11.共存のために
どうにかこうにか、アルティスからひと月の猶予をもぎ取れた。ほっとしていると、ずぶ濡れのままのアルティスが鋭い目でわたしたちをにらみつけてきた。
「ひと月の間、私はこの屋敷に滞在する。その間、一度でも精霊たちがおかしな動きを見せれば、容赦なく全員まとめて叩き出す。いいな」
そう言い捨てて、アルティスは出ていった。そのままじっと入り口の扉を見つめていると、リリアがぽつりとつぶやいた。
「……伯父様、本気ですわ」
「そうなの?」
「ええ。もともと伯父様はとても厳しい方ですから……ひと月でどうにもならなければ、本当に先生たちが追い出されてしまいます……」
しょんぼりしてしまったリリアに、明るく笑いかけた。
「あきらめるには早いわ。ひと月もあるのだから、きっとどうにかなるわよ」
「……だと、いいのですけれど……」
彼女の愛らしい顔に浮かんだ憂いの色は、少しも薄れることはなかった。
いつもリリアに勉強を教えている部屋に向かい、みんなでテーブルを囲む。
「さあ、フォンテ。お勉強の時間よ」
「フォンテ、おべんきょう?」
「そう。お勉強しないと、ここから追い出されちゃうの」
わたしの言葉に、フォンテが泣きそうな顔になる。あのおじちゃんが……とつぶやいた声がどことなく恨めしげだったのは、わたしの気のせいだろうか。
思えばフォンテは、いつも自由奔放だった。小さな子どもはそういうものなのかなと思っていたけれど、どうやらそれだけではないようだった。
しかしこのままでは、本当にアルティスに追い出されてしまいかねない。もしそうなったら、フォンテを連れて旅をして、新たなすみかを探すしかない。
けれどそれでは、リリアを寂しがらせてしまう。だから、ここに残れるよう頑張らなくては。わたしたちを住まわせてくれて、居場所をくれた彼女のために。
だからフォンテが突然おかしな行動に出ないように、人の世界のあれこれをしっかりと教え込んでおかなくてはならない。
「そうだわ、ひとつ確認しておきたかったのだけど……あなたは、水を操れるの?」
「うん。みず、だしたりひっこめたり、さがしたり」
その言葉に、ひとり納得する。彼と出会ってからのちょっとした不思議なあれこれは、全部彼の力だったのだと。
フォンテは、街道そばの林の中にある泉を簡単に見つけ出した。リリアと出会ったとき、少し前までなかったはずの水たまりが姿を現していた。
それに、しおれていた庭園の花がひとりでに元気になっていたり、逆に庭の水たまりがあっという間に消え去っていたり。
そして、あの嵐の夜に見せた、とんでもない力も。
「……あなたは色んなことができるのね」
つぶやきながらフォンテの頭をなでたら、彼は嬉しそうに目を細めた。とても無邪気な、愛らしい態度だ。
でもこの子には、うねる濁流を操るほどの力がある。アルティスの言うとおり、野放しにしておくのは危ないのかもしれない。
悩みながら、言葉を紡ぐ。
「でもね、人の中で暮らすには、その力は隠しておかないといけないの」
「なんで?」
「なんでって、それは……」
言いよどんでいたら、横で様子を見ていたリリアが助け舟を出してくれた。
「悪い人たちに目をつけられるかもしれないからですわ! 怖い人がたくさん来たら、嫌でしょう?」
「うん。でも、こわいひと、やっつける。みずでながすよ」
彼の言葉に、リリアとふたり同時に頭を抱えた。
「やっつけちゃ駄目よ!」
「どうして? フォンテ、ママをまもるの。いけないこと?」
これは思っていた以上に、苦戦しそうだ。
両手で頭を抱えてうつむいていたら、窓辺でのんびりとした声がした。
ホー。
「ヴェンティルも、だめっていってる……」
それを聞いて、フォンテが不服そうな顔をした。
「そういえば、あなたはヴェンティルの言葉が分かるの?」
思えば最初から、フォンテはヴェンティルと話しているようなそぶりを見せることが多々あった。ただそれも、子どもらしいふるまいのひとつなのだろうなと流していた。
でもフォンテとヴェンティルがどちらも精霊だというのなら、話はまた変わってくる。精霊同士だけが使える何かの方法で、意思疎通していてもおかしくはない。
「うん、わかる」
「だったら、教えてもらえないかしら? ヴェンティルの言葉を、そのまま……できる?」
「たぶん」
するとまたヴェンティルがホーホーと鳴き、フォンテがうなずきながら口を開いた。
「えっと……『わたくしたちのしょうたいは、ないしょよ。ふつうのふりをしなくちゃね』……だって」
いつになく流暢に、フォンテがそう言った。なるほど、アルティスが指摘していたように、ヴェンティルは多少なりとも常識を身につけているらしい。って、それよりも。
「ヴェンティル、メスだったの?」
「そうだよ。『ええ、これでもりっぱなレディですのよ』だって」
「ええと……かわいいかわいいってわしゃわしゃして、ごめんなさい……」
思うところは色々あったけれど、まずはそのことを謝っておくべきだろうと、そう思った。
彼女の正体を知らなかったころ、飾り羽がかわいいと言っては頭をなで、足がちっちゃくてかわいいと言っては指でつんつんして……結構、失礼なことをしたかもしれない。
「『ふふっ、かわいいっていわれて、わるいきはしなかったわ。それにひとなつっこいハトのふりをするなら、ちょっとくらいなでられるのもありですもの』っていってる」
ヴェンティルの長い言葉を、フォンテは棒読みで伝えてくれた。リリアが眉間にしわを寄せて、わたしにささやきかけてくる。
「先生、ヴェンティルって、かなり賢いんですのね……」
「普通のハト扱いしてしまって、心底申し訳ないわ……」
「けれど、彼女に協力してもらえば、フォンテの勉強もはかどるのではありませんか?」
「それもそうね」
ふたりでひそひそと相談しあって、それからヴェンティルに向き直る。
「事情は分かっていると思うけれど、どうにかしてフォンテが普通の子どものふりをできるよう、あれこれ教えないといけないの。同じ精霊であるあなたに手伝ってもらえば、はかどるような気がするの」
ホー!
「『わたくしでよければ、よろこんで。わたくしも、あなたのことがすきだもの』……ねえヴェンティル、ママのことをいちばんすきなのは、フォンテだからね!」
ヴェンティルの言葉を伝えたフォンテが、そのまま難しい顔をヴェンティルに向ける。ヴェンティルは涼しい顔で、ホーホーと笑っていた。
「……やっぱり、大変だわ……」
「そうですね……困りましたわ……」
「フォンテ……つかれた……もういやだ……」
ホヒュー……。
わたしとリリアはヴェンティルという新たな味方を得て、三人がかりでフォンテに人の世界の常識を教え込んでいった。というか、教えようとした。
そしてものの一時間で、全員音を上げた。
ヴェンティルが知っていたのはあくまでも『普通のハトのふり』だけだった。当然といえば当然だけれど。
だから彼女は、うかつに力を使ってはならない、目立ってはならないということだけは理解していたものの、様々な状況において『普通の子どものふりをするにはどうふるまうべきか』については知らなかったのだ。
そしてフォンテは、ことあるごとに「なんで?」「どうして?」と連呼していた。彼にとって人間の常識は、どうにも理解しがたいもののようだった。
「精霊の考え方自体が分かれば、もう少し説明も楽になるのかもしれないけれど……」
人間のふりをして生きていくにあたって遭遇するだろう様々な状況のひとつひとつについて、どうふるまうか、どうしてそうしなくてはならないかを丁寧に説明していく。さっきから、それの繰り返しになっていた。
フォンテは賢い子で、説明すれば分かってはくれる。でも、さすがに教え込まなければならないものが多すぎた。
これ、ひと月でどうにかなるのだろうか。ならない気がしてきた。
どうしよう、とうなだれていたら、ノックの音がした。




