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16.わたしの策

 次の日の朝、わたしは決意も新たにアルティスの部屋に乗り込んでいた。書類仕事をしていたらしいアルティスが、わたしの顔を見るなり不機嫌そうに眉をしかめる。


「……カルミアか。フォンテはいないようだな。ひとりで、何をしにきた」


「少々、ご相談したいことがありまして。あと、協力をお願いしたいことも」


 どうもフォンテのことがあるからか、アルティスはわたしのことをよく思っていないふしがある。でもだからって、ここまで露骨に嫌な顔をしなくてもいいだろうに。


 けれどこちらも、引き下がれない。


「昨日のネイサン様との件ですが、放っておくのはよくないと思うのです」


「そうか? 別に、好きなだけ隠れていればいいと思うが」


 平然と彼はそう言っているけれど、たぶん真意は逆だ。なんとなくだけれど、そんな気がする。


「ですがそれでは、フォンテの教育によくありません。わたしはあの子に、人間の世界をもっと学ばせたいんです。そのためには、ここに引きこもってはいられないんです」


 なので遠慮なく、思っていることを口にしていく。


「たった一日で、あの子は変わりました。この調子なら、一か月後には見違えるくらいに立派になれるはずなんです」


「確かに、そうかもしれないな。現にあの子は、ネイサン殿には危害を加えなかったようだし」


 彼の銀色の目には、「私のときとは大違いだな」と書いてあるように思えた。その冷ややかな視線にちょっとひるみつつ、さらに付け加える。


「それに、これ以上ネイサン様から逃げるのは……しゃくなんです」


 アルティスが無言のまま、片方の眉をかすかにつり上げた。


 この思いを白状してしまうかどうかは、少し悩んだ。既に色々知られてしまっているけれど、これ以上恥をさらしたくないと、そう思えてしまったから。


 けれどアルティスは鋭いし、とても冷静にものを考える方だ。うわっつらの言葉を並べたところで、彼の心を動かせそうにはない。


 だから腹をくくって、思いのたけをぶちまけると決めた。


「わたしは、ずっとネイサン様に軽んじられていました。ケイエルの家に、わたしの居場所なんてなかった」


 嫌というほど自覚しているけれど、改めて言葉にしてみると、それはあまりにも悲しい事実だった。


「……ケイエルに嫁ぐ前のわたしは、ごく普通の貴族の娘でした。親に、夫に、ただおとなしく従うだけの存在で……」


 語っているうちに、うっかり涙が浮かんでしまう。まばたきしてごまかしながら、頑張って話し続ける。


「でも、ある日……夫が愛人を連れ込んでいるのを見て、このままは嫌だって、そう思ったんです。その数日後、わたしはひとりで屋敷を出ました。普段のわたしなら、まず考えられないことでした」


 感傷的になっているからか、少しずつ話がずれていっているような気がする。こんなに熱くなっていたら、アルティスに呆れられるかもしれない。


「……そうして逃げたわたしは、フォンテに助けられて今の暮らしを手にしました。そんなところに、またネイサン様に出会ってしまって……」


 昨日の記憶が、はっきりとよみがえってくる。あのときこみ上げてきた、煮えたぎるような怒りも。


「また、あの人にわたしの人生を引っかき回されるのか、あの人に苦しめられるのかって思ったら、悔しくて……」


 我慢していたのに、ついに涙がこぼれおちてしまった。ぐっと指で拭って、なかったふりをする。


 歯を食いしばって呼吸を整えながら次の言葉を探していると、アルティスが静かに口を開いた。


「つまり、君はネイサン殿が主張するように、彼とともにあの面倒な離縁の手続きを片付けにいくつもりなのだろうか」


 それは、ただ淡々と意思を確認するだけの言葉だった。けれどその言葉は不思議なくらいに、混乱しているわたしの頭をしずめてくれた。


 ひとつ深呼吸して、ゆっくりと答える。


「いいえ。それでは、数か月ほどここを留守にすることになります。リリアに勉強を教えられなくなってしまいますし、あなたが下さった一か月の猶予もうやむやになってしまいます」


「そうだな。その場合、フォンテとヴェンティルは君に連れていってもらうことになるが。案外、そのほうがフォンテも成長するかもしれないな」


 さらりとそう言うアルティスに少し寂しさのようなものを覚えつつも、さらに言った。


「かもしれません。けれどネイサン様のそばにいれば、フォンテはずっと苦しい思いをすることになるでしょう。我慢しきれなくなって、それこそ災害を引き起こすかも……」


「そうなれば、君も人の世界からつまはじきにされかねないな」


「はい。それに……わたしたちがいなくなったら、リリアが寂しがります」


 そっと付け加えると、彼も少しとまどったように見えた。


「……ならば、どうする」


 彼はまっすぐにわたしを見つめ、問いかけてきた。ここからが、話の本題だ。


「……ひとつ、思いついたことがあるのです」


 そうして、声をひそめて語っていく。かつて歴史書や法律書などで読んだあれこれを思い出しながら、自分の考えを述べていった。


「……なるほど、そういうことか」


 アルティスもすぐにわたしの考えを理解してくれたようで、神妙な顔でうなずいている。


「はい。ですがこの策を成功させるためには、アルティス様の協力が必要で……」


「分かった。手を貸そう」


 具体的な内容を口にするより先に、彼はうなずいていた。驚くわたしに、彼ははきはきと答える。


「私は君のために、ちょっとした書面を一枚用意する。それだけでいいのだろう?」


「は、はい、そうですが……」


「それと、ネイサンとの対決の場には、私も同席させろ。もっとも、君たちの話し合いに口をはさむつもりはない」


「分かりました」


 そうして、わたしが考えた策は、決行されることになったのだった。




 次の日、朝食後すぐにひとりで屋敷を出た。アルティスは、少し離れてわたしのあとをついてきている。


 彼は話し合いの場に同席するつもりではあるようだけど、どのような形で同席するかについては、まだ決めかねているようだった。


 町の地図を思い出しながら、せっせと歩く。


 ネイサンとユナは、この町に留まってわたしを捕まえるつもりらしい。ということは、ふたりはどこかの宿にいる。


 このアニマの町で、貴族が泊まる宿はそう多くない。そしてネイサンは贅沢好みだから、たぶん一番高級な宿にいるはずだ。


 そうあたりをつけて徒歩で宿を訪ねていったところ、すぐに彼らが見つかった。


 わたしの名前を出して、宿の者に彼らを呼び出してもらう。案の定、ネイサンはほいほいと出てきた。当然のような顔をして、ユナもくっついてきていたけれど。


 宿のホールで少し相談して、そのまま三人で宿の中庭に向かう。


 高級な宿だけあって、この宿には広い中庭があり、そこにはいくつもテーブルが置かれていた。宿泊客がお茶をしたり談笑するための場所だ。


 テーブルのひとつを、ふたりと一緒に囲む。


 正直、気持ちのいいものではない。でも、彼らと話さないことにはどうしようもない。


「君のほうから来てくれるとは、どんな風の吹き回しかな? まあ、手間が省けて助かったが」


 ネイサンは、さっきからとても上機嫌だ。それも当然だろう。しかし、見ているだけで腹が立ってくる。冷静に、冷静に。ここでうまく立ち回れば、すぐに彼との縁も切れるのだから。


 ちなみにアルティスは、少し離れたテーブルでひとり優雅にお茶を飲んでいた。どうやらそこから、わたしたちの話を盗み聞きするつもりらしい。


 その姿をちらりと横目で確認して、用意してきた紙をテーブルに広げる。


「……これを」


 そこには『カルミア・ケイエルをリリア・トーラの教師として雇用する』という旨の記載とともに、アルティス様の署名がされていた。ただし、日付は一年前になっていた。

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