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15.逃げ隠れしていても

 屋敷に戻ってきたわたしたちを、リリアとヴェンティル、それにアルティスまでもが出迎えてくれた。どうやら、外出の結果がどうなったか知りたがっていたらしい。


「先生、どうしましたの!? ひどい顔色ですわ!」


 しかしわたしの顔を見るなり、リリアが心配そうな顔になる。その頭の上で、ヴェンティルも悲しげにホーと鳴いていた。


「いえ……会いたくない人に、会ってしまっただけよ……」


「フォンテ……ママ……まもりたかった……あのヒト、だいっきらい……」


 わたしのスカートにしがみついたまま落ち込んでいるフォンテに、アルティスが相変わらず厳しい口調で言う。


「それはそうと、何か収穫はあったのか。外で何を体験してきた。あの人とは誰だ」


「いやなヒト! ネイサン!」


 アルティスの質問が引き金になったのか、フォンテはばっと顔を上げて叫び出した。よっぽど、ネイサンのことが気に入らなかったらしい。


「ネイサン……もしかして、ネイサン・ケイエルか? ケイエル伯爵家の当主の」


 そしてアルティスは、すぐにその名にたどり着いてしまった。何も知らないリリアが、不思議そうに首をかしげている。


「伯父様、その人物がどうかしましたの?」


「カルミアの元夫……いや、おそらくはまだ夫である人物だ」


 それを聞いたリリアが、こぼれ落ちんばかりに目を見開いた。


「先生、夫がおられたんですの!?」


「……ええ、そうなの。できれば、そのままなかったことにしておきたかったのだけれど」


 そんな彼女に力なく笑いかけて、アルティスに向き直る。


「アルティス様……知って……おられたんですか」


「ああ。ここに来る前に、君たちについて使用人たちから話を聞いていた」


 ほんの少し申し訳なさそうに、彼は続ける。


「使用人たちによれば、君は貴族の出のようにしか見えないとのことだった。それなのに、なぜか子どもひとりだけを連れて、町を歩いていたと聞いてな。気になって、調べさせたのだ。まさか、本当に貴族だったとは」


「何か事情があるとは思っていたのですけれど、勝手に調べるなんて……」


 悲しげに眉を下げたリリアに、静かに説明する。


「いいのよ、リリア。心配してくれてありがとう。……わたしは三年前に彼のもとに嫁いだものの、ずっと放置されてきたの。そんな生活に嫌気がさして、屋敷を飛び出して……そうして街道で、フォンテに出会った」


「先生……」


「そのままこのアニマの町までやってきて、リリア、あなたに出会って……あとは、あなたが知っているとおりよ」


 しゅんとしてしまったリリアのそばにフォンテが歩み寄って、手を握っている。彼女の頭の上に、ぽすんとヴェンティルが着地した。そのまま小声で、クルクルと鳴いている。


 そんな彼女たちを見ていたアルティスが、深々と息を吐いた。


「そして今日、ネイサンと再会したことで君は取り乱している。即座の離縁を迫られたか、それとも、よりを戻すよう懇願されたか?」


「伯父様、もう少しものの言い方というものを考えてくださいませ。先生は、傷ついておられるんですのよ」


 またしても、リリアが援護の言葉を投げかけてきた。けれどアルティスの表情は、少しも動かない。


「しかし、事情が分からないままではこちらとしても困るだろう」


「そう……ですね……」


 あまり子どもに聞かせたい話ではないなと思いつつ、ネイサンとのやり取りについてもう少し丁寧に説明する。


 それを聞いたアルティスは、大いに納得したような顔でうなずいた。


「ふむ。ありがちな話ではあるが、あの面倒極まりない手続きにわざわざ挑もうとは、ネイサンも物好きだな。その子が生まれてしまってから、跡継ぎとして認めさせる手続きを完璧に整えるほうが、よほど楽だというのに」


 確かに、そのとおりではある。ただ、彼にはユナの思い、愛人という立場のまま子を産みたくないという思いは理解できていないようだった。


「でも、ネイサン様はわたしのことをあきらめるつもりはないようでした。アニマの町に配下を送り込み、わたしを捕まえてみせると、そう宣言されていて……」


 別れ際に見せたネイサンの、執念のこもった目を思い出す。彼は粘着質なところがあったし、ああ言ったからには、本気でわたしを探し続けるだろう。


「ならば、屋敷にこもっていればいいだろう。あと十か月もすれば、一年の別居が嫌でも成立する。そうなれば、彼が君を追い回す理由もなくなる」


「伯父様……」


 わたしたちを守るかのような言葉に、リリアがほうと感嘆の息を吐いている。


「ただ、その間にフォンテが悪さをするようなら、宣言していたとおり君たちを叩き出す。そのことに変わりはない」


 するとアルティスが、びしりと釘を刺してきた。


「とはいえ、そうなった場合は君たちをどこか別の町に送ってやろう。生活を立て直すだけで大変だろうし、そこに元夫までもがまとわりついてきたら、心労もかなりのものになるだろうからな」


 冷酷なのか、思いやりがあるのか、彼の言葉は、ちょっと判断に困る。


「……気遣い、ありがとうございます。とはいえフォンテは、今日一日力を使いませんでした。少しだけですが、前進できたと思います」


「……そうか」


 とはいえ、今この屋敷に置いてもらえているのが彼のおかげであることに変わりはないので、素直に礼を言った。


 ぷいと横を向いて答えたアルティスの表情は、ちょっぴり照れているようでもあった。




 その晩、眠る支度を整えて寝台にもぐりこむと、いつものようにフォンテが隣にごそごそと入ってくる。ヴェンティルは窓際の椅子の上で、もう眠りについていた。


「今日は、とってもよく頑張ったわね」


 フォンテにそっと声をかけると、とっても嬉しそうな声が返ってきた。


「ほんとう?」


「ええ。このぶんならきっと、ここを追い出されずに済むわ」


「やったあ……うれしいなあ」


 幸せそうにそうつぶやいて、フォンテが抱きついてくる。


「フォンテ、ママ、いちばんすき。ヴェンティルもすき。リリアもすき。だから、ここにいたい。みんなでいっしょにいたい」


「……アルティス様は?」


「……よくわかんない」


 もっとも、この反応からすると、今のフォンテは、アルティスのことを嫌ってはいない。中立……かな。少なくとも、ネイサンに対する態度とは、まるで違っていた。


「初対面でアルティス様に水をけしかけたのに、ネイサン様には何もしなかった。本当に、立派になって……」


「いやなヒトにみずをかけたらだめって、ママにおそわったから」


 きっぱりとそう言う彼の声を聞きながら、ふと考える。


 どうやらフォンテも、人にまぎれて生きるためのコツをつかみはじめているようだし、あとは屋敷の中でしっかりしつければ、アルティスが課した『一か月以内にフォンテをおとなしくさせる』という条件も達成できそうだ。


 つまりわたしたちは、これからもずっと、このトーラの屋敷にひそんでいられる。今までどおりに、みんな一緒に、穏やかに暮らせる。


 ネイサンのことは放っておいても、いずれ勝手に片が付く。今までさんざんわたしのことをほったらかしにしてきたのだし、今度はこちらが放置する番だ。


 ……でも、それでいいのだろうか。


 フォンテはこんなにも頑張ったのに、わたしがただ逃げ回るだけだなんて……やっぱり、よくない。


 彼の母親代わりとして、わたしもきちんと頑張りたい、その姿を、彼に見せてやりたい。


「……決めたわ」


「なにを?」


「あなたを、ずっとここに閉じ込めておきたくはない。だからわたしも、頑張るの」


「えっと……? よくわかんないけど、ママ、がんばれ!」


 フォンテの声援に、力がわいてくるのを感じる。何がなんでもネイサンとの問題を片付けて、また自由に町を歩き回れるようにしよう。


 そう決意しながら、フォンテを抱きしめて眠りに落ちた。

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