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2.不思議な子ども

 突然走り出したフォンテが、わたしを小さな泉に導いてくれた。澄みきった水はひんやりとしていて、手を入れるととても心地よかった。


「まあ、きれいな水ね……」


 いろいろと疑問はあったけれど、今は渇きのほうが勝っていた。


 泉のそばにかがみこみ、存分に喉を潤し、水筒に水を汲んで、ようやくひと心地ついた。


「フォンテ、あなたはここへの道を知らなかったのよね。だったらどうして、ここに泉があるって分かったの?」


 そう尋ねたら、フォンテは難しい顔をして小首をかしげてしまった。んー、えーと、などとうなっているのが、なんともかわいい。


「フォンテには、わかるの。ここにおみず、あるって」


 さて、それはどういうことだろう。動物の中には、水の匂いをかぎつけられるものがいるって聞いたことがあるけれど。


「ねえねえママ、もうのどかわいてないよね?」


 考え込んでいたら、フォンテがけろりと明るく言い放った。薄闇の中で、その無邪気な笑顔は輝いているかのように思えた。


「え、ええ。ありがとう……」


「わーい、ママのやくにたてた!」


 そう言ってフォンテは、またぎゅっと抱き着いてくる。その温もりを感じながら、改めて状況を整理する。


 ひとまず、水についてはもう大丈夫だ。でも足を止めてしまったせいで、一気に疲れが押し寄せてきていた。もうこれ以上、一歩たりとも動きたくない。


「野宿……するしかなさそうね……この林の中と街道のそば、どちらが安全かしら……」


 この辺りは治安がいいとは聞いているし、危険な獣もめったに出ないとは聞いているけれど……それでも、もしもということがある。


 そもそも、屋根も何もないところで一夜を明かすのは怖かった。生まれも育ちも貴族であるわたしは、そんな経験をしたことがない。


 ひっそりと困り果てていると、わたしに抱き着いたままのフォンテが顔だけを上げてこちらを見た。


「だいじょうぶ! フォンテがついてる!」


 まるでわたしの不安をかぎとったかのような言葉に、自然と笑みがもれた。


「……そうね、頼もしいわ」


 そうこたえたら、フォンテは得意げに大きく笑った。


 フォンテは幼子で、戦えはしない。何かあったら、わたしが彼を守らなくてはならない。それでもこの子がいると、不思議と心が落ち着くのだ。


「……悩んでいても仕方がないし、今日はもう休みましょうか。ひとまず、街道のそばまで戻りましょう。あそこのほうが、見晴らしがいいから。フォンテ、案内をお願いできる?」


 あんなに自信たっぷりに走ってきたのだから、帰り道も分かっているのだろう。そう考えて案内を頼んだところ、フォンテはなんともいえない表情になって視線をそらした。


「えっと、わかんない」


「分からないの? だって、ここにはまっすぐ来られたじゃない」


「でも、わかんない……」


 思わず尋ねたら、フォンテは泣きそうな顔になってしまった。


「ああ、泣かないで……分からないものは仕方ないわね。だったら今夜はここで休んで、明るくなってから林を出ましょう」


 この泉と街道はそこまで離れていなかったし、明るくなってから注意深く進めば、きっとまた街道に出られるはず。


 そのためにも、今はきちんと休もう。怖いけれど、フォンテがいればきっと大丈夫。


 暗闇の中、手探りでトランクを開け、冬用のコートを取り出す。泉のそばの草地の上にそれを敷いて、二人で横たわる。


「おやすみなさい、フォンテ。また明日」


 そう言って、目を閉じる。ぎゅっと抱きしめたフォンテの体は、とっても温かかった。




「ママ、おはよう!」


 次に目を開けたら、満面に笑みを浮かべたフォンテと目が合った。彼の頭の向こうには、木々のこずえと青い空が広がっている。


 一瞬、どうしてこんなことになっているのか分からなくて、ぽかんとしてしまう。少し遅れて、今までのことを思い出した。


「そうだったわ、わたし、家出して……」


「いえで? ママ、いえからでたの?」


 きょとんとしている彼の顔を見て、気がついた。そういえば、まだ彼に自分の事情を説明していない。


「ええ。わたしはどうしても家にいたくなくて、自由になりたくて、ひとりで飛び出してきたの。もう、あそこには戻らない」


 改めて言葉にしたことで、自分がどれだけ無謀なことをしているのか実感する。でも不思議と、昨日ほど気持ちは落ち込んでいなかった。フォンテがいてくれるからだろうか。


「そういうことだから、わたしについてきても、住むところがないのだけど……」


「フォンテ、ママがいればそれでいい! いえ、いらないよ!」


 そろそろと付け加えたら、フォンテはすぐに力いっぱい首を横に振った。本当に、どうしてこんなになつかれてしまったのかしら。


「ねえ、わたしはあなたのママじゃないのよ? あなたには、本当のママがいるでしょう?」


「ちがうもん! ママだもん! フォンテのママは、ママだけ!」


 一応尋ねてみたら、やはり全力で否定された。まあいいわ、今はとにかく町に着くことを優先させましょう。考えるのは、それからでいい。


「それにしても、思いのほかよく寝られたわね……」


 草の地面にコートを敷いただけ、周囲はぐるりと林。きっと一睡もできないんだろうなと思っていたけれど、朝まで熟睡していた。


 おかげで、頭はすっきりしている。さすがに体はあちこち痛いけれど、これならまだ歩ける。


 とはいえ、昨日屋敷を飛び出してから何も食べていないから、さすがにお腹が空いたわ……。


「あ、いいにおい」


 こっそりとお腹を押さえていたら、フォンテがぱっと明後日の方向を向いた。そうして、近くの茂みに突っ込んでいってしまう。


「ちょっと、待って!」


 こんなところではぐれたら大変だ。トランクを手に彼の後を追いかける。悪戦苦闘しながら茂みを通り抜けると、そこには地面に座り込んで笑っているフォンテの姿があった。


「ママ、これおいしいよ」


 彼の目の前には、たわわに実った野イチゴの草むら。フォルテはその前に座りこみ、笑顔で野イチゴを食べている。


「はい、どうぞ!」


 そうして、彼は小さな手のひらに野イチゴを載せて、自信たっぷりに差し出してきた。とまどいながらそれを受け取って、ひとつ食べてみる。


「あら、本当……甘酸っぱくておいしい……」


 そうつぶやくと、フォンテは嬉しそうに目を細めた。


「これもあの泉みたいに、『知らないけど場所が分かった』の?」


「ううん、ふわんっていいにおいがしたの。あまいにおい!」


 そうしてわたしたちは、朝ご飯代わりに野イチゴをたっぷりといただいたのだった。昨日からフォンテには助けられてばかりだなと、そう思いながら。




 すっかり元気になって、笑顔で街道をさらに突き進む。やがて、遠くに大きな町の影が見えてきた。どちらからともなく早足になって、さらに歩いていく。


「ついに、たどり着いたわ……」


「おおきいね、ママ」


 二人並んで、町の入り口の門を見上げる。


『ようこそ、アニマの町へ。全てが生き生きと輝く、この地へ』


 大きな石の門には、そんな言葉が彫り込まれていた。


 ここから、わたしの新しい人生が始まる。ここで、やり直すんだ。


 門を見つめていたら、ちょっぴり涙がにじんできた。


「ママ、ひとがいっぱいいるね?」


 フォンテの声に、我に返る。そうだ、感極まっている場合じゃなかった。


 この町は、わたしが飛び出してきたあの屋敷に近いし、使用人たちも買い出しなんかでよくここに来るらしい。


 たぶん大丈夫だとは思うけれど、万が一ということもある。夫の関係者には、見つからないに越したことはない。一刻も早く、町の中にまぎれてしまわなくては。


 大急ぎで門をくぐり、人込みに身を投じる。右手にトランク、左手はフォンテとつないだまま。


「まずは、仕事を探す……いえ、フォンテのことを知っている人がいないか探さないと……それよりも、ゆっくりと休むのが先かしら。あ、いっそもっと別の町に移ることも検討したほうがよさそうね……」


 歩きながら、改めてやるべきことを挙げていく。どれから手をつけたものか、悩ましい。


「……問題が多いわね……なんだか、頭が痛くなってきたわ……」


「ママ、あたまいたいの? だいじょうぶ?」


 とたん、フォンテが目を潤ませてこちらをのぞき込んでくる。彼を安心させるように微笑みかけて、


「大丈夫よ。ちょっと疲れただけだから。さあ、宿に行って休みましょう」


「うん!」


 手をつないで、朝の人ごみに向かって歩き出す。自然と、気持ちが上向きになっているのを感じていた。

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