20.師の正体
ネイサンとのあれこれも片付いたので、またフォンテを連れての町歩きを再開させることにした。もうアルティスに言い渡された期日まで半月もないし、頑張らないと。
「うふふ、自分の足で町を歩くのは、久しぶりですわ!」
ホー。
わたしとフォンテのすぐ横を、リリアが大股に歩いていた。彼女の頭には、ヴェンティルがべったりと張りついている。
「ヴェンティル、そもそもあなたは自分の足で歩いてはいないでしょう? 最近、楽をすることを覚えてしまって」
ホホー。
「そんなにわたくしの頭の乗り心地、気に入りましたの?」
ホーッ。
「あら、ありがとう。でもそんなに楽をしていると、太りますわよ。気のせいかあなた、最近ちょっと丸くなっていますし」
ホホッ!?
リリアの言葉を聞くなり、ヴェンティルがふわりと舞い上がった。運動でもしているかのように、ばさばさとせわしなく翼を動かしている。
どうも最近、リリアがヴェンティルと意思疎通できているような気がする。時々こうやって、フォンテを介することなく話しているのだ。そしてフォンテに答え合わせを頼むと、ほぼ合っている。
「おさんぽ、たのしいね!」
「そうね。余計なことを気にせずに歩けるのって、いいわね」
フォンテはそちらには目もくれず、跳ねるようにして歩いていた。この笑顔を見ていると、ネイサンを追い払えて本当によかったと思える。アルティスに感謝だ。
「……でもちょっと、緊張するけれど」
みんなに聞こえないように、ぼそりとつぶやく。
今わたしたちは、リリアの案内で『師』のもとに向かっているのだ。彼はフォンテにいい刺激を与えてくれるはずだと、リリアがそう主張したのだ。
フォンテの成長のためなら、なんだってする。そう腹をくくってはいたものの、いつもリリアに山のような課題を出す厳しい方だということを知っているせいで、腰が引けてしまうのも事実だった。
「さあ、つきましたわ!」
やがて、一軒の民家の前でリリアが足を止める。かつてわたしたちが出会った、あの場所だ。
彼女は入り口の扉の脇に下げられたベルを鳴らすと、そのまま中に入っていく。そうして、正面にある階段を昇っていった。
「師、カルミア先生をお連れしましたわ!」
二階の奥まった部屋に、彼女はそのまま突き進んでいく。そうして、明るい声を上げた。
「貴殿がカルミア君か。リリアから、話は聞いておるよ」
左右に本棚の並んだ小ぶりの部屋でわたしたちを出迎えたのは、白髪の老人だった。きちんと整えられた小粋な口ひげが、ひときわ目を引く。
想像していたよりはずっと穏やかな、落ち着いた雰囲気の人だ。
「吾輩はミュゼット・トーラ。アルティスとリリアの遠縁にあたる。アルティスが幼いころ、リリアと同じように面倒を見ていた」
しっとりとした豊かな声で、彼は静かに語っている。とても心地いい声だけれど、同時に背筋がぴんと伸びるのを感じる。
フォンテは目を丸くして、ミュゼットを見つめていた。ネイサンのときとは違い、敵意をむきだしにしてはいない。むしろその顔に浮かんでいるのは、好奇心……だろうか。
「ミュゼット……?」
「吾輩のことは、『ミュゼットさん』か『師』、あるいは『先生』と呼ぶといい。背筋がこそばゆくなるから、『様』をつけるのは止めてくれ」
きょとんとしながら呼び捨てにしてきたフォンテを、ミュゼットは叱ることなく指導していた。
「せんせい、ママのこと。し、よびにくいの。だから、ミュゼットさん!」
そしてフォンテは、すぐに彼のいうことを聞いていた。アルティスといい、ミュゼットといい、どうしてこんなに子どもの扱いがうまいのか。
「そうか、いい子だな。君のママのためにも、しっかりと学ぶのだぞ」
「うん!」
「君がもう少し大きくなったら、吾輩が直接指導してやってもよいのだが」
「あの、師! フォンテには、まだまだ先の話ですわ! この子はまだ、基礎中の基礎を学んでいるところですもの!」
普段ミュゼットにしごかれているリリアが、あわてて口をはさむ。ミュゼットはふふと笑い、あごに手を当てた。
「では、そちらはまた後日、ということにしようか。さて、貴殿たちはフォンテに多くの人と触れ、色々な体験をさせてやりたい、とのことだが」
ここに来る前に、リデイエラはミュゼットにお願いをしていた。フォンテという子どもにたくさん経験を積ませたいから、協力をお願いします、と。
「ふむ、町の子たちの集団授業まではまだ二時間ほどあるな」
懐中時計を取り出し、ミュゼットがつぶやく。頭にヴェンティルを乗せたままのリリアが、警戒するように身をこわばらせた。
「それまで、勉強会としゃれこもうか。ちょうど、教師もふたりおるからな」
「えっ、師……わたくしも、ですの?」
「無論」
「フォンテ、べんきょう、がんばる!」
「ほら、君よりも小さな子どもが張り切っておるのだ。負けてはいられまい?」
「……はあーい」
張り切っているフォンテと、うんざりした顔のリリア、そして知らん顔を決め込んでいるヴェンティル。
彼らを見ながら、ミュゼットは笑顔で本を次々と引っ張り出していた。
それから一時間半後、わたしたちはミュゼットに連れられて、子どもたちに授業をするという別の場所へと移動していた。
「みな、若いのだからもっとしゃきしゃきと歩くといい」
ミュゼットはわたしたちを率いて、大股ですたすたと歩いている。彼の年齢を考えると、かなり機敏な動きだ。
でもわたしたちは、そうもいかなかった。
「は、はい……」
「あたま、ぐらぐら……」
フォンテは生まれて初めての容赦ない勉強量に頭を抱えていたし、教える側だったはずのわたしも、気づけばミュゼットにあれこれ教わっていた。そのせいで、既にぐったりと疲れていた。
そしてリリアも、よろよろと力なく歩いている。さっきまでは自分の翼で飛んでいたヴェンティルが、彼女の肩に乗って顔にもたれかかっていた。
「待ってくださいませ、師……あの、ヴェンティル、だから乗らないでくださいまし……」
ホー……。
「『にんげんのきょうようは、むずかしいですわ』だって……」
「しっ、フォンテ、人前でヴェンティルの言葉を伝えちゃだめよ」
「あ、そっか」
幸い、今のやり取りは前を行くミュゼットには聞こえていないようだった。
それはそうとして、今わたしたちはどこに向かっているのだろう。町の子たちの集団授業がどうのと、さっきそう言っていた気がするけれど。
ミュゼットは迷うことなく、さらに通りを進んでいった。住宅が多く立ち並ぶ一角にある大き目の建物の前で、足を止める。
「ここで吾輩は、週に三日ほど、町の子どもたちに勉強を教えている。普段は、集会所として使われている建物なのだがな」
その言葉に耳を澄ませると、建物の中からさわさわという子どもたちの声がした。大騒ぎこそしていないけれど、とても楽しげだ。
「師は貴族や豪商の子には、きちんと代金をとって一対一で勉強を教えているの。代わりに平民の子たちには、格安で授業をしておられるのよ」
「誰しも、学ぶ権利はあるからな。金のせいで十分に学べないというのも、不公平な話ではないか。ゆえに吾輩は、金のあるところからはきっちりと取り、ないところに還元する。それだけだ」
誇らしげに説明したリリアに、ミュゼットが少しも気負うことなく堂々と言葉を足した。
「ママ、こども、いっぱいいるね。あそぶの?」
「いや、勉強だ」
楽しげに目を丸くしているフォンテに、ミュゼットはやはり堂々と答えたのだった。




