという話だし、当時のことを知っていてもおかしくはない。


 そんなわたしの想像を裏付けるように、彼は静かに語り続けている。


「おかしな人物だと、一族の者は陰口を叩いておったよ。吾輩も何度か言葉を交わしたが、確かに少々変わってはおった。もっとも、性根はまっすぐな女性だったがな」


 どう相槌を打てばいいのだろう。何も知らないふりをするのが、たぶん正解だとは思うけれど……。


「しかしその女性がいなくなってしばらくして、アルティスが精霊についての資料を集め始めたと知り、ぴんときた」


 アルティスの名前が出たことに、思わずぎくりとしてしまう。やっぱり今のは、彼の母の話だったのだ。


「それまでのアルティスは、民間の伝承になどまるで興味を持たない子どもだったからな」


 どうしよう。わたしがその件について知っていることを、明かしてしまっていいのだろうか。いやそもそも、どうして彼がわたしにこのことを話しているのか。


 必死に平静を装いつつ内心大いにうろたえていたら、ミュゼットがかすかな声でささやきかけてきた。


「吾輩が気づいていることは、どうかアルティスには黙っていてくれたまえ。うかつに引っかき回さないのも、優しさだと思うのだ」


「は、はい、もちろんです。ですが、その……どうしてわたしに、その話を……アルティス様の秘密を、勝手に漏らしているも同然かと……」


「何、貴殿は既に知っておるのだろう? 全部、顔に出ておったよ。その女性の話が出てきたとき、明らかにうろたえておった。そしてそれからの話について、少しも驚くそぶりを見せなんだ」


「……はい、おっしゃるとおりです」


 リリアが前に、「師は観察眼に優れた方で、隠し事は全て見抜いてしまいますの」と言っていたけれど、納得した。完敗だ。


 目を伏せるわたしに、ミュゼットは豊かに響く笑い声を上げていた。




 建物の中に足を踏み入れたわたしたちを、予想以上の歓声が出迎えた。


「ミュゼットせんせい! その人たち、だあれ?」


「あたらしいおともだち?」


 どうやら集まっていたのは、六歳前後の子どもたちばかりのようだった。リリアよりは少し年下で、フォンテよりは大きい。


 部屋の中には、質素な机と椅子がいくつも並んでいた。片方の壁に、大きな黒板がかけられている。


 席についていた子どもたちはわたしたちを見るとぱっと立ち上がり、こちらに駆け寄ってきた。


「そうだ。この子はフォンテ、リリアの屋敷で暮らしている。今日は、みんなと一緒に授業を受けにきた」


 ミュゼットの説明に、子どもたちの顔がさらに輝く。そして同時に、わたしのほうを見た。


「こっちの人は、あたらしいせんせい?」


「いえ、わたしはカルミア。フォンテの母よ」


 そう名乗ると、わあわあという歓声が上がった。フォンテのお母さん、きれいだね! とか、そんな感じの言葉が次々と投げかけられる。


 まっすぐな褒め言葉の嵐に、思わずとまどってしまった。そんなわたしのスカートにフォンテが抱きついて、ふふっと笑っている。その彼の隣では、リリアもおっとりと微笑んでいた。




 やがてミュゼットが黒板の前に立つと、子どもたちはきびきびとした動きで席に戻っていく。授業の始まりだ。


 まだ小さな子ども、それもごく普通の平民の子ばかりが集まっているということもあって、授業そのものは易しいものだった。さっきの勉強会とは、天と地ほども違う。


 子どもでもとっつきやすい寓話の本をみんなで読んで、言葉を覚えたり、内容について話し合ったりする、そんな授業だった。


 フォンテはここでも、あっという間に子どもたちになじんでしまった。空いた席に座って、隣の子の本を見せてもらいながら、楽しそうに本を朗読していた。


 わたしもミュゼットを手伝って、一種に授業をする。リリアも子どもたちの間を歩き回って、ちょこちょこと助言を与えている。


 とても温かな、にぎやかな時間だった。一度たりともフォンテはもめ事を起こさず、子どもたちも彼のことを友達だと思っているようだった。


 そのことも、わたしの胸を温かくしてくれていた。この調子なら、きっとアルティスとのこともうまくいく。そう、思えたから。




 授業を終えて、またミュゼットの家に戻っていく。よほど楽しかったのかぴょんぴょん跳ねるようにして歩くフォンテを、リリアが追いかけている。


 そんなふたりの背中を見ながら、少し後ろをゆったりと歩く。ふふと微笑んでいたら、ミュゼットが声をかけてきた。


「先ほど、勉強を教えたときも思ったが……フォンテは同世代の人間の子どもと比べると、常識や知識が圧倒的に足りない。しかしながら、素直で飲み込みは早い」


 ミュゼットはどうやら、フォンテについて思うことを語ってくれているらしい。自分以外の大人の意見を聞くことができるのはありがたいので、じっと耳を傾ける。


「時折、独特のこだわりを見せることもあるが……こちらも、丁寧に説明してやれば一応納得はする」


 さっきの授業と、その前の勉強の間のことを思い出しているのだろう、彼の笑みが深くなる。


「期日までしっかりと特訓すれば、アルティスの課題も乗り越えられるだろうな。それと」


 頼もしい言葉にほっとしていたら、彼は思い切り声をひそめた。


「……アルティスは気難しく見えるが、その実とても甘く、情にもろい。それを自覚しているからこそ、あのように厳しい態度をとっているのだ」


 歩きながらちらりと横を見ると、ミュゼットはとても温かな、しかしちょっぴりおかしそうな笑みを浮かべていた。


「それ、分かる気がします……」


 こちらもおかしいのをこらえながら、小声でこたえる。


 そもそもアルティスは、わたしたちに試練を課しておきながら、すぐにフォンテの教育を手伝ってくれるような人だ。


 わたしがネイサンともめていたときに時間を浪費するよう仕向けておきながら、わたしの力になろうとこっそりついてくるような人だ。


 彼は、素直ではないのだろう。それが元々の性格なのか、それとも母親との別離によるものなのかは分からないけれど。


 でも、アルティスのことをよく知るミュゼットにこう言ってもらえて、すうっと胸が軽くなったような気がした。


 あと少し、頑張ろう。そう決意するわたしに、前をゆくふたりが笑顔で振り返ってきた。

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